なんでもない話

sin30°

なんでもない話

 一人暮らしのワンルームに、タクと二人で寝転がっている。

 つけっぱなしのテレビからは夕方のワイドショーが流れていて、何やら深刻そうなテンションで外交問題の話をしている音だけが聞こえてくる。

 何とはなしに眺めていたツイッターを閉じてスマホを床に置いた俺は、大きく伸びをしつつチラリと隣のタクを見た。


 幼稚園から大学までずっと同じ学校というこの超絶幼馴染は、スマホを横に持ってフローリングの上にうつぶせになっている。おおかた今流行りのサッカーゲームでもやっているんだろう。

 どちらかと言うと流行りものを敬遠しがちな俺とは対極的に、昔から人一倍流行に敏感なコイツは、今日も敏感さをいかんなく発揮してこのシーズンの流行色だというエメラルドグリーンのロンTを着ている。


 そんな流行追いかけボーイこと荒木拓也はスマホの画面に顔をくっつけるようにしてゲームに熱中しており、顔を上げる気配はない。置いていたスマホを拾って、溜まったラインの未読を消化することにした。

 ほとんどが公式アカウントのトーク画面をポチポチといじっていると、「っし」という声が聞こえてきた。きっと点でも入れたんだろう、ゲームの中の話なのに「お前を起用してよかった――!」と画面に向かって熱っぽく語っている。ウチに来るといつもこんな感じなんだよなコイツ……。


 思えば大学入学を機に上京して半年、タクは毎週金曜日にふらりとウチにやって来て、特に何をするわけでもなく一晩泊まっていくのが習慣になっている。

 お互い思い思いに過ごして何をするわけでもないし、大学一年生の貴重な時間を無駄にしていると言われれば全くもって反論できない。けれど、学部もサークルも違うタクとの唯一の接点となった、なんでもないこの時間を俺は割と気に入っている。


「カズ」

 とだしぬけにタクが言った。

 スマホの画面から顔を上げずに「ん?」と返す。

「なんで女の子とヤることを「食う」って言うんだろうな」

「――は?」


 反射的に顔を上げてタクの方を見る。いつの間にかスマホを置いて、あぐらをかいていたタクは思いの外真面目な顔をしていた。

 俺もゆっくりと体を起こし、同じようにあぐらをかいて向かい合った。

「いきなりどうしたお前……。欲求不満過ぎて頭おかしくなったのか?」

 十五年以上の付き合いの友人が心の底から心配になった。のぞき込むようにして表情を窺うと、タクはなぜか遠くを見るように目を細めていた。

「いや別にそんなんじゃねえけど……」

 変わらず真剣な面持ちのタクは、テーブルの上のリモコンをつかんでテレビを消した。にぎやかに話題のスイーツを紹介していた声が途切れ、緊張感を含んだ静寂が訪れた。


 お互い無言の時間が流れる。二人してスマホをいじっていた時の静けさとは違う雰囲気につい気まずくなり、壁にかかっているアナログ時計に視線を逃がした。

 ふうと小さく息を吐いたタクは、おもむろに口を開いた。


「俺、テニサー入ってんじゃん?」

 そう話し始めたタクの表情はますます深刻になり、顔だけ見ると怪談でもしているみたいだ。二度頷いて続きを促す。

「そこの先輩たちがさ、一年生の女子を何人食った、みたいな話をしててマジで最低だなって感じだったんだけどさ――」

 そう言いながら忌まわしげに顔をしかめるタク。不思議なものでこの男、髪の色はコロコロと変えるくせに、女子に対しては潔癖という言葉で表現できるレベルで律儀なのだ。言ってしまえば、無駄に一途。

 ひとたび彼女ができれば浮気はおろか業務連絡以外の連絡も控える。彼女がいなくともワンナイトなんてもってのほか。浮気や女遊びをする輩は虫けらと同じ。荒木拓也とはそういう男なのだ。


「女子を『食う』っていう表現、改めて考えたら意味わからなくねえか? つか、普通にキモいし」

 まっすぐ俺の目を見てそう言うタク。雰囲気に対して疑問が間抜けすぎるだろ……。こんな空気を作って言うほどの事だったか……? あとキモいのは激しく同意。

 頭の中ではそんなツッコミやら感想やらが生み出されている。が、まるでドラマのシリアスなシーンのようなこの場の雰囲気に呑まれてしまい、「お、おう……」と情けない声を出すのがやっとだった。


「なんならさ、実際の行為の仕組みを考えれば女の方が男を「食う」とした方が正解じゃないか?」

「いや、生々しいな……」

 うっかりリアルに想像してしまい、思わず顔が歪んだ。

「でもそうだろ?」

 そう言ってズイと顔を近づけてくるタク。オシャレな服を着て、顔もそこそこ整っているのにそんな動きをされるとやたら変態チックに見える。

「まあ言われてみれば確かに……」

 確かに、タクの言うことは筋が通っているように思える。何ら反論することはないし、疑問は至極真っ当だ。他の誰にも聞かせられそうにはないが。

 俺の返事に納得したようで、タクは二、三度頷いてゴロリと仰向けに寝転がった。まっすぐに天井を見つめながら、「うーん」とうなっている。

 時折眉を寄せて真剣に考えるその姿に、不思議と俺も考えようという気が湧き上がってくる。すげえ馬鹿らしいけど。


 ――さて、なんで「食う」って言うんだろうな……。

 メンタル的な問題だろうか。食らいつくほどのモチベーション、的な。それか捕食者みたいなイメージとか?

 …………やべえ、もうすでにやめたい。こんなしょうもない事を考えてる人になりたくねぇよ。


 一度我に返ると、さっきまで高尚なことでも考えているように見えたタクが、急に恥ずかしい人に思えてきた。そしてその熱意に引っ張られて少し真面目に考えてしまった自分も。

 チラと寝転がっているタクを見ると、変わらずウンウンうなりながら考えているようだった。なんなんだこの時間。キモすぎるだろ。

 無意識にしかめっ面になった顔を見られまいと、壁掛けの時計を見る。時計の針は七時まであと少しという所だった。

「晩飯にしようぜ」

 その言葉は自然に出てきてくれた。俺の声にパチリと目を開けたタクは、首だけ動かして俺の方を向いた。本当は腹など一ミリも減っていないのに、さも空腹ですと言うように腹をさすってみせた。


 そんな俺を見てどう思ったのかは分からないが、タクは「ああ」とも「おお」とも聞こえるような適当な返事をして、ゴロリと反対側に寝返りを打った。壁にキスする気かと言いたくなるほど壁に接近したタクを尻目に、俺はタクがいる壁とは逆サイドのキッチンへ向かった。

 シンクの下の扉を開けて、ウチで一番大きな鍋と、ザルを取り出す。

 金属同士が触れ合う音や、扉を開け閉めする音が気になったのか、背後からタクが身じろぎする音が聞こえてきた。

「何作んのー?」

 という、覇気をまるで感じない声が後ろから飛んできた。野球で言ったらサードへのファールフライみたいな声だ。

 質問の答えを取り出そうと、もう一度シンクの下の扉を開けた。

「パスタ」

 俺も負けじと、右足でバンと扉を閉めながらファーストへのファールフライみたいな声を出した。これでツーアウトだ。


「え、先週もパスタじゃなかったっけ」

 後ろから慌てて起き上がる音がした。振り向くと、寝ている状態から上半身だけ起こしてこちらを向いたタクの姿があった。何を焦ったのか、大きく目を見開いて口をパクパクさせている。

「余ってんだよ、お前の分も作るんだから文句言うんじゃありません」

 キッチンの方に向き直って、「今日はたらこパスタだしな」と付け加えるとタクはなんとか納得してくれたようで、ゆっくりと元の寝転がるポーズに戻った。前回は確かミートソースだったはずだ。湯煎でできるソースのやつ。


 大鍋に水をためて、塩を振って火にかける。コンロの脇の壁に立てかけてある蓋を閉めれば、沸騰するまでしばらくやることはない。

 暇ではあるものの火から目を離すわけにもいかず、鍋の底に当たって広がる火を見ながらぼーっとする。

 爪のびたな、とか、明日の授業なんか課題出てたっけ、とかどうでもいいことがふらっと頭の中に湧いてきて、そのまま消えていく。しばらくすると、本当に考えることがなくなってしまった。

 鍋の蓋を取って中を覗き込むと、鍋の壁にポツポツと泡がくっついていた。でもここからが意外と長いんだよな、と小さくため息をつく。

 背後ではコトリという音がして、テレビから芸人の楽しげな声が流れ始めた。きっと先週始まったバラエティ番組だ。タクは先週の初回放送を見て「これ全然面白くねえな」とか言ってたくせに、今日は時折笑い声をあげている。


 俺はといえば、いよいよ何もすることがなくなって、さっきの「食う」の話についてまた考え始めていた。自分が低俗な人間になったみたいで気は進まないが、正直気にならないわけではない。

 やっぱり「捕食者」的な意味での「食う」だと思うんだよなぁ……。でも果たして世の男たちは女子たちを捕食しているのか……? いやでも、実際に捕食してるかどうかはさておいて、本人がそう思ってたら「食う」って使うだろうしな……。


 でも女子が「食う」って使ってるの聞いたことないな。捕食者のメンタルで臨んでいる女子もいるだろうに。俺が女子と接する機会がなさ過ぎて知らないだけなのか?

 でもやっぱり「食う」という言葉を使うのは男子だけのような気がする。語感が下品だから女子は使わないのだろうか。使ってる女子がいるかどうか、女子に聞いてみたいところだが、あいにくそんなことを聞ける女子の知り合いはいない。


 少し逸れてしまった。でも正直「捕食者説」以外思いつかない。タクの言うとおり実際の仕組みを考えれば女子側が「食う」とした方が正しいのだから、メンタル的な部分に理由があると考えるのが妥当だろう。物理的に男子が女子を食うとか意味わかんねえし。

 となるとやはり「捕食者のメンタル説」が有力だ。


 結局、一番可能性が高いんのはこの説なんじゃないだろうか。何も考えずになんとなく使ってるっていうのを除けば。

 意を決した俺は勢いよく振り向き、ぼーっとテレビを見ているタクに向かって勢いよく口を開いた。

「なあ、やっぱりさ、女の子を「捕食する」みたいな意味で「食う」って使ってたんじゃねえかな?」

 俺が思いつく中では最も有力な説だ。なんならうっすらと根拠のない自信すらある。タクよ、これでどうだ――!


「……え、なんて?」

 体はテレビに向けたまま、首だけこちらに向けてそう言ったタクは、すぐに視線をテレビに戻してケタケタと笑いだした。



「あ、いや――――なんでもない」

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