鳳凰の住む庭で

秋月ひかる

プロローグ

 それは、人生で最も多くの色を視界に収めた瞬間だった。


 あかあかあか褐赤あかあかあか真紅あかあかあか


 人の語彙では表現しきれない、目がくらむほどの多様な赤が羽ばたく。目を刺し貫く、紺碧の空を目指して。


 一筋の明るい光が視界を走り、大小様々な紫や黄色がその周りを踊る。

 強烈な光に照らし出された周囲の植物は、見たことない緑に輝いていた。


 みどりみどり常盤みどり萌葱みどり緑青みどりみどり深緑みどり——万華鏡、いや磨き込まれた宝石を散りばめて、一度に光を乱反射させたような、あまりにも鮮やかな。


 巨大な翼から炎が吹き上がり、その体が宙に浮いた。その姿が空の向こうへと消え去るのは、後から思い返せば、ほんの一瞬のことであったのだろうと思う。


 電子情報として均される前の、生きた色の渦。

 全てのスペックを、視覚からの情報処理に費やしながら、ただ惚けることしかできなかった、あの瞬間。



 やがて、柔らかく聴覚を刺激する誰かの声が、自分を現実に引き戻した。

 ——大丈夫ですか。

 低く、あまり抑揚のない声。その声はけして大きくはなかったが、不思議なほど輪郭のくっきりした、独特の響きを持っていた。優しい音色だと思った。視線をゆっくりと声の方へと向ける。

 脳に焼き付いた、あの色の渦はいつの間にか消え去り、ごくありふれた森を背景に、一人の人物がこちらを覗き込んでいた。

 思わず、その人物に向かってすがるように問いかける。

 ——鳥……?

 放心状態から立ち直れないまま口にしたつぶやきに、目の前の人物が頷いた。

 ——あなたも、見える人なんですね。

 そう言って、ちらりと地面に視線を送る。

 その視線の先で、小さな鳥が、不思議そうに二人の人間を交互に見上げていた。

 微笑ましい以外の感想を、特に持つことはなかっただろう。もしその鳥が、自ら発光していなければ。

 相手の言葉に何の反応も返せずにいるうちに、身をかがめていたその人物が立ち上がった。居心地が悪くなったのだろうか。何か別れの挨拶のようなものを口にし、そのままリズミカルに山を下っていく。

 あれは、果たして人間なのだろうか。直前に目にした光景と、その人物のあまりの軽装に、そんな疑問が浮かぶ。


 鮮やかな赤色と同じくらい強く脳裏に焼き付いたあの背中を、追えばよかったのか、追わなくて正解だったのか。


 あの時の自分には、分かるはずもなかった。

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鳳凰の住む庭で 秋月ひかる @Hikaru_akiduki

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