死神~じゃない方~

平 遊

死神~じゃない方~

(ああ、ここ・・・・)

階段を登りきった陸橋で、俺は立ち止まった。

自殺の名所として有名なこの陸橋。

今は、目的地までの近道として通っているだけだが。

俺は以前、正に死に場所を求めて、この場所に立ったことがあった。


********


仕事のミスでとんでもない額の損失を叩きだし、その上結婚を考えていた彼女にもフラれ。

おまけに空き巣にも入られて、なけなしの蓄えまで失い。

気づけば、俺は『自殺の名所』と名高い陸橋の上に立っていた。

下には交通量の多い高速道路が通っていて、ここから飛び降りたならば、余程のことがない限り命は無いだろう。

フラフラと手摺に近づき、両手をかける。

少し力を入れさえすれば、体なんて簡単に浮き上がるものだ。

そしてそのまま、向こう側に体を倒して、重力に身を任せてしまえば。

ぼんやりとそんなことを考えながら、何気なく横を向いた俺は、そこに信じられないものを見た。

小学生になるかならないかくらいの、かすりの着物を着た女の子が、手摺に手をかけて体を持ち上げようとしているのだ。

俺は慌てて駆け寄り、女の子を抱き上げて、手摺から離れた場所に下ろした。

「あんなとこ、登っちゃ危ないだろ!それに、こんな時間にキミ1人?お父さんかお母さんは?」

真っ暗な空の頭上に見えるのは、満月。

ということは、もう12時近いはずだ。

(この子の親は一体何をやっているんだ?)

辺りを見回す俺の前で、女の子がボソリと呟いた。

「うっかりしとったわい。人間に見られてしまうとは。」

(・・・・えっ?今、なんて・・・・)

小さな女の子のものとはとても思えない、声と言葉。

「まぁ、結果的には問題なしじゃから、良しとするか。」

(もしかしてこの子、なんかヤバい子・・・・?)

そう思ったとたん。

「失敬な人間じゃな。」

女の子が顔を上げ、呆れたような目で俺を見た。

俺、口に出したっけか?

そう思いながらも、初対面の、しかも助けてあげた女の子にそんなことを言われる筋合いはないと、少しばかり腹が立って、俺は言い返してやった。

「キミの方こそ、危なっかしい人間だな。」

だが、返ってきた答えは、俺の想定を超えたものだった。

「わしは人間ではないわ。死神じゃ。」

(え?死神って、あの?)

頭の中に浮かぶのは、大きな鎌を持ち、ボロ切れを纏った骸骨の姿。

「『それ』ではない方じゃ。」

女の子が盛大に溜め息をつく。

(『それ』ではない死神って・・・・?)

もう一度、さらに盛大な溜め息をついて、女の子は言った。

「人間の身代わりとして死ぬ方の、死神じゃ。」


生まれてこの方、俺はそんな死神の話など、聞いたことがなかった。

死神と言えば、死が迫っている人の枕元に現れるという、大きな鎌を持った骸骨の姿を思い浮かべる人が大半なのではなかろうか。

「それは、迎え神というのじゃ。加えて言うならば、迎え神は鎌など持っておらぬし、骸骨の姿もしておらぬぞ。」

迎え神?そんなの、初めて聞いたぞ。

で、どうでもいいけどこの子、確実に俺の頭の中、読んでるし。

「当然であろう。人間の思考も読めぬようでは、身代わりなど務まるまい。」

小バカにした目で俺を見て、女の子は言った。

「それに、わしから見れば、おぬしなど、まだまだ生まれたての赤子のようなものじゃ。わしを子供扱いするでない。」

「えっ?」

「言うたであろう。わしは死神じゃ。人間がこの地に生まれた頃には、既におったわい。」

誰がどう見たって、この子は小さな女の子だ。

人間の、子供だ。

俺の頭や目がおかしいのでなければ、だが。

とすると、おかしいのは・・・・

耳か?!

「おぬしの耳に異常などないぞ。理解力が乏しいだけじゃ。」

そうか、耳が悪い訳じゃなくて、理解力が・・・・

ん?

俺、バカにされてないか?

「馬鹿になどしておらぬ。そのままを言うたまでじゃ。」

少し遠くから声が聞こえた気がして見れば、女の子はいつの間にか陸橋の手摺の外側に腰をかけて、下を通る車の流れを見ていた。

「ちょっ、危ないって!」

慌てて駆け寄ろうとする俺を制し、女の子は言った。

「言うたであろう。わしは死神じゃ。ここからなら、もう何度も落ちとるわい。」


「なぁ、死神って、死んだらどうなるんだ?」

「どう、とは?」

足をブラブラさせて、女の子が俺を見る。

「何度も落ちてるって、言っただろ?ってことは、何回死んでも生き返るってことか?」

「使わぬ頭は、すぐに衰えるのじゃぞ。少しは己の頭で考えよ。」

小首を傾げた可愛らしい女の子には、全く似つかわしくない声と言葉。

もはや、何が正解かわからない。

この子は死神だと言うし、俺の頭の中読んでるし。

でも、だからといって、大人としては、小さい女の子をこのまま放っておけないし。

すると、女の子が少しだけ笑った。

「お人好しな奴じゃの。そんなことじゃから、他の人間の過ちを押し付けられるのじゃ。」

「えっ?」

「あれは、おぬしの過ちではないわ。上席の人間の過ちじゃ。よく考えれば分かるはずじゃがのう。」

最初、この子が何を言っているか分からなかった。

「鈍い奴じゃ。」

だけど、この話の内容って・・・・

「そうじゃ。仕事の話じゃ。」

「嘘だろ?」

俄には信じることができず、思わず呟いていた。

だって、この件で誰よりも慰めてフォローしてくれたのは、上司だったのだから。

「当然じゃろ。己の過ちを配下の者に押し付けたのじゃからな。罪悪感を持っておるだけ、まだ良い方かもしれぬ。」

まるで、『おなかいっぱい。もう食べられない。』とでも言っているような軽い口調で、女の子はとんでもない事を口にする。

「ついでにもうひとつ教えてやるが。」

視線を車の流れに戻し、彼女はまたも衝撃的な言葉を口にした。

「おぬしが添い遂げようとしていたおなごは、最初から他の人間と添い遂げるつもりであったのじゃよ。おぬしの蓄えを無断で持ち出したのは、そのおなごじゃ。」

・・・・マジ?

衝撃があまりに強過ぎて、言葉も出てこない。

「時におぬし、まだ死を望んでおるか?」

「えっ?」

女の子が、じっと俺を見ていた。

「天寿も全うすることなく、死を望むか。」

「・・・・いや。」

女の子の問いに、俺はこう答えていた。

本当は、死ぬつもりでここに来た。

だがもう、色々、衝撃的なことが、盛りだくさん過ぎて・・・・

いつの間にか、死ぬ気が失せていた。

「では、わしにはもう用は無い。」

手摺から陸橋側に器用に飛び降り、女の子はそのまま立ち去ろうとする。

俺はとっさにその手を掴んだ。

「待て待て。まだ答えを聞いてないぞ。」

「なんじゃ。」

不機嫌そうに顔をしかめ、女の子は立ち止まる。

「死神は死んだらどうなるのかって。」

「己の頭で考えよと、言うたであろう。」

「分かるわけないだろ。俺、普通の人間なんだから。」

「わしには答えられぬ。一度しか死ねぬ人間が知って良いものではない。」

一度しか死ねぬ人間。

そのフレーズが、胸に刺さった。

この子は、何度も死ねる死神。

いや、何度も死ななければならない、死神。

いくら死神とは言え、多くの死には苦痛が伴うはずだ。

それを何度も繰り返さなければならない彼らは、いったいどれだけの苦痛をその身に受けてきたのだろう?

「じゃあ、なんで身代わりなんてするんだ?」

「それが死神の務めじゃからな。」

納得いかない顔の俺を見て、女の子は

「ああ、おぬしは理解力が乏しいのであったな。」

と失礼な言葉を吐き、諦めの顔で言葉を継ぐ。

「天寿を全うもせずに死を望む人間がいる限り、わしら死神は身代わりになって死に続ける。わしらが死ぬことにより、人間から死への欲望が取り除かれる。わしら死神は、人間に天寿を全うさせるための存在なのじゃ。」

そこまで言ったところで、女の子の顔が歪んだ。

「近頃ではそのような人間が多過ぎて、間に合わぬことも多いが・・・・口惜しいのう。」

もうよいな。

とばかりに俺の手を振りほどき、女の子は再び歩き出す。

その背中に、俺は最後の疑問を投げ掛けた。

「なぁ、なんで小さい女の子の姿なんだ?」

「なんじゃ、妙齢の若いおなご姿の方が、良かったか?」

振り返って、女の子は笑った。

「わしらの姿は決まっておらぬ。

中には、おぬし好みの若いおなご姿のものもおる。

わしが幼子の姿を取っておるのは、死の瞬間の衝撃を少なくするためじゃ。まぁ、ほんの気休めじゃがな。」

言い終えると、女の子は今度こそ振り返らずに歩き続け、陸橋の角を曲がった。

走って追いかけてはみたものの、女の子の姿はもう、どこにも無かった。


******


(そう言えば・・・・)

ふと、先日同僚から聞いた話を思い出す。

『この前、ビルの屋上から若い女が飛び降りるのを見たんだよ!慌てて下を見たんだけど・・・・何も無かったんだ。でも、俺絶対見たんだよ、女が飛び降りたの!』

それはきっと、死神だよ。

そう教えてやろうとも思ったが、説明が面倒なので、やめた。

あれから-死神の女の子と会ってから-、会社の資料を調べ直し、俺は自分の無実を証明した。おかげで無事、今でも働き続けることができている。上司は自己都合扱いで退職したが。

彼女だった人にも連絡を取り、事情を全て聞き出して、無事取られた蓄えを戻してもらうことができた。

俺としては、めでたしめでたし、だ。

本当に、あの時死ななくて良かったと思う。

だが。

きっと今もどこかで、あの女の子は-死神たちは-、自殺志願者の身代わりとなって、死に続けているのだろう。

結局、死神が死んだらどうなるかは、教えてもらえなかったけど、あの子はどうしているのだろうか。

元気に、しているだろうか。


『相変わらず、お人好しな奴じゃの。』


ふと、あの女の子の声が聞こえた気がして、辺りを見回してみた。

が、辺りに人の姿は無い。


『わしが人間に二度も姿を見せると思うか、馬鹿者。』


間違いない、この口の悪さは、あの死神だ。

良かった、元気にしているんだな。

そう思って、俺は笑った。

【元気な死神】というのが、どうにも可笑しくて。


『ほんにおぬしは失敬な人間よのう。』


呆れ声の中にも、気のせいか優しさのようなものを感じる。

優しくないはずがない。

だって、彼らは人間を生かすために、身代わりとなって死ぬ死神なのだ。


『よいか、おぬしは必ず天寿を全うするのじゃよ。』


「ああ。わかった。」

姿の見えない死神に、俺は大きく頷いた。

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