エピローグ・天国は1と0のバーチャル世界に
ナユタが最後の配信を行った一年後。私は芽依の研究室を訪れていた。今では甲斐の研究室の嘱託研究員として所属しているが、時折こうして古巣へと顔を出している。
部屋をノックし扉を開くと、仏頂面の海珠が顔を覗かせた。
「……また来たんですか?」
「ああ、ちょうど時間が作れたからな」
海珠は私と入れ違う形で芽依の下に付くことになった。もともと彼女の企みでは、人格を機械に保存するAI技術でイニチアチブを握るはずであったが、その計画は芽依により打ち砕かれていた。
私はこの阿僧祇会での権力抗争に無頓着だった為、全くの蚊帳の外であったが、どうやら芽依はナユタの身柄を押さえた事で他研究員から目の敵にされていたらしい。尊師の孫を実験体に不死を実現すれば、芽依の立場は不動のものになるのだから当然だろう。
そのため、芽依の研究成果を奪おうとするものや、どうにかして便乗しようとする者が後を絶たなかったらしい。海珠もどうやらそんな手合いの一人だったらしく、私やナユタに手を差し伸べていたのも、芽依を自身の配下に置こうという下心からの行動だったのだとか。
しかし、芽依もただ黙っているような手合いではない。自身の立場を明確にするべく方々に向け説明に赴いたり、事細かなレポートを上層部へ送ったりと出来うる限りの自衛手段を講じていた。あの時は余り気に留めていなかったが、京爺さんに提出した茶封筒の資料も、どうやら他研究者へのけん制の一端だったらしい。
それらの努力が実り、ナユタの一件を自身の手柄にしようとしていた海珠の主張は認められることは無かった。しかし、起こった事象を再現する為の研究には海珠の知識も必要だと芽依が訴えた事で、海珠は芽依の研究室に所属する事になったのだった。
「はぁ、湊先生って少しでも時間が出来れば遊びに来ますよね。こっちも忙しいんですから、少しは自重してください」
「ちょっと海珠! せっかく蓮が来てくれたのに、その態度ってないんじゃないの?」
部屋の奥から以前と変わらぬ様子の芽依が姿を現す。海珠は「へいへい」と慣れた様子で悪態をつき、自分の席へと戻って行った。
「久しぶり……って程でもないわね。ナユタちゃんに会いに来たんでしょう? いつもの端末、使っていいわよ」
「……いつもありがとう」
私が一年前に使っていた作業デスクは、そっくりそのまま残されていた。もうここの研究室に所属している訳ではないのだから、いい加減片付けても良いのだが、そこは芽依の好意で手を付けていなかった。
端末を立ち上げると、まるで私が来ることを予見していたかのようにナユタのアバターが姿を現す。
「蓮さん! 来てくれたんだ!」
「ああ、今日は大切な日だからな」
あの日、ナユタの脳は完全に生命活動を停止した。しかし、脳と接続されていたサーバーに彼女の意識が移り、こうして今も意思の疎通が可能なのだ。
そして今日、ナユタはVtuberの活動を再開させる。表向きの理由は大学にも慣れ始めて生活に余裕が出来たからという事になっているが、実際は拡張されたナユタのサーバーの稼働がようやく安定したからだ。
「それじゃあ、さっそく始めちゃうね」
「久々の配信、楽しみにしているよ」
有から無への間で彼女は今日も生きている。肉体は完全に滅びたというのに。電脳世界では、二進数で全てが現されているのだから、ナユタにとっての天国は1と0のバーチャル世界にあったという事なのだろう。
『あーあー、聞こえてるかな? 皆さんお久しぶりです。今日は阿僧祇ナユタの活動再開配信に来てくれてありがとう!』
ナユタの天国がいつまで続くのか、彼女の魂がどこに有るのか、それは私には分からない。ただ今思うのは、こんな日々が一日でも長く続けば良いと、そう願っていた。
天国は1と0のバーチャル世界に 秋村 和霞 @nodoka_akimura
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