囚われし英雄

 古びた館の扉を押し開けると、蝋燭の光がぼんやりと闇を照らしていた。埃っぽい空気の中、部屋には二つの影があった。


「ようこそ、我らが英雄レオン様」


 低く抑えた声が響いた。


「――バダス」


 レオンの問いに、バダスはにやりと笑った。


 反逆の徒、バダス。元騎士団長。幼き頃の師。かつて尊敬される存在だった彼は、今、子爵の娘をさらった咎人となっていた。


 バダスの隣には、椅子に座らされ、身動きを封じられた子爵令嬢エリナがいた。




 レオンは息を整えながら、目の前の男を睨みつける。


 これは罠ではないかという疑念は捨てきれない。しかし、婚約者であるエリナがさらわれている以上、バダスを追う以外の選択肢はなかった。


「今や智勇の者と言われているそうだな、レオン」


 バダスは言った。


「ならば俺がこれから何をするか当ててみろ! 当てればエリナは殺さずに解放してやる。外せば、エリナを殺す」


 彼はナイフを取り出し、エリナの喉元に添える。白い刃が光を反射し、瞬いた。


「人さらいになったあんたを信用できると思ってるのか」


 レオンは警戒の眼差しを向けたが、バダスは薄笑いを浮かべながら続ける。


契約魔法プロミスを使ってもいいんだぜ」


 バダスの腕が輝いたと思うと、魔方陣が手の甲に描かれた。


 契約魔法——それは絶対に破れぬ誓約。バダスが使った魔法は短期用だが、それでも彼はしばらくの間、決して嘘をつけない。


 バダスは本気だ。




 レオンは考える。この問いに答えはあるのか。それとも、なにか落とし穴があるのか?


 そしてレオンは知識を巡らせ、答えに辿り着く。これは――


(これは……グリフォンの寓話と同じだ)


 王国に伝わる、古い民話だった。


 ---


 ある日、グリフォンが旅人の子供をさらった。


「私が次にすることを言い当てたら子供を喰わない。外したら喰う」とグリフォンは言う。


 それに対し、旅人は「お前は子供を喰うつもりだ」と答えた。


 もしグリフォンが子供を喰うつもりであれば、旅人の言葉は当たることになり、約束に従って子供を喰わないことになる。


 もしグリフォンが子供を喰うつもりでなかった場合、旅人の言葉は外れることになり、約束に従って子供を喰うことになる。しかし、それでは最初の「喰うつもりでなかった」という前提が崩れてしまう。


 ---


 この寓話の論理が今、現実のものとして目の前にある。


 この程度の教養は騎士であったバダスが知らないはずはないのだが……。


(そんなことも忘れるくらい落ちぶれてしまったのか。かつての師よ)


 もしかすると何か隠された論理があるのだろうか。


 ――いや、契約魔法は使われた。この状況でバダスがこの論理を覆す方法など存在しないはずだ。




(俺が「お前は彼女を殺すつもりだ」と言えば、奴はエリナを殺せない!)


 レオンは勝ちを確信した。


「お前はエリナを殺すつもりだ!」


 バダスは口元を歪めた。首元のナイフを引いて、エリナを束縛する縄を切り離す。


「契約どおりだ。……行きな」


 エリナはぎこちなく立ち上がり、ゆっくりと駆けだした。


 彼女を迎えるため、レオンは手を伸ばす。ここに至り、レオンは急激な不安感に襲われた。


 こんなにもあっさりと助けられるものなのか。


 教養を忘れるほど錯乱したバダスが、契約魔法を使うだろうか。


 寓話を覚えていたとしたら、そんなバダスがそれを使った問いをしかけるだろうか。


(……もしかすると、俺は何か重大な間違いを)


 エリナは腕を大きく開いてレオンに抱きつく。その手に持つものが閃いたことにレオンは気づかなかった。




 ――ドン。


「え……」


 背中から鮮血が溢れる。


 レオンは、ようやく刺された事実を認識した。


「ごめんね、レオン様」


 しかしエリナの声は平坦で――その顔には微笑みがあった。


「ハハハハハハ!」


 バダスの哄笑が響く。


「俺は契約を守ってエリナを解放した! だがな! お前を殺さないとは言ってねえ!」


「な、なぜだ……エリナ……」


 エリナはもはやレオンから離れ、バダスの傍らに立っていた。


「なぜって、あなたがいたら私は幸せになれないもの」


「エリナは元から俺の婚約者なんだよ! 三女とはいえ平民ごときに嫁がせるわけがねえだろ!」


 勝利を確信したバダスは話し始める。


 武功を立て続けるレオンは子爵ですら持て余していたこと。やむを得ずエリナと婚約させたこと。エリナが本当は受け入れていなかったこと……。


「ああ……グリフォンの寓話のとおり、お前の答えは間違ってなかった。ちゃんと覚えていて元師匠としては嬉しいよ」


 そう告げたバダスの笑顔は歪んでいる。


 エリナはしゃがみこんで、うずくまっているレオンと目の高さを合わせた。


「本当に……素直な方。そこだけは素敵でしたわ」


 そう言ってフフフと笑う。


 レオンはもはや言葉を返すことすらできない。


「ハハハ! お前が中途半端に賢いから楽な仕事だったぜ」


「もう、バダス様ったら」


 エリナはいたずらっぽく笑って、バダスの頬に口づけをした。




 そうしてひとしきり笑った二人は、仲良く腕を組みながら館をあとにする。


「――さようなら、我らが智勇の英雄様」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

短編置き場(仮題) あとりえむ @atori_m

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ