大岩のある村を訪れた旅人の話

あとりえむ

大岩のある村

 ある街で知り合った商人に連れられて、海辺の村にやってきた旅人。わずか数時間の船旅だったが、慣れない環境に少しばかり疲れていた。

 商人によると、この村で作られる魚の干物はとても美味で、高く売れるのだという。


「ここは陸路では来られないのですか?」と、旅人は尋ねた。

「先代のころはよかったんですが、今では無理なんですよ。興味があれば見てきてはいかかでしょう」


 商人が指した先には、村の出口らしき谷があった。

 そういうことならと、商人が取り引きをしている間に村を見て回ろうと旅人は歩き始めた。


 この村は切り立った崖に囲まれており、陸路で外部へ出るには谷を通るしかなさそうだ。

 周囲を見渡すと、村人が暮らすための畑を作るだけの土地はあるようだった。とはいえ、これ以上の拡大が見込めないのも明らか。外部へ出られなければ、ほぼ全員が閉鎖環境で一生を終えるのだろう。


 谷に向かうと、外へ出られない原因が分かった。大きな岩が道を塞いでいるのだ。商人の言うことが確かなら、昔からあるわけでもないのだろう。

 岩は完全に崖にめり込んでおり、とても動かせそうにない。


 岩の前には数名の村人が集まっていた。そのうちのひとりが岩に向かって大きな槌を振り下ろすと、わずかに谷が震え、頭上から小石が降ってきた。

 岩は変わらずそこにあり、ひびが入ったようにも見えない。


「何をされているのですか?」

 旅人が話しかけると、返事が返ってきた。


「見て分からないのか」村人は心底うんざりしたような顔をする。「あんたは初めて聞くのかもしれないが、こっちはあんたみたいなやつに何度も答えてるんだよ」


 そう答えた者は槌を受け取り、岩に振り下ろした。今回は小石が降ってくることはなかった。

 岩を叩いている村人の言うとおりなら、商人は他にも誰か連れてきたことがあるのだろう。


 旅人はしばらく岩を叩く様子を眺めていたが、どうして岩叩きたちは正面から砕こうとしているのか疑問に思った。

 まれに少しだけ欠けることはあっても、岩にはひびすら入らない。岩叩きたちはその微小な欠けの発生に沸いていたが、この調子では何十年かかるか分からない。

 なにより、叩くと周囲から小石や砂が降ってくることがある。岩叩きたちの体には、それによってできたと思われる傷跡が見える。旅人も小石を頭に受けて頭にこぶができてしまった。


「差し出がましいようですが、他にやり方はないのでしょうか?」

「動かそうとしても動かないから! こうやって砕こうとしているんだろうが!」

「たとえば崖のほうを削るとか……」

「いつ助言を求めた? 何も知らない余所者のくせに分かったようなことを言うんじゃねえ!」


 岩叩きのひとりが旅人に近づいた。その表情から、怒り心頭に発しているのが明らかだ。ものすごい剣幕であれこれと言葉を続けている。その中には、使ってはいけないとされる、いわゆる汚い言葉もあった。


「お、落ち着いてください。そのようにされては、とてもお話しできません」


 旅人はなぜここまで言われなければならないのか分からず、冷静に話を聞こうと思った。

 しかし、迫り来る岩叩きは旅人の言葉を受け入れなかった。


「お優しく話そうがこうやって話そうが中身は変わらないだろ! ああ!? 頼んでもいないのに訳知り顔でしゃしゃり出てきやがって! 誰もお前と話したいと言ってねえし思ってもいねえんだよ!」

「分かりました。それは申し訳ありません。しかし私の話も決して無駄ではないはずです!」

「謝ったな? お前は自分がよくないことをしていると知っていて実行した。そういうことだな!?」

「どうしてそうなるのですか! ただ、もっといいやり方があるかもしれないとお伝え――」


 そのとき、岩を叩き終わったひとりがやってきて、旅人に詰め寄っている岩叩きを止めた。

「そろそろお前の番だ」と告げられた岩叩きは、旅人に軽蔑のまなざしを向けて、岩に向かっていった。


「あんたもやるのか? やらないのか?」入れ代わりでやってきた岩叩きは旅人に尋ねた。

「岩がなくなったほうがいいとは私も思いますが、私が参加しようにも受け入れてもらえないでしょう?」

「そりゃそうだ。何も知らないやつを参加させるわけないだろう。参加したけりゃ岩叩きが何なのか知ってから来い。そうじゃなかったら槌か、槌を買う金を置いていくんだな。それもできないっていうなら、とっとと立ち去れ。邪魔だ」


 これ以上ここで話していても自分にできることはないと思った旅人は、村へと向かった。後ろから「ああいうやつの相手は飽き飽きだ」と話す声が聞こえた。


 村へと戻ると、畑の近くで休んでいた村人のひとりがやってきて、怪我はなかったかと旅人に尋ねた。

 旅人はこぶのことを隠して、問題ないと答えた。


「あなたたちは岩叩きに参加しないのですか?」

「あれをやってるのは、あそこにいるのと、あとは4人くらいで。連中は暇さえあれば岩叩いてるよ」

「岩があると不便ではないのでしょうか?」

「何も困ってないね。あの道を使う村人はめったにいなかったし、商人は海から来るし、問題ないさ」

「しかしもう畑を広げられないでしょう?」

「畑を広げる? どうして? 畑は足りてるだろ」


 村人は本気で疑問に思っているようだった。その様子を見た旅人は静かに納得し、「変なことを言って済まなかった」と告げて船着き場に戻った。


 桟橋では商人と村の代表と思わしき人物が雑談をしていた。周囲では荷運びが行われている。

 旅人に気がついた商人が「いかがでしたか?」と尋ねてくる。


「……なんとも言えません」旅人は村長に顔を向けた。「村長さんは岩叩きをされないのですか?」

「あれができてから、盗賊や狼が入ってこれなくなりました。ある意味では、村は岩で守られるようになったのです」

「岩はあったほうがいいと」

「ないほうがよいのでしょうが、あったらあったで利益もあるということです」

「ご領主様に嘆願書などは」

「毎年出していますが、特に変わりはありませんね」


 そう言って村長はため息をついた。

「岩叩きたちが岩をどかすことに成功しても失敗しても、村はそう簡単に変わらんでしょう。商いの方々には違うかもしれませんが」


 それを聞いた商人が笑う。

「ははは、私どもはどちらでもかまいませんよ。あの魚の干物が他で作られないかぎりは、ここで買うしかありませんから」


 旅人は桟橋につながる浜辺が騒がしくなったのに気付いた。

 振り返ると、二人の子供がこちらに歩いてくる。子供たちはときどき振り返りながら、浜辺の人々に手を振っている。


「あの子たちは?」と尋ねると、商人が答える。

「ここで食べさせていくのが難しい家の子たちです。私たちと一緒に街へ行くのですよ」

「食料が足りていないのでしょうか?」

「子が多い家ではそうでしょうね」


 二人を見送るのは家族なのだろう。親は寂しそうな顔をしている。きょうだいと思われる子供たちもいるが、うらやましそうに見つめる者と、さげすんだようなまなざしを向ける者がいる。


 村長が二人を紹介すると、船員がやってきて二人を船に案内していった。


「あの子たちはどうなるのです?」

「基本的には丁稚に出しますが……希望があれば狩人でも旅人でも。何になっても、ここに戻ってくるのはまれですがね」


 商人に言葉を村長が引き継ぐ。

「戻ってこられても、家も畑もない。街で過ごすほうが幸せでしょう」

「そうなのですね……」


 船長がそろそろ出発したいと商人に告げた。商人はうなずくと、村長に別れの挨拶をする。


「ああ、そうだ。桟橋に腐りかけている板がありますので、次回いくつか木材を持ってきましょう。村にも私どもにも必要ですから」

「気を遣わせて申し訳ありません。よろしくお願いします」


 そのやりとりを見ながら、旅人も船に乗り込む。

 船の積み荷は各地の特産品でいっぱいだ。

 次の目的地は、この国で一番大きな街。商人の本拠地だそうだ。


 出航した船の甲板で潮風を受けながら、旅人は水平線を眺める。

 航海の成功を願って、旅人は自身の神に祈りを捧げた。

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