四つ葉は足下に

瑞樹(小原瑞樹)

四つ葉は足下に

 街を歩いていると思うことがある。どうして大人はいつも暗い顔をしているのだろうと。電車に乗れば視線を合わさないように俯いてスマホを見ているし、会社に行けば大勢の人がいるのに会話もなしでキーボードを叩きつけている。帰る前に一杯やったとしても話題は仕事の愚痴ばかり。ねぇ、それで本当に楽しいの?


 あたし、青柳四葉あおやぎよつばも見た目はどこにでもいるOLだ。25歳独身、趣味はなし。でもあたしには誰にも負けない特技がある。それは日常の中に幸せを見つけ出すことだ。せっかく『四葉』なんて名前もらってるんだから、幸せな人生送りたいじゃない。あたしは日常の中にいろんな小さな幸せを見つけ、おかげで平凡ながらも満足できる人生を送っている。


 幸せ探し、なんて言うと大袈裟に聞こえるけど、大丈夫、ほんとに小さなことでいいんだから。せっかく来てくれたんだから、あたしの平日の1日を紹介するね。あぁ何だそんなことでいいんだって思えるから、騙されたと思って読んでみて。


 まずは朝、6時半に起床。7時間の睡眠で目覚めはすっきり。しかも大好きな芸能人が夢に出てきたから気分は上々。これだけで1日乗り切れそう。


 ベッドから降りてカーテンを開ける。あったかいお日様の光が部屋いっぱいに降り注いで、自然と縁側の猫みたいな顔になる。よかった、今日はいい天気だ。両手を上げて伸びをして、始まりを迎える街を眺める。


 顔を洗い、歯を磨いたところで着替えタイム。動きやすいのはズボンだけど……いや、この前買ったスカートにしよう。鮮やかな緑色とフレアのシルエットに一目惚れして買った一着。お気に入りの服を着るとそれだけでテンションが上がる。


 化粧を済ませたところで時計を見る。ちょうど7時。家を出るまでにはまだ時間がある。ダイニングテーブルに行って朝食の準備をする。昨日、駅前のパン屋さんで買ったチョコデニッシュとクロワッサンをトースターに入れる。3分経ったところでチンという音がして、蓋を開けた瞬間芳醇な香りが鼻腔をくすぐる。旅行先で買った花柄のお皿に盛りつけ、ヨーグルトとコーヒーをセットしていただきます。え?朝からカロリーオーバー? 気にしない、気にしない。


 朝食を終えたところで再度時計を見る。7時20分。いつも通りの時間。お皿とコップを流しに下げ、歯磨きをしながらテレビの占いをチェックする。かに座は……惜しい、2位だ。ラッキーカラーは緑。OK。ラッキーアイテムはカメラ。スマホはカメラに含まれるの?


 あっという間に5分が経ったので、急いでうがいをする。スマホを鞄に詰め、トレンチコートを着込んで家を出る。時刻は7時半。大丈夫、いつも通り。


 駅までの道のりは自転車を漕ぐ。時間にして約10分。あたしはこの時間がとても好きだ。澄んだ空を見上げてるとそれだけで気分が晴れるし、風を感じながら走るのも気持ちいい。まぁ、雨の日はちょっと面倒だけどね。


 道すがら、公園にツツジの花が咲いているのを見かける。色とりどりで綺麗。普段目に留めないだけで、どの季節でもちゃんと花は咲いてる。公園の周りでは、地面に落ちた花をおじいさんが箒で掃いている。いつも綺麗にしてくれてありがとう。あたしは心の中で呟く。本当は面と向かって言いたいんだけど、やっぱりちょっと照れくさい。


 駐輪場に自転車を置き、駅のホームに着くと同時に電車が来る。ナイスタイミング。あたしは定位置から車両に乗り込み、空いた座席をチェックする。ない、残念。でも誰かが途中で降りるかもしれない。そんな目論見の元にあたしは4人掛け座席の隣の位置をキープする。


 発車したところで、あたしは鞄から徐に本を取り出す。通勤時間の読書は至福のひと時だ。あたしが読むのは主に小説。5ページも読めばすぐに物語の世界に没入できる。え、ビジネス書は読まないのかって? そっちは興味ないな。あたし、通勤時間は仕事と思ってないからね。


 1駅過ぎたところで目算通り降りる人がいたので、あたしはすかさず座席に滑り込む。よしよし、やっぱり座った方が集中できる。あたしはその後30分間読書に没頭し、最寄り駅への到着を知らされた時には50ページほど読み終えていた。残念、面白くなりそうなところだったのに。まぁいいや、帰りに読めばいい話。


 ホームを歩きながら腕時計に視線を落とす。8時15分。この時間になると、あたしの頭もだんだん仕事モードになってくる。今日はA社との契約書を作って、B社に見積書を送って……あぁそうそう、C社に督促の電話しないといけないんだ。あの担当、ちょっと苦手なんだけど……まぁいいや、その時に考えよう。


 歩くこと5分、あたしは勤め先のビルに到着する。守衛さんに会釈をし、他の会社の人達と一緒にエレベーターに乗り込む。見回すと、みんなやっぱりくたびれた顔。朝からそんなに疲れててどうするんだろ?


 チーンという音がして、あたしは1人エレベーターから降りる。事務室の扉を開け、挨拶をしながらデスクを通り抜ける。あたしはなるべく元気よく挨拶をするようにしている。その方がお互いに気持ちいいからだ。


 自分の席に着き、鞄をデスクの上に置いてコートを脱ぐ。久保井さんという隣の席の女性社員がそのスカート可愛いと褒めてくれた。あたしはそれだけで上機嫌になる。流れでファッションの話に花が咲く。まだ始業時間じゃないしいいよね?


 8時30分、始業のベルがなったため、あたしもようやく仕事モードに切り替える。メールをチェックし、すぐに返事できそうなものには即レスする。小さいことでもタスクを貯めるとストレスかかっちゃうからね。それから契約書作成などの仕事に取りかかる。あたしの仕事は営業さんのサポート。組む相手によっては気遣う人もいるんけど、今の担当は気さくな人だから安心。今日もさっそく外回りに行ってるみたいだ。契約、取れるといいな。


 1時間ほどかけて契約書のアウトラインを作り上げたところで一旦離席。マイカップを持ってコーヒーメーカーの前に向かう。今日はどれにしよう、エスプレッソ? カプチーノ? よし、カプチーノにしよう。ボタンを押すとメーカーが起動し、ごぼごぼと音を立ててコーヒーが注がれる。うーんいい香り。やっぱり仕事にもブレイクがないとね。


 カップを持って席に戻り、入れ立てのコーヒーを飲みながらパソコンの画面を見つめる。契約書は午前中には出来そう。あと何だっけ? 見積書と……あぁそうだ、督促の電話だ。思い出した途端にげんなりしたが、すぐに気を取り直す。面倒なことはさっさと済ませてしまおう。


 カップをデスクの上に置き、C社の連絡先を書いた付箋を探す。あった。一瞬ためらった後、勢いでボタンを押す。2コールで繋がったため、担当を呼び出してもらう。1分くらい待たされた後、担当者の気のない声が聞こえる。あたしはなるべく愛想のいい声を作って、要件だけを手短に伝える。御社に依頼していた見積書なんですが、先週が期限になっておりまして。担当者は大して申し訳なくなさそうに、それはすみません、急いで作成して送りますと言った。あたしはお待ちしております、と努めて明るい声で言って電話を切る。本当に急いで対応してくれるかは疑問。でもまぁいい。今日すべき仕事は果たしたんだからそれ以上は考えない。


 契約書の残りを作り終えたところでちょうど12時になる。お昼は大抵コンビニなのだが、今日は久保井さんとランチに行くことにしている。ベルが鳴ると同時に席を経ち、2人してエレベーターに乗り込む。休憩時間はどの会社も重なるから座席は争奪戦だ。急がなければ。


 ビルから5分くらい歩いたところにあるレストランに入る。そこそこボリュームがあって美味しく、しかも値段も安いので重宝している。席は……よかった! 空いてる。窓際の席を確保し、さっそくメニューに視線を落とす。どれも美味しそうで迷う。お財布事情を考えたらお得なのはランチセットかな。


 注文を終えたところで久保井さんとお喋りをする。久保井さんもあたしと同じ営業事務なんだけど、担当が結構癖のある人みたい。でも久保井さんはその人のことを面白おかしく話してくれるので、聞いてる方も楽しい。こういうユーモアのセンスって大事だなぁってつくづく思う。


 喋っているうちにランチセットが運ばれてくる。うわぁ美味しそう。あたしは鞄からスマホを取り出して料理を写真に取る。そう言えば、今日のラッキーアイテムはカメラだっけ。インスタに載せたらバズったりして。


 料理に舌鼓を打ち、食後のコーヒーを堪能しているとあっという間に45分が経つ。もう少しゆっくりしたいけど仕方がない。お会計を済ませてビルに戻る。12時50分。歯磨きする時間くらいはあるはず。


 デスクに戻ったところで午後の始業ベルが鳴る。この時間はどうしても眠くなるので、1時間ごとに用事をつけて立ち上がるようにしている。肩が凝ってきたらトイレでこっそりストレッチをすることもある。運動は大切。


 そうこうしているうちに15時を回る。小腹が空いてくる時間。あたしは抽斗を開けてストックしているお菓子を取り出す。コーヒーは……止めとこう。今日はもう3杯飲んでる。お菓子を食べるとお腹がほっこり満たされる。やっぱりブレイクは大事。


 一息ついたところで再び作業を開始する。別の契約書のアウトラインの作成。さすがに疲れが出てきて目がしょぼしょぼする。でもあと2時間で退社だと思えば頑張れる。


 17時半になり、ようやく終業のベルが鳴る。あたしはデータを保存し、パソコンをシャットダウンした。1時間残業すれば完成しそうだけど、今日仕上げる必要はない。明日やれることは明日やればいい。


 周りの人に挨拶をし、足取り軽くエレベーターに向かう。1日を無事に終えられた解放感に包まれ、束の間の自由を味わえる時間。さて、今日はこれからどうしよう? まっすぐ帰る? それとも買い物に寄る? 迷うところだけど、今日はランチの出費もある。また今度にしよう。


 帰りの電車は始発だから間違いなく座れる。席に着くとすぐに本を取り出し、続きを読み始める。ただ、どうしても疲れがあるから10分ほど経つと寝てしまう。それはそれで気持ちいいからOK。


 最寄り駅に着く直前でタイミングよく目が覚める。電車を降り、駅中にあるお惣菜屋さんに向かう。毎週火曜日は特売日だ。今日は……唐揚げが100グラム70円!? 即断してレジに向かう。自炊しなきゃって思うけど、平日だしいいよね?


 自転車を漕いで帰路に着く。タイミングが合えば綺麗な夕焼けが見られるんだけど、今日は何もなくて残念。でもやっぱり自転車で走るのは気持ちいいな。


 家に到着。時刻は18時半。寄り道なしで帰るとだいたいこれくらいの時間になる。レンジで唐揚げを暖めながらテレビをつける。ニュースを見ると、生後3か月になるパンダの特集をやっていた。ころころ転がりながら笹を食べてるのが可愛い。見てるだけで笑顔になっちゃう。


 夕食を終えるとだいたい19時くらい。朝の分と食器をまとめて洗い、その後があたしのゴールデンタイムだ。さて、今日は何をしよう? 本の続きを読むときもあれば、好きな芸能人のTwitterをチェックすることもある。あ、そうだ。7月に友達と行く旅行先の候補を調べよう。スマホに検索ワードを打ち込み、表示された画像を見つめる。青い海、涼しげな高原、トロピカルなスイーツ……見てるだけでうっとりしてくる。あぁ、早く夏にならないかな。


 そうこうしてるうちに2時間くらい経っていたので、お風呂を沸かして入る。友達からもらった入浴剤を入れると、たちまち薔薇の香りがバスタブいっぱいに広がった。あぁいい匂い。やっぱりお風呂の時間は最高。


 お風呂から上がり、髪を乾かしたところで時計を見る。22時半、そろそろ寝る準備をしよう。夜更かしはしない。睡眠は大切。


 布団にくるまりながら明日のことを考える。明日は水曜日。1週間はまだ長い。でも大丈夫。こうやって日々の中にちょっとずつ幸せを見出していれば、あたしは明日も笑っていられる。そんなことを考えているとだんだん心地よいまどろみに包まれてくる。いい夢を見られるといいな。あたしはそう思いながら眠りの世界へと向かう。


 さぁ、明日も幸せを見つけよう。

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