第2話 ピエロの脱落 2

 5月3日(火)am0:45 JR中央線日野駅改札前

「…ったく…何で俺がこんな時間に…」

「あ、また文句言ってる。しつこい。」

 木元純香のストーカー対策警護1日目。杏野あんの網河あみかわはお揃いの黒のキャップを被り、似たような色合いの服装で肩を並べ、改札を出たところにある売店横の壁にもたれる。

「服まで用意して。ここまでする必要あるか?」

「こんな時間に男女が二人でフラフラしてるんだから、カップルに見せるのが最も自然だろ?ペアルックするカップルは阿呆そうに見えるし、敵も油断する。」

「とか言って、楽しんでるだけだろ」

「まあね」

 にやりとする杏野。呆れ顔の網河。

 網河隆一あみかわりゅういち(29)は、杏野と同期入社で、入社以来なにかとペアで仕事を割り振られることが多い。名門空手の黒帯所持者であり、便利屋の皆から頼りにされている。

「お、来たな」

 網河が身を乗り出す。ぞろぞろと駅のホームから乗客が階段を降りて来る。

「終電はやっぱ人多いな。見つけられるのか?」

 網河は免許証の写真のコピーでしか依頼人の顔を知らない。

「大丈夫。服装は伝えてあるし、見つけたら目の前を通るように言ってある。それに木元きもとさんは美人だから目立つ…ほら、居た」

 杏野の目線の先を追う網河。綺麗な長髪を1つに束ねたスーツの女性がこちらに向かって歩いて来ていた。

「おお、確かに美人だな」

 感心する網河。

「よし、目が合った」

 杏野はそう言うと木元純香に目配せする。木元純香は人波に続いて改札を通り、杏野と網河の前を通過する。杏野と目を合わせ、口元だけ微笑んでみせた。

「行こう」

 杏野は周囲を警戒しながら網河の腕を掴む。

「え、何」

「カップルだし」

「カップルが皆腕組む訳じゃないだろ。恥ずかしいからやめてくれ。」

「この方がより自然で風景に溶け込む。ほら、網河も周りよく見ろよ?なんかスーツの奴は皆怪しく見えるな。」

「勘弁してくれ…」

 木元純香の30m程後方をくっ付いて歩く二人。仕事帰りのサラリーマンが帰宅の徒に着いているようで、3分程歩いても人気ひとけは程々にあるようだ。

「それらしい人影は無いように見えるけど」

 網河はそう言って、目だけ左右に動かして観察する。

「うん…足音が聞こえるって事は結構近距離な筈…お、」

「ん?」

「今振り返った」

「木元さん?」

「そう。あ、ほらまた」

「ああ…少し速足になったな。後ろに居るのは、スーツの男が二人か。」

 木元純香の後方10m程の位置に眼鏡をかけた小太りの黒系スーツの男が1人。反対側の歩道を歩く細身のグレーのスーツの男性は、携帯を弄りながら歩いている。木元純香との距離は20m程か。

「どちらも木元さんを気にしている様子は無いが…あまり速足になられると見失うな。もうすぐ曲がり角だ。」

 杏野はそう言って携帯を片手に取り、木元さんにメッセージを送る。“見張っているので大丈夫。焦らず普通に歩いてくださいね。”

「細身の方、左に曲がるぞ。太い方は歩くのが遅いな。このペースじゃ追い付いてしまう。」

 網河が言う。

「駄目だ、既読にならない。木元さんの家はその先を右に曲がってまた直ぐ左折する。あのスピードで行ったら完全に見失う。別行動だ。網河は太い方の尾行を続けてくれ。細身の方は方向が逆だ。無視でいい。私は木元さんを追う。」

「あっ、おい………了解」

 返事を待たずに走り出した杏野の背中に呟く網河。

 杏野は軽く走りながら帽子を取り、上着を脱ぐとリュックに仕舞い、結んでいた髪を解く。木元純香はこちらの動きに気付かず、足早に角を右に曲がった。

 杏野は携帯を耳に当て、話しているフリをしながら小太りの男性の横を小走りで通り過ぎる。男性は全く気にする素振りを見せずにゆっくりと歩いていた。

 角を右に曲がるが木元純香の姿は無い。

「速いな…」

 10m程進み、また直ぐ左に曲がる。30m程先に木元純香の姿が確認出来た。周囲を警戒するが、木元純香の後方には杏野以外誰も居ない。杏野は走るのをやめ、背後をこっそりと振り返る。小太りの男性や網河の姿は未だ無い。そのまま早歩きで木元純香の尾行を続ける。

 3分程道なりに進むと、木元純香の自宅、7階建てのマンションが見えて来た。木元純香は突如走り出す。

「え」

 周囲に人影は無い。そのまま杏野が追い付く事は無く、木元純香はマンション内に消えて行った。

 杏野の携帯の着信が鳴る。尾行中なので勿論マナーモードになっている。網河からだ。

「はい」

「そっちの状況は?」

「木元さんは無事帰宅。今マンションの前。怪しい人物は居なかったけど、ポストの紙切れの件もあるしもう暫く此処で見張ってみる。網河の方は?」

「あの男性はおそらく白だろうな。木元さん宅の方へは曲がらずに、少し行った所に在る戸建ての家に帰宅したよ。俺も今そっちに向かってる。」

「そう…」

 通話を切り、マンション前のガードレールに腰掛け、6階の木元純香の部屋を眺める杏野。カーテンは閉まっているが明かりが点いたのがわかる。

 また携帯が鳴る。今度はメッセージが来たようだ。

〝すみません…怖くて走ってしまいました。〟

 木元純香からだった。返事を打つ。

〝大丈夫ですよ。無事帰宅したようで良かったです。また明日。お仕事遅くまでお疲れ様です。お休みなさい。〟

 すぐに既読になり、返事が来る。

〝本当に、ありがとうございます。杏野さんもお疲れ様です。お休みなさい。〟

「杏野」

 網河が少し息を切らしてやって来た。

「走ったの?急がなくて良いのに」

「この時間に1人にしておけないだろう」

「私を?うわ優しい」

「…それで?いつまで此処に居るつもり?」

「あ〜、どうかな。朝まで?」

「馬鹿」

 網河は杏野の横に腰掛ける。


 そのままam3:00まで粘ったが、怪しい人物は現れなかった。

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空虚の森 双三 ナツク @hutami_natsuku

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