第9話 リアル

 俺の彼女、藤林裏葉。

 心にモヤを隠した少女、鈴木さくら。

 少女の身体を纏った少年、崎咲。

 心に怪物を飼った少女、東郷ゆめ。

 そして、思い出の中に生きる俺の目標、先輩。

 俺は夢を通して彼女たちの心の奥底を覗き見てきた。だからといって何ということもない。俺は彼女たちにとっての「特別」ではないし、ヒーローでもない。だけど、俺にとって彼女たちは一人一人が「特別」だ。オンリーワンだ。なんて裏葉の前では口が裂けても言えないけれど、実際俺はそう思っている。

 ーーしかし、どうして俺は能力とも呼ぶべき不思議な夢を見るのだろう。

「それはね、病気の後遺症なの。相手を知りたいという強い好奇心と、相手の心を伺ってしまう臆病な性格からきたものよ。あなたはとても繊細な心を持っている。それなのに、心に大事な何かが欠けているのよ。あなたの好奇心と臆病さはそれを埋め合わせるように肥大化したもの。未来予測を可能にするくらいに……」

 その声、その佇まい、その仕草は……、

「先輩‼︎」

 俺はベッドの上で息を切らしていた。

 せん……ぱい……?

 覚えておかなきゃ。俺は今日、先輩に会う。俺は、今日先輩に会う。俺は、今日、先輩に会う。

 慌てて携帯端末のメモ機能を開く。

 『俺は今日、先輩に会う』

 そう打ち込む。

 えっと、なんて言われたっけ? 何か大事なことを言われた気がする。ダメだ、思い出せない。だけど、今日、先輩に会えるんだ。

 心ここに在らず。実際会えたとして、どんな顔をして会えばいいのかわからない。この胸がざわつく感触は、嬉しさなのか、恐れなのか。わからないままに、会えるんだ、ただその事実を噛み締めることしか出来なかった。


 そしてその日、俺は先輩に会うことはなかった。

 なんだったんだ、あの夢は。


 翌日。

「今日は転校生を紹介します。入ってきてー」

 たしかにドアの外には人の気配があった。その気配を纏った女の子が教室に入ってきた。その佇まい、その歩き方、そのシルエットは……、

「先輩⁉︎」

 急に大声を出す男子生徒の姿が、そこにはあった。つまり俺だ。いや待て。先輩は俺より先輩なわけで、同じクラスになることなど、留年しない限りあり得ない。体調がすぐれない状態が続き、結局進級できず、その果てにこの学校に転校してきたというのか……。

「違うわ」

 玲瓏な声が教室に響き渡った。

「私はあなたが言う『先輩』の、妹よ」

 驚嘆した。え、俺に言ったのか?

「え、で、でも、先輩は、一人っ子だって、聞いていたけれど……」

「まったく、記憶力だけは良いんだから。うん、そうね。正確に言えば、義理の妹よ」

 高鳴る胸の鼓動は治らない。頭の整理も追いつかない。

「えっと……、いいかな……」

 担任が躊躇いながらも、言葉を挟んだ。

「では、自己紹介をお願いします」

「はい。皆さん、お初にお目にかかります。野木小春です」

 俺の心を……。彼女は、いったい……。

「ヒョータ君とは一応知り合いです」

 いや、だから、彼女は野木小春で、先輩の義理の妹で……。

「皆さんも、気兼ねなく話しかけてくれると……」

 せん……ぱい…………。

「……嬉しいです」

 そうか。ならば、先輩の義理の妹ならば、彼女ならばきっと、先輩のことを、よく知っているのではないか。

「よろしくお願いします」


 聞きたい。聞きたい。いろいろと、聞きたい。今日は、一日中、彼女を目で追ってしまうスクールライフ。

 別に俺、恋してるわけじゃないんだからね‼︎

 ストーカーでもないんだからね‼︎

 気になってるわけじゃなくて、いや気になってはいるけども、いや、そういう意味じゃなくて…………。

「俺はいったい何と闘っているんだ……」

 ため息混じりにそう呟いた時、チャイムが鳴った。

 ってもう放課後じゃないか⁉︎

 あいつは⁉︎

 振り向いた時、俺の瞳には、別の誰かの瞳が映っていた。そしてその瞳には、俺の瞳が映っていた。深淵を覗く時、深淵もまた……って近っ‼︎

「ふふふははは! 君、今日ずっと私のこと見てたでしょ!」

「ええ⁉︎ そ、そんなことないよ! ストーカーじゃあるまいし‼︎」

「んふ、ずっと私に話しかけるタイミング伺ってたのよね! でも、私他の人たちに囲まれているから、なかなか声をかけづらかった」

「…………」

「俺なんだか恋してるみたいだぞ。というかストーカーみたいではないか! あいつを変な目で見ることによって、俺が他の人から変な目で見られたらどうしよう。いや、疾しい気持ちなんて一切ないんだから堂々としていればいいんだ。いや、たしかにそのはずなんだが、なんか臭わないか。犯罪の匂いが。違う違う違いますよ! 別に俺、恋してるわけじゃないんだからね‼︎ ストーカーでもないんだからね‼︎」

 身振り手振りしながら「俺」を演じた彼女は、静止した。と思ったら、脱力し、

「君は何と闘っているの?」

「ギャーーーー‼︎ やめてくれぇ〜〜〜〜‼︎」


 閑話休題。


「私に聞きたいことがあるのよね? どっちから聞く?」

「どっちって、何のこと? どういうこと?」

「あっちとこっち、どっちから聞くか、聞いてるのよ」

「あっちとこっちって、どっちとどっち?」


 閑話休題。


「えっと、まず、お前は……」

「小春。私は野木小春。君の先輩の義理の妹よ」

「ああ、じゃあ、小春。小春が本当に先輩の義理の妹なら、小春は、先輩のことをよく知っているのか?」

「知っているといえば知っている。けれど、最近の彼女はあまり知らない。昔はよく遊んだけれどね」

「今先輩は⁉︎」

「生きてはいるわ。ただ……」

「ただ……?」

「大学に通えてはいないみたい」

「……そうか」

 なぜ? とは聞けなかった。きっとその答えを彼女は持ち合わせていない。

 なぜ? もう一つ疑問符がある。いや、疑問符ではなく感嘆符かもしれない。

 なぜ! なぜ、彼女が苦しまなければならないのか。

「もう一つ、聞きたいことがあるのよね?」

「ああ。なんで、なんでお前は俺の心を読めるんだ?」

「超能力者は君だけではないということよ」


 目が覚めた。夢か。じゃあ今日、先輩の義理の妹と会うことになるのか。今日も学校に、というか大学に、行かなきゃ……。大学……。学校……?

 俺は、その時気づいた。

 夢の内容が微睡みに消えてゆく。

 待って。ちょっと待ってくれ。

 おかしい。いや、本来はいつもの方が異常で、今の方が正常なのだ。その本来の正常が、俺にとっては異常である。

 結論から言おう。俺は夢を見た。そう、普通の、ありきたりな、誰でも見るような夢を。

 学校。大学ではなく学校。つまり高校。

 未来の事柄ではなく、過去の事柄。

 正確に言えば、過去の記憶が整理され生まれた、新しい世界観。

 大学では、転校生の自己紹介を設ける時間などない。それに、先輩の義理の妹を名乗る人物。物事の展開の仕方が飛躍し過ぎている。彼女はどうして俺に気付いた? どうして人目を憚らず俺に話しかけた? どうして俺の心を読めた? ツッコミどころを挙げればキリがない。いやまあ、得た情報を元にいろいろと補完すれば、説明はできるのだが。

 なんであれ、そのことを今日、証明できるはずだ。今日、先輩の義理の妹を名乗る人物に会わなければ、論証が成立する。

 そうだ。

 俺は携帯端末のメモ機能を開いた。

 『俺は今日、先輩に会う』

 俺はその日、先輩には会わなかった。どころかそもそも、先輩はあんな言葉遣いをしない。性格も違う。

 辻褄が合わない。

 いやまあ、未来の夢も、いろいろと物理法則を超えてはいたのだが。

 しかし、この感覚、久しぶりだ。

 本当に普通の夢だ。

 喜ぶべきなのか。

 夢で未来を見ることができなくなったのか。凡人こと俺は、本当に凡人になってしまったのか。

 ならば、悲観するべきなのか。


 日々を過ごし、しばらく経ったが、案の定、あれ以来、夢で未来を見ることはなかった。


 俺の彼女はいつも優しかった。

 鈴木さくらのモヤを見ることはなかった。

 崎咲は見た目は女だったが、よく話した。

 東郷ゆめが別の誰かと一緒にいる光景をよく見た。


 ーー先輩は、今、どうしているだろうか。

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