あなたに『それ』は見えない

南野月奈

あなたに『それ』は見えない

 ねぇ、先生……あたくし先生の旦那サマが若い男の方と連れ込み宿に入って行かれたのを見てしまいましたの


「最近、主人の様子がおかしいってばあやが言うの、高子さんは何か聞いていないかしら噂でもいいの……よそに女でも囲っているのかしら?」


 お茶のお稽古が終わったあとの一時、先生の緊張が解けたお姿を、あたくしが独り占めできるこの時間はあたくしにとって大変貴重な時間ですのに、先生はうわの空だなんて……。

 たとえ、先生の旦那サマでもよろしくないことですわ。


「あら、先生の旦那サマ程、女の方に奥手の男の方をあたくし、存じ上げませんわ……、それに先生と旦那サマは、最近流行りの恋愛結婚をしたその辺のご夫婦より、おしどり夫婦ではありませんか」

「そう、かしら……?」

「そうですわ、だって先生は太陽ですもの……みなさま、先生の旦那サマが羨ましくて、ばあやにそんなことを吹き込んだのでしょう」

「太陽だなんて、おおげさでしてよ、高子さん」

「それに、あたくしが旦那サマをお見かけするときは、いつも男の方とご一緒で、先生以外の女の方といらしているところなんて見たことありませんですわ」


 先生はあたくしの力のこもった言葉に、疑念をぬぐわれたのか若い頃から誰もかれもを魅了する笑顔をお見せになった。

 本当は『その男の方と連れ込み宿に入っていかれましたけれど』と続くのですけれど、先生はそんなこと、知る必要ありませんもの。


 太陽は影を見る必要なんてありませんものね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あなたに『それ』は見えない 南野月奈 @tukina

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ