第14話

「あ、おはへりおひーはん」


「・・・・・・ただいま」



 何の変哲もない白神家の一軒家。自転車を庭に置き、玄関を開けてすぐに目に飛び込んだのは、Tシャツ短パン姿の妹だった。ガリガリ君を咥え、右手には麦茶の入ったグラスを持っている。おそらく自室に戻る途中だったのだろう。


 ​────そう。俺には妹がいる。

 ついでに言うと姉もいるのだが、まあ姉の話はまた後で。今は東京に上京中なのでこの家にはいないのだ。


 妹。

 名前は白神海雨しらがみみう

 二つ下の中学三年生。つまり今年受験生だ。

 トレードマークはツインテール。長い黒髪を低めの位置で結んでいる。



「アイスあと一本だったから食べちゃったよ」


「いや、 別に良いけど・・・・・・」



 キンキンに冷えた麦茶とアイスって。お腹壊さないのか?

 兄ちゃんは心配だよ・・・・・・という目線を送るが、海雨には伝わらずむしろ首を傾げていた。

 


「うん? どうしたのお兄ちゃん。海雨のことじっと見て。穴が空いちゃうよ? 心に」


「それ、硝子のハートどころじゃねえな」



 豆腐メンタル以上だ。


 ちなみに海雨は俺の通う学校、陽浪ヶ丘ひなみがおか高校を受ける気らしい。つまり兄妹そろって同じ学校に行くことになるのだ​───まあ、海雨が受かればの話だが。



「なんか最近、お兄ちゃん帰ってくるの遅いよね」


「お、なんだなんだ? 心配してくれてるのか?」


「ううん。おかげでお兄ちゃんの分のお菓子食べれて海雨もハッピーだから、毎日それでいいよ」


「知らない間に兄からハッピーを奪わないでくれない?」



 どうりで最近、冷蔵庫に入れて置いた杏仁豆腐やスナックやコーラが消えていると思った。


 まあ、海雨は受験生だしな。勉強、お腹減るもんな。

 いややっぱいただけねえなあ。



「にしても、お兄ちゃん結構遊んでるんだ。意外かも」


「いや、遊んでるわけじゃ・・・・・・まあ、なんつーの。知り合いの手伝い的な・・・・・・」


「ふーん? ま、別に何だって良いけどね」



 しゃりしゃりと音を立てながら海雨はアイスを食べる。

 麦茶にアイス、半袖のTシャツ。今日の妹は夏の風物詩をそのまま詰め込んだようだった。


 そのうち妹の名前が季語に入るんじゃないか? と、そんな馬鹿なことを考えてはすぐにかき消した。



「勉強の調子どうだ」


「むっ。お父さんとおんなじこと聞いてくる」


「いやほら、つい聞きたくなるんだよ・・・・・・」



 兄心というやつだよ海雨ちゃんや。

 言ったら気色悪がられるので言わなかったが。


 中学三年の夏と言ったらもう戦争のようだろう。三年は特に夏から本気出しがちだよな。



「まあまあかな。今の成績を保ってればいけそうだけれど、油断は駄目」


「そうだな。それに俺ん所地味に倍率高いもんなあ・・・・・・」



 しみじみと思い出しながらそう呟く。うちの学校は割と地元では人気の方なのだ。

 あと制服が正直言って可愛い。今どき珍しいセーラー服で、女子にも評判が良い。


ふと、海雨ははあ、とため息を吐いた。



「あーあ。お兄ちゃんの勉強の教え方が上手かったら良かったのになー」


「下手で悪かったな」



 人に教えるのは昔から苦手だ。

 いや、そもそも教えられるほど俺の成績は良くないのだが。

そこは本当に海雨には申し訳ないと思っている。


 にしても、セーラー姿の妹か・・・・・・と空想している俺に、海雨は手をヒラヒラさせながら言った。



「じゃー海雨、勉強に戻るから。ご飯はテーブルの上に置いてあるからね。あとお母さんは洗剤買いにツルハ行ったから」


「ん」



 そう言ってアイスを頬張りながら階段を登っていく後ろ姿をなんとなく眺めていると、足元にぬるりと這い寄るもふもふの影。



「うおっと」



 驚きのあまり盛大に肩を震わせて下を見ると、我が家の愛猫、ナギがいた。茶色と白の毛並みを今日も輝かせ、足元でなごなご言いながら擦り寄ってくる。

 やめろ毛がつくだろと言いながら持ち上げると、みょーんとよく伸びる。猫は液体なのだ。


 そのままリビングの扉を開けると、食卓テーブルには晩御飯が置いてあった。抱えていたナギがなおーんと間延びした声で鳴く。



「お前はもう餌食っただろ・・・・・・」



 父親はいつも帰りが遅く、この時間はまだいない。一人のリビングは静かだ。

 冷めたおかずを電子レンジであたためている間、俺はナギと戯れているのだった。




***




 日直の仕事である日誌を書き終え、職員室に持っていった帰り道、二年の教室へと続く廊下の階段前で、見慣れた長い黒髪の後ろ姿が見えた。


 彼女はスクールバッグをきゅっと握り締めて、何やら教室のほうを見ている。



「かがり」


「っひゃ!」



 びくりと細い肩が大きく揺れた。

 後ろから声をかけたことにより、篝を思い切り驚かせるはめになってしまった。



「悪い、驚かせたな」


「い、いえ。ちょうど先輩を探していたのでお会いできて良かったです」


「ああ、廻迷さんから聞いたのか」


「はい。めぐりさんから昨日、メッセージが届いたので、詳しい話を直接お聞きしたくて」



 まわりに聞こえないよう、俺らは小声でそう話す。


 廻迷さんは一応、篝にも蛇退治に立ち会わせると言っていたよな、と思い出した。


 人通りの多い廊下で霊怪の話をする訳にはいかないので、俺たちはそのまま階段をのぼって屋上で話をすることにした。この時間は帰宅や部活のため、屋上には誰もいなかった。


 昨日の放課後とは違って、今日は気持ちがいいほどに晴れていた。入道雲が透き通った青空に堂々と佇んでいる。


 流石に日向では暑いので、二人揃って建物の陰へと避難し、腰を下ろした。



「・・・・・・何だか、大変なことになりましたね。まさかあの纈先輩が霊怪と関わってしまうなんて・・・・・・」


「・・・・・・そう、だな」



 ​────今回、蛇は祓えても、きっと根本的な解決は出来ないと思う。

 ​────それでも、君は彼女を助けようと思う?


 そう放った廻迷さんの言葉が耳の奥で反響する。

 俺はまた拳を固く握った。



「蛇、とは​────また大きな生き物がやってきてしまいましたね」


「やっぱり、強いのかなって思うよな」


「そうですね。やはり霊怪の中でも、蛇というのは特別な存在に近いのでは、と思うんです」



 篝は膝を抱えて、遠くを見つめながらぽそりと言った。



「古来から蛇というのは、神の使いなどと言われているのは有名ですよね。その他にも死と再生の象徴、というお話もありますし」


「ああ、よく聞く話だよな。へびつかい座、なんて星座もあるし・・・・・・」



 細長くてニョロニョロとした動きに不気味さを覚える人間も多いが、広い世界のなかで、ヘビを崇める風習は確かに存在するのだ。


 ​廻迷さん曰く、霊怪は基盤となる伝承や御伽噺があるらしいが、今回の蛇は何から生まれたものなのだろうか。

存在するか分からないような、そんな曖昧な存在が、人間の強い願いや負の感情と結び付き、実体化したのが霊怪と呼ばれるのだと言っていたが、蛇の話となると結構高位な存在になるのでは、なんて俺は思った。


いずれにせよ、厄介な相手であることに間違いは無いだろうが​────退治することそのものは、廻迷さんならばきっと容易い。


問題は纈いろね自身の問題なのだ。



「私は纈先輩のことをよく知らないですが・・・・・・凄く、明るい方でらっしゃることは分かります。一年生の間でも話が聞こえるくらいに有名ですし・・・・・・」


「あれだけ結果を残せば、有名にもなるよな。有名というか、スターというか。関わっててもすげえ良い奴だと思うし、実際に明るい奴だよ。・・・・・・俺が知る範囲の話、だけれどな」

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バケモノの夜 綿森 もぎ @mogmogyomogi

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