第5話

 ――それは、昔々の物語。

 かつて大陸には現在よりも更にマナが溢れかえり、それ故に大陸の霊長は肉の器を持つ人間ではなく、マナの身体を持つ精霊だった。今のように人間による秩序だった国は少なく、あったとしても発展途上といった風な有様。

 大陸を支配していたのは四人の王だったという。もちろん人間ではなく精霊の王で、それぞれが強力な魔法を使い、他の精霊や人間から畏れられ、恐れられていた。北の王は流氷の浮かぶ極寒の湖に、西の王は砂塵渦巻く灼熱の砂丘に。南の王は見上げてもなお届かぬ雲の上に、そして東の王は霧の立ちこめる森の中に。それぞれの住処に城を拵えて、周りの精霊たちにかしづかれ崇められるその姿は、なるほど王と呼ぶのが相応しかろう。

 そうして長い間、大陸を東西南北に分かれて支配していた精霊たちの王は、それを良く思わない人間たちによって、その座を追われある時ぱたりと姿を消してしまった。一人は倒れ、一人は眠り、一人は隠れ、そして一人は消えてしまった。王がいなくなったのを皮切りに精霊たちの数もだんだんと減り、大陸の支配者が人間たちにとって代わった頃には、ほとんどその姿を見せることはなくなった。

 そして、語られる者がいなくなった精霊たちの王は、いつしか魔王と呼ばれるようになり、その存在だけが単なるおとぎ話として、まことしやかに広まっている。






 結局のところ、レンの敢行した木登りは何の成果ももたらさず、ただただ景色を楽しんで終わった。探し物どころか組合ギルドの依頼の手がかりすら掴めず、きゃっきゃとはしゃぎながら木から降りてきたレンの頭上にリュウから拳骨代わりの踵落としが炸裂した。


「てめぇ何しに登ってったんだよ」

「はうあっ!?」


 割りと鈍い音で踵がめりこみ、レンはしばらく頭を押さえて転げ回っていたが、それはさておき。調査開始初日からそうそう手がかりが見つかるとは流石にリュウも思っていない。結局、初日は拠点作りに終始し、本格的な調査は次の日からということになった。幸いにして、トゥルスガルの気候は年間通してだいたい温暖湿潤である。ナムカにほど近いこのマズルカの森も例外ではなく、野宿に不自由するような気温ではなかった。唯一心配なのは雨ぐらいのものだが、ここ最近のマズルカの森は晴天続きで、崩れそうな予兆も特になさそうだというのはマズルカ村の村人の話だ。


「流石に雨の中森を駆けずり回るのは、あんまりしたくないよねぇ。そう考えると、いい時期に依頼を受けられたということなのかな」


 痛む頭を押さえながらものんびりとしたレンの物言いに、リュウも特に何も言わなかった。想像以上に体力を奪われてしまう悪天候で、ずぶ濡れになってしまうのはさしものリュウもできれば遠慮したいところなのだった。

 そうしてレンたちが精霊樹の根元にキャンプを張りはじめて数日後、再びタズがやってきた。バサリ、大振りの翼が空を打ち据え風を巻き起こし、そのくせ着地はとん、と軽い。枝葉の補充に来ると言っていた通り、大きな鞄を二つも腰から下にぶら下げたタズを、レンは仄かな気まずさを漂わせた笑みをもって迎えた。


「や、やぁ、タズ。また会ったね」

「よ、どーも。昼飯か? ずいぶん美味そうなもん食ってるな」

「あぁ、うん、……これだね」


 レンはちらりと、手に持っていた串焼きの肉に目を落とした。冒険者の食事としては、串焼きはごくごくありふれているものだ。なにせ作るのに鉄板や鍋などという嵩張る調理器具は不要だし、食べるのにも食器がいらず、串ならその辺に落ちている木の棒を洗って削ればいいだけ。重い荷物を背負って旅をすることも多い冒険者にとっては定番の食事と言えた。かくいうレンも串焼き肉はよく作る。焚き火の周りには、タズと初めてあった時と同じく、肉が串に刺さってずらりと並べられている。じわじわと滴る脂がぼたりと落ちて、辺りには香ばしい匂いが漂っていた。

 普段であれば、「美味そうなもん食ってるな」などと言われれば嬉々として「食べていかないか」と誘うところだろうに、気まずそうに視線を泳がせているレン。ほんの数時間ぐらいの付き合いしかないタズでさえその不自然さには気がついているのか、浮かべた笑みに仄か困惑が混ざっている。


「……」

「……」

「……くくっ」


 お互いに黙りこくってしまったその間隙に、くつくつといかにもおかしそうな笑い声が割り込んだ。


「……リュウ」

「ふっ、くくく、間抜け面……!」

「リュウ、笑い事じゃないんだよ」

「はは、ははは! 笑い事だろこんなもん」

「リューウー?」

「ふ、ふふ、……で? 食事に誘ってやらねェのか? あいつ何がなんだかって顔してんじゃねェか」

「う、……」


 レンはちらりと視線をあげた。その先ではタズが先程とまったく同じ姿勢で薄い笑みを顔に貼りつけている。リュウの言うとおり、どう振る舞うべきか分からず自分から声をかけるわけにもいかず、とりあえず愛想笑いを浮かべているといった風だ。レンはあー、うー、と意味をなさない母音を吐き出しながら、ようやっと口を開いた。


「あの、タズ。君を食事にお誘いしたいのだけれど、ちょっと、その、問題があって」

「あー、おう。なんだい」

「……気分を害してしまったら大変申し訳ないのだけれど」

「ん、おう」

「……、……君、鳥肉って食べても大丈夫かい?」


 おろおろと、気を悪くさせたらどうしようと躊躇いながら、差し出された何でもない言葉に。


「……、ふ、ハハハ!!!」


 一瞬の沈黙のあと、タズは盛大に吹き出した。


「はは、あはは! あーなるほどな、あんたそんななんでもねぇことで悩んだってわけか、あはははは!」

「……あー、その言い方だと、有翼人ハルピュイアって鳥肉は問題なく食べられるのかい」

「当たり前だろ、ふふ、ははは」


 笑みの余韻を口の端にほのめかしながら、タズはぱたぱたと手を振った。

 大陸にはさまざまな種族のヒトが生活しているが、圧倒的大多数なのが地上人ヒューマンで、全体の約七割から八割程度。それに比べて少ないのが有翼人ハルピュイア獣人ビースターといった――良くない言い方をすれば、亜人と呼ばれる種族で、これが一割から一割五分といったところ。ちなみに残りが妖精族フェアリー精霊人エルフといった、『意志疎通はできるけれどヒトの理屈で動かないのでヒトとはカウントできない種族』だ。

 多数派の地上人ヒューマンにとって、他の種族に接する機会が少なく、ゆえに実態にそぐわない思い込み……偏見が横行しているのが事実だ。その中でも『有翼人ハルピュイアは鳥肉が食べられない』『獣人ビースターは肉しか食べられない』というのはわりかし有名で、実態はそうでもなく地上人ヒューマンと変わらず個人の好み以上の偏食はないのだと、これも割かし広く知られるところであるのだが……。


「だって、僕が前に会ったことがあるヒトは鳥肉食べてなかったんだ。抵抗がある、って……」

「ふぅん? よっぽど敬虔なヒトとか昔の価値観未だに持ってるヒトとかだと、そういうのあるけどなぁ。けどオレたちフツーに、鳥類じゃなくて人類だからな?」

「……つーか、よしんば鳥類だとして、普通に肉食の鳥ぐらいいンだろうがよ。鷲とか鷹とか」

「あぁ、それもそうかぁ」


 ふむ、と納得した様子のレンに、その理屈で納得するのもどうなんだ、とタズは苦笑し、そしておどけた様子で視線を焚き火の方へ向ける。いつの間にか件の肉は狐色をほんの少し通り越して、もう火から離さないと、そろそろ焦げてしまうだろう。


「それで? 結局オレは、昼飯には誘ってもらえるんですかね?」


 わざとらしく小首を傾げて焚き火の方を示すタズに、レンはぱちりと瞬きをして、そして、ぱっと顔を輝かせた。


「もちろん。是非とも食べていってくれたまえよ!」

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魔王が去ったその後の話 紗百 @sumomo1412

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