第4話

 食事を終えたレンとリュウは、揃って目の前にそびえ立つ精霊樹を見上げていた。何度見上げても、作り物なんじゃないかと錯覚してしまいそうなほどの、透き通るような白。硝子細工と見紛うほどに繊細な作りの枝葉。けれど二人がていたのはもっと別のものだった。


「やっぱり何度見ても、すごい量のマナだよねぇ」

「……そーだな」


 ふわぁ、とまたも感心したような気の抜けた声をあげるレンに、いつもなら皮肉のひとつやふたつ挟んでくるだろうリュウも、相槌を打つだけにとどまっていた。

 この世界にはマナが満ちている。地域によってはオドともエーテルとも、あるいはただ単純に魔力とも呼ぶそれは、酸素や水分がそこにあるのと同じように、大気中に、地中に、水中に、そしてすべての生き物の体内にあって循環しているものだ。触れられず、目にも見えないそれは、けれど確かにそこに存在している。そのマナを上手く扱い、さまざまな現象を引き起こす術こそが魔法と呼ばれるものだ。

 二人がていたのは、精霊樹の周りに停滞している、その大量のマナだった。もともと動物よりは植物の方がマナと親和性が高く、内包する量も多くなる傾向があるとはいえ、内包しきれずに体外に放出され幹や枝葉を取り巻いているその量たるや凄まじい。あまり敏感な方とはいえないレンでさえ、梢の方で煙るようにして滞留しているマナを改めて認識してぽかんとした顔をしているし、レンよりも遥かにマナに敏感なリュウなんかは、余りにも常識知らずなその濃度に辟易して、ただでさえ悪い目付きがさらに鋭く機嫌の悪そうにすがめられている。


「僕は寡聞にして知らないのだけれど、精霊樹ってここまでマナを溜めるものなのかい」

「……少なくとも、オレは聞いたことねェな」


 レンがちらりと隣を見やり問いを投げ掛ければ、リュウは空中に浮いたまま器用にあぐらをかき、腕を組んでいる。精霊樹そのものが珍しい代物とはいえ、もちろんこの一本しか存在しないわけではない。特にトゥルスガルは森の国と呼ばれるほどに緑の多い土地ゆえに、精霊樹も数本ほど国内で確認されている。その数少ない前例を思い返してリュウは、す、と眉を潜めた。確かに精霊樹はマナを体内に溜め込む性質があるけれど、外にあふれでてしまうまでに溜め込んでいるのは流石に過剰すぎる。よしんばあふれでたところで、風の流れで循環し森全体に広がっていくのならまだしも、梢や幹に尚もとどまり続けるのは不自然だ。


「つーかこの森自体マナが濃すぎる。こんなんでよくまともに育ってるよなァ、ここの植物どもは」

「そうなのかい? 君の故郷の方がもっと濃厚だったと思うけれど」

「アレと一緒にすンな」


 リュウが心底うんざりしたように視線を明後日の方へと逸らしてしまうので、レンは思わずくすりと笑ってしまう。リュウの昔住んでいた森が規格外なのはレンだって認識していて、それを分かっていて口に出したのはただ単純に、故郷の話をすればリュウが和むだろうと考えてのことだった。明らかに嫌そうな顔をしているリュウを見上げながら、単なる照れ隠しの表情として片付けてしまっているレンは、つくづくずれているというか、感情の機微が分かっていないというか。


「……まァ、魔物の発生ギルドの依頼とは関係ねェかもしれないけどな。この森が普通とは違うッてのは確かだ」

「リュウがそう言うなら、そうなんだろうね」


 ふむ、とひとつ頷いて、レンは精霊樹に向き直る。最近出没するようになったという魔物の存在。明らかにマナの量が多すぎる精霊樹、そしてこの森。その二つが関連しているかどうかは確かにリュウの言う通り、定かではないのだが、少なくとも一つの足掛かりとしてはちょうどいいだろう。

 そもそもの話、マズルカの村長各位には申し訳ないが、ギルドの依頼に関係していなくともレンとしては構わなかった。魔物の発生に関係はしていないとしても、……もう一つの目的であるの方には、大いに関係のありそうな現象ではあるので。


「とりあえず……そうだな。木登りでもしてみようかな?」

「てめぇは何を考えてンだ?」


 おもむろに屈伸運動を始めたレンに、リュウは呆れを通り越して僅かに引いた顔をしていた。


「……地上人ヒューマンのてめぇならあの濃度のマナに突っ込んでってもなんともねェだろうけどよ。それでもアレに近づこうとか思うかよ、えてねェわけでもねェのに」


 マナはそこら中に当たり前に存在するものだけれど、その濃度は流動的で、マズルカの森のようにむせ返るほどにマナの濃度が高い場所もあれば、ほんのりとしか感じられないほどに薄い場所もある。それ自体はどうということもないし、肉の体を持つレンにとっては多少視界が悪くなる程度だ。けれど妖精族フェアリーや精霊といったマナで体を構成している種族にとっては、マナの濃度というのは死活問題だ。目の眩むような高山で目眩や息切れを起こすように、洞窟に籠もった空気がいつしか毒へとなるように、薄すぎるのは問題外だが、濃すぎるのもあまりよろしくない。

 もちろんこの程度の濃度、リュウにしてみれば多少気分が悪くなる程度でレンにとってはなおさら、まったく問題はないのは分かっているけれど、それでも忌避感が込み上げてくるのだから仕方がない。空中に羽ばたく羽虫の群れに頭を突っ込む馬鹿を見ている気分、といえば分かりやすいだろうか。特に害があるものでもないし、手で払ってしまえばすむ話だが、けれど、でも、そんなことするか? 普通。


「うーん、でも、僕たちの探し物があるかもしれないよ。枝に引っかかってたりとか」

「ンなわけあるか馬鹿野郎」


 シンプルかつストレートな罵倒の文句に、けれどレンは特に堪えた様子もなく、伸脚、膝回し、肩入れと、準備運動に余念がない。きらきらと楽しげに目を輝かせながら、あくまでも初志貫徹といったその様子に、リュウはげんなりと額を押さえた。こういう時のレンはもはや、話を聞く気がまったくないのだ。たとえ今ここで探し物が見つかり、魔物の発生が収まったとしても、なんやかや理由をつけて木に登っていくだろうことが容易に想像がついてしまう。

 ほんっとこいつ、頭で物事考えてねェ、猪突猛進で好奇心の塊の考えなしで、あぁ、もう。心の中でありとあらゆる罵倒を投げつけながら結局リュウは、深々とため息をついて、言った。


「……好きにしろよ、もう」

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