第3話

 有翼人ハルピュイアの青年は、タズと名乗った。南方の言葉で鳥の名前を表すのだというその名前は、捨て子だった彼を拾ってくれたマズルカ村の村長ライオスが、当時身につけていた衣服の意匠などから南方の出身だろうと推測して、調べて付けてくれた名前なのだという。どうりでこの辺りでは聞き慣れない響きだと、レンは得心がいった気分になった。

 大陸の領土は、四つの大国とその隙間を埋める数多の小国で構成されている。俗に四大国家と呼ばれているのが、北のホークヴァンド、西のサイリュード、南のナムカ、そして東のトゥルスガル。マズルカ村はそのうちのひとつ、トゥルスガルの南西部に位置する村だ。精霊樹のあるこの森は、村の名前にちなんでマズルカの森、あるいは精霊の森とも呼ばれている。マズルカの森が南のナムカとの国境に股がって広がっていることもあって、マズルカ村にはタズのような南方からの移民や文化が流れこんできているのだという。


「オレは精霊樹様の落とした枝葉を、都に持ってって売ってるんだ。村じゃそんな大層な魔法、普段は使わねぇから宝の持ち腐れってやつなんだけど。ナムカの方じゃあ結構いい値段で買い取ってくれるんだぜ」

「なるほどなぁ。君のその翼なら、この深い森だってひとっ飛びってわけだ」

「そういうこと。これだけが頼りってわけでもねぇけど、貴重な収入源ってのは間違いねぇな」


 タズはひょいと肩を竦めた。レンのような地上人ヒューマンにも頭のいい人間や力の強い人間、あるいは体の弱い人間や魔法の得意でない人間など、その個性は十人十色であるのと同じように、有翼人ハルピュイアにだって当然飛行が得意なものもいれば苦手なものもいる。けれど、タズの背中に背負っている翼は明らかに、大鷲と比べても遜色ないぐらいに強い翼だ。おまけに迷いやすい森や悪路、襲ってくる魔物なんかも一飛びで超えていけるとなれば、その機動力は桁違いだろう。

 いいなぁ、とレンは、串焼きをもぐもぐと頬張りつつ、羨ましい気持ちでしげしげとタズの翼を眺めた。特に方向感覚に難のあるレンは、実は村からここまで辿り着くのにかなり苦労をしたのである。ほとんど真夜中のように暗く、視界の悪い森。地上から太陽が見えないのではそれだけで方向感覚が狂ってしまう。それに加えて、ゴブリンやオーク、ワーウルフの断続的な襲撃。自在に空を飛んで方向を確かめられるリュウがいなければ、それこそ三日とかからず遭難していただろうことは、想像に難くなかった。


「ま、挨拶も済んだし、オレは村に帰るわ。あんたら、調査で来たっつってたけど、ここにしばらく居るつもりか?」

「うん、そのつもりさ。だいたい十日ぐらいは居ると思うよ」

「ふーん。それならまた何回かはオレもここに来るし、顔合わせることもあるだろうな。足りない在庫を補充しなくちゃいけねぇし。なんなら、必要なもん言ってくれりゃ、村から仕入れて売ってやってもいいぜ?」

「てめェに稼がせてやるつもりはねェよ、商魂たくましい野郎だな」

「こら、リュウ」


 中空でごろんと寝転んでいるリュウが嫌そうな顔をして唸る。どうにもリュウはタズとは合わないのか、レンに対してよりさらにつっけんどんな態度だ。帰るならさっさと帰れと言わんばかりのリュウの態度に、レンは苦笑ぎみにため息をついた。


「すまないね、リュウは人見知りなんだ。君が嫌いなわけじゃないんだよ」

「はぁ? 誰が人見知りだ、てめぇの都合のいいように見てんじゃねェぞ。目ェ腐ってンのかこの節穴、ボンクラ、極楽女」

「リュウ? 言いすぎじゃないか? 流石に僕だって傷つくんだよ? 本当にごめんね。いつもこの調子で……」

「あー、……いや、気にしてねぇよ。妖精族フェアリーってのは気まぐれで人間嫌いって聞くし……こんだけ口が悪いとは思ってなかったけど」


 妖精族フェアリーは人間社会で生活している地上人や有翼人、あるいはその他の人種と違って、他の種族と交流を持つことがほぼない。マナを操る力に長けている彼らは自分たちだけで自給自足ができるというのももちろんあるが、それ以上に他種族のことを嫌っているのだ。妖精族フェアリーの村にうっかり立ち入ってしまい、散々な目にあって帰ってきた冒険者の話は組合ギルドでもよく話題に上がる。それを思えば、実害がないだけ暴言を浴びせられるだけならまだマシだ、とタズは苦笑した。


「ま、稼ぎたいのもあるけどそれ以前に、美味い肉食わしてもらったしな。その礼ぐらいはさせてもらうぜ。なんかオレに手伝えることがあれば言ってくれよな」

「ありがとう。その時は是非、そうさせてもらうよ」

「はは、つってもホーンボアが狩れるような冒険者相手じゃあ、オレにできることなんかたかが知れてるだろうけど」


 タズはひらりと手を振ると、折り畳んでいた翼をばさりと広げた。黒々とした翼が日の光を受けてつやりも光り、ばさりばさりと空を打つ。羽ばたく翼に合わせて風が吹き木の葉が舞い上がり、やがてタズの身体はふわりと宙に浮き上がった。


「じゃあ、ごちそうさん! また来るぜ!」


 精霊樹の真白の木の葉と共に、タズの黒い羽根がひらひらと舞い落ちる。そうしてタズはあっという間に、西の空へと飛び立ってしまった。


「はぁ~……すごいな」


 みるみるうちに空の青に紛れて見えなくなった黒の大鳥の背に、レンはほとんど魅了されたようにため息をついた。翼を持たぬ地上人ヒューマンの身では、自由に駆けることのかなわない大空。リュウだってひょいひょいと気軽に空を飛んでいるけれど、自分と同じ人間が空を飛んでいるのを目の当たりにすれば、大空への羨望がより強くなるのは仕方のないことだった。


「僕も翼があれば、もっと楽に旅が出来るのかな」

「ふざけんな、てめぇの方向感覚で行動範囲だけ広げてどうする。大陸の真反対で右往左往してンのが落ちだな」

「うーん、でも君が助けてくれるだろう?」

「俺が? てめぇを? 素直に助けるとでも? まさか、指差して笑うに決まってンだろ」

「意地悪だなぁ」


 不満そうに唇を尖らせる一方、なんやかんやで助けてくれるに違いないと確信しているようなレンの表情に、リュウはチ、とあからさまに舌を打った。いっそここに置いていってやろうかと、悪い考えが頭を過る。ただでさえ迷いやすい森の中で、食糧の入ったバッグも隠してしまえば、こいつはさぞかし焦るだろう、と。けれど、それはやはり頭の中だけの考えで、口は代わりに別の言葉を吐き出した。どうであれ今のところ、レンに死なれてしまうのはリュウとしても困るので。


「……もう、飯は食っただろ。さっさと仕事しろ」

「あぁ、うん。そうだね」


 串に残った最後の一口をもぐもぐと噛み締めて、レンは口許をぬぐう。手に持っていた串は焚き火に放り込んでしまってから、よっこらしょと立ち上がって伸びをひとつ。


「じゃあ、仕事にかかるとしよう。……今度こそ、今回は、見つかるといいな」


 そう言って笑いかけるレンはいつもと変わらない、明るくて軽やかな表情で。リュウはなぜだか苦々しく視線をそらして、またひとつ舌打ちを漏らしたのだった。

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