第2話

「ここには冒険者組合ギルドからの依頼でね、調査に来たんだよ」


 ぱちぱちと焚き火のはぜる音が心地よく鼓膜に跳ねる。その隙間を縫うようにして、じぃわじぃわと肉から脂の垂れる音が優しく耳をくすぐった。

 レンの有無を言わせぬ笑顔に押しきられてしまった有翼人ハルピュイアの青年は、二人と共に焚き火を囲むようにして座っていた。広げれば人間の大人ぐらいの長さはあろうかという大振りの翼は、どこをどうしたのか器用に綺麗に折り畳まれて、リュックサックのように青年の背中に小さく収まっている。レンがご所望のブロック肉はお望み通り焚き火の上で、トマトやニンジン、その他多種多様な野菜と一緒に鍋に放り込まれてことことと煮込まれているけれど、それがまともな食事として供されるには幾分か時間が必要そうだ。昼食にはとてもじゃないが間に合わなさそうなそれの代わりに、一口大に切られた別の獣肉が、串に刺さって焚き火の周りで炙られていた。


「ここの森、最近魔物が出てくるようになったらしくてね。近隣の……マズルカ村の村長から、調査と魔物の討伐の依頼が組合宛に来ていてね。それが僕たちに回ってきたというわけさ」

「ちなみに、こいつが依頼書の写し」


 ふわふわと中空を浮かびながらごくごく小さめに作られた肉の串焼きを頬張っていたリュウが、ひょい、と指を動かす。指の動きにあわせ、どこからともなく舞い落ちるようにして青年の手の中に収まったのは、一枚の羊皮紙だった。「リュウ、野菜もきちんと取らなきゃダメだよ」「こんなにたくさん食いきれるか、サイズ考えろ」などというコミカルなやり取りを尻目に、青年はその書面に視線を滑らせる。しっとりとして滑らかな表面には、黒々としたインクの文字でレンが言った通りの内容が記載されていて、右下にははっきりと、この写しが正式なもののそれであることを証明する、組合ギルドの印鑑が押されていた。


「『依頼達成の報酬として金貨200枚を支払うことを約束するものである ライオス・マズルカ』……はぁー、なるほどなぁ……」


 ライオスのじいさんだいぶ奮発したな、と感心したように呟いて、青年はくるくると羊皮紙を巻いてレンに手渡した。その口ぶりにレンはぱちりと目を瞬かせた。

 貴族や王族、由緒のある家以外の庶民が家名を名乗ることはない。そんなものを持っている家自体がほぼないのだ。唯一の例外が村長や町長といった代表者で、正式な書面や公の場では家名の代わりにその村や町の名前を名乗るのが通例である。つまりライオス・マズルカとは『マズルカ村の村長のライオスさん』という意味合いで、その村長の名前をまるで知り合いのような口ぶりで話す青年に、違和感を覚えたのだ。


「お前、マズルカ村の人間なのか? なんでこの依頼のことを知らない」

「そうだね。魔物が森を彷徨うろつきはじめたのは村の中では周知の事実で、組合ギルドに依頼をすることを決めたのも村の住民の総意だ、って村長さんは言っていたけれど」

「ん、あぁ」


 依頼書を見たことでレンたちに対する誤解は解けたのか、遠慮のない仕草で串焼きに手を伸ばしていた青年は、リュウとレンに視線を向けられて、毒気のないへらりとした笑みを浮かべた。


「確かにオレはマズルカ村の出身だけど、数年前に冒険者組合ギルドに入ってからは、年に一回か二回ぐらいしか帰ってなくってさ。最近ナムカからこっちに帰国したばっかで、そんな依頼だしてたことも、そもそも魔物が出始めたってことも初耳だったってわけ。今日はたまたま、村に帰る前に精霊樹様に挨拶しとくかーっつって寄っただけだしな」

「あぁ、なるほど。そうなんだね」


 青年の説明にレンはこっくりと納得したように頷いた。この森の近隣にはマズルカ村以外に人間の住む集落はなかった筈なので、精霊樹のことを知っていて依頼のことは知らないというのはおかしいと思ったのだけれど、その理屈なら納得だ。そも、マズルカ村の住民の間では、この森に聳える精霊樹は守り神のように崇められているのだという。そんな信仰の対象ともいえる大樹の側に、この辺の人間ではない得体の知れない者がなにやらごそごそと彷徨うろついていれば、あんな敵意剥き出しの眼差しが飛んでくるのもさもありなんという話である。

 もっとも、今の青年にそんな敵意など微塵も残っておらず、呑気に肉の串焼きに舌鼓を打っているのだけれど。事前に血抜きをしている肉とはいえ塩コショウを降っただけのシンプルな味付けなので、それなりに臭みがあるはずなのだけれど、それを気にしている様子も特にない。一口頬張るごとに、あんなに鋭くこちらを射抜くようだった金の瞳が、じっくりと味わい噛み締めるようにきゅうと細まるのが嬉しい。作ったかいがあったものだとレンは満足げにうんうんと頷いた。


「いやマジで美味いな。これなんの肉? 豚肉に似てっけど、食ったことねぇ味だ」

「え、あぁ、……えっと、なんのお肉だったっけ?」

「なんでてめぇが覚えてねぇんだよ、ホーンボアだろ。てめぇが食いたいっつって狩ったンだろうがあのイノシシ」

「あぁ、そうだったね! いやだってこの鞄の中、他にもたくさんお肉が入ってるだろ? 味だけだと咄嗟には分からないよ」

「ホーンボア……あのでっけぇ角の、あれか……」


 そりゃあ食ったことねぇわけだ、と青年は笑った。ホーンボアは、頭に生えた二本の角と緑がかった褐色の毛並みが特徴の大イノシシだ。通常のイノシシよりも体高が高く、個体によっては成人女性の身長と並ぶぐらいの高さにまでなる。普段は森に生息しているため人間との接触は少ないが、気性が荒く、ひとたび敵対すればその二本の角と牙で相手を一突きにしてしまうほどの凶暴性をもつ。戦う術を持たない者にとっては危険な野獣であり、まかり間違って人里まで出てきた個体がいれば、シルバーランク――つまりは、中堅以上の実力をもつ冒険者か、それが無理なら国の軍に討伐を依頼するのが普通だ。そして肉は滋養があり非常に美味とされるが、足が早い食材のため市場に出ることはほぼないのだ。冒険者になってから数年しか経っていないという、青年が食べたことがないのは無理もない話と言えた。

 そんな貴重な肉をゆっくりと味わうようにごくんと飲み込んで、青年はレンたちに向き直った。にかりと笑った顔が眩しくて、リュウは嫌そうに顔を背ける。


「ま、話逸れたけど、事情は分かったぜ。突っかかっちまって悪かったな」

「あはは、いやいや、気にしてないよ。得体の知れない者が大事な守り神の周りにいたら、誤解しても仕方がないさ」


 鷹揚に手をヒラヒラと閃かせるレンに、青年は安堵したように目元を緩める。しかしその横顔に、ふっと暗い色味が過るのを、リュウは見逃さなかった。どこか思いつめたような、虚ろな瞳。ぱちぱちとはぜる焚き火をぼうっと見つめるその表情は仄かに固く、何かに取り憑かれてでもいるかのよう。


「精霊樹様のことになると、ついカッとなっちまって……こいつはオレらの守り神でもあるし、貴重な収入源でもあるんだ」


 だから、あんたらがこいつをどうこうするような輩じゃなくてよかった。そう呟く青年の横顔を、リュウはじっと、観察するように見つめていた。

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