ふたつの太陽

王生らてぃ

本文

「太陽って、どれほどきれいなんでしょう?」



 陽子は口癖のようにわたしに言った。



「今日は暑いね。エアコン、つけようか」

「いえ、大丈夫です。その代わり、窓を開けてくれると助かるわ」

「うん」



 言われた通りにすると、外の熱気と、森を抜けてきた風の匂いが、部屋の中に吹き込んできた。5月の初旬にもかかわらず、今日は夏のように暑い。

 陽子は椅子から立ち上がると、両手でバランスをとり、微かに揺れながら、それでも真っ直ぐに窓際へとたどり着いた。ちょうど、窓から日光が入り込んでくる時間で、陽子の白い肌が光で灼かれる。



「暑い……ほんとにね。太陽の光って、不思議」

「あんまり無理しないでね」

「無理なんてしてないわ。見えないけど、太陽の光をこうして感じることができるんだもの。こういうの、日向ぼっこというのでしゃう?」

「うん。そうだね」



 陽子は生まれた時から、目が見えない。

 日常生活、といってもほとんど家の中だけだが、それくらいなら助けがなくてもひとりでこなせるが、私がいつもこうして彼女の世話をしてやっている。

 陽子は太陽が大好きで、いつも、太陽を見てみたいと言っていた。晴れた日にはこうして窓際へやってきて、見えない目で空を見ながら日向ぼっこをするのが好きだった。なのに、陽子という名前をつけられたのは皮肉というより嫌味だ。生まれる前に亡くなった陽子の祖父の遺言でつけられた名前らしいが、それは呪いのように、一生、陽子についてまわる。

 ひどい話だ。

 そんな話を聞くたびに、私は泣きそうになってしまう。



「陽子。そんなに長く日に当たってると、お肌が焼けちゃうよ」



 ふふん、と陽子は笑った。



「かまやしないわ。どうせ焼けても見えないんだから」

「またそんなこと言って」

「お肌が焼けるって、黒くなることを言うんでしょ? 私には関係ないわ」

「私にはあるの」

「そう?」

「だから、日焼け止めくらい……」

「嫌よ。あれ、お肌がぺたぺたして、気持ち悪いんだもの。それに、太陽をあまり感じられないから、塗りたくない」



 陽子はいつもいい子だけど、こういう風に頑固でわがままなところもある。目が見えないから、普通ではないからとみんなが甘やかすから、変に強情に育ってしまったのだ。



「しょうがないなあ」



 そして、こうなったら私が折れるしかない。



「じゃあ、私も一緒に日向ぼっこ、してもいい?」

「いいわよ。その方が嬉しい」







     ◯







 夜になると、とたんに陽子は活力を増したように見える。それは、目の見えない陽子にとって、昼と夜には区別がなくて、自分が眠くなるまではずっと起き続けているからだ。



「もう寝ようよ」



 私は毎晩、陽子を布団の中に引っ張り込んで、一緒に眠る。陽子にとってはこれが睡眠のルーティーンなのだ。こうしないと、彼女に夜はやってこない。



「まだ眠くないわ」

「ダメー。私が寝るの。陽子がそばにいないと眠れないの」

「はいはい」



 陽子と同じ布団に入って、互いに触れ合う。

 陽子は手を私の体に這わせ、顔や、首を触って、顔を寄せるのが好きだった。



「あたたかい」



 電気は消しているけれど、月の光で、私には陽子の顔や姿がよく見える。陽子は目を閉じて、心地良さそうな表情をしていた。



「あなたが私にとっての太陽よ」



 眠る前、陽子はいつもそう言いながら、私にキスをしてくれる。



「優しくて、あたたかくて。まぶしい」

「まぶしい?」

「ええ、とても……とても……」

「おやすみ、陽子」



 私は、うとうとと寝息を立て始める陽子の首を抱き寄せて、耳の後ろを指でなでた。



 そして、義眼のスイッチが「正常に切られている」ことを、今日も確かめる。






     ◯






 翌日。



「ええ、大丈夫よ。心配しないで。じゃあね」



 陽子は部屋の隅に置かれているテレビ通話に向かって挨拶をしていた。私が部屋に入った時、ちょうど通話が切れたところだった。



「誰から?」

「実家のお母様」



 どきっとした。

 だけど、聡い陽子に悟られないように、息を呑むのを堪えた。



「そう。なんだって?」

「別に、なにってこと、ないわ。ただ、最近はどうなの、とか、あなたとうまくやってるかとか、そういう話。心配性なんだから、困っちゃうわよね」

「そっか」







 陽子の家族は、陽子の義眼が正常に動いていると思っている。ほとんど普通に過ごしている陽子を見たら、そうとしか思えないだろう。だから、いちいち余計なことを聞いてこないとは思うけれど、それでも、探りを入れられているみたいで気持ちが良くない。

 私は椅子に座った陽子に後ろから抱きついて、その目を手で覆い隠した。陽子はくすぐったそうに笑った。



「どうしたの? 甘えん坊さん」

「なんでもない。なんでもないよ」



 指先で陽子の顔を……

 とりわけ、義眼のそばを撫でる。念のために、もう一度、義眼のスイッチをオフにしていることを確かめた。



「なにかのおまじない?」

「え?」

「なんだか、目の周りがぴりぴりするから」

「そうだよ、おまじない。陽子の目が、はやくよくなりますようにって」



 陽子の目が、二度と開きませんように。



「ご飯、用意してあるよ。食べよう」

「うん」



 手を取って陽子は立ち上がり、私にすがって歩いてくる。本当はそんなことしなくても、家の中を自由に歩けるのだが、ふざけてこうしているのだ。

 私から陽子を引き離すなんて、絶対にできない。誰にもさせない。そのためにも、陽子の目は、ずっと閉じていてもらわなくちゃ。



「今日は天気がいいのかしら?」



 空はやや曇っていて、太陽は隠れてしまっている。



「うん。とてもいい天気だよ」

「そう」



 陽子は微笑んだ。

 今日はほんとうにいい天気だ。あなたという太陽が、私だけのために笑ってくれているのだから。

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