【最終話】家に帰ったらコーヒーを
「やあ。感動の再会は済んだみたいだね」
小屋の外で俺たちを出迎えたのは、イドだった。
彼は俺とハジメを見て、ダークブラウンの瞳でにやりと笑った。
「いやあ、まさか泣くほど喜んでくれるとは。感情豊か君の父として頑張った甲斐がありましたよ」
ハジメの父を名乗るには明らかに若すぎる青年は、高く晴れた秋空を仰ぎながら、しみじみとそんなことを言う。
本来であれば深く頭を下げて丁重に礼を言うべき相手なのだが、にまにまと笑ってこちらを見てくるので、どうにも落ち着かない。
涙で濡れた顔をごしごしと乱暴にぬぐい、どうにか体裁を整える。
「あー、うん、とても感謝してる……って、おい、笑うな」
俺が顔をしかめると、イドはとうとう声を立てて笑い出した。
これが彼の通常運転なのか、ニサキ老人もやれやれと肩をすくめるばかりだ。
「ま、親としての自然な反応じゃな」
なんとか言ってやってくれよ、とハジメに視線を向けると、呆れたことに奴もまたにまにまと嬉しそうな顔でこちらを見ていた。
「照れていらっしゃるのですか? もっと再会を喜んでくださってもいいのですよ、ご主人様。さあ、遠慮なさらずに」
「わかった! わかったから! 抱き着くな! 顔を近付けるな! おい、腰に手を回すなって!」
両手でぐいぐいとハジメを押しのけていると、イドが爽やかな笑顔で尋ねる。
「どう? 前よりイケメンになったでしょ」
「あー、なったなった」
投げやりに返してやると、イドは満足そうに頷いた。
「ふふっ。よかった」
俺に言わせれば、新しい機体になったハジメはイケメン過ぎて逆に胡散臭い。
まったく、骨格どうなってやがる。
「感情豊か君のデザインは目元にこだわりがあるんだ。ああ、デザイナーさんは僕じゃなくて別の人がやってるんだけどね。『目は口ほどに物を言う』って言葉があるでしょ? この子たちが感情をしっかり表現できるように、目元は特別によくできているんだ」
すらすらとイドが説明する。
それを聞いて、ふと不安を抱いた。今まで俺はハジメを『アンドロイド』だと認識して扱ってきた。だけど、新しい機体は『きわめて人間に近い』感情を持つという。
それならそれで、相応の扱い方をすべきではないだろうか。
「……E800モデルだっけ? それって今まで通りの接し方で大丈夫なのか?」
イドにそう尋ねると、彼はこともなげに答えた。
「うん、だいたい同じだよ」
「だいたいって……具体的には前とどこが違うんだ?」
他ならぬハジメのことだ。些細なことでも知っておきたい。
かつての俺のように頭ごなしに従わせようとするのではなく、ユーザーとして、主人として、最適な接し方をしてやりたい。その方法を知りたければ、感情プログラムを設計した技術者に聞くのが一番だ。
……そう思ったのだが、イドはふっと口元を緩めた。
「人間だって、少しずつ変わってゆくでしょ。お兄さんも。それと同じ」
ゆるやかに笑うと、彼は俺の心臓のあたりをそっと押した。
なんだか煙に巻かれたような気分だった。
「どの子も愛情を注いで可愛がれば問題ないわい」
腕を組み、ニサキ老人が言う。
おそらくこの人は、人間よりアンドロイドが好きなんだろうな。だからこそ彼の言葉は信用していい。
粗末に扱うのではなく、敬意や誠意や愛情をもって接する。そうすれば、アンドロイドはかならず応えてくれる。
俺も、そのことは身をもって知っている。
「……ハジメ。お前はどうしてほしい?」
じっと目を見つめて尋ねてみると、ハジメはやわらかく微笑んだ。
「
なんとなくそういう答えが返ってきそうな気はしていたが、面と向かって言われると、やはり照れ臭い。
「あー、うん、そうだな」
落ち着きなく視線を外せば、またイドがにまりと笑った。
◇ ◇ ◇ ◇
「ニサキさん。お父さん。お世話になりました。ありがとうございます」
ハジメが二人に向かって頭を下げる。
イドはその頭をぽんぽんとなでて穏やかに言った。
「可愛がってもらうんだよ」
見た目の年齢だけでいうならハジメのほうがやや年上に見えるのに、そうしているとまるで本当の親子みたいだ。
「またいつでも遊びにおいで」
ニサキ老人がにかりと笑い、手を振ってくれる。
俺も改めて二人に頭を下げた。
工場を去るとき、ふとイドが俺を呼び留めた。
「お兄さん」
振り返ると、彼は爽やかな笑みを浮かべていた。
「その子、紅茶を淹れるのも上手だから。ためしてみて」
◇ ◇ ◇ ◇
紅茶も気になるが、なにより恋しいのはハジメが淹れてくれるいつものコーヒーだった。
「ハジメ。家に帰ったらコーヒーを淹れてくれるか?」
帰り道、車のハンドルを握りながらそう言うと、ハジメは口元を緩めた。
「おや。やはり私のコーヒーが恋しいのですか?」
「……わざわざ言わせんなよ」
じとりと睨んでやるが、ハジメは楽しそうにくすくすと笑っている。
「ふふ、冗談ですよ。私のコーヒーを飲みたいとおっしゃっていただけるなら、これほど幸せなことはございません。それに、ご主人様が淹れられたコーヒーはその……少々お味が独特なようですから」
「そこまで丁寧にオブラートに包まれると、かえって傷つくんだが」
「それは失礼いたしました」
ハジメが優しく笑う。その表情に安堵した。
ああ、なにも変わっちゃいない。やっぱりハジメだ。今までずっと俺の傍にいてくれたアンドロイドだ。
新しい機体は顔が整い過ぎて落ち着かないが、まあ、前の機体のときも三日で慣れたし、今回は一週間もあれば慣れるだろう。
「ところで調子はどうだ? その、新しい機体は」
うかがうように視線を向けると、ハジメは上機嫌で答えた。
「素晴らしいです」
「えっ、そんなにか?」
「なにしろ真新しい身体ですので。正真正銘、あなたが最初のユーザーということになります」
新品ですよ、とハジメが繰り返す。
そんなに機体の最初のユーザーが俺だと嬉しいのだろうか。まあ、たしかに以前のユーザーと比べれば幾分マシなのかもしれない。それとも、単に新しい身体が嬉しいだけなのだろうか。
そんなことをついごちゃごちゃと考えてしまう。
「もちろん、これまでの
緩やかに胸へ手を当て、ハジメが微笑む。
「仕事のスケジュールとか、朝何時に起きるとか、そういうやつか?」
「ええ。それに加え、ご主人様のお好みやこれまでの出来事もすべて覚えております」
「……出会った頃のこともか?」
「はい」
ハジメは静かに頷いた。
目の前の信号が黄から赤に変わり、ブレーキを踏む。
車が完全に停止すると、車内はしんと静まり返った。
「……そっか」
ハジメと出会ったばかりの頃の自分の姿が頭をよぎった。
なるべくいつも通りに息を吐いたつもりだったが、口から漏れ出たのは重苦しい溜息だった。通り過ぎてゆく車や歩行者をぼんやり眺めていると、視界の端でハジメの髪が揺れた。
「
「……へ?」
思わず間抜けな声が口から出た。
こいつ、今なんて言った? 慕っている? 俺を?
まさか『想いを寄せている』という意味ではないだろうが、それにしたって『好ましく思っている』という意味には取ることができる。
だが、自分では到底好かれるような主人だとは思えない。
信号が青に変わる。
心の中で唸りながら、アクセルを踏む足にゆっくりと力を入れる。
俺の動揺など知らず、ハジメは誇らしげに胸を張る。
「体が新しくなったおかげで、お料理ができるようになったのですよ」
「えっ、そうなのか?」
それはそれで驚くべき話だ。以前のハジメは卵を割ることさえできなかったのに。 ハジメが変わってゆくなら、俺も主人として変わらなければならない。
自然と、ハンドルを握る手に力がこもる。
助手席から嬉しそうな声が聞こえる。
「これで、ご主人様に不摂生をさせなくて済みます」
「今までもちゃんと一日三回食べてただろ」
「栄養をバランスよく摂って、もっと健康でいていただかなくては」
「わかったわかった」
相変わらず、小言が多い。
でも、そういうところがいかにもハジメらしくて、今はそれすらも嬉しく感じる。
「お皿洗いもできるようになりました。お部屋の掃除や、ごみ捨てなどもできます。お風呂掃除もできますよ」
ハジメは次々と新機能を口にする。
「それはすごいな」
E800モデルはわりと最新に近い商品で、手足を水にさらしても問題ない設計だと聞いてはいたが、以前の機体とは比べ物にならないほど機能が増えている。
ひょっとしてかなり高価な機体なのだろうか。
「それと、もうひとつ新しい機能がございます」
ハジメが悪戯っぽく笑う。
「おっ、なんだ?」
家事ができるようになるだけでも充分なのに、これ以上まだ機能が増えるのか。
やはり本当に高価な機体なのかもしれない。不安と期待を胸に抱き、次の言葉を待つ。
隣でハジメがゆるりと笑う気配がした。
「なんと、夜のお相手ができるようになりました」
「待て待て待て! ちょっと待ってくれ!」
俺は咄嗟にハザードランプをたき、車を路肩に停止させた。
ハンドルを握る手の汗が尋常じゃない。いや、手だけじゃなく体中が変な汗をかいている。
「なあ、ハジメ……その機体って、いくらするんだ?」
どれだけ高い金額でも払うつもりでいたが、今更になって恐くなってきた。
ちなみに、請求書はあとから送ると言われたので、まだ金額を聞いていない。
「そうですね、新品の機体が1台と改造費。動作チェックにかかった費用。技術料。それからプログラムの改造費といったところでしょうか。概算ですが、」
ハジメがさらりと口にした金額を聞き、俺は仰天する。
俺の収入の何十年分にも相当する額だった。
「あちゃ……。こりゃあ本気で一生かかって払わないとな……」
呆ける俺に、ハジメが微笑む。
「お手伝いしますよ、ご主人様」
その顔を見ていると、不思議となんとかなりそうな気がしてきた。
もしこの先どんな困難があろうとも、こいつが傍にいてくれるならきっと乗り越えられる。
「おう。頼りにしてるぜ、ハジメ」
頷いて見せると、ハジメは嬉しそうに笑った。
アパートまでの道のりはあと少しだ。
俺はふたたびゆっくりとアクセルを踏み込み、車を走らせた。
【BL】家に帰ったらコーヒーを ハルカ @haruka_s
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます