制裁
まこちゃんは高校を中退したらしい、と廊下で誰かが話しているのを偶然聞いた。
心がざらついたような感覚がしたけど気のせいだったかもしれない。
小学校から幼馴染みのとしき君とは同じクラスだが、親友のゆいちゃんは隣のクラスだった。
中学三年の春、私は初恋だったとしき君に告白してokをもらえた。
噂になるのが嫌で周囲には隠しているけどゆいちゃんには打ち明けている。
「ねぇね、としき君ってけっこうカッコいいよね。かえでちゃん、どう思う?」
興奮気味に話し掛けてくるクラスの女子に曖昧に賛同しておく。
私は彼女を友達認定した覚えはないけれど。馴れ馴れしい彼女は同じ塾に通っている都合でどうしても下校で一緒になる。
やけに私の心がささくれ立っているのは最近何かとそれぞれに忙しくゆいちゃんと会っていないからだ。
ゆいちゃんは高校に上がってからも髪を肩より上に短く切っている。テニス部に入っていて、私とはほとんど下校時間が合うことがない。
「ところで聞いた? この間、高校辞めた隣のクラスの女子いたでしょ?」
瞬時にまこちゃんのことだ、と思った。
聞き流しているうちに話題が移っていたようだ。
「その子がどうかしたの?」
「何か眉とか髪とか派手にいじって校則違反しまくった挙句に夜、繁華街とかうろうろして警察に補導されたりしてたらしいよ」
「……へぇ」
せっかく仕入れてきたネタなのに乗り気でない私の反応に、感想それだけ? と不満気にする。
彼女はその顔をすぐさま引っ込めると、まるでまこちゃんの話など始めていなかったかのように「そういや今度の体育、サッカーだって」と話題を変えた。
「かえでちゃん、久し振り」
放課後の図書室でゆいちゃんに会った。
同じ学校内にいて久し振りだなんて可笑しいね、と控えめな笑みを含んでいた。
「うん、ほんと久し振り。ゆいちゃん」
ゆいちゃんに会えた嬉しさと多少の気恥ずかしさが混じった私の素振りにゆいちゃんは勘づく。
「ごめん、お邪魔だったね。また今度、話そう」
耳打ちしてさらりと立ち去ろうとしたのは、私がとしき君とここで待ち合わせしていることに敏感に気付いたからだ。
ゆいちゃんのこういう濃やかさに毎回、私は舌を巻く。
「あ、待って。これから英語の課題しようってなってて、もし時間あればゆいちゃんも一緒にしない?」
確かゆいちゃんは英語が得意だったし、英語の教科担任は隣のクラス同士で被っていたはずだ。
「でも……」
せっかく二人きりなのにいいの? と言外に投げかけてきたのが分かったので、
「いいの。むしろいてくれたらすごぉく助かる」
両手で拝んで背の高いゆいちゃんを上目遣いに見上げる。
私がふざけてやっているのが伝わって、ゆいちゃんも「しょうがないなぁ、分かった」と乗ってくれた。
としき君と合流して机に向かう。
ちなみにとしき君に「ゆいちゃんも交えて勉強会しよう」と提案すると、「うわ、マジで! すごく助かるー!」と私と同様の反応をして、ゆいちゃんを吹き出させた。
英語の勉強会は大体ゆいちゃんが先生で、私ととしき君がふむふむと聞きながら時折質問するというように進んだ。
「現在完了形って地味に使いどころが難しくない?」
「だね。イエスタディとかとはそのまま使っちゃダメなんだっけ?」
としき君と同時にゆいちゃんを伺ってみると、苦笑しながら頷いた。
「ある一定期間に物事が継続していた時に使う。だから過去から現在までの幅のある内容を示すんだけど。……ええと、わかる?」
私たちは揃ってほうほうと頷く。
本当に分かってる? とは訊かないまでもゆいちゃんは不安気に肩を竦めた。
一時間ほどして勉強に目処がつき、としき君が「俺ちょっと部活に顔出してから帰るわ」と断ったので、お開きになった。
今日は塾が休みなのでゆいちゃんと一緒に帰ろうという流れになった。
もしかしたらとしき君はゆいちゃんと二人で話せる機会が少ないので気を遣ってくれたのかもしれない。
妙に色褪せた夕日が作った影のところをゆいちゃんと並んで歩く。
「ゆいちゃん、テニス部だよね。どんな? 大変そうだな運動部って思っちゃうけど」
「うーん、確かに大変。楽しいけどね」
「そっかぁ」
大変とは口にしたが愚痴や弱音は絶対に吐かないのだ、ゆいちゃんは。
「かえでちゃんも美術部どう?」
「え、と。絵を描くのは楽しいんだけど周りはほぼイラスト部化してて、何か一人だけ油絵とかやってること違うなあって」
しまった。愚痴を言ってしまった。私は何でこう性格がひねくれているのか。
「そっか。でもかえでちゃんのやりたいことしたらいいと思う」
ゆいちゃんは微笑して続けた。
「イラストとかなら家に帰っても出来るけど、油絵は美術室じゃないとなかなか出来ないよね。道具とか持って帰るの一苦労だし、匂いもあるから家の中にはずっと置けないだろうしね」
意外にあっけらかんと私を肯定してくれた。
「……詳しいね、ゆいちゃん」
ゆいちゃんは小さく頬を掻いた。
会話が途切れてからは暫く無言で歩いた。ゆいちゃんとならどれほど沈黙が続こうと居心地悪くなることはない。
坂を上り切ったあたりで私は「まこちゃんのこと覚えてる?」と唐突に訊いた。自分でも唐突だった。
「覚えてるよ」と不思議そうにゆいちゃんは答えた。
「何で学校、辞めたのかな?」
「……さあ」と首を捻って、どうしたのとでも訊きたげだ。
私も数日前までは全く関心がなかった。というより目を背けていた。
「ゆいちゃんなら知ってそうだなって思って」
いっそ、やっぱり何でもないと誤魔化してしまいたくなるのを我慢して、はっきりと告げた。
ゆいちゃんの目がすっと鋭く光ったような気がする。
「ゆいちゃんがまこちゃんを辞めさせたの?」
ぞわりとゆいちゃんの向こうに伸びる影だけが一段濃くなっているように錯覚した。
私の言葉に何の反応を示さないことが肯定を意味していた。
まこちゃんはよく私に意地悪をしていた。
当時としき君を好きだったまこちゃんは中学に入ってから見向きもされなくなっていたので、としき君とそれなりに親しげにする私に嫉妬したのだ。
本当にちょっとした意地悪だったが、精神的ダメージは大きかった。
「シャーペン貸してよ、かえでちゃぁん」とニヤニヤしながら私のペンケースを勝手に開け、文房具を抜き取ったり、数日後に返してくれと訴えても「なにそれ? 借りてないんですけどぉ」ととぼけたり。
そんな日々の中ずっと寄り添ってくれていたのがゆいちゃんだった。
ある日、中学校からの帰り道。別れ際にゆいちゃんは「人の迷惑にしかならないなら排除されるべきだね」と平坦に呟いた。単なる独り言にも聞こえた。
何の話? 排除って何を?
「大丈夫。かえでちゃんは何も心配しなくていいよ」
咄嗟のことで私は何も尋ねることが出来なかった。
その日を境にまこちゃんの嫌がらせがピタリと止んだ。私に接触を図って来ることすらなくなった。
まこちゃんに取られたはずの文房具がいつの間にか戻ってきていた。
無機質な夕日を浴び、私を見つめるゆいちゃんが何を考えているのか読み取れない。
「……何でそこまでしたの?」
どうやって辞めさせたの、とは恐くて訊けない。
心臓がドッドッドッと音を立てた。
まこちゃんについての噂の中にゆいちゃんの名が出たことは一度もない。だからどのように立ち回ったのか私には測れない。
「……何でだろ、許せなかったんだよね。ああいう女はまた同じこと繰り返すんだろうし」
いつものように笑おうとして、だが触れただけで切り裂くような空気を隠せていない。
それが何でか痛々しく見えてしまって怯みそうになる。
「後悔、してる……?」
ゆいちゃんは張り詰めていた息をふうと吐き出し、首を横に振った。大人びた仕草だった。
私は思わずゆいちゃんの手を握る。小学生の頃も数えるほどしかこうしなかった。
坂の上で立ち止まっていた私たちは手を繋いだまま歩き出した。
途中に家の塀から昼顔がはみ出していた。花は半分ぐらい咲いていて残り半分は萎んでいた。
「私のため、だったの?」
「……さあ」
やけに整った横顔だった。その質問には答えられないという意思表示だろう。
制裁……という単語が浮かんでそれがあまりにゆいちゃんに似合わないことに驚いた。
ゆいちゃんの外で運動する割に日に焼けてはいない、すらりとした腕。
ガー、ギャーという鳴き声がして側のごみ置き場にカラスが降り立った。
ゆいちゃんがさりげなくカラスの黒い翼から目を逸らした。
別れ際、私はゆいちゃんに「また明日」と声を掛けた。毎日教室で会える小学生みたいに。
ゆいちゃんはぱちくりと目を見開いた。
「明日も一緒に帰ろうよ」
「でもかえでちゃん、塾は?」
「塾は辞める」
塾に通っていることに何のメリットも感じなくなっていた。ゆいちゃんと話せる時間が削られるなら損とさえ思う。
ゆいちゃんは私の考えを汲み取って「そっか……。かえでちゃんのしたいようにしたらいいと思うよ」と普段の調子だった。
カラスが生ごみの袋を食い破って中身を引きずり出す場面を想像した。想像上のカラスの目はぞっとするほど美しかった。
カラスの目 葛 @kazura1441
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