人間スクリーニングの果てに
根津白山
第1話 人間スクリーニング
「2057年度予算案によりますと、医療費の占める割合が、ついに予算の80%を越しました。」
新宿アルタのモニターで流れていたニュースでそんなことが流れていた。
医療や科学の発展に伴い、健康寿命の延伸、終末期医療の拡充、中和抗体などの癌治療新薬への保険適用の拡大などが、医療費圧迫の原因となっていた。
ヒトの平均寿命はというと、なんと男女ともに100歳を超している。ただ、健康寿命の平均は80歳で高止まりしていて、80歳から100歳までの期間は医療機関にかかりっぱなしの高齢者が多い。その結果、平均寿命が延びても、医療機関にかかる人の数が減らないため、医療費が極限まで増加してしまった。さらには、医療崩壊まで生じ、まともな医療を受けられないまま亡くなる人も増加の一途をたどった。
さらに不運なことに、現在の日本の人口は5000万人で、その内、生産人口は1000万人しかいないため、高齢者の医療費負担割合を増やしたところで、医療費増加を止めることはできず、この日本の人口比率もこの医療費増加に拍車をかけていた。
また、医療費増加は、年金など他の社会保障や道路やダムなどへの公共投資を制限し、ダムや河川管理などが滞り、台風によるダムの決壊や大雨による河川の氾濫など、多方面に問題が波及していった。
しかし、それはある時を境に一転し、医療費減少の一途をたどり、人口減少も止まった。
この話は、医療費や人口減少に歯止めがかかってから約40年後、2102年の話である。
「おじいちゃん遊びにきたよ。」
「おー、よーきたな、愛ちゃん。」
「お久しぶりですお義父さん。」
「これはこれは、貴史君、今日はゆっくりしてきなさい。」
「もう、お父さんまたコンビニ弁当ばっか食べて、ちゃんと健康的な食事を心がけてよね。」
今日は孫の愛が7歳になったため、七五三をやるために娘の雪の家族が家にやってきた。
3人とも歳のわりにかなり若い容姿をしていた。
「愛〜こっちにおいで、ちゃんとおばあちゃんにも挨拶しなきゃ。」
——チーン
雪や愛、貴史君が、おばあちゃんの仏壇に手を合わせた。
おばあちゃんへの挨拶を済ませると、愛が、着ていた晴れ着が苦しいと雪に不満を言っていた。
「愛ちゃん、本当に可愛くて綺麗だね〜。」
私は愛の気を紛らすために言葉をかけた。
「おじいちゃん本当〜?私可愛い?」
愛は、屈託のない笑顔で私に抱きついてきた。愛しくて愛しくてたまらない。
「あれ、おじいちゃん腕に黒い斑点があるよ〜。」
愛を抱きしめた弾みに、腕のワイシャツがめくれてしまい、腕の黒い斑点が愛に見つかってしまった。
「え!?お父さん本当!?ちょっと見せて。」
看護師をしている雪はとっさに駆け寄ってきて、私の腕を確認した。そして、医師である貴史君も呼び寄せ、私の腕の黒い斑点の正体を確認しようとしていた。
確認されなくても私自身それが何か知っていた。それは悪性黒色腫、いわゆる皮膚癌である。
「お義父さん、これは、少しまずいです。すぐに病院にかかってください。今ならまだ間に合うかもしれません。現代なら優れた治療薬などたくさんあるので。私が優先予約を取っておきますよ。」
「そうよお父さん!」
「おじいちゃん死んじゃうの?」
雪は、即座に病院に行くことに賛同し、愛は、私の生死を心配していた。
「貴史君や、雪、それと愛、私も科学者の端くれだよ、もうこの状態だと私は助かるまい、病院にかかったとしても終末医療により、20年くらい延命できるだろうが、その間私は、寝たきりになるだろう。そうなると、医療費削減に努めてきた私が、医療費の負担になってしまう。それは本末転倒で私は避けたい。そして、私は、旧人類の1人として、健やかに死にたいんだ。」
——私は、そう言うと目を閉じた。旧人類、そう、私が今の日本の発展を支える礎となったのだ。私がいなければ、もうとっくの昔に日本は滅んでいただろう。
2057年、私が30歳の時、私は東京大学大学院医学系研究科博士後期課程を修了した。専門は遺伝子工学・分子生物学・生化学分野であり、博論テーマは、「遺伝子編集技術を用いたヒト初代肝細胞への目的遺伝子の高効率導入法の検討および、その遺伝子導入細胞の再移植法の確立」であった。
簡単に要約すると、ヒトからとった肝細胞に、肝臓癌を抑制する遺伝子を導入し、それを人の肝臓に移植し、遺伝子導入細胞が肝臓全体を占めた時に、肝臓癌になりにくくするための研究であった。
研究は成功し、博士後期課程修了後は、国立遺伝学研究所から声をかけていただき、そこで研究に従事することになった。
私自身の人生は大変順風満帆であり、自分自身の人生に大変満足していたが、日本はそうでもなかった。
医療費増大・人口減少により国が破滅する一歩手前まで来ていたのだ。
このままでは日本国が滅びてしまうため政府は、この現状を大変憂慮していた。
そして、禁忌に手を出した。
『遺伝子編集技術』を用いて、病気に強い人間を作出することに決めたのである。非常事態であるがゆえの苦肉の策であった。
このプロジェクトは遺伝学研究所が主導して執り行うことになり、国家の運命がかかった重大な一大プロジェクトと位置付けられ、国立遺伝学研究所のほとんどの研究者が従事するよう命を受けた。
しかし、当初、科学者はこのプロフェクトに参加したがらなかった。
それもそのはず、この行為は科学倫理に反するのである。遺伝子編集技術はヒトに使ってはいけないという倫理規則が存在しているのである。それを犯すことなど、普通の科学者にはできなかった。
だが、ここは国の研究機関であった。日本存続のために重要なこのプロジェクトに参画できないならば、即刻解雇すると言う通達が出され、解雇された後も遺伝研の研究者は他の研究所に就職できないよう、政府により裏で手回しされていた。
食いぶちをつなぐため、家族を養うために遺伝研の研究者はこのプロジェクトに参画しなければならない状況に陥った。
また、この頃の世論は、むしろ遺伝子編集技術により病気に強い人間を作出することで、医療崩壊や医療費増加に歯止めをかけることに賛同する人が多く、政府も大々的にそのメリットを宣伝したため、研究者の間では最初の頃ほど、遺伝子編集技術により病気に強い人間、いわゆる新人類を創出することに抵抗感がなくなっていた。
そして、私も、このプロジェクトの一員であった。さらに、博論が高評価を受け、さらに博士後期課程の時の研究と類似した研究のため、主任研究員に抜擢されて、プロジェクトの核となる部分を任されることになった。
その内容とは、「人間スクリーニング」であった。
約20,000個あるヒトの遺伝子の内、様々な病気を抑制すると考えられている遺伝子を300個選定し、その遺伝子を一つずつ、300個のヒト受精卵に導入し、その受精卵を代理母に着床させた。つまり、生まれてきた300人の子どもは、それぞれ異なる遺伝子を多く発現状態となっている。ただ、中には、胚発生に悪影響を及ぼす遺伝子を導入された受精卵は正常に発生することはできず、胎生致死になってしまい、生まれてくることすらできない者もいた。
正常に生まれた子ども達は、不摂生な食事、運動禁止、さらにはお酒も与えられ、何らかのを病気を罹患しやすい環境にさらした。
そして、毎月一回、血液を採取され、病気に関係する遺伝子マーカーを調べられ、病気になっているかどうか検査された。
そして、1人、また1人と、どんどん子どもが癌や動脈硬化による脳梗塞など様々な病気になり亡くなっていった。私は、最初の頃は、胸が痛み、『私はこんなことをするために、科学者になったのではない』と葛藤したが、最後の方は、子どもがなくなることは日常となっており、まるで実験動物を屠殺していく感覚に似たものを感じていた。
そして、最終的に、1人の子どもが生き残った。その子どもには、細胞の異常増殖を防ぐp53タンパク質をコードしているTP53遺伝子が導入され、普通の人より多くのp53タンパク質を発現している子どもであった。
この結果は、他の研究班に回され、この遺伝子を導入することが有効なのかどうかの詳細な検討が行われてた。そして、ついに、これから生まれてくる子どもには、このTP53遺伝子の導入が義務付けられたのである。そして、出生前検診も厳密化し、少しでも遺伝子変異がある子や、障害を持って生まれてきそうな子を出産することは禁じられた。
それは、1940年ごろナチスが優生思想に基づいて行われた人口管理そのものであった。
そして、順調にTP53遺伝子を持った子どもたちは成長し続け、一世代目が大人になり、二世代目の子どもも生まれ始めた。二世代目の子ども達は、一世代目の親からTP53遺伝子を正常に受け継いでいった。
私の思惑通り、TP53遺伝子通常より多く持って生まれてきた新人類は、病気にかかりにくかった。そのため、医療費も減少していき、ヒトが死ににくくなったため、人口減少も自然と抑制された。
私の娘の雪やその夫の貴史君は、一世代目の新人類でTP53遺伝子を多くもって生まれた。そして、孫の愛は二世代目の新人類である。そのため、雪や貴史君、愛は、生まれてこの方、病気になったことがなかった。
これは、まさに、私の研究の賜物であった。それだけでも、私は誇らしかった。
自分の研究で、日本の未来を救い、人々を幸福にすることができたのだから。そして、病気という魔の手から人々を救うことができたのだから。
最近では、遺伝子編集技術の適用範囲拡大が騒がれている。
さらに優れた形質、例えば、筋肥大を抑制するマイヨスタチン分泌を抑制することで、運動能力の優れた子どもを産みたいだとか、脳神経を発達させるニューチュリンを多く発現する頭の良い子どもを産み、医学部に入学させたいなど、子どものためなのか親の見栄のためなのかよく分からない要望が増えていった。人間の欲は怖いものである。
ただ、一度味わった遺伝子編集技術の蜜の味は、人々を狂わせ、積極的に受精卵に遺伝子編集技術を用いて、親が望んだ形質を持つ子どもを産めるように法改正が進んでいった。
私は、これを傍目に見ながら、遺伝子編集技術の発展により引き起こされた負の側面には目をつぶった。目をつぶり、自分の功績の越に浸ることで、日本の役に立ったという優越感に浸った。
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「まあ、この話は後にしよう、それよりこんなに可愛い愛ちゃんと早くお宮参りに行こう。」
そういうと、私は雪一家を急かした。
愛は、私のことを心配そうに見つめてきて、手をぎゅっと握ってきた。
すごい愛しくて、このまま幸せが続けばいいなと私は願った。
愛がお宮参りをしてから、一週間後突然私の元に、娘の雪から慌ただしい連絡が入った。
「お父さんどうしよう、愛がウイルス性の病気になったの。」
雪はかなり取り乱しており、私はすぐに愛が入院している病院に向かった。
愛は、集中治療室に隔離されていた。治療にあたる医師の貴史君は厳重な防護服に身を包みつつ愛の治療に当たっていた。
その間、愛は強く咳き込み、苦しそうにしていた。それをガラス越しに、愛の無事を祈ることしかできない自分がとても悔しかった。
そして、貴史君が、治療室から出てきて、俯きながら告げた。
「愛は、もう助からない。」
「どうして、どうして、こんなに若くして死ぬ人なんでもういなくなったはずなのに、なんで。」
「愛が感染したウイルスにp53タンパク質が働かないみたいなんだ。」
雪は、絶句しその場に崩れ落ち、嗚咽を漏らしながら泣いた。
私は、急いで家に戻り、論文をあさり、原因の究明にあった。
愛が感染したウイルスだが、初期はそれほど毒性がなく、症状が現れた人も少なかったみたいだが、ここ一週間で、ウイルスの遺伝子に変異が入り、強毒化したらしい。
これでは、p53タンパク質を多く持つ新人類ではウイルスには太刀打ちできない。
そして、愛は、翌日息を引き取った。
続いて、娘の雪や、夫の貴史君も同じウイルスに感染し、感染から3日で亡くなった。
私は、茫然自失になった。何も考えられなかった。そんな時、一つだけ頭の中に疑問が湧いてきた。
——なぜ、私はまだ死んでいないんだ。
私は、昼夜問わず調べ続けた。そして、ある結果にたどり着いた。
新人類では、p53タンパク質が過剰に産生されている為、細胞増殖が旧人類より抑制されていた。ただ、増殖が恒常的に抑制状態だったため、細胞のアポトーシスいわゆる、他の細胞に悪影響を及ぼさないために細胞が自分で死ぬ、プログラム死が、うまく機能しない状態となっていた。そのため、ウイルスに感染した細胞は、自死できず感染が全身を蝕んでいった。
一方、旧人類では、ウイルスに感染した細胞はアポトーシスにより、ウイルスもろとも自死するため、ウイルスに感染しなかった。
1ヶ月も経つと、新人類の殆どがウイルスに感染し、亡くなった。
残された旧人類は、新人類壊滅の影響により、病院が閉鎖されたため、充分な医療を受けられず死んでいった者もいたが、もともとウイルス耐性を持っていたことから10万人ほどが生き残った。
また隣国やアメリカなども積極的に医療スタッフを日本に派遣してくれたことも、旧人類の生き残りに寄与していた。
ウイルスの猛威が過ぎ去ったと、旧人類の皆が安堵していたが、日本の崩壊の危機は過ぎ去ってないなかった。旧人類、すなわち遺伝子編集技術を受ける前の人々は、現在老人である誰も新しい子どもを産むことができない。
したがって、生き残った旧人類も次第に老衰により死んでいった。
そして、日本は滅び、皮肉にも医療費がゼロになった。
種とは、多様性を担保しながら進化してきているのである。それゆえ、遺伝子に様々な変異を持った人々が存在し、様々な形質を持つ人が存在するのである。それは一見不平等でかつ人類生存には非効率に見えるかもしれない。
しかし、実際には、この多様性こそが、人類生存に効率的であったのである。故に、遺伝的多様性を失った日本国民は滅びたのであった。
人間スクリーニングの果てに 根津白山 @OSBP
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