船出

 湖の上を石が駆ける音がする。

 今度は七回。初期に比べると、相当回数が増えた方だろう。


『できました! できました!』


 ラフィが手を叩いて、喜びながら僕のところにやってきた。

 彼女の声はもう空気に波を作ることはない。それでも、彼女の可憐な声は僕にはきちんと聞こえている。


『水切りもばっちりです! これで、誰が挑戦してきてもばっちこいですね』


 ふんす、と両の手で拳を作る彼女と、それ以上に喜びを爆発させているラーミナに、思わず笑みがこぼれてしまった。


「本当かなあ」

『本当ですよ。勝負しますか?』

「これ書いてからね」


 とんとん、と目の前の紙を叩く。


『何ですか、これ』

「うーん。結婚報告、みたいな感じかな」


 そんなに明るいモノじゃないけど。


『結婚報告!』


 ラフィが両手を合わせた。可愛い。


「師匠にね。ほら、奏雨が気を回して諸々の報告をしてくれるとは言ってくれたけど、一応僕の言葉でも伝えた方が良いからさ」


 今、この場にいないのも気を回して、なのだろう。

 流石は兄弟子と言いたいが、奏雨が兄弟子みたいな態度を取るのはますます僕が呑まれた時が面白そうだからなんだろうな。


 それが担保なのもどうかと思うけど。


『そうですね。私も、一筆入れます』

「ああ、旅になったら紙は貴重だから。僕の後に書いてよ」


 本当は止めるべきだとは分かっているけどさ、これからはもっとラフィの気持ちを尊重したいよ、僕は。


『分かりました』


 そう言って、ラフィの気配が去っていった。

 ラーミナもラフィの後に続く。こうしていると、まるで姉妹みたいで。

 少し前の闘いが嘘のようだ。


 コン、と硬い音が鳴る。

 ハスタが大角で鍋を軽く叩いたようだ。早くしないと飯が出来上がるぞ、と言うことらしい。


 いや、そろそろ火から上げるタイミングだぞ、かな。


「はいはい」


 先に手紙を書き終えるべくハスタに手を挙げて応えれば、大きな水音。

 発生源に目をやればラフィが固まっていて、ラーミナがびちょぬれになっていた。


 ややもすると、ラーミナが笑うように飛び回りだす。ラフィも、声をあげて笑い始めた。


『失敗しちゃいました』


 大きい石だと難しいですね、と笑って。

 ここまで解放されたラフィを見るのは初めてかも知れないな。


 似ているわけではないけれど。


 鍋を叩く音が強くなった。

 生真面目な連れが、早くしないと料理がまずくなると訴えてくる。


 筆をおいて、立ち上がった。


「今行くよ」


 近づいて、香草を切ってから鍋の中に散らす。

 蓋をしてから、棒を使って鍋を火の上からどけた。


 火は勿体無いのでそのままにして、丁度良い窪みができるように積み上げた石の上に鍋を置く。


『できました?』


 さっきまで湖の近くで遊んでいたのに、もう僕の後ろにいるよ。


「もう少し」

『楽しみですね』


 手を広げて、ラフィが回る。

 それだけで踊りのようだ。本人は、ただただ感情の赴くままに動いているだけなのだろうけど。


 でも、あの街から出て、聖女と言う重荷から解放されて。

 どこか、楽しそうなのは僕にとっても嬉しい限りだよ。


「できたよ」


 香りが丁度良いと思っているタイミングで、ラフィを呼んでから蓋を開けた。

 ラフィが香りをかいで、それから一足先に味見をする。


『料理は私の方がまだ上手いですね』

「まあ、時間はたっぷりあるから。そのうち追い付いてみせるよ」

『私も精進しますから。私の方が料理上手で居続けますよ』


 胸を張る彼女の後ろで、ハスタがラーミナを叩きながら木の食器を用意してくれていた。


「普通に、競争意識とかなくラフィの料理を楽しみにしちゃっているけどね」

『ええ。ええ。是非、楽しみにしていてください。いくらでも作りますから』


 笑い合って、木の器にスープと具材を入れていく。

 僕と、ラフィと、ハスタとラーミナ。四人分。


 屋根はないし、風は吹くし、椅子だって硬いし机も整ったモノじゃなくて即席。

 ずっとこんな生活だろう。使穢者になった以上は、街に居続けることは出来ないし、定住する人はほとんどいないのだから。


 でも、それでも。


『私、幸せです』


 ラフィが、左手薬指にはめた少しぶかぶかの指輪を見ながら言った。


「僕も同じだよ」


 予備のエンゲージのための指輪だから、どこかの街でラフィの指に合うサイズに整えたいとだけど。

 ラフィと同じデザインの指輪をしていると言うだけで、嬉しいものがある。


 それに、定住できない使穢者だからこそ、ラフィとずっと一緒に居られるということにもなるし。


 目が合って、どちらともなく冷める前にと鍋に目を落とした。

 ハスタとラーミナも位置につく。


「いただきます」

『いただきます』


 皆で料理を口に運んだ。

 ラフィはおいしそうに。

 ラーミナは、ラフィの料理じゃないのを不服そうにして。

 ハスタは、そんなラーミナを嗜めて。


 家族団らんのような、幸せな形。


「ラフィ」

『何ですか?』


「絶対、幸せにするね」


 そう言うと、ラフィの動きが止まった。やがて目が大きくなり、満面の笑みが咲き誇ったのだった。


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穢れなきこの世界では愛を紡ぐことができない 浅羽 信幸 @AsabaNobuyukii

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