決断

 ラフィが小首を傾げる。


 ラーミナを警戒しているのか、二本の太い黒い腕は相変わらず出ているし、黒いドレスは数多の虫がついているかのように蠢いているのに、その顔だけで可愛らしいと思ってしまうのだから。


 僕はどうかしているよ。


「逃げ場はないと、承知しているのですか?」

「うん。流石にこの壁を壊して逃げるなんて、無理だとは言わないけど足止めされる時間が長すぎるからね。逃げ場はないと思うよ」


「私と一緒になることを認めてくれたのに闘う姿勢を見せたり、逃げ出したのに立ち止まったり。暁さんは、何がしたいのですか?」

「僕は使穢者だからね。行動は確かにふらふらしているように見えるかもだけど、やりたいことは変わっていないよ」


 ラフィが目を細めた。

 どろり、とやけに粘性の高い黒い涙がラフィの目から零れ、同時にラフィの歩むバージンロードから後ろを真っ黒に染め上げていく。客席も、壁も、聖歌隊の居場所も。全て黒く染め上げられていく。


「『穢れ』は消す、と言うことですか? これは純粋な感情なのに。貴方への愛なのに!」


 言葉と共に黒が口から落ちて、同心円状に広がっていった。

 ラフィが歩いた道にできる黒と、零れて広がる黒。

 元々光量は少なかったが、さらに暗くなってしまった。


「ふふ。でも、良いですよ。結婚式場で一つに成れる。暁さんを吞み込んで、一つに成れるのですから。ロマンチックですよね。結婚なんか迫らずに、初めからこうしていればよかったのに。結婚なんかしなくても良かったのですから」


 ラフィの口からあふれた黒が、顎を伝って地面に落ちる。それさえも、世界を黒く染めていった。触手でありながら硬く鋭そうな糸をもって、伸ばして、染め上げて。


 僕を、と言うよりも結婚式場ごと吞み込もうとしているようだ。

 ラフィの思いが詰まった場所だから、核としても優秀ではあるだろうけどさ。


「いいや。迫るのは、結婚で良いんだよ、ラフィ」


 ラフィの足が止まった。

 心なしか、黒の進行も止まる。


 その一瞬の好機を突いて、ラーミナが結婚式場に飛び込んできた。ラフィの背後の太腕が反応する。ラーミナがかわし、新たに生えた無数の腕を堕聖と残していたラフィの力で吹き飛ばした。


「いつの間に」

「カンパーナを追放した時に貰ったままだったからさ」


 ラーミナが僕の元までラフィを運んできてくれた。

 後を受け継ぐようにラフィの手を取り、引き寄せる。ハスタは台上に。


「挟み撃ちっ……でも、私の方が圧倒的に」

「新郎暁は、ラフィエットさん、あなたを健やかなるときも、病める時も、豊かな時も、貧しき時も、あなたを愛し、あなたをなぐさめ、命ある限り真心を尽くすことを誓います」


 素早く、しっかりと。


「え?」


 ラフィから警戒が消えた。


 ラフィに、笑いかける。

 自分でも驚くほどに、心から笑えている自分がいた。


 ラフィも、笑みを浮かべてくれる。


「呑まれる前に、ですか。暁さんもロマンチストなんですね。だから好きです。暁さん」


 周りの黒が持ち上がった。天井を埋め尽くさんばかりになり、光が消える。


「新婦ラフィエットは、暁さん、あなたを健やかなるときも、病める時も、豊かな時も、貧しき時も、あなたを愛し、あなたをなぐさめ、命ある限り真心を尽くすことを誓います」


 黒が目前まで迫った。


「では、いただきます」

「待って、ラフィ。指輪の交換が終わってないよ。折角他の街の聖女もいるのにさ」


 右手を挙げ、嵌めたままの指輪をラフィにも見えるようにする。


「エン、ゲージ」


 ラフィの瞳孔が大きくなった。


 特定の『穢れ』の力を常に使えるようにする使穢者の切り札であり、一番使用の難しい秘儀、『エンゲージ』。


 その指輪を、ハスタに抜き取ってもらい、ラフィを掴む手を右手に交代する。ポケットに入ったままの指輪も、ハスタに。


 一拍の隙間こそ生まれたが、それでもなお僕を呑み込もうとする周りの黒に、『ソレ』の核となれる球体を投げる。僕を呑み込もうとしていた『ソレ』らは、人間の形へと変わっていく。僕らを囲む人型に変わっていく。


「あっ」


 ラフィから溢れていた黒い涙と、口からの粘体が止まった。

 次に、黒いオペラグローブが指輪に祝福をかけるような動作をしているハスタによって吸収され、ラフィの白い腕が露わになる。


「我、能條暁の名において我の助けとし、我の相棒とし、我の一生を共にする相手として、汝を指名する」


 指輪が輝き、僕の体からごっそりと何かを抜き取ろうとしているかのように力が抜けていく。

 同時に、それはラフィにも伝わったようで、ラフィの膝が崩れた。手を背中に回して、地面にぶつからないようにする。過剰なほどに大きくなっていた黒いドレスは、崩れ落ちてシンプルなデザインに落ち着いた。


「気づくのが遅くなってごめんね、ラフィ。僕は、聖女を護るとか言っておきながら、他の聖女のことなんてどうでも良くなっていたんだよ。ラフィさえ護れるなら、それで良い。ラフィとずっと一緒に居られるなら、それで」

「本当に、遅いですよ。もう……」


 くすり、と笑って、ラフィがころんと僕に頭を預けてきた。


「エンゲージなら、僕もラフィを助けられるから。これ以上堕ちることも、暴走することも、思考がまとまらなくなることもないよ。大丈夫。ずっと、一緒に居られるから」


 ラフィの頭を抱えて、ゆっくりと、諭すように。


「死が、二人を分かつことはなく、ですか?」

「そうなるのかなあ?」


 大分軽くなったラフィを抱きしめながら、答える。


「そうなりますよ。暁さんが私を残して死のうとしたら、その時は私が。エンゲージは、一方的な拘束ではないのですよね?」


 ずるずると周りの黒が崩れ、さっき投げたばかりの核となる球体が露出した。それはラフィも同様で、ラフィから湧き出ていたような黒が止まる。

 やはりというか、既に核になってしまっていたのか。ラフィの体も透けてきた。


「暁さん」

「何?」

「エンゲージ、ということは結婚なのですよね? 誓いの言葉と、一つですけれど指輪の交換はしましたが、何か欠けていませんか?」


 悪戯っぽくラフィが笑った。

 釣られて、僕も笑う。


「そうだね」


 そういって、ラフィの頬に手を当てた。

 顔を近づける。ラフィが目を閉じて、唇が重なった。


 ただひたすらにやわらかく。触れるだけなのに受け止められるように。ラフィの香りもしっかりとして、包まれるように。


 ふ、と消えるようにそれらの感覚が消えた。


 からの式場に、盾が落ちる音が四つ響く。


「ラフィ……」


 痛む体に鞭を打って、立ち上がった。


 式場の外に出て見えた景色からは黒は消えていて、にくたらしいほどの快晴が街を照らしている。残念ながら、騒ぎが嘘のように、というには無理なほど街の被害は大きく、放棄する可能性が高いだろう。

 そうでなくとも、聖女を失った街は放棄されてしまうのだろうが。


「まあ、仕方がないか」


 左手に残った指輪に呟くと、その指輪を元の右手薬指ではなく、左手の薬指にはめた。

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