決断

 血止めの葉っぱを右手の傷にこすりつける。

 痛み止めではない上にあくまで蓋をする、治りを早くするのが目的だから痛みは残るけれど、手は滑りにくくなるはずだ。


「ねえ、全然感情籠ってなくなかった?」

「わー、流石兄弟子。話がわかるう」

「酷くなってるっぽい感じなんだけど」


 相手にしている場合ではないですから。


 ハスタが持ってきてくれた槍に手を伸ばす。どこん、と大きな破砕音がして、天井を削るようにギョロ目鳥が現れた。ウラガーノが嘴を埋めて、吸い尽くす。


「みいつけた」


 声と共に、ラフィが家の中に現れた。

 砂嵐が起きたように像がぼけてからの出現。理解不能な出現方法も、最早、どこかなれたモノがある。


「もっと遠くに行ったものだと思っていましたが、案外近くに居たのですね」


 うきうきとした、ラフィの声。

 出現の仕方にはなれてきたけど、少しばかりノイズの走り始めたラフィの声にはなれないよ。


「抵抗してくれていたのですか? 安心してください。もう大丈夫ですから」


 ラフィが奏雨に手を伸ばした。

 奏雨が斜めに動きながら家の外に出る。ラフィが続くべく、足を踏み出した。


 そのラフィの前に、槍を、出す。


「暁さん。何のマネですか?」


 感情の抜け落ちた声。

 別に、これに動揺したわけではないけど。

 手が震えそうになる。


「嫉妬しちゃうなあ。別の男を追うなんて」


 良く声が震えなかったよ。

 本心も混ざっているからか。


「邪魔者は排除するだけですよ。アレは、暁さんと私の間を邪魔するクズです。汚れは徹底して掃除しないといけないのは、暁さんも実感しましたよね?」


 実感、と言うのは街から追い出された時だろうか。

 あんなの、使穢者の日常茶飯事だ。


「ラフィ。僕が追い出されたことと奏雨は無関係だ。それに、使穢者が嫌われるのはいつものことさ。理解しようとする人なんていないよ」

「奏雨さんが私から暁さんをさらっていったのは真実です。動機は十分ではないですか?」

「駄目だ、ラフィ」


 大分、狂い始めている、のか?

 大丈夫だよな。間に合うよな。まだ、言葉、通じるよね。


「駄目?」


 ラフィの目が細くなった。

 顔から感情が抜け落ちている。


「ナニカ、吹き込まれたのですか?」


 持ち上がったラフィの右手から、黒い水滴が二つ落ちた。紫色に発光する黒い球体が現れ、戸を出ようとする。


「ハスタ、ラーミナ」


 二人が角と大あごを叩きつけたが、少し動きが鈍った程度で球体が出ていった。

 ロコ・リュコスに乗っているから一方的にと言う展開にはならないと思うけど。


「少し、待っていてください」


 ラフィが手を伸ばしてくる。

 避け方は知らない。避けられるのかも分からない。

 なら、迎え撃つだけ。


「堕聖発露」


 狙いは僕とラフィの間の空間全て。

 そこに出たモノを区別なく溶かす、太陽の光。

 ラフィの顔が歪み、やかんから手を引っ込めるようにラフィの手が戻っていった。


「女性に手を挙げる様な男性は、はっきり申し上げますとクズですよ?」


 ラフィのドレスの裾が伸び、広がっていく。


「クズなのは同意するけど、そこに男女が関係あるとは思わないけどね」


 地面に接した黒い部分が沸騰するように泡立ち、ナメクジ猪を形成し始めた。堕聖で一掃する。ラフィの裾から、黒くて太い腕が二本現れた。ここからの堕聖では祓いきれず、ハスタとラーミナが掴まれる。


「話を聞いて、ラフィ」

「ウィ。私は、いつだって暁さんの話を聞きますよ。でも、今はもう少しだけ待っていただけませんか? すぐに話を聞ける状態を作りますので」

「そうだね。話をできる状況に、と言うのは同意するよ」


 槍先を下げながら、ゆっくりと。回り込むように。

 扉の方へ行こうと足を動かす。


「どちらへ?」


 首しか動かしていないように見えていたのに、気づいたらラフィが僕に体を向けていた。

 背中からは、黒くて長い無数の手。細く見えるが長いからだけで、一本一本は僕の手ほどの太さはあるだろう。

 ラフィから、ではないよな。ドレスからだよな。ラフィではないよね。


「話があるって言ったろ、ラフィ。ここでするような話じゃないからさ、移動しようと思って」

「そう言って、また私の前から居なくなるつもりですか?」

「まさか」

「前は、槍を使って跳躍していましたね」


 言葉より早く腕が反応した。

 無数に伸びてくる腕を溶け消す。太さを意識したからか、黒い腕が自分の腕に見えてくるのも気色が悪い。そんな感想を抱いている場合じゃないけどさ。


「少しだけ、我慢してくださいね」


 光が見えた。

 体を強く打ちつけられたような感覚が前から。全てがナニカに覆われたような、水中のような感覚に襲われる。引っ張り出すのは、もう何度目だよと言う背中からの衝撃。


 ラフィの盾からの砲撃か。

 砲撃? まあ、砲撃で良いか。


 アレは『穢れ』を含んでいないからな。防ぐ手段がない。


「堕聖は、普通に祓うことができないのですね。消す、と言う使穢者の方々が行う戦い方をしないといけないのでしょうか?」


 ラフィが目の前にいるようにも見えるし、ようやく家から出てきたようにも見えるし。

 視覚情報が当てにならないのは既に知っている。視覚だけじゃない。どんな感覚も、別のモノを差し込まれたかのようにはっきりとはしなくなってしまう。


 ただ一つ。

 恐らく、触覚だけは。

 ラフィと接触した時だけは確かな感覚がラフィの位置を知らせてくれる。


「考え事ですか? まさか、逃げる算段を、ではありませんよね?」


 ラフィの伸ばした手を狙ったハスタとラーミナが、ラフィの腕を通り過ぎた。

 いや、ラーミナは通り過ぎることができたが、ハスタはラフィの肘に埋まるように止まってしまった。横に払われ、手で角を持たれる。


「ラーミナ!」


 ラーミナに槍についてもらい、ハスタの時よりも力を籠めた。ラフィが警戒したかのように僅かに半身になる。


「私と闘おうと言うのですか?」


 言葉の途中で、槍を地面に叩きつけた。

 池の方へ跳び、花畑を左手に臨むように反転する。


 ラーミナでも跳べると言うことは予想していなかったのか、ラフィに隙ができた。ハスタが太い腕から脱した時と同じように発光してラフィから逃れる。


 腕が弾け飛んだように見えたのが心臓に悪かったのか、その後に何事もなかったかのように腕が再生したのがショックだったのか。


 どっちもだろうな。鳩尾のあたりが重く感じるのは、全てが原因だろうな。


「仕方ありませんね」


 ラフィの像にまた砂嵐がかかった。

 ラーミナを射出する。空振り。ハスタが代わりに槍先についた。ラフィの手が伸びてくる。掴まれるよりも先に、槍を叩きつけて跳躍できた気がした。


 ラフィがワンテンポ遅れたのは、少しは警戒していたからだろうか。

 予想通りと言うか、すぐに盾が四つボクの目の前に来たけれど。


 槍を横にし、身を丸めるようにして衝撃に備える。強光。脳が内側から膨れ上がったような衝撃と、眼球が中から押し出される様な圧迫感。


「ぐっ」


 したたかに体を打ち付け、肺から空気が追い出された。


 背中、内出血だらけかな。


 酸素を取り入れるために顔を上げて、情けなく口を開く。

 式場の白い壁が見え、視界の右端には焦げ茶色の扉が此処にいると主張していた。

 目を戻せば、ラフィの背中から黒い腕が伸びてくる。掌には、人間の歯のようなモノが並んでいた。『キシシシシ』と笑っているようにも聞こえる。


「捕まえたいうえに呑みたいとか、そんな感じかい?」


 槍を杖に立ち上がり、崩れるように式場の扉を押し開けた。

 足がもつれる。思いのほか、上手く動かない。


「ハスタ、頼む」


 ハスタが扉を閉めてくれれば、場内は一気に暗くなった。高い所にある窓だけが光を中に入れ、外の世界と一線を画したような静寂さが訪れる。


 あくまでも、そんな気がするだけだろうけれど。

「ふー」と息を吐いて、左手を参列者が座る長椅子の背にかけた。体が痛みを訴えてきているが、取り合わずに一歩ずつ足を動かし、一つずつ手を前の椅子にかけていく。


 奥へ、奥へ。

 ラフィが追いかけてくることを信じて。一歩ずつ。


 一列ごとに短い一言を挟めるような感覚で前進していると、ハスタが僕を追い抜いて一番前にある、聖女が挙式の時に指輪などを置いている台に隠れてくれた。


 僕も最前列の椅子までたどり着くと、もう一度力を入れ、台へ。

 よろめいて台にぶつかってしまったが、ハスタが押さえてくれていたため台が滑ることはなかった。


 派手な音を立てて、扉が開く。


 一息つきたかったんだけどなあ。


「もう逃げ場所はありませんよ、暁さん」


 ラフィがにっこりと笑う。


「そうだね」


 僕も、そう返して台から体を起こし、ラフィと向き合った。

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