兄弟弟子

 この状況で、今すぐの抵抗は無理だ。

 堕聖発露よりもハスタやラーミナによる強襲よりも、この首が落ちる方が早い。


「それは、楽しくないと思いますけど」

「そーだねえ。でも、暁なんて言う不確定要素を抱えたまま闘うのは無理だからさあ。ウラガーノとリュコスを消されるぐらいなら、暁の命なんてゴミだよ。当然、ししょーの命だって簡単に差し出すしねー。暁も使穢者なら、分かるでしょ?」


 ロコ・リュコスが体勢を整えて槍を咥えなおした。ラーミナが降りてくる。でも、ラーミナは困ったように僕とロコ・リュコスを見ながらうろうろしていた。


「闘うのが楽しいから使穢者になったのに、つまらない闘いに身を投じるとか。呑まれたいんですか?」

「ウラガーノとリュコスを殺されたら楽しくないよ」

「アルティッリョは良いんですか?」

「悲しくはあるけど、そのために雇ったカナリアだからさあ」


 アルティッリョ自体はコンドルですけどね。


「弱点知覚からの一撃が得意なアルティッリョの剣なんかよりもさ、単純な破壊力重視のグラッソの手甲の方が暁と闘うのに有利なのに。カンパーナったら使う気配もないっぽい感じな上にエンゲージを使って本気なんだもん。それだけでグラッソに何かあったって思うよね」

「最初から、ラフィと闘うことが目的だったのですか?」


 ハスタに外れてもらう。一気に、黒い筋肉が左腕を覆いつくした。奏雨が退く。左腕の動きにつられて僕の体が反転した。


 すぐにハスタに戻ってきてもらい、制御を取り戻す。


「呑まれかけ。好いねえ。いっそ吞まれてくれないかなあ。聖女は助からなかった。ヴィーネを助けられなかったから代わりに護ろうとしていたのに、またもやカンパーナの介入で堕ちた。ねえ、暁。キミはもう失敗したんだ。さっさと呑まれてよ! ヴィーネの力を持って、ボクはボクとボクの大事な連れを護ってラフィエットを消し去るからさあ!」


 ガチン、と大あごを叩くような硬質な音がして。

 背中から、ラーミナの威嚇音が響き渡った。


「本気で言っているんですか」

「トーゼン! 加減しながら闘う? 他人に気を遣う? あのラフィエットに? 使穢者が? そんなのおかしいじゃん。じゃあ間でフラフラしている暁をまず排除しなきゃ。でも、折角なら楽しみたいじゃん。ねえ。だって。だってだって、命を懸けた活動ってサイッコーじゃん」


 ラフィを、ね。


「僕はまだ呑まれちゃいない。『聖女を護る』と言う意思は、曲がってない」


 槍を受け取って、砕けた机を弾き飛ばす。


 何が有利とはないが、室内は不利だし、障害物が多くても不利。覚悟の決まっているか分からないラーミナの双刀は使えない。後ろはロコ・リュコスが陣取っていて、玄関へは奏雨がいる。ウラガーノだって部屋を封じるように移動した。


 こんな状況だって言うのに、闘うことに躊躇いはない。


「おかしくなーい? 失敗したって言ってんのに。確かにさア、解放の鐘を自称して偽名で通していたカンパーナとかは『穢れ』を祓うこと自体が異質で、『穢れ』に溢れていることこそが正しい姿? だとか? 言っていたからあんな姿になれたみたいだけど。見てる限り、暁は違うじゃん。呑まれかけてるっぽい感じじゃん」


「あんな下郎と一緒にしないでください」

「なんで? だって、どっちも聖女をどうこうしようとしているよ? ああ、それとも。暁のは他人のためにとか言う馬鹿な考えだったりした? だから、ラフィエットが望むならラフィエットに呑まれても良いって? そうしても良いけどさ、どのみちボクが食べるだけだよ。暁ごと、ラフィエットを食べるだけさ」

「奏雨!」


 力任せになった突きは、簡単にかわされる。


「怒った? 怒ったよね。ヴィーネの時は焼かれることしかできなかった少年が、今は力があるからラフィエットを護ろうとしているの? ヴィーネの代わりに? 聖女はみんな、誰も彼もヴィーネの代わりだから暁の信念は自己中心的なモノだったんでしょ? なら、もっと自己中になろうよ。使いなよ、ハスタなんか外してさ」

「ラフィは、ヴィーネ様の代わりなんかじゃない!」


 大振りもかわされ、槍が床を砕いた。

 分かっている。分かっているさ。大きな動きは奏雨を捉えることは決してできないって。


「ヴィーネ様の代わりも、存在するわけがない」

「じゃあなんで聖女を護るのさ。ヴィーネの代わり。そうでしょ?」

「違う!」


 突きをいなされた。

 力任せに、柄を押し出す。奏雨が曲刀を二本とも槍にぶつけて、組み合う形になった。


「堕聖発露」

「食事の時間だよ」


 黒い髪の毛が槍を覆った。上方向の力がかかる。

 槍を手放して、左手のハスタの大角で突き。硬い物にあたった。曲刀か? 


「行け、ハスタ」


 左腕からハスタを放つ。

 思惑とは違って、ハスタが横にずれていった。ハスタの進行を妨害しているのは、ウラガーノ。髪の毛の合間から、奏雨の犬歯が見えた。


「ラーミナ!」


 一歩下がる。ロコ・リュコスとの鍔迫り合い中のラーミナが双刀を投げてくれた。一本は受け取れるが、もう一本は奏雨に弾かれる。

 掴めた刀にも堕聖を発露させた。

 家を黒い髪の毛が覆う。髪の毛が一部溶ける。


 奏雨は、黒の中。

 かさかさと言う髪の毛のこすれる音が、奏雨の動きを隠している。


「暁はヴィーネの代わりを求めていた。保護者として、導き手として、ヴィーネを探していた。そうでしょ? だから未練がましくヴィーネにできなかった『護る』と言う行為を聖女にしようとしているだけでしょ? ダイタエ行為でしょ?」

「ふざけんなよ」


 ラフィを護ることが、ヴィーネ様にできなかったことの代替だいたい行為なわけがない。

 ヴィーネ様は関係ない。ヴィーネ様のことがなくても、例え太陽の街が無事な状態で旅に出たとして、そしてここにたどり着いたとして。


 僕はラフィを害しようとする奏雨の前には、絶対に立ちふさがる自信がある。


 ヴィーネ様の力を呼び起こして、刀に籠める。


「溶け消えろ」


 発光と共に、どろりと髪が粘体になって落ちる。

 奏雨が右斜め後ろから飛び込んできた。刀を合わせ、付随してくる細かな斬撃を予想して光で溶かす。


「リュコス!」


 奏雨が下がりながら叫んだ。

 ロコ・リュコスの足音が後ろから聞こえる。白銀の狼が壁沿いを走って、奏雨へ。ラーミナが追走。走ってはいないか。飛んで、ちょっかいをかけて。


 ロコ・リュコスが武装を奏雨に飛ばした。

 武装を蹴とばすべく左足を伸ばす。奏雨が武装を受け取らずにこっちに来た。


 こっちに来たあ?


「くそっ」


 奏雨を殺せる攻撃を、光を放つ。

 予想されていたのか、奏雨が地面すれすれまで体を倒した。


「次はラフィエットだね」

「させるかよ」


 手首のスナップで刀を投げすてる。

 弾かれるが、奏雨の足は止まった。


「歯、食いしばれ!」


 戻す勢いを利用した蹴り。空振る。奏雨は直下。曲刀の距離でもない。

 奏雨が剣を手放した。防ぐ間もなく、奏雨の背中に乗せられて地面に叩きつけられる。


「がっ」


 立ち上がり際を待たれ、胸部を蹴とばされた。肺から空気が抜ける。

 呼吸が、一瞬止まった。


「使穢者に正しいも何もないけどさあ、あえて言わせてもらうなら、何が正しいか分かるよね。呑まれるのをこらえるほどに、まだ『聖女を護りたい』だとかぬかすなら、堕ちた聖女の形であって強大な『穢れ』を内包しているラフィエットはここで殺すべき。でしょ?」

「そんな話は、気に食わないな」


 槍は遠く。しかも奏雨の方が近い。

 刀は、一本は奏雨の後ろに転がっていて、もう一本は天井付近に刺さっていて届かない。

 回収は無理か。


「ボクは、暁はボクのエモノだって言ってるのに横取りしようとしているラフィエットが気に食わないよ」


 奏雨はゆらりと両腕を垂らしているが、それが逆に野性味あふれているようにも見えて隙が見つけられない。


「ボクの方が先に目をつけていたのに。カンパーナは良いさ。暁の敵でもあったわけだからね。と言っても、やっぱりボクも食べたかったから手を出しちゃったけど。でも良いよね。こんなヘンピな土地までわざわざ来たんだから。そう、ボクはわざわざここまで来たんだよ。そこで、目の前で御馳走を奪われる様を見てろって? 冗談じゃない。呑まれた奏雨を食らうのはボク。ラフィエットにやるくらいなら、今食べるともさ!」

「欲しいのはヴィーネ様の力だろ」


 ポーチからナイフを取り出して、奏雨の右手の曲刀に合わせた。手に幾つも熱さが走る。遅れて痛み。それでも体を倒しながら、横を抜けた。奏雨の背を狙って蹴りは軽やかにかわされる。


 距離を取って目を落としたナイフは、もうボロボロで、血によって紅い塗装がされていた。


「もちろん。堕ちた聖女、しかも光を扱う聖女が『穢れ』として分裂も手に入れたんでしょ。そんなの、欲しない使穢者はいないよ。ししょーだって、本当はヴィーネとエンゲージしたかったんじゃないの?」


 さて、どうする?

 刀は近くなったけど、背を向ければ斬り捨てられる距離。右手は浅い切り傷で血まみれ。


「嬉しくないモテ方ですねえ」


 ポーチの中身にはラフィの家で回収した薬も医療器具もあるけど、ブラフに使ったところで奏雨は関係なく突っ込んでくるだろう。


 ポケットには、何があったかな。碌なモノはないだろうけど。


「良いんじゃないの? ラフィエットはむしろヴィーネを疎んでいたんだからさ。ヴィーネを食べた後、亡骸をラフィエットに……渡すと厄介なことになるっぽい感じかあ。困ったなあ」


 左手でポケットに触れると、小さな硬い感覚があった。穴が開いている。ラフィの家で回収した、予備の指輪か。エンゲージをしていないことは奏雨も知っているし、右手薬指の指輪に宿っていない時点でブラフにもならないか。


「ん?」


 左手を、持ち上げる。

 何の変哲もない。動きに違和感もない。一枚膜を挟んだ感覚も、遠隔から操作しているような感覚も。

 普段通りそのもの。


 視線を室内に巡らせる。

 ハスタはウラガーノを押していて、ラーミナはロコ・リュコスに押されている。二人とも、相手が奏雨の援護にいかないようにするので精一杯のようだ。

 奏雨は、こちらを見ながら決定機か更なる抵抗を待っている様子。


 左手に、さらに言えば僕が内包している『穢れ』に対して干渉をしているような人は誰もいない。はずだ。


「奏雨」

「ん?」


 奏雨が首を傾げた。


「奏雨の望みは、僕が呑まれた時に僕を食らってヴィーネ様の力を取り込むことと、ウラガーノとロコ・リュコスを失わないことって認識で良いかな」

「そうだねー」


 息を吸って、短く吐く。


 大丈夫。


 奏雨が、提案を断ることはないはずだ。


「つまりは、ラフィエットをどうこうすること自体は目的じゃない」

「手に入れられるなら欲しいよ。あれだけ強いならね。でも、今のボクでは現実的じゃないっぽい感じ? 暁を食べられれば話は別だけど」


 小さく、頷く。

 同意ではない。

 心臓が、うるさいからだ。静めるためだ。


「ならさ、僕がラフィに呑まれずに対処できれば、奏雨が手を出すことはないってわけだ」


 奏雨の目が細くなった。

 ロコ・リュコスが止まる。大あごを鳴らしていたラーミナが狼から離れた。

 ハスタは、一度ウラガーノを突き飛ばしていた。カブトムシに鳥が飛ばされるシュールな光景も、心臓を静かにするのには役立たなかったけど。


「良いよ。三分だけあげる」


 奏雨が臨戦態勢を解いた。


「短くないですか?」

「最初の判断までの時間だよー。そこで駄目そうならボクがやる。いけそうなら、暁に任せる」


 なるほどね。


「あー寛大だなー。流石兄弟子とたたえても良いよ」

「流石兄弟子」


 適当に言って。

 ハスタとラーミナに武器を回収してもらいつつ、ポーチから取り出した消毒液を右手にぶちまけた。

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