トウソウ

「ずるいなあ、ソレ」


 奏雨の恨み節を受けたように髪の毛が自切する。ラフィに掴まれている所と繋がっている部分が祓われるように消えた。僕は僕で、勝手に左腕が振り上げた剣を刀で叩き伏せる。


 いつまで暴れ続ける気だこの腕は。首まで肉塊が伸びてきているような感覚もあるし。くそ。落ち着いてくださいよ。


 左腕に発生したヒルに刀を突きたてる。持っている力は同じ。だから、食らい合い。互いの力を食って、消し飛ばして、成長して。

 力を籠めても、丸太を押しているかのよう。押し込む先から吸い取られて。成長した部分を蹴散らすが視界の下に既に黒い肉片が見える。頬骨を押すような力がかかってきた。


 多分、左腕から胸部、顔の下半分を覆われてしまったらしい。


「いっただっきまーす」


 黒い髪の毛が伸びてきた。すぐに巻き付かれ、抵抗する間もなく髪の毛が消えていく。

 軽くなったような感覚と新たに首に手をかけられてような感覚。ラフィの匂い。


 ラフィの空虚な目と視線が合ったのも一瞬で、多量の髪の毛がラフィに殴りかかり、見えなくなる。理解するより早くステンドグラスが現れて、髪の毛と一緒に砕けていった。


 ラフィは少し遠く。それでも、首はまだ掴まれているような。

 目を下ろせば、ラフィの手についているようなオペラグローブの腕の部分のようなものが首元から伸びていた。ラフィの手には、同じようなモノがついたままだと言うのに。


 注視しようとして思わず、眉が寄ってしまう。

 ラフィの手は、どうなっている? 指先が見えているような、見えていないような。


 上手く認識できない。


「渡しませんよ。絶対に。暁さんを見つけたら、今度はもう離さないと決めたのですから」

「えー。暁よりも良い男っていっぱいいると思うよ。使穢者として面白いのは納得できるけどさあ」

「暁さん以外に私を私として見てくれる人なんていませんでしたから」


 そりゃ、僕は聖女だって一人の人間だと知っているからね。


「それってそんなに大事?」


 ……そうか。ラフィも一人の人間なんだから。ラフィの希望を叶えるのも。


 いや、でも、もし、ラフィが止まらなかったら? カンパーナがエンゲージしていた『ソレ』らと同じような存在にラフィがなってしまうのは、看過できない。それだけは避けたい。

 今更、かも知れないけど。


「人の大事にしているモノにケチをつけるなんて、はっきり申し上げますとクズですよ」


 ラフィがその場にいるようで、でも目の前に来たようで。

 はっきりしていることは黒い髪の毛がまた伸びてラフィと僕を遮ったことと左腕がまた暴れだしたこと。

 そして、左腕に軽い衝撃が走ったこと。


 髪の毛が消える。ラフィが目の前に。奏雨がラフィにとびかかり、僕の左腕は力を失ったかのようにだらんと垂れた。何かが、恐らくヴィーネ様の剣が落ちる感触が伝わってくる。奏雨の両手にはウラガーノの曲刀。僕の左手には、ハスタがくっついていた。


 指が、自分の意思で動く。

 腕が持ち上がる。自由に。

 久々に思える、自分で動かせる感覚。


「聖女としてのヴィーネさんは、私たちが無事に出航できるように協力してくれる、と言うことですか?」


 盾に弾かれている奏雨には目もくれず、ラフィがハスタを見て言った。

 だが、ハスタから伝わってくるのはそうではないという否定。

 僕を呑むのは本末転倒。僕の意思を無視しての行動は本意ではないと言う意思。聖女として街の人を見守ると言う脅迫じみた硬い信念に近い感情。


「どうやら違うみたいですね」


 僕の顔からある程度読み取ったのか、ラフィが残念そうな声で目元に陰を作った。


「ラフィ、これは」

「同じヴィーネでそこまで意思が違うのですね。だから堕ちたのではないですか?」


 らしからぬラフィの言葉。

 内側のヴィーネ様は気色ばむが、ハスタはフラット。ラーミナはしょんぼりとした様子で、大あごを下げたまま僕の左手にも刀を渡しに来てくれた。


 渡されたところで……。

 分かってはいるけどさ。


 攻撃的な言動と言うかラフィが言わなさそうな言葉が出てきている時点で、ラフィが大分『穢れ』に汚染されていることぐらい。時間がないことぐらい。だからと言って、街全体を監視できるようなモノを消し切れるのか、食べきれるのかと言うと、すぐには無理だ。


「リュコス。ちょーだい」


 奏雨の声につられるように顔を上げる。

 ラフィの盾を足場に、奏雨が宙でロコ・リュコスの武装を纏った。ウラガーノの曲刀を握ったまま、背面から手首までを毛皮のようなモノが覆い、鋭い爪が手の甲を覆うように伸びている。本気で、ラフィを。


 聖気を孕んだラフィの盾を、足に『穢れ』を集中させることで防ぎながら奏雨が跳びまわる。


「やめろ、奏雨!」


 左手に逆手で握った刀の感触を理解できるのを確認して、ラフィと奏雨の間に割って入った。左腕についているハスタの大角で奏雨の攻撃を受け止める。ウラガーノの力である細かな斬撃が発生するが、全てハスタの甲殻が弾いた。

 左腕を上に。奏雨が勢いを利用するかのように宙で反転した。ラフィの盾が奏雨に迫る。奏雨が手や足を近くにある盾にぶつけて、綺麗に着地した。


「そっちにつく気ぃ?」


 奏雨が狂気的な笑みを浮かべて、両腕を後ろにする。ロコ・リュコスの武器である爪が地面にこすれて、花畑を覆う黒が一部剥げた。


「自分のエモノに手を出したら怒る人が何を言っているんですか?」

「良いねえ。気にいったよ」


 奏雨が全身を膝下までかがめたのではないかと言うほど低い体勢で突っ込んでくる。


 奏雨相手に先手を打とうとしても、かわされるだけ。受け止めて、上向きに押し返す。それしかない。


 奏雨が跳び上がった。ウラガーノが奏雨の上に。打ち落としたいところだったけど、ロコ・リュコスが僕に牙を向けてきているのが見えた。左腕を考えれば奏雨にハスタを、とはいかないか。


 双刀を握り直し、足を下げる。双刀が消えた。


「ラーミナっ」


 闘いたくないとは分かりますけど!

 ロコ・リュコスに左腕を噛ませるようにハスタを合わせるも突進に耐えきれるかどうか。爪に対処は無理だ。


「大丈夫ですよ」


 首についていた違和感が消える。黒い細腕がロコ・リュコスを押しとどめているのが見えた。

 ラフィの聖気が増幅する。同時に、地面の黒色が持ち上がった。


「暁さんが私を守ろうとしてくれた。それだけで、もう誰も私たちの邪魔は出来ないのですから」

「ホントォ?」


 おちゃらけた奏雨の声の後、黒い髪の毛が海を作った。ステンドグラスが髪の毛の間に入り、切り祓う。


「ハスタ」


 槍を受け取りつつ、いつの間にやら人型の『ソレ』らが何体も形成されているのが見えた。純粋に『穢れ』のみで形成されている。


 奏雨が核を与えて作ったのか?


 持ち上がっていた黒からは、胴体に十二本の脚を生やし左右に折れた角を持つ三本角が。体の中央の亀裂を紫に明滅させて、四体現れる。


 ラフィの寝室でも出会ったから、守護のイメージなのか?


 十二本の脚、四本の触覚、折れた大あごに大きな一本角。

 僕を護ってくれているのはヴィーネ様、見えるところではハスタとラーミナ。二人はカブトムシとクワガタで、無邪気に甘えてくるのはラーミナの方。嫉妬の対象になり得るのも?


「良し、退こう」


 奏雨の声が聞こえたと思ったら、鳩尾に衝撃が走った。

 息が苦しくなる。呼吸がしづらい。視界がぼやける。


 目線が浮いたと思ったら、ロコ・リュコスの背中に叩きつけられた。ハスタもラーミナも見ているだけ。防御、あるいは抵抗には来ていない。


「返して」

「やあだよー」

「ラフィッ」


 ロコ・リュコスの急発進に、舌を噛みそうになる。


「返せっ! 返せ返せ返せ! 私の! 暁さんは、私のモノだ! 返して! 私の、暁さんを返して!」


 本当に、アレは、ラフィか?


「やだって」


 ラフィの血反吐交じりの声に、奏雨が軽く返して髪の毛の森を形成した。途中途中に『穢れ』の核となりうる球体を潜ませていて、髪の毛が破られるごとに作動して別個体を作っている。足止めになっている。

 その度に、ラフィの『穢れ』が膨らんで。


「奏雨。止めて。早くしないとラフィが」

「うるさいよ」


 奏雨がロコ・リュコスから飛び降りる。続こうとするもできず、ロコ・リュコスに投げ捨てられた。後頭部と背中に強烈な痛みが走り、バタン、と大きな音が鳴り、また後背面を強打した。


 今日何度目だよ。


「くそ」


 ロコ・リュコスが家の外からとびかかってくる。通路は一直線。

 槍を横にして防ぎつつ、背中を倒す。狼の腹に向かっての蹴り上げ。

 ロコ・リュコスは槍に噛みついたまま、背中から床に落ちた。

 上がったままの足に横方向の衝撃が加わる。体が横向きになり、槍の向きが変わってしまったが、ロコ・リュコスは噛みついた状態を変えず、腕が一瞬硬直した。


「いっ」


 その隙に、上になっていた右腕を捻られる。

 あまりの痛さに槍から一瞬手を離してしまえば、あとは上に乗られて捻りあげられて。


 完全に奏雨に上を取られてしまった。


「ふざけている場合ですか?」


 早くラフィのところに行かないといけないのに。

 早くしないと手遅れになるのに!


「それはボクのセリフだよ、暁」


 首筋に、一線の冷たいモノが当てられる。


「少し早いけど、キミを食べてしまおうか?」

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