後編2「明日の君だけいればいい」
私に恋しちゃダメなの。
その言葉が掛けられたとき、僕は意外にも冷静だった。
今までの思い出や記憶が走馬灯のように脳裏に過ぎって、悲しそうに苦しそうに、僕の目の前で真っ暗な表情で告げる君色。
どこか、いつか、何もない僕にも心当たりがある顔だった。
両親に捨てられた少し後。
僕のせいなのかな、生きてちゃいけないのかな。齢数歳にして突き付けられた現実に何も思えないとき。一人寂しく公園でブランコを漕いでいた僕の前に現れた小さな女の子のような気がした。
今まで考えてもいなかった記憶がガッと脳裏を揺さぶる。
ここぞとばかりに、まるで「今しかない」と言わんばかりの勢いで、何かを知らせるように押し寄せる。
どうしようもない。
どうすればいいか分からない。
仕方ない。
それを理解したとき、僕は理解した。
これまで二人でたくさん遊んできて、散々心に引っ掛かっていたその何か。その正体を理解した。
ああ、きっと。
僕は彼女のことが。
僕は君のことが。
僕は君色日葵の事が好きなんだ。
誰でもない僕を僕たらしめた。
生きていく価値なんてないと思っていた僕を、君は助けてくれた。
そんな、誰から見ても単なる友達づくりの範疇でしかない他愛もないことをしてくれた。
でも、僕にとっては生きる意味を見出してくれた。
別にそんなんで惚れたわけではない。そこに漬け込んで「僕から逃げるんじゃねえぞ」と言っているわけでもない。ましては、思ってもいない。確かに傍から見ればこの気持ちはそのような意図を孕んでいるように見えるかもしれない。だけど、違う。
恩は返したいし、楽しみたい。何より、君色には幸せになってほしい。
僕を救ってくれたみたいに、こんな風に涙を流してほしくない。
好きなった。
好きにしてくれた。
メンヘラみたいになってしまったのかもしれないけど、それが本音だ。
だから、だから、だから。
「——————僕は、君が好きだ」
溜めていた言葉を。
気づいた気持ちを解き放つ。
誰もいない病室で。
ベットの隣で悲しそうに座る君色に僕はわざとそう言った。
言葉の本音。
表裏をかきにかきまくって、表から真正面からぶつける。
耳で聞いて、鼓膜を揺らして、脳に届いてハッとする。
そんな一連の流れが鮮明に感じ取れるくらいに君色は目を見開いて驚いていた。
「好きだ」
さらに一押し。
無駄打ちだったかもしれないが君色にはグッと届いていく。
「ぇ」
と驚いた表情に比べて極小程度の小さい声。
僕が手を掴み、ぎゅっと握り締める。
吐息を感じる距離まで近づいて、すると——君色は腰を上げた。
「——だ、だ、だからっ、それはっ——」
「それはダメなのか?」
一手先。
ぐるぐるとした頭で考えられる最善の台詞を読む。
「っ……ぅ、うん」
目が合うと気づいたのか、目を逸らして頷いた。
でも、体はどうしてもそぐわない形だった。理性で分かっている。私と君は兄弟で、同じ母から生まれた人間。抱いてはいけない。その気持ちを何とか抑え込んでいるようだった。
「でも、好きだ」
「っ」
「好きなんだ」
「だm」
「好きになった。自分でも分からないくらい、君色の事が好きになったんだ」
「……でm、でもっ」
そうして、引き出した言葉。
君色は目に涙を浮かべ、垂らして、溜まっていたものを一気に吐き出す。
「——だって、だって、だって!! 私だって……好きなのっ‼‼‼‼‼ 好き……好き好き好きっ……大好き!!! 好き……そうよ、私は君が、君が好きなの。でも、それでも、その気持ちは抱いてはいけない。他から見たら、何も知らない人からは祝福されるかもしれない。だとしても、背景を知ってしまったら……それはだからも祝福されないっ……」
溢れ出る。
まるで滝のように、涙と気持ちの混沌をぐちゃぐちゃとかき混ぜて、口から何もかもが溢れ出ていた。
「ただ、ただの——それだけを伝えるために君に近づいた。いつも悲しげにいるし、いつも自らを卑下するし……つまらなそうな人だって、そう思ってた。だから、笑って、嘲笑して、声を掛けた…………。君はきっとお人よしの優しい人だからそんなことは思ってないと思うけれど、私はもっとひどい。それだけ、それだけの、たったそれだけの何にもない関係だって思ってた。そう思ってた!! …………でも、ほんとに、君は……すっごく優しくて、面白くて、綺麗で、それでいて儚くて……私は気づいてしまった。好きになってしまった。自覚した。やってはいけない、してはいけない、抱いてはいけない気持ちに気づいてしまった……」
だから、駄目なのだと。
君はひどいのだと。
君色は苦しそうな顔で呟いていた。
どうしてなのか。
もしもこれが、この関係がなかったとして、僕と君色が出会ったその先では笑顔で恋を出来ていたのだろうか。
考えれば考えるほど、よく分からなくなっていく。
例えば、兄弟ではなかったら。
たらればが聞こえる。
「ねぇ……、ずっとこうしていられたらいいね」
「……?」
「なんか、今。すっごく楽しいから」
「そ、そうか……」
「君はどうなの?」
「僕?」
「うん」
コクっと頷き、目を見つめる。
はぁ、と白い息が夜空に消えて、雪が宙を舞っている。
確かに、こんな気持ちにはなったことはない。両親に捨てられ、何もやる気がなかった僕が女の子と二人で出かけているなんて思ってもいなかった。
無言で数秒考える。
ありえなかったことが成し遂げられて、よく分からない心情をまとめていく。
街灯と雪で朱色に照っている頬が見えて、ハッとする。
「……僕は、もっと楽しくなりたい」
「え?」
「いや、今よりももっと、居心地のよくて、最高な日にしたいなって」
「……っぷぷ、はははっ‼‼ な、何言って……君h……」
いつしかの他愛もない会話。
苦しそうに、でもどうにか堪える君色があの時の表情に重なった。
対局。
あまりにも対局で、対極だった。
静寂が一室を包み、時計の針の音が聞こえるほどに。
「……だめ、なの」
呟く。
聞こえないくらい小さな声で君色は呟く。
今にも逃げ出してしまいそうな声が耳に残る。
どうすればいいか分からない。
何度考えたってわからなくて、無言で座っていた。
いてほしい。
君だけはいてほしい。
何もない空間で、何もなかった僕が思った言葉はそれだけだった。
それだけで、それしかなかった。
だめなのか、君だけいればいい。それだけの気持ちは嘘でも何でもない。
きっと、いいわけでもよくないわけでもない。
そこで、アナウンスがかかる。
「————面会時間は終了です」
ゆっくりと席を立ち、荷物をまとめる君色。
最後の挨拶かのように、悲しげにつぶやこうとした瞬間。
僕は気づけば、君色日葵を抱きしめていた。
「——え」
「君だけいてほしい」
驚く声が、今さっき聞いたはずの途切れた声が耳元で響いた。
「それでも、好きなんだ。駄目だってわかっているけど、それだけは伝えたい」
「……でm」
「ダメならいいんだ。君色が駄目なら別に……でも伝えたい。それだけは言いたい。僕を連れ出してくれた君色にだけは言いたい」
「……」
「明日の君だけ……いてほしい」
咄嗟に思い付いた言葉を口にする。
「明日の君だけいればいい」
そう口にすると、何かあふれ出したかのように今度は冷たい何かが僕の首筋に垂れた。
「——ど、どうして……きみは」
恐る恐る首を横に向けると、抱きしめていたはずの君色は「うっ」と声を洩らし、泣いていた。
「……」
「ず……ずるい、よ……それは」
溢れ出て垂れていく涙。
微かに震える小さな身体が僕の胸に寄りかかる。
そっと抱きしめて、華奢で今にでも潰されてしまいそうな身体を抱きしめる。
「事実だ」
「っ——そんなの、ないよ……」
「受け入れてくれるのなら、どこにだって逃げよう」
「ずる……ぃ」
「君だけいてくれればいいから。ずっと」
「……」
泣きながら嗚咽を洩らし、聞いた事のない君色の悲しさと嬉しさが入り混じる音が一室に響き渡る。
きっと、いろんな人に届いていただろう声を黙って聞いていた。
君だけいればそれでいい。
大切なものは、君なんだ。
そう言って、時間がゆくまで泣く君を抱きしめ続けた。
明日の君さえいればいい 藍坂イツキ @fanao44131406
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