後編1「だからね、私に恋しちゃダメ」


 両親はいる。


 彼女の口からはそう告げられた。


 瞬間、僕は何を言われたか分からなくなった。

 かれこれ十数年。親に捨てられて、親戚の家で育てられて生きてきた。なのに、今更、何を言っているのか、理解することができなかった。


「え」


「証拠ってわけじゃないけど、私がね?」


 苦しそうな笑みを浮かべ、今度は真顔で淡々と言う。


「私は君のお母さんと他の男の人から生まれた異父兄妹。つまり、血のつながった妹、なの」


「……っ?」


 理解も何も、思考が追い付かない。

 衝撃の事実に耳を向けようとしてもぐるんと崩れるかのように聞こえなくなってしまう。


 妹?


 そんなのはいないはずだ。僕は天性の一人。彼女が言ったように狼のように、一匹狼のように一人で生きてきた。何もないのを知って、でも最近、君色に出会って、少し報われて気がして、ようやく前を向いて歩き始めてきたっていうのに……急になんなんだ。


 ぐるぐると思考が右往左往して、目の前が真っ暗になっていく。


「だから、そのね。私は君の妹で。そのためにここにいるの」


 そのため?

 何を言って。


 急に変なこと言うなって、そんなわけないだろう。

 馬鹿な。


 そんなわけない。

 んなわけあるか。


 気持ちわるい。気持ち悪い。気持ち悪い。


 そして、そして、そして。


 僕はいつの間にか、病室にいた。




「な……なん、だ……?」


「あ、起きたっ、起きた!」


 目を開けると君色日葵はそこにいた。 

 あまり門急な場面展開でついていけない僕に、君色はやはり君色らしく興奮しながら肩を触る。


「ん……ぇ」


「大丈夫? ずっと寝てたよ?」


「え、ど、どのくらい?」


「うーんと、20分くらい」


「ぜ、全然じゃん……」


「あはははっ……そうとも言うね」


 僕が冷静に突っ込むと嬉しそうににへらとこぼす笑み。そんな姿に僕はハッとなって思い出す。


 僕の両親が生きている。

 その事実。


 思い出すとすぐそばにあって、冷静になった僕の心を蝕んでいく。気づいた僕の顔に君色も気づいたのか、笑っていた顔を戻してこう言った。


「……そうだね、話」


「あぁ」


「私が君の妹って話。そのままなの、ほんとそれだけ。事実を伝えたくて、だからいろいろして、君に近づいたの」


 今度は苦しそうに、先程までの感情がまるで嘘だったかのような表情でこちらを見つめる。


 そんな君色を見て、ぎゅっと締まる胸。

 ゆっくりと背を起こし、僕は言う。


「いや……まぁ、ちょっとびっくりした」


「……だよね……」


 ただ、聞かされた時よりは少しばかり落ち着いたのか、僕も彼女もゆったりとしていた。


「うん。なんだろうね、びっくりした」


「色々、あったもんね」


「あったな、色々」


 あったことはあった。

 いろいろなことがあった。


 テスト期間は一緒に勉強して、どうしても頭の悪い君色の隣で何度も教えた。二項定理がいつまで経っても出来ない君色がムカついたこともあった。物理のエネルギー保存則がいつまでも覚えられない君色に説教だってしたこともあった。


 だけど、返ってきたテストが赤点よりも、平均点よりも高かったのは泣けてきて、帰りにこっそり公園によって叫んだことは今でも覚えている。


 札幌駅に遊びに行ったことや、なんでもないイルミネーションを見たことだって、ただ二人で帰ったことだって、なんでもないことも全て鮮明に思い出せる。


 二人の時間。

 名も知らない君が大切な人に。


 たったの数週間、数ヶ月がかけがえのないものになっていた。


 そんな君が僕の妹だよって、父親違いの妹だよって言われてよくわからなくなっていた。


「でもさ」


 しかし、それでも僕は言いたいことがあった。


 なんでもない無な人間である僕を連れて行ってくれたのは誰でもない君で。


 自分に自信なんてなくて、悲しく一人でいた僕を連れ出してくれたのは誰でもない君で。


 まるで、世界の始まりかのような明るい太陽の笑顔で照らしてくれた君がどうしても鮮明で、鮮烈で。


 キュッとしまった喉に突っかかって、捻り出そうとした時。君色は悲しげに手を掴んだ。


「ダメ」


 ダメという。


「私に言ってはいけない」


 苦しそうだった。


 表情が固く、苦しく,暗かった。

 わかってはいた。


 きっと彼女は仲良くなって親に会わそうとしてきたのだろう。僕を産んで捨てたと思っていた二人に連れてきてあげようと、たまたま一緒になったクラスで僕を見た時から思ってくれていたのだろう。


 でも、話すうちに触れるうちに、溢れた思いに歯止めを効かせて、だから今、だったんだろう。


 そして、彼女はいう。

 君色日葵は悲しげに言った。


「私に恋はしちゃダメなの……」



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