お花見が旅行になるとは

「慎ちゃん、二時間くらい暇じゃない?」




午前十時

休みの日に惰眠を貪るという俺の目標は、ちーちゃんという悪魔の電話によって思ったより早く破綻した。



「用件次第ですね。なんですか?」

「いやーちょっとねー、本棚買ったはいいんだけど大きすぎて、運ぶのも大変だし、組み立てるのも大変だし。手伝ってくれたら嬉しいなーって」

「…………。あー、じゃあまあそれくらいなら。一時間後くらいにちーちゃんの家に行きますね。」

「慎ちゃん、ありがとー!嫌そうにしながらも結局手伝ってくれる慎ちゃんが大好きー!愛しt……」

「はいはい。じゃあまた。」



正直結構微妙だったものの、ちーちゃんが本棚を新調したならどんなものかは興味はある。読書好きのちーちゃんだからこそ気になる。

昔ちーちゃんの家に行ったときに見た本棚は圧巻だった。壁一面が本で埋まっていた。曰く「最近はもう買うのが趣味みたいになっちゃっててねー。でも面白そうな本は買っておかないと次逢えないかもしれないじゃない。」と。

どちらかというと俺もその系統なのでとても気持ちはよくわかる。むしろ金さえあれば俺だってそうしたい。



ちーちゃんの家までだいたい二十分。

軽く身支度を整えてから、コンビニで朝飯を買っていけばちょうどいいタイミングで着くだろ。

トイレを済ませて、歯を磨いて、顔だけ洗って。洗面台の鏡が視界に入る。

今日も俺の顔は下の上。

何が悲しくて鏡を見ては不細工だと自覚しなければいけないのか。

悲しみに暮れつつも、シャツの上から軽く羽織って見てくれを誤魔化して家を出る。

今日の朝ご飯は何にしようか。

マヨネーズが嫌いだったがゆえにサンドイッチを食べたことはほとんどなかったが、近ごろはマヨネーズの酸味も気にならなくなり、美味しくいただけることが判明した。

そのせいで最近の朝ご飯はサンドイッチがマイブームとなっている。

そんなことを想いながら車の鍵を開けると、後ろから声がかかった気がした。



「慎ちゃんおはよー!ゴクッゴクッ」



申し訳なさそうなみぽりんと

ニヤニヤしてる赤井と

ゴクゴク音を出して喉を鳴らしながら嬉しそうに缶ビールを呑むちーちゃんの姿がそこにはあった



「慎二君ごめんね、ちーちゃんが聞かなくて」

「慎ちゃん、ファイト!」

「慎ちゃん、ありがとー!はいこれ。」

「なんです?これ?」

「え?何って。車の鍵だけど。」



ちーちゃんが鍵を渡しながら、道路の方を指さす。

別に見えてなかったわけじゃないと思う。

むしろ気づいていたがゆえに気づかないように脳が意識していたのかもしれない。

ちーちゃんの指さす方向に、「わ」ナンバーのファミリーカーがエンジンを静かに響かせてドライバーを待っていた。




「じゃあ、鶴舞公園へレッツゴー!」

『おー!』

「…………」

俺の二連休はこうして雲散霧消した。



***



「はー、長かったー。肩凝ったー。ねえ慎ちゃーん、肩揉んでー。ゴクゴクッ」

「……俺だって、少しくらい労ってもらいたいもんなんですが。」

「まあまあ慎ちゃん、そんなこと言わないで。」

「ほらしんちゃん先輩。女子三人とお花見ですよー。楽しいですよー。」

「有名なところなだけあって、綺麗ねー。すごい満開。ゴクゴクッ」



道中はちーちゃんの独壇場。

いや、ただの酒宴だった。

ファミリーカーの後部座席に女子三人。

目的地の鶴舞公園までは高速で約四時間。ちょっとくらいは眠くなるかもしれないと、最初のSAでエナジードリンクを何本か買っておいたがそれも杞憂に終わった。「女三人寄れば姦しい」とはよく言ったもので、あんな状況では眠くもならない。



今回の旅行のきっかけは単純。みぽりんが「お花見がしたい」と言い、赤井が「でも寒いっすよ」と言い、ちーちゃんが「じゃあ暖かいところでお花見すればいいじゃない」という流れるような展開で決定。

昨日俺がサークルに行く前に女子三人衆の間で場所と時間とドライバー(俺)の確保方法と車の手配が完了していたらしい。何と手際のいい。

そしてその作戦にまんまとハマり、ちーちゃんの本棚を組み立てるという嘘の連絡で家の外に釣り出されてしまったというわけで。

やっぱり変な気を起こして手伝うなんて言わなければよかった。二時間どころか、週末が丸ごと消えることになるとはさすがに思わなかった。



「うん、狙い通りね。いくら土曜日とはいえお昼の二時ならちょうど、人が入れ替わろうとするタイミング。私たちは四人と少人数だから探そうと思えばいくらでも場所はあるわ。」

「いやー、日本海側と違って太平洋側は暖かいっすねー。」

「あ、あそこ。桜の木の間のところ。四人でなら座れそうじゃない?」




俺の家に来る前に買い漁ったであろう酒とつまみ。そして高速を降りてすぐのスーパーで買ったお惣菜。さすがにお惣菜は暖かい方が良いということで現地調達した。

ドライバーの俺は悲しくノンアルコールで我慢かと思って買い物かごに入れたら、ちーちゃんからSTOPが入った。

どうも宿泊用にホテルまで抑えてあるらしい。どこまで計画してるんだか。「これで安心して私と呑めるわね」と言われればそれまでだ。こうなったらむしろとことん呑んでやる。

ホテルに車を止めて、タクシーで現地入り。




「ささみんな、お酒持って。早く持って。乾杯しないと呑めないじゃない。グビグビ」

「そんなこと言いながらもう呑んでるじゃねえか。車の中でもずっと呑んでるし。」

「細かいことは気にしないの!男の子でしょ。」



いつもと同じ口喧嘩だったが、ちーちゃんが酔ってるせいなのか顔が近い。そんな至近距離で言われたら、ちーちゃん相手でもちょっと緊t……



「慎二君、なんだか顔赤くない?熱でもある?」

「え?慎ちゃん、もしかして私相手に緊張してるのー?それって何?恋?恋なの?んー?お姉さんに相談してみなさい?」

「ええい。うるさいうるさい!乾杯!もう乾杯!」

「風情がないわねー、慎ちゃんは。せっかくわざわざ遠出してまでお花見してるのよ。何かに乾杯してちょうだいよ。」

「そうですよ、慎ちゃん先輩。良い音頭をとって、男を上げるチャンスですよ。」

「え、えーっと。じゃあ……俺たち四人の永遠の友情に乾杯」

『かんぱーい』



一陣の風が桜の花を散らせて舞い上げて。美しい幻想郷のような風景で。

「……えいえ……うじょう……か……」

かき消されそうな微かな音が俺の耳に届き、昂ぶっていた心の熱を一瞬で冷ましていた。俺たちの誰かが呟いたのか、それともこんな寒い一言を聞いていた周りの人の呟きなのか。そんなことはもはや分からない。でも今はこれでいいんだ。楽しいんだ。

楽しい宴会が始まった。



***



眩しい。頭が痛い。日が昇っているのか、沈んでいるのか。朝か夜かもわからない。でも、なかなかの角度に太陽がいることだけは眼球の桿体細胞への光刺激で良く分かった。

ボケた視界で周りを見渡す。どこか見慣れない部屋にいる。あ、ホテル借りてたんだっけ。

時計を見る。9時過ぎ。夜9時の明るさではないので、朝だということは分かった。

昨日の記憶が割と序盤からほとんどない。お酒に弱い方ではないと思うのだが、単純に運転疲れが如実に表れた結果だと思う。ちーちゃんに煽られてビール缶の中身を空けたのが最後の記憶。

いつホテルに来たのかもわからない。なんだか足が痺れてる。動かない。

いや、痺れてるのもあるが、重しが載せられてて物理的に動けない。

みぽりん先輩が俺の足を抱き枕みたいにして寝てる。そりゃ足が動かんわけだわ。



…………

いやいやいやいや、みぽりん先輩が俺の足を抱き枕にしてるじゃん!!!

あの胸の膨らみが当たってるという事実に喜びながら、でも痺れてるせいでそのことを十分に楽しめなくてそれが悔しくて、でも意識がはっきりしてきた今ちょうどトイレに行きたい気持ちがマックスで、でもこのまま放っておいて誰かに見つかったらもちろんからかいの対象になるわけで。

今までにないくらいの思考スピードで出した結論は



「……いや普通に考えて……漏らすのが一番ヤバいだろ。」



自分が少しだけ冷静で恨めしい半分、ちゃんと後のことを考えてることに安心半分。早速みぽりん先輩から足を引っこ抜いt……

ギュッ!!!

なんか……逃げれないんですけど……。しかしみぽりん先輩の掴む手は身に着けた衣服にばかり力がこもっているので、ズボンを脱いで対処。

パンツ姿でみぽりん先輩と一緒の部屋にいることがばれたらやっぱり社会的に死ぬ。まずいな、この部屋には今死亡フラグしか転がっていない。

とにかく早いところ、この朝の尿意だけは沈めてから考えようとトイレの扉を開けると


「むにゃむにゃ、しんちゃーん。そんなに注いでも、もう呑めないよぉ。」


一升瓶を抱えたちーちゃんがトイレの住人と化してそこに居座っていた。

どうやってどかしたもんかと悩んでいると、ちーちゃんが前のめってきた。瓶を抱えた状態でつんのめって怪我でもされたらたまったもんじゃないので、受け止めようとして



「おはようございまーす。しんちゃーん、ちーちゃん、みぽりん先輩、起きてますかー?」



赤井によって部屋の入り口が開けられた。よりにもよって、ちーちゃんとパンツ姿の俺が抱き合ってる様子が一番見えるタイミングで。


カシャカシャカシャカシャ


「おい赤井!その写真今すぐ消せ!」

「なんだか一瞬で目が覚めました。ありがとうございます。写真?はて何のことやら?あ!おはようございます、慎ちゃん!」

「とぼけられると非常にこちらとしても……」

「慎ちゃんの態度次第では、思い出すかもしれないですし、いつか消してあげるかもしれないですねー?」


これから約一か月間、俺の食事は極貧を強いられ、赤井の食事は普段より優雅になったのは言うまでもない話。

阿鼻叫喚のホテルの一室。若者四人はチャックアウトぎりぎりまで部屋に居座り、家へと帰っていった。

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裏切りは恋より熱く、愛より甘い もぎたて @mogitate

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