予言者・笠戸蘭の大いなる野望と闘い
尾八原ジュージ
時間は金で買え
しおん君は、ものっすごい美少年である。
これより大事なことはこのあたし、
年が近くてかつ家が隣同士なので、あたしはしおん君が赤ちゃんの頃からよく見ているけれど、ものっすごいのは生まれたときからだ。あまりに美しいので、彼がいるところはちょっと明るく見えるし、なんか謎のいい匂いもする。
そんなしおん君だから、生きてるだけでもう相当やばい。変質者やストーカーが老若男女問わず寄ってくる。彼が十七歳の今日まで無事に生きてこられたのは、ひとえにあたしの予知能力が危険を察知し、遠ざけてきたからだと言っていい。
しかしこの予知能力、あたしを今まで一度も裏切ったことのない何らかの神から授かった力が今、とんでもないビジョンを見せつけ、悩ませていた。
いわく、しおん君は二十歳を超えると急速に劣化します。とのこと。
あたしにとってこれは大問題だ。死活問題といってもいい。
繰り返すけど、しおん君がものっすごい美少年だということは、あたしの人生において一番といっていいほどの重要事項だ。そのしおん君が美しくなくなるということは、すなわちあたしの人生が意味を失うのと同義、おおげさにいえば「死」である。
もっともあたしだって、しおん君が生きている以上、かならず年をとるということは理解している。でもしおん君は十七歳の現時点でめちゃくちゃに美少年なんだから、二十歳を超えたらせめて美青年になっててほしいし、そのままなるべく美しいままに年を重ねてほしいものだ。それならばあたしも我慢できただろうし、美少年ではなくなるにせよ「死!」とは思わなかっただろう。
だがあたしの予知能力が見せてくれた未来のしおん君は、直視どころかとてもとても、遠くから垣間見ることすら耐えがたいものだった。何で二十歳過ぎた途端にただのとっつぁん坊やみたいになるのだ。おかしいだろ。あんなものしおん君ではない。「死」である。
あたしは決意した。しおん君を美少年のままにしてみせる。二十歳になる前にその変化を止めてみせる、と。
色々調べた結果、あたしは「金丹」を作ることに決めた。道教に伝わる「不老不死の薬」である。
突拍子もないと思われるかもしれないが、この「金丹」という文字を見た途端に、あたしの予知能力がピーンときたのだ。
これはいける。あたしは確信した。何にせよ、手段についてあれこれ迷っている時間はないのだ。たった三年で目的を遂行するためには、ピンときたら即行動しなければならない。
しかしさすが不老不死の薬、作るのがめちゃくちゃ難しい。
まず材料がよくわからない。丹砂、水銀、砒素あたりはいいとして、名前だけはわかっているが何なのかよくわからない物質がいくつも必要とされている。
おまけに分量もわからない。あらゆるそれっぽい材料を、あらゆる比率で混ぜ、焼いてみるしかない。
幸いあたしには予知能力がある。この能力をもってすれば、お金を稼ぐことは至って簡単なことだった。
デイトレードで利益を出しまくり、ついでに宝くじの一等を前後賞込みで当てたあたしは、とりあえずビルを一棟買い、続いてスーパーコンピューターを購入した。ビルは広さが必要だったので郊外の方ながら十億円ほど、スパコンは一億五千万円くらいだったがどちらも必要経費だ。なにせ時間がない。三年以外に金丹を作るためには、あらゆる素材をあらゆる比率で調合したり、そのためのレシピを作ったり、作ったもののデータを管理したりしなければならないのだ。そのためにはまず場所と、性能のすぐれたコンピューターが必要だ。あたしではスパコンを管理できないので、そのために専門家も雇った。
金丹の製造には斎戒沐浴が欠かせないらしいので、ビル内の研究室にはそれぞれシャワールームを備え付けた。わけのわからない薬の素材を集めるために、薬学や化学の専門家をはじめ、考古学者や中国史の研究家なども集めた。皆優秀な人材だから人件費がかさんだが、とにかく時間がない。これらもまた必要な出費だ。もちろん必要になりそうな道具や、とりあえずわかっているだけの材料も揃えた。
いくらお金があっても時間を巻き戻すことはできない。でも、かかる時間をお金で短縮することはできる。あたしは時間を買っているのだ。しおん君の美貌を永遠のものとするために。
ところであたしが不動産を買ったり人材を集めたりしてあちこち駆けずり回っている間、しおん君は普段どおり平和に暮らしていた。
あたしが雇ったSPが常時ふたりくっついているので、あたしがいなくてもストーカーに刺されそうになったり、美男美女の死体で死蝋を作るのが趣味のシリアルキラーに拉致されたりしていないのは何よりだ。が、何かとあたしのやっていることが気になるらしく、たびたび連絡をとろうとするので、それにはちょっと困った。何しろあたしは忙しい。
「蘭ちゃん、最近全然かまってくれないじゃん。大学ってそんなに忙しいの?」
「うーん、ちょっと色々、宿題とかサークルとかあってね」
不満げなしおん君の質問を受け、あたしは適当な言葉で誤魔化した。君を不老不死にする研究をしてるんだよ、なんて言ったら、いかに素直なしおん君でもドン引きするだろうと思ったのだ。小さい頃から守ってあげているあたしの言うことには、基本「うん」とうなずいてくれるしおん君だけど、水銀やら砒素やらが入った薬を飲めと言ったら、今度ばかりはムリと言って逃げてしまうかもしれない。
あたしの言い訳を聞いたしおん君は「ふーん」と納得した風でありながらどこか不満げで、でもそんな顔もめちゃくちゃ美しく、あたしは自分がやっていることの正しさを再認識した。
たとえば「モナリザ」を百年後の人類に遺したい、そのために完璧な状態で保全したいのだと言われれば、誰しも「それは素晴らしいことだ」と思うだろう。あたしにとってしおん君はまさにそれ、モナリザと同じものなのだ。不老不死にすれば、百年後の人類に彼の実物を見せることができる。なんて素晴らしいことだろう。
などと言っているうちに一年が経った。
金丹はまだ完成しそうにない。専門家の知識と閃き、そしてあたしの予知能力をもってしても、いまだに何なのかわからない材料があるのだ。おまけに製造過程でじっくり熱を通す必要があるとかで、それが人力ではとても難しいらしい。
あたしは雇い入れた技師数名と相談して、金丹を製造するための機械を作ることにした。それが出来上がるまで九ヵ月もかかるそうだけど仕方がない。効率を考えたらその方がいいだろう。その間にまだわかっていない材料を探しあてなければ。
あたしが金丹を作り始めてから二年が経ち、しおん君は十九歳になった。相変わらずハチャメチャに美少年で尊かった。
誕生日プレゼントを渡しに行くと、あたしが籍を置いていたのと同じ大学に通い始めたしおん君は「蘭ちゃんが言ってたほどは忙しくないね」と言って笑った。それがちょっと寂しそうに見えたのは気のせいかな、と思っていたら、
「蘭ちゃん、もしかして彼氏できた?」
などと言う。
まさか、と笑ってしまった。金丹づくりで朝から晩まで資金繰りやら材料の買い付けやらに駆けずり回っているのに、どうして彼氏なんかできる暇があるだろう。
「やだなぁ、そんなのできたことないよ」
「本当? それで俺と遊ばなくなったんじゃないの?」
「違うってば」
しおん君が不老不死になったらまたいくらでも遊びに行こうよ――とは言えないので、代わりに「あと一年くらいは何だかんだ忙しいかな」と言った。しおん君は「そっか」と呟いて、あたしのあげた腕時計をじっと眺めた。
金丹の材料がようやく揃った。
長い道のりだった。中でも***を手に入れるのは大変で、中国奥地の秘境中の秘境にあるそれを手に入れるため、ヘリコプター三台と馬四頭が投入された。道中で巨大な熊と戦い、人を食う大ナマズのいる川を越え、三人の社員が命を落とした。賠償として一人五億円を支払ったら遺族には納得してもらえたようだ。訴訟などしている暇はないので安心した。
あとはあらゆる配合を試していくことになった。作ってはラットに投与して効果を確かめる(かわいそうだけど例外なく死んだ)、この作業を延々と繰り返した。
この過程で、たまたまある難病の特効薬を開発したために、資金繰りはぐっと楽になった。あたしは製薬会社の社長という立場になってしまい、ますます時間に余裕がなくなった。この薬を比較的安価でリリースしたために、あたしはまるで聖人みたいに持ち上げられ、それもいいよいいよと適当に流していたら、これまた分不相応に自分と会社の株が上がった。結果、さらにお金が転がり込むことになった。
そんなこともどうでもよかった。たまにしおん君が見られればそれでいい。それだけで「あたしのやってきたことは間違ってない」と確信が持てるのだ。そしてまた、見えないゴールに向かって走っていくことができる。
しおん君は前みたいに頻繁に連絡をとってこなくなった。返信の手間がはぶけるのでぶっちゃけ助かる、と思った。
もしかすると彼女ができたのかな、と思ったけど、SPの話によれば、最近は熱心に勉強しているらしい。へえ~、あのフワフワしたとこのあるしおん君がねぇ、とあたしはちょっと意外だった。
「彼、社長に釣り合う男になろうと思って、頑張ってるみたいですよ?」
SPの話に、あたしは「あはは、まさかぁ」と笑って応えた。
釣り合うも何も、しおん君は例によって例のごとくものっすごい美少年なわけで、あたしにとってそれはすべてのものを凌駕する価値があるわけで、だから天秤はずっと彼の方に傾いているのだ。もしも釣り合う日がくるとしたら、それはあたしがタイムリミットまでに金丹を作れなかったとき、そしてしおん君がものっすごい美少年ではなくなってしまったときだろう。そんなときが来てはならない。あたしはますます発奮した。
時間は無情に過ぎていき、実験用のラットはどんどこ死んでいった。まぁ***とか×××とか入っているし、そりゃ死ぬよなぁという感じだ。あたしは彼らの供養をしながら「どうか金丹を作らせてください」と彼らの魂にお願いした。「やれやれだぜ」とラットたちに言われているような気がした。
そして、いよいよしおん君の二十歳の誕生日……の前日になった。
その日は朝起きたときから、「今日は何かすごいことが起こる」という予感があった。誰かが世界を、あたしが眠っている間にピカピカに磨き上げたかのように、すべてが輝いて見えた。
あたしはスキップしそうな勢いで自社ビルの仮眠室を出て専用車に乗り込み、いつの間にか広大になった敷地内を通って研究室に向かった。
「社長! ラットが生きてます!」
興奮で顔を真っ赤にした研究員が、あたしを出迎えた。サンプルを飲まされたラットが鼻をひくひく動かしている。それを見たあたしの頭に、「やったー!」と小躍りするあたし自身の映像が、パーン! と浮かんできた。
「この薬、すぐ飲めるように用意しといて!」
あたしはしおん君を呼び出した。どうしてもすぐに会いたいとお願いしたら、彼は「わかった」と言ってくれた。
SPに挟まれて研究棟の一角に駆け付けたしおん君は、やっぱり今日もものっすごい美少年で、もう後光が出てるくらい、いっそ眩しくてよく見えないくらいの美しさだった。
「しおん君、何も聞かずにこの薬飲んで。いいから。お願いします。一生のお願い」
あたしは給湯室で、水の入った紙コップを添えながらしおん君に詰め寄った。
「何かわかんないけど……じゃあ、俺のお願い聞いてくれたらいいよ」
あたしがよく考えもせず速攻で「聞きます」と答えると、しおん君は「はやっ」と言って笑った。
「あのさ蘭ちゃん、俺と付き合ってください」
「は?」
開いた口がふさがらなかった。ものっすごい美少年のしおん君に、まさかこんな願望があっただなんて思いも寄らなかったのだ。そんなこと、まったく想像すらしたことがなかった。もしも「モナリザ」の警備をしている人が、ある日モナリザの絵そのものに「あなたと付き合いたい」と言われたとして、「やった〜! 嬉しい!」と思うだろうか? やっぱり「は?」と言ってしまうと思うのだが。
そんなあたしの内心など知らないしおん君はうつむき加減で真っ赤になっており、そんなときもやっぱりものっすごい美少年で、限りなく尊い。
「ずっと前から好きだったんだ。蘭ちゃん、俺とずっと一緒にいてくれて、優しくて、強くて……ずっと憧れてた。まだ蘭ちゃんに釣り合う男になったとは全然思わないけど、このままだとどんどん遠くに行かれちゃうと思って」
「あ? ああ、そう……全然そんなことないけどな」
「はは、蘭ちゃんはやっぱり優しいね」
いや本当にそんなことないのだが。あたしの持っている財産をすべて打ち消すほどの価値がしおん君の見た目にあるんだから、やっぱり釣り合っていないのはあたしの方なのだが。
いや、もうそんなことを言ってる場合じゃない。金丹を飲め。すぐ飲め。
「薬飲んでくれるならいいよ」
「いいの!? やった!」
いいのか。あまりの抵抗のなさにびっくりしたけど、喜んだしおん君は今までに見たことがないくらい輝いていて、あっ目が潰れると一瞬思ったけれど幸い潰れずに済んだ。「ていうか一体何の薬なのそれ」と今更のように言いながら、しおん君は金丹を、巨額を投じてようやくできた一粒を口に運んだ。
そしてバタンと倒れた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ということがあってから、十五年と五ヶ月が過ぎた。
その後意識を取り戻したしおん君は、未だに美少年のままである。二十歳を過ぎても一向にその容色は衰えないどころかまったく変わらず、あたしは予言どおり「やったー!」と叫んで小躍りした。
ただちょっと不都合があって、現在しおん君は弊社ビルの地下室に幽閉されている。五つのセキュリティを突破して行き着くそこは、四方を真っ白な壁に囲まれ、簡素なベッドがあるだけの殺風景極まりない部屋だけど、ベッドにボーッと座っているしおん君は相変わらずものっすごい美少年なので問題はない。
金丹の効力は凄かった。しおん君の老化は止まった。予言されていた「二十歳からの急激な劣化」を完璧に防ぐことができたのだ。
同時にあらゆる成長も止まった。爪も髪も伸びなくなり、傷も再生しない。
人間って、案外簡単に怪我をするものだ。怪我をしたら治らない以上、しおん君の美しい身体を損なうことは今まで以上に防がれなければならない。もしもモナリザに傷がついたら、誰しもが大問題だと思うだろう。それと同じだ。
あたしはSPの数を増やし、万が一にも彼が傷つかないように護衛した。しおん君は露骨に嫌そうな顔をしていた。せめてデートのときくらいはあたしとふたりっきりになりたいと言われたけど、あたしは断った。
困ったことに、あたしの予知能力はみるみる精度と頻度が落ちていった。どうやら「しおん君と付き合う」と宣言したことで、あたしの巫女としての適性が薄れたらしいのだ。神託を受けるのは清らかな乙女が好ましく、曲がりなりにも恋人を持ったあたしは、もうそのような乙女ではないということだ。
これからは予言に頼らず、金の力でしおん君を守らなければならない。不審者は言うに及ばず、ちょっとした転倒からも彼を守る必要がある。そもそもあまり外に出さないように、怪我をする機会を与えないようにしなければ。
そう思って地下室に閉じ込めたのだが、色々揉めたのち、錯乱したしおん君が壁に頭をぶつけ始めたので(不死だからそんなことしても自殺なんかできないのに)、拘束して鎮静剤を山程打った。幸い不死なので、致死量がどうとか考えなくていいのが楽だ。鎮静剤が切れたら打ち、また切れたら打ちを繰り返して、数年が経過した。
しおん君は今では一日中ぼーっとしてるだけで、一人ではベッドから降りるのもままならないし、会話もほぼ成立しない。でもやっぱりものっすごい美少年なので、全然まったく問題ない。食事も排泄もいらないし、世間的には失踪したことになってるので、社会復帰とかもしなくていい。
何もかも上手くいっている。
ただ、あたしは順当に年をとっているので、万が一に備えてあたしの跡を継ぎ、しおん君を保護してくれる人を探さなきゃな、と最近考える。モナリザだって、一人の人が延々守ってきたわけじゃないんだし、しおん君の美は後世に遺すべきものなのだから。
あたしが地下室に顔を出して、「しおん君、きみの彼女が来たよ」と言うと、ぼーっとしているしおん君はこっちを見て、ちょっとの間しあわせそうに笑う。
あたしはちょっと胸が痛むけど、微笑んでいるしおん君はやっぱりものっすごい美少年なので、これでよかったんだな、と思う。
予言者・笠戸蘭の大いなる野望と闘い 尾八原ジュージ @zi-yon
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