第64話 500年後のハッピーエンド?
「いい加減機嫌なおせよ」
ひとのお気に入りのカウチを昨日の夜から占領し、朝ご飯の呼びかけも全部無視。
俺の身支度が全てすんでもいまだに背中を丸めて芋虫みたいに布団をかぶっているシリル君を杖で突き回したくなる衝動を必死に抑えながら、俺は大きくため息をついた。
半月の間毎日毎日毎日毎日「俺はブリテンから帰ってくる」って言い聞かせたのにこの頑固者は今日がお別れの日だと思ってやがる。
今日の俺はこの日のために仕立ててもらった燕尾服の胸ポケットから懐中時計を取り出した。…そろそろ時間だな。俺のこと見送りに来たのかと思ったら顔も見れねえのかよ。
「ーーーまあ、いいよ。これから信頼されていくように頑張る」
俺の声には自分でもちょっと意外なほどに憂いを含んでいた。
ずっと気配を消していたギーナから差し出された小ぶりのハットを受け取って、頭に乗せる。
転移魔法を発動しようとしたところで、背後から呼ばれた。
…やっと出てきたのかよ。
やや呆れながら顔だけ振り返れば、目元は真っ赤だし髪もボッサボサ。すげえ不細工なシリル君が迷子の子供みてえな顔で俺のことを見上げてた。
「デニス…気をつけて。元気でな」
ーーーはいはい。もう慣れましたよ、お別れの挨拶には。
俺は大股で3歩、シリル君の籠城していたカウチとの距離をなくした。
やや怯んだような赤い瞳へグッと顔を近づけーーー指先でトンっと鼻頭を叩いててやった。
「いい子で待ってられたらあとでよしよししてやる。ーーー不安なんだったら今日ぐらい執務を休め。俺が帰ってくる夜まで俺のお気に入りのこのカウチで寝てればいいよ」
シリル君が苦虫を噛み潰したような顔で「うっせえ」と吐き捨てた。
手を邪魔そうに振り払われる。
でも、カウチからは退かないし、本人に自覚があるのかはわからないが頬をぺたりとカウチにつけ、肌を少しでも多く黒革につけていたいのかなっていう姿勢でカウチにしがみついてる。
…この魔獣の黒革には俺の魔素が染み付いてるしな。安心すんのかもしれない。
おバカで素直でもないこの王様はたぶん俺の読み通り今日はここにいる気なのだ。
俺が帰還の転移先に選ぶのは大体ここだから。
「じゃあ午後の9の鐘くらいに戻る」
俺は返事を待たずに転移した。
転移先に指定したのは王宮広間。
転移魔法の鈴の音とともに現れた俺をみてーーー青と白のブリテン騎士団の制服を身に纏ったマスキラ三名が走り寄ってきた。
俺は訝しんだ。だって迎えにくるのはブリテン人形みたいなフィメルだって聞いてたから。どう見てもこいつらではない。
「ーーーおかえりなさいませ。デニス元騎士団長…いえ、赤竜さま」
顔を硬らせている俺の反応など見えていないのか、三名の騎士が揃って恭しく膝をついて首元を晒した。
祝日の大広間に集まっていた市民や宮廷人たちが何事かと振り返る。
彼らは騎士団がへりくだる俺は何者かという視線を向けてくる。
俺はただ礼を、視線を受け止めた。
何も覚えてねえし。
「ーーー迎えにくるのはフィメルだって聞いてたんだけど」
俺がそれだけ言えば、赤髪のマスキラがゆっくりと顔を上げた。
熊みたいなのんびりとした雰囲気のマスキラだった。蜂蜜とかが似合いそうな温厚そうな魔力。
でも彼はたぶん団長だ。三名の中でも群を抜いて魔力が高そうだし、背中の黒いマントに絵描かれた黒竜を背負う人物なんてトップ以外にいないと思う。
彼は慈しむように俺の全身を眺めたあとで、「久しぶり」とほころんだ。
「ミシェーラ妃のお迎えが少し遅れそうでしたので我らが代理としてまいりました。…それに久々に騎士団に稽古をつけていただきたく」
え、俺今日燕尾服なんだけど。しかも何で他国の騎士団の世話なんて。
俺が難色を示せば「着替えはあります」と先回りされる。
ちょっと待て、騎士団のスーツとか魔力でできた素材って基本オーダーメイドだぜ?
「…お前、俺のサイズ知らねえだろ。きもいこと言うな」
反論すれば、熊みたいなマスキラは面白い冗談でも聞いたと言うように破顔した。
「本当に覚えてないんだなあ。ーーーにいちゃんは寂しいよ」
寂しいなどと言いながらニコニコとしているこのマスキラ、今何と言った?
「お、お前、俺の兄なのか?」
熊みたいなマスキラは「ブランドン」と名乗った。確かに俺の人生録の二番目の兄の名前がそれだった気はするが…。
「悪いけど俺覚えてないから。ーーーもう行くよ」
背を向けて王宮へと続く正門へ向かおうとすれば、手を掴まれた。
今度は何だよと思って振り返ると、さっきとは違うマスキラが俺の左手を掴んでいた。
「ま、待ってくれ、俺は、お前に、あやま…」
息も途切れ途切れに言って、咳き込みながら地面に崩れ落ちたマスキラ。
…今度は誰だよ。まさか一番上の兄とか?
近くで腕を組んでいたブランドンがのそのそと近寄ってきて、咳き込んでいるマスキラをやや乱暴に引っ張り上げた。
棘のある声で告げている。
「謝る前にまずは名乗らないと。デニスは何も覚えてないんだから。ーーー赤竜さま、こちらが私の兄であなたの兄でもあったジュリアンです。…あなたの記憶がなくなって、初めて自分の罪を自覚したみたいですよ。何も悪くない弟に自分の才能のなさを当たり散らしてしもべ魔獣に助けられまくって後悔してる間に存在ごと忘れられるって最高に面白いと思うけど」
はい、本当に俺のお兄ちゃんなのね。仲は良くなかったのかな?ブランドンの棘のある言い回しを聞く感じ。
まあ疑いはしない。
服越しだとはいえ俺に触れるなんて変だと思ったけど血縁者だって言うのなら納得。
三人中二人が血縁者。となるともう一人は?
俺がいまだに膝をついているマスキラへと視線を向ける。
三名の中では小柄だったが、彼がまだ11歳だというのには驚いた。
トビーというらしい。ジュリアンの第一子だそうだ。小さい頃は俺もよく遊んでやってたんだって。
「ーーー実際にお会いできるだけで俺は嬉しいです」
いたいけな子供(甥っ子らしいが)に「少しでいいから稽古をつけてくれませんか?」とすがりつかれてしまうとーーー断るのも気が引ける。
いやだって、わざわざ学園休んで寮から王城まで出てきたとか言うんだぜ?
「俺のこと覚えてないと思いますけど」なんてしょんぼりされてみ?
「ーーー鐘一つ分だけな」
渋々頷けば、三人の顔がいっぺんに明るくなった。
その嘘をつけなさそうな素直な表情が三人ともそっくりで、俺は思わず吹き出してしまったのだった。
薔薇陰を琥珀色の髪をしたフィメルは身を隠すように進んでいる。
このフィメル…ミシェーラ=ビリンガムは超有名人なのだ。それこそ目撃情報がメディアで拡散するレベルのスーパースター。
本来こんなところを人目を盗んで移動するような人ではない。
「なーんで私がデニスを捕まえにいかなきゃいけないのよ。こんな可憐な乙女なんだからデニスが追いかけてきなさいよ」
憎まれ口を叩きつつも彼女の表情は明るい。
だって、もう来ないと思ってたのだ。こうしてかつての友人、デニスブライヤーズっをパーテイーに連れ出すために探し回る機会など。
「ミシェーラ様、6年前も同じことおっしゃってましたよ」
古参の使用人がクスクスと笑う。ミシェーラは黙って肩をすくめた。自分は6年経ってもあまり変わっていないようだ。
周囲の友人たちはそれはもう大きな変化を遂げたのだけど。
四月一日は四年前赤竜さまが邪竜さまに交渉し、ブリテンの黒竜とその愛し子を命の危機から救い出した日だった。
赤竜さまがなんでブリテンを?などというトンチンカンなことを言うものはいない。だって赤竜さまとブリテンの深い繋がりは誰もが知るところなのだから。
元騎士団長、一時は裏切りを疑われた国王の元側近。そんな彼の自分の危険を顧みない一連の恩返しは国民を熱狂させ、ブリテンにおける赤竜さまの人気を不動のものへと押し上げた。
しかし、何の因果かその日を境にブリテン王国のことをすっかり忘れてしまった赤竜さま。
訪英はおろか連絡さえ取らせてもらえない。どれほど国王陛下夫妻が打診しても色良い返事はもらえなかった。それでもかの赤竜に対しては凄まじい執着心を見せる国王陛下は諦めず、というか赤竜さまのいるプロイセンから強く反対されつつも完全に無視し、強引に四月一日を国民の祝日に制定した。
お淑やかに、でも楽しげに足を進めるシェーラの後ろには大名行列のように従者たちが続く。従者たちは彼女の言いつけに習って、薔薇に隠れるように腰をかがめて移動するものだから、偶然鉢合わせた貴婦人が怪訝な面持ちで一行を見た。
しかしミシェーラは気にもとめない。
ミシェーラたちの一行はイングリッシュガーデンを抜け、プラタナスの並木道へと出た。
ここはいわばこの城のメインストリート。祭ともなればいくつもの屋台が軒を連ねる。商魂逞しくも今日を狙ってプロイセンから乗り込んできたらしい異国の屋台の店員が安さを保証してくれるがーーーミシェーラはそれどころではないのだ。
値下げ交渉をする買い物客を避け、見回りのために巡回している警備兵に会釈し…巨大な灰色の四角い箱ーーー騎士訓練場に着いたときには十時を回っていた。
「やっとご対面ね…こんな日まで騎士団の訓練場って、本当に剣馬鹿」
呆れを滲ませながらつぶやいたミシェーラ。
彼女の護衛の手によって観音開きの扉が動きーーーミシェーラの目に壁際に張り付いて必死の形相でシールドを展開する騎士たち…とその中心で一際眩しい光を放つ二人組が視界に飛び込んできた。
「何でライラ…黒竜さまがいるのよ。しかも赤竜さまと戦ってるし。クーガンは知ってる?」
ミシェーラの問いかけにクーガンと呼ばれた使用人は「存じ上げません」と応えた。まあそうよね、とミシェーラも思う。どうせパーティーの支度なんてつまんないとか言って勝手に飛び出してきたのだろう。
中央の二人(二竜?)の魔法戦は凄まじく、競技場の端にいても戦いの余波が飛んできそうだった。慌てて駆け寄ってきた騎士たちに案内され、ミシェーラたちは二階の観客席へと移動することにした。
「観客席」と書かれた掲示に沿って、二階の観客席へと上がった一行。
普段は騎士団のファンや子供たちで賑わう観客席も、その日はほぼ貸切状態だった。
ちょうど王宮のバルコニーで国王が国民への祝辞を述べている時間だったし、王宮近くに人が集まっているのだろう。まあ、ここで始祖竜が戦っていると知ればみんな押し寄せてきそうなものだが。
ミシェーラは観客席のクッション性のある座席に腰を下ろして冷たい果実水で喉を潤した。
彼女の後ろでは護衛たちが、「すげえ本物だ」とか「何で戦ってんだ?」とか言い合っている。
彼らの雑談を宝飾品店のBGM程度に聞き流していたミシェーラだったがーーー一人の騎士の発言に、自分の目が座ったのがわかった。
「にしてもデニス、あいつ裏切り者じゃねえか。あいつの功績を称えて祝日にまでするって国王陛下は何考えてんだ?」
自分の友人を貶める発言をミシェーラは聞き流すことができなかった。
だから護衛たちへと振り返り叱責しようとしたのだがーーー周りの騎士たちに先を越されてしまった。
「お前いつの時代の話をしてんだよ、デニス元団長に俺らがどれだけお世話になったと思ってんだ」
ミシェーラは上げかけていた腰を下ろした。少し上がりかけた口元を隠すためにコップを傾ける。
周りに一人も味方がいないのがわかっても、懲りないのか言い出しっぺの騎士はなおも言い募る。
「お前ら騙されてんだよ。知ってんだろ?あいつはくる日もくる日も遊び歩いて、王妃さまに言い寄ってたって。お前らは情報を間に受けすぎなんだよ」
ミシェーラが眉を顰めた…やはり各種メディアが悪意を持ってばら撒いた過去は消し去られていないらしい。任務のためだったとはいえ事実も多く含む。
でもミシェーラの複雑な内心を察したわけではなかろうが、やっぱり周りの騎士が彼の発言をタダでは済まさないらしい。
「ふざけんな」だとか「デニスさまを侮辱すんならぶん殴るぞ」だとかなかなかに穏やかじゃない言葉がミシェーラの後ろを飛び交う。
眉を顰めていた使用人が彼らを止めようと立ち上がりかけたのをミシェーラはそっと制した。
…面白そうなのでもう少し聞いてみようじゃないの。
「お前こそ赤竜様の何を見てたんだよ!そりゃあキスマつけて訓練きたり、バラ園でディープキスしてたり…風紀は乱すし、精神的にもちょっと危なっかしい人だっていうのはみんなわかってた。でも、王妃さまを守るためなら休日だって自分の評判だって全部簡単に捨て去るのは周知の事実だったし、実際に一連の遊びだってその一環だった。しかもあの人は騎士団長として王妃さまだけでなく俺らのことも守ってくれてた。…数字で出てんじゃねえか。デニス元団長がいなくなって、どんだけ殉職者の数が増えたか。あの人が間引いてくれてたってエリザベータ元副団長も言ってただろ。優しすぎるあいつにこれ以上何を求めんだよ」
最後の発言が気になってこっそり件の騎士を盗み見る。
見覚えのある顔だった。確かデニスと仲がいい騎士ではなかったか。いつの間にか自分の護衛に収まっていたらしい。
「あ!ミシェーラ!」
のほほんとした叫び声が競技場から飛んできたのはその時だった。
眩いほどの光が全て収束していき、代わりにミシェーラの周りを金色の光が取り巻いた。
護衛たちが突然の事態に「敵襲か?!」と狼狽えているので、笑って宥める。
「浮遊魔法よ。ーーー全く、ドレスが汚れるじゃないの」
ミシェーラは金色の光に手を引かれるようにして競技場の中心に向かい合って立っている二人へと近づいていった。
学園時代からの幼馴染だったはずがどういう因果か二人して始祖竜化してしまったのだ。
ミシェーラへと手を差し出してきた黒竜の手を取り、ミシェーラはそっと地面へ着地した。
そばに佇む赤竜はといえば、無言でこちらを見下ろしていた。
華があるとはきっと彼のような人のことを指すのだと思う。
背後を春陽に照らされ、紅炎のように揺らぐ赤髪。
くっきりとした二重の瞳。すらり通った鼻筋に形の良い眉。
神様が時間をかけて作ったんだろうなとしか思えない絶世の美貌を持ったマスキラだった。
ーーーとはいえ、ミシェーラにとっては幼馴染。
久々の再会に頬が緩むのを自覚しつつーーー記憶を無くしてしまった彼にもう一度自己紹介をする。
「ミシェーラ=エゲート。第二王弟殿下の妻です。…デニスとは古い友人よ」
デニスが少し困ったような顔で「覚えてない」と首を振った。
それでも手を差し出せばーーー躊躇いがちに握手を受け入れられる。
「赤竜だ。ーーーみんなはローゼシエと呼ぶ。好きによべ、邪竜様の
記憶がないのに何故予知夢と邪竜様の関係を知っているのかと訝しんでいれば、こちらの考えを見通したように「ミシェーラからは邪竜様の魔力の匂いがする」と言われた。
何よそれ、ちょっとやらしいわ…じゃなくて怖いわね。
「デニスってば記憶なくなってからすごい動物的なんだよねえ。この間だって私の魔力結構入ってたしもべ魔獣食べちゃったんだよ?!信じられる?」
ずっと右腕を掴んでいたライラが「暴力反対!」と腕を突き上げた。
デニスがそのライラの様子を冷めた感じで見下ろしていてーーーああ、と思う。
「ーーー本当に、記憶は無くなってしまったのね」
ミシェーラは思わずつぶやいた。
だって、あれほどの温度を持ってライラを見つめていた彼が、ライラにこれほどまでに興味のなさそうな顔をする。
過去になってしまったのだと思った。
デニスはもう赤竜なのだ。
そう諦めて、指示通り赤竜を王宮へ連れ出そうとしたときーーー突如として動いたデニスが、ライラの頭を片手で鷲掴みにし、持ち上げてしまったのだ。
「ギャアアアアア!暴力反対!!!黒魔法…ってミシェーラに当たったらどうすんの!離せえええ「うるせえ」
あ、あれ?興味が亡くなったわけじゃないのね?
ミシェーラは何となく散歩ほど後ずさった。
そしてーーー息をのんで唇に両手を当ててしまった。
「食わせろ」
デニスが、躊躇いなくライラの頭から生えている可愛らしい角に噛み付いたのだ。
デニスは肉食獣のような顔をしていた。白い鋭利な八重歯が除いた美しい獣。彼の前ではみなが被食者になるしかない、そんな壮絶な色気を放ちながら。
…まあ、全然「みんな」の枠におさまらないのがライラこと黒竜なのだが。
「やめなさいって!ばっちいから!ーーーひえ、魔力を吸うな!ばか!こちとら人妻だぞ!」
ライラの抗議にデニスが口元を離した。
乱暴に口元を拭った。
唾液で光る唇が目に毒だった。
「お前はいらない。でも魔力はうまい、もっとよこせ」
どうしよう、止めた方がいいのかしら。
ミシェーラがうろついている間にデニスが再び口を上げ、ライラの角へとかじりつきかけたときーーー
「…これ以上やったらシリル君に言いつけるから!私に惚れてましたって!絶対信じるよあのバカ!」
「シリル君」のワードの威力は絶大だった。
口を開けたまま動きを止めたデニスは、腹をさすりながら一瞬だけ視線を彷徨わせた後でライラを地面へと戻した。
そしてさっきの色気は何処へやら。叱られた子犬のような顔で「それだけはやめろ」とバツが悪そうに呟く。
ライラはずっと掴まれていた頭が痛いのか涙目になりながらデニスへと文句を言っている。
「何でそんな凶暴なの!…言ったじゃん!私たちは親友だったって。助け合うべきなの!しかも私より明らかに魔力が強いのに何で食べようとすんの!」
ライラの必死の抗議。
しかしデニスのイカれ具合の方が数段上手だった。
「ーーーお前のことは嫌いだ。シリル君が嫌がってるから。…でも魔力とその泣き顔は好みだわ」
「もっと泣け」と言い出したデニスから逃げ出したライラがこっちへ来ようとして速攻で捕まっていた。
襟首を掴まれて絶望するライラ。
でもーーーミシェーラは吹き出してしまった。暴れるライラを何でもないように捕まえているデニスの口元がほんのわずかにだけ緩んでいるのが見えたから。
ーーー昔っからいじめっ子っていうか、ドSっぽいとこはあったものねえ。
耳を容赦なく引っ張られたライラがいよいよ本気で泣きを身始めたあたりでーーー満足げな顔のデニスが突如手を離した。
解放されるやいないや、ライラが必死の形相でこちらへと駆け寄ってくる。
彼女を優しく抱き止めながら、後ろをのんびりと歩いてきたデニスに「やりすぎ」と釘を刺す。
デニスは全く反省していなさそうに肩をすくめた。
「耳が痛いそうだから治療してやれ」と上から命令してくる。
私が治癒魔法使えるのは当然お見通しですか、ムカつくわ。
赤くなってしまっているライラの耳に治癒魔法をかけていればーーーデニスが「俺らって仲良かったの?」と聞いてきた。
ライラが「その質問今すんの?私散々いたぶられたの何?」と頬をひきつらせていたので、頭を撫でておいた。こうしとけばご機嫌になるのよね、心配になる程ちょろいわ。
ちょろいんライラがニコニコしながら「すごい仲良かったよ」と答える。
しかしデニスは「お前からはもう聞いた」と一刀両断している。
こらそこ、いじめて楽しむな、私からは見えてんぞその悪そうな顔。
…デニスが視線を向けてきたので、質問は私へ向けられていたものだったらしいと気づく。特に考える必要もないので頷くのだが。
「私とデニスは5歳からの付き合い。ライラと私は中等部から一緒で今は親戚ね。ライラとデニスは中等部で出会ってからあなたがプロイセンへ渡るまでほぼずっとつるんでたわ」
デニスは私の言葉に特に驚きも見せずに「そうか」と頷いた。
そして彼はーーーいまだにむくれているライラと視線を合わせるように屈むと、ぽつりといった。
「ーーー愛し子、か。…魔力の相性の良さは随一だしお前に再会して俺の魔力は元に戻ったらしい」
ライラがキョトンとした。
お月様みたいな目が大きく開かれてデニスを見上げている。
デニスが「やっぱうまそう」と真顔でつぶやいたので怯えて私の背中に隠れたけど。
デニスは呆れたように「自分より弱い奴を盾にすんなよ」などと憎まれ口を叩きながら、ゆっくりと空を仰いだ。
端正な横顔は記憶と全く変わらない。ただ、以前はあった甘やかな雰囲気はどこにも見つけられなくなっていた。
「聞いてるだろうけどシリル君のライラへの苦手意識はとんでもねえ。病的って言ってもいいレベルだ。だから俺は極力お前ら…特に黒竜には会いにこねえ」
ライラがそうっと私の背中から顔を出した。
あーあ、そんな寂しそうな顔しちゃって。
思わず黒髪を撫でれば無理したように笑われる。「しょうがないね」って。…思ってないくせに。
デニスはそんなライラの表情をじっと見つめていたがーーー「話は終わってねえよ」と片眉を上げた。
「俺はシリル君を守り抜くって本人にも、邪竜様にも約束した。黒竜、お前は?」
真摯な色を帯びた声に、ライラも背筋を伸ばしていた。
真っ直ぐにデニスを見上げながら「私にもいる」とはっきり言った。
「ジョシュアを守るって決めてる」
デニスはライラの答えがわかっていたようで「そうだろうな」とあっさり頷いた。
私は一人焦った。ここでじゃあ解散で、となってしまえばこの後の式典にもデニスは欠席してしまうかもしれないし、もう二度とブリテンへ来ないのではなかろうか?
デニスは無表情のままでライラの頬へと手を伸ばし、羽根のような手つきでするりと撫でた。
そしてーーー勝気な表情で笑った。
「シリル君が天寿を全うした後なら来てもいい。助けて欲しければ連絡しろ」
ライラが頬に添えられた手を容赦なく払い除けつつ、嬉しそうに破顔した。
「ありがとう!じゃあ、私も約束!ジョシュアを見送った後で、親友として一緒に暮らそうよ!」
ちょ、ちょ、このおバカ。
今のこのマスキラの目を見てよくそんな軽はずみなことが言えたわね?
私は慌ててライラを引っ張り、デニスに背を向けてから彼女へ囁く。
「さっきから散々言われてるじゃない!『食われる』わよ。軽はずみな発言はよしなさい!」
ライラはいつもの無表情のままでキョトンとしていたがーーー私の言葉を聞いて、スッと目を細めた。
そして、ひどく大人びた笑みを浮かべたまま、唇を開いた。
「ーーー知ってる。わざと。私だって500年経てば強くなってるだろうし、簡単に食わせてやる気はないよ。何より相手がシリル君だろうがデニスの心を渡す気はないってだけ」
ーーーそうだった。バカなのは私だ。
この幼馴染は普段はのほほんとしていて忘れがちだが、結構な策士なのだ。
「なーに、俺に隠れてひそひそ話?」
覗き込んできたデニス。
いつの間にかライラは隠蔽魔法を使っていたようだ。デニスにも内緒にできるほどの。
「気になる?教えないけど」
そうやって楽しそうに笑うライラと少しムッとした様子のデニスを見てーーー心から思った。
良かったと。本当にこの結末を迎えられて良かったと。
かけがえのない友人が誰もかけずに。
いつも憂い顔だったデニスにも再び守りたい存在が見つかり。
…デニスを断腸の思いでプロイセンへ送ったライラの想いが報われて。
「デニスはね、生粋の騎士なんだよ。でも私は守られたくない。黒竜になったから守られる必要がない。デニスより偉くもなりたくない。私は友人として隣を歩きたい。でもデニスには騎士として生きてほしいーーーこんなわがままを『赤竜化』と『ブリテン行き』によってジョシュアは叶えてくれたの」
今のデニス=ブライヤーズを「当て馬騎士」などと呼ぶものは一人だっていないだろう。
しかもーーーどうやら500年ほど先には想いも叶うみたいだし?
とんでもない逆転劇を見せた友人とーーーそれを裏で全力で支援していたもう一人の友人。
彼らがこの先もずっと笑っていられますように。
END
当て馬騎士の逆転劇〜こいねがえば叶うはず〜 橘中の楽 @Cho-cho
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