第63話 再会

「大体、こんだけ俺らが説明しても思い出さないんだから、ブリテンの記憶に関しては完全に消されたんだろ。そんなに心配しなくてもローゼシエがこっちに寝返ることはねえよ」


パーシヴァルがそう言った時ーーーシリル君が突如、黙り込んだ。

みんながシリル君の方を見た。

だって、さっきまであんな勢いよく言い返してたのに。


シリル君は非常に不満そうに口を歪めていた。

でも魔力が悲哀で揺れていたから、俺は思わずシリル君の背中に手を伸ばしてさすってた。


シリル君が驚いたように俺を見た。

俺は安心させてやりたくて、頷きを返す。

考えてることはわかんないけど、どうせまた抱え込んでるんだろって思ったから。


シリル君が穏やかな顔で「ありがとう」と呟いた。

…パーシアヴァルが幽霊を見たみたいな顔してんのはシリル君気づいてないといいな。確かにシリル君はデフォルトが仏頂面だけど、何もそこまで驚かなくても。


シリル君はパーシヴァルに向き直り、ひどく真剣な顔になった。

パーシヴァルもシリル君の雰囲気が変わったのを察したらしい。真顔になると「どうした?」と問いかける。


「昨日、黒竜はブリテンに来てなかったか?ーーーローゼシエが偶然鉢合わせたみたいなんだ」


パーシヴァルとジョシュアが弾かれたように顔を見合わせた。

「聞いてる?」「いや、何も」と素早くやりとりがされる。

二人はなぜか足元に置かれた黒い塊をそろってみた。黒い塊は一瞬だけびくってなってた。

…だからなんなんだよそれ!


ジョシュアが顎に手を当てながら「でもプロイセンに行ったかもしれない。昨日ライラが『魔道具を探しに遠出する』と言ってるのは聞いたし、以前からプロイセンへの出入りが自由になるのを心待ちにしていた。昨日プロイセンまで出かけてたとしても驚きはしない。ただーーー」


ジョシュアが言葉を切った。

そして俺を見た。


「昨日は王宮での執務が立て込んでいたし、ライラの滞在時間はそれほど長くなかったはずだ。ーーーすごい偶然だな、鉢合わせたというのは」


俺は「偶然ではなくて青竜に仕組まれたんだよ」と言おうとしたのだが、パーシヴァルの次の発言が衝撃的すぎて、全てが吹っ飛んでしまった。


「さすがは愛し子同士だな。ーーーすげえ運命力」


え。

俺の口は勝手に動いてた。

やめとけばいいのに、気づけば口から出ちゃってた。


「黒竜が、俺の、愛し子なの?」


シリル君は全身の力が抜けたみたいに背もたれに崩れ落ちた。

パーシヴァルが俺とシリル君を見比べて複雑そうな顔をしていた。

ジョシュアは「そうらしいぞ」と凪いだ顔で頷いている。


俺は周りの反応にびびりながらも「そうなんだ」とうなずいた。

するとシリル君が首がもげそうな勢いでこっちを向いた。

さっきからなんなんだよ!大袈裟だなリアクションが!


シリル君は注意深く俺の様子を観察した後で「え、お前反応薄くない?!」とでかい声で叫んだ。


「愛し子がわかったんだぞ?『そうなんだ』じゃないだろ。今すぐ会いに行こうじゃないのか?そこは?」


シリル君に食ってかかられる。

困った、なんて答えて欲しいんだ。

近いしな。体を乗り出してこないでな。

俺は眉をハの字にして「シリル君落ち着きなよ」と言ってみる。

肩を押して定位置に戻すのも忘れない。椅子ごと倒れそうだったし。


「だって覚えてないし、全然ピンと来ないんだよ」


すかさずシリル君が「昨日わざわざ報告に来ただろ、お前が見かけたのは黒竜だ」と早口で付け加える。


へえ、そうなんだ。あれが黒竜…ね。


「どうりで面白い魔力だったわけか。…手に入れて従属契約でも結ぼうかと思ってたんだけど黒竜じゃ無理だね」


「じゅ、従属契約…」


シリル君が若干引いたような顔で俺をみた。

人間の価値観ではアウトだった?でも始祖竜の愛し子以外の扱いってそんなもんだと思うんだけど。

ジョシュアとパーシヴァルはなぜか少し青ざめて、足元にある黒い包みをチラチラとみていた。…本当にその中身何なのかそろそろ教えろよな。


シリル君は不自然に口を開け閉めしーーー「今すぐ行かなくていいのか?」と再度聞いてきた。


シリル君、どんだけ俺を黒竜の元に行かせたいんだ。

恨めしそうな顔になったのは許してほしい。

だって昨日も言ったじゃん。


「俺のこと追い出さないって約束したじゃん、なんでシリル君は俺をどっかに行かせたがるんだよ」


俺がこの発言をした時、なぜかブリテン側の二人がうめいてた。

「自業自得だが刺さるな」というつぶやき。


シリル君はまだ何かを疑っていたようだったが、流石に今すぐ俺が黒竜の元へ飛んでいきたいわけではないのはわかってくれたらしい。


「…そ、そうか。ローゼシエがそう言うならいいんだ。俺が心配しすぎた」


俺たちのやりとりを見守っていたジョシュアが、シリル君へ向けて、


「ではライラも王宮に連れてきていいか?ローゼシエに誰より会いたがってるのだが」


と言った。パーシヴァルがなぜか笑いを堪えるように足元の黒い塊を見てた。

でもシリル君はジョシュアの提案を考える素振りもなく「だめだ」と首を振った。

なぜ?と首を傾げたジョシュアに対し、自嘲するように笑って、シリル君は一瞬だけ俺を見た。


「昨日一瞬ライラを見かけただけでローゼシエの魔力は一気に上がった。ーーー四年近く一緒にいた俺たちじゃやっぱダメなんだなって突きつけられたんだ。せめてブリテンで会ってくれ。魔力が感じられる距離にはいたくない」


シリル君よ、何がダメでなんでブリテンで会って欲しいのか全然わかんないけど、ともかくまたネガティブなこと言ってるな?

ーーーというか俺の魔力そんなに上がった?自分じゃあんまり自覚ないんだけど。


俺が手の平を開いたり閉じたりしていれば、パーシヴァルがシリルに向かって「お前はマイナスに考えすぎだろ」と苦言を呈していた。

ジョシュアは会話の流れなど完全に無視で、嬉しそうに手を叩いた。


「ブリテンで会っていいなら来月の式典への招待状を出すぞ!いいよな?」


シリル君が黙り込む。

パーシヴァルが自分の兄を嫌そうに見ながら「この状況でよくその提案できたな」と首を振っていた。

ジョシュアはキョトンとしていたが。


…後から聞いたけど、ジョシュアは感情の機微があんまりわかんないんだって。魔力が多すぎた弊害らしいよ。すごい天然ちゃんなのかと思ったぜ。


結局、意外と押しの強かったジョシュアによって、俺は来月の式典へ行っていいことになった。

シリル君が泣きそうな顔で「来月か…」と呟いていたのが気になったが、俺は密かに喜んでいた。またあの宝石みたいな彼女に会えるらしいし。


さあお開きかーーーとなったところで、パーシヴァルが「そういえば言い忘れてたことがあったなあ!」とすげえ棒読みで言った。

シリル君と俺はそろってパーシヴァルを見てしまうパーシヴァルはいそいそと足元の黒い塊を持ち上げーーー机の上にそっと置いた。


「こいつを来月まで預かってて欲しいんだ!」


パーシヴァルはそう言いながら、黒い塊に巻きつけていたマントを一気に外した。中にいたのはーーー


「にゃー」


…金色の瞳をした黒猫だった。え、なんで猫がここに?


黒猫は俺の方に優雅に歩いてくると、鼻筋を手の甲に擦り寄せてきた。

鼻の湿った感覚がくすぐったくて、思わず笑ってしまう。


ーーーその時。

黒猫を見ながら怪訝な顔をしていたシリル君が、突然立ち上がった。

椅子が後ろに倒れたことさえも気付いてなさそうなほどにシリル君は動揺していた。唇を戦慄かせ、黒猫を指差しながら「お前、お前!」と何度も連呼してる。


「なんでここにいるんだよ!おい!連れてくんなっていただろうが!」


シリル君が机をぐるりと回ってパーシヴァルをつかみ上げようとした。

だが、パーシヴァルは「ひゃははは」と人を食ったような笑い声を上げながらシリル君から逃げ回る。

長方形の机の周りを何周も何周も回る二人。

本気で走ってるシリル君が捕まえられないなんてパーシヴァルはすごいなあと二人の追いかけっこを眺めていたら、黒猫が背中を弓形にしならせ、次の瞬間俺の肩に飛び乗ってきた。


柔らかそうな肉球が俺の方へと着地した瞬間びっくりしてしまった。

黒猫が予想外に重かったのだ。

よろめきかけて、慌てて身体強化する。

ちょっと待て、こいつの魔素濃度どうなってんの?!


黒猫はまるでいたずらが成功した子供みたいに「にゃにゃにゃ」と鳴いた。

重さだけじゃなくて鳴き声もおかしくね?

俺は肩の上から器用に顔を覗き込んできた黒猫のサーモンピンクの鼻を軽くつつく。


「お前、猫じゃないだろ?魔獣か?」


黒猫はお月様みたいな瞳を細めて「なーお」と鳴いた。

今のはどっちだ?イエスか?ノーか?

俺が猫と戯れている間に、シリル君が疲労困憊な様子で戻ってきた。

まああれだけ走り回ればな。


部屋の奥へとチラリと視線を向けてみれば、なぜかジョシュアがパーシヴァルを片手でかかえ上げていた。

…追いかけっこをしてたはずなのに、なんでそうなったのか、知りたいような知りたくないような。


シリル君は死んだ魚のような目で俺の前に立つと、いきなり黒猫を捉えるために両手を伸ばしてきた。

あ、捕まる。

そう思ったのに、黒猫は間一髪のところで俺の肩を降りて、地面へと着地した。

シリル君が標的を失ったせいかバランスを崩した。

そのまま結構な勢いで肩口に倒れ込んできたシリル君を受け止める。

俺のうっすい胸筋にシリル君は鼻をぶつけてたと思う。

蛙が潰れたみたいな声出してたもん。


慌てて肩を掴んで引き剥がし、シリル君に怪我がないか確認する。


「大丈夫?ごめんね、ちゃんと受け止められなくて」


シリル君はバランスを崩したのが恥ずかしかったのか、無言で首を何度も振り、俺の腕を抜け出した。そのまま大股で扉の方へと歩いて行ってしまう。

そんなシリル君を揶揄うようにパーシヴァルが「低い鼻がもっと低くなるぞー」と最低なヤジを飛ばしていた。


「いい歳して捕まりそうになったら兄貴に抱っこしてもらうやつに何も言われたくねえ!」


また喧嘩が始まるのかなと苦笑いしていれば、なぜかジョシュアがスッと右手を上げるではないか。


「…。どうした、ジョシュア」


シリル君もジョシュアは無視できないらしい。

わかるよ、立ってるだけですげえ存在感あるし、奇妙なことばっかやるしな。


「この猫を、置いていってもいいだろうか?」


シリル君は「ダメだ」と短く言いきり、とりつく島もなさそうだ。

…やめて、ジョシュア、こっち見ないで。

「お前からも言ってやってくれ」みたいな目で俺のこと見ないで!


普段だったらシリル君のいうことに逆らおうとも思わないのに、なぜかジョシュアの意向は無視できないと思ってしまう俺がいる。

前、仕えてたって聞いたしな…身体が主人をおぼえてるのかもな。


俺は渋々シリル君の横に行って、拗ねてしまっている(と普通の人は言わなそうなくらい凶悪な顔だが)シリル君の肩をそっと叩いてみる。


「なんだよ!」


噛み付かんばかりの勢いで振り向かれた。

ちょっとびびったぜ。


「国王様が持ってきてくれた猫なんだし。ひと月くらい預かってもいいんじゃないの?シリル君が嫌なら俺の離宮で過ごさせるし」


俺の言葉の何が悪かったのか、シリル君が急に泣きそうな顔になってしまった。

地雷源が全然わかんねえ!!


「ごめん、シリルくんもよく来る俺の城で飼うのも嫌だった?でも飼い猫だろうし、野外ってわけにはいかないーーー「ちげえよ!このにぶちん!」


理不尽な罵倒が俺を襲った。

にぶちんって俺のこと?!

一ミリも納得いかないのだが、ブリテンの二人が肩を震わせて笑ってるので俺が悪いようだと悟る。

一瞬、猫まで笑ってるように見えたのは気のせいか?


頭を抱えてしまった俺を見て、シリル君が一つため息をついた。

緩慢な仕草でシリル君が問題の猫の方へと振り返る。


シリル君は腕を組んで、喧嘩でも売るように猫に向けて啖呵を切り始めたではないか。


「『猫』なんだよな?猫以外のことやったら速攻で送り返すからな!」


「にゃ!」


これ、突っ込んだ方がいいのか?この猫ドヤ顔してんぞ?


「食い物だってキャットフードにしろよ?!俺のとこ来て『ミソシル作って〜』とか言ったら全部の毛むしるからな?」


「にゃ、にゃ〜?」


…なんだこの猫、明らかに「嘘でしょ」って顔してんぞ。


「和国の漫画の最新刊も今日送ろうと思ってたけど見せないからな!」


「にゃ?!にゃー!!」


怒ったように猫がシリル君へと飛びかかり、シリル君がヒョイっとかわした。

シリル君の横顔は険しいままだったがーーーあれは、多分怒ってるポーズだな。口元が不自然に歪んでるし。


シリル君に向かって猫パンチを繰り出す黒猫を見て、俺は堪えきれずに吹き出してしまった。

シリル君とこの猫、多分友達だな?

しかもシリル君が私物を貸し借りするほど仲がいい相手なんて存在するとも思ってなかったんだけど。


ジョシュアとパーシヴァルは猫を置いたまま転移魔法で帰るようだ。

未だにヒト語と猫語(?)で言い争う一人と一匹を放置し、去り際に俺に向かって「猫の世話は頼んだぞ」と言ってくる。

俺は笑いながら頷いた。色々と怪しさ満点ではあるが、シリル君の友人なら丁寧にもてなさないとな。


「こいつは俺が連れて帰る」


シリル君はそう宣言して暴れまくってる猫を鷲掴みにして本城へと戻っていった。

なんだ結局一緒にいたいのか、仲良しだなあと和みながら自室に帰った俺はーーー久しぶりに、驚きすぎて何もないところでつまずいてしまった。


だって!なぜかウェイティングルームにいたんだよ!

さっきの猫が!


「お、お、お前、なんでここに?!というかこの城の防衛の魔法陣どうやって潜った?!」


黒猫はいたずらが成功して嬉しかったのか、「にゃ!」とひと鳴きしてまた俺の肩に乗ってきた。

やっぱり重い。支えられないって意味ではなく、見た目と魔力の比重が全然一致してない。


「お前何者だよ〜というかあんまりシリル君を困らせるなよな?」


俺はそう言いながらシリル君へとしもべ魔獣を飛ばそうとした。

こっちに黒猫が来てしまってると伝えたくて。


だから俺のしもべ魔獣の蛇に黒猫が飛びついた時は「こら!」って声をあげて叱ってしまった。


「飛んでるものなんでも触らないの!俺の魔力は危ないんだからーーーってお前まさか俺のしもべ魔獣食べちゃったのか?!」


黒猫はどうやったのか知らないが、俺のしもべ魔獣を吸収してしまったみたいだった。

困ったやつだなと思いながらもう一匹作り出し、今度こそシリル君へ伝言しようとしたのだがーーー


「にゃにゃ!」


叫びながら軽く跳躍し、また食いやがった。

いや、食ったというか吸った?口元に俺の作った赤い蛇が吸い込まれていったのがバッチリ見えた。


「…さてはお前、わざとだな?」


黒猫は俺の言葉を聞いてプイッと首を背けた。

ほうほう、言葉も完璧に通じていると。


「お前何者なの?ジョシュアたちとシリル君の知り合いなのはわかったけど」


猫ではなさそうだ。

というか多分人間だ。でも俺の知る限り人間は猫になれない。

あ、まさかーーー


「お前、上位魔獣か?人語を介する上位魔獣もいるって聞いたことあるぞ!」


絶対正解だと思ったのに、猫は人間のように首を振っていた。

違うのか、上位魔獣じゃないのか。


俺はお月様みたいな猫の瞳を眺めーーーふと懐かしさを覚えた。

ジョシュアとシリル君の知り合いか。

もしかしなくても俺も知り合いなのかもな。

何も思い出せないけど。


でもーーー


「お前綺麗な目してるなあ。お月様みたいだ」


猫は俺の言葉に応えるように「にゃー」とひと鳴きし、俺の前まで走ってきた。

お行儀よく座った黒猫。

「目くり抜いたらすげえうまそうな魔石が出てきそうだなあ」なんて考えながら見下ろしていれば、なぜか前足を上下し始めた。


「どうした?」


不思議に思ってしゃがみこめば、嬉しそうに鳴かれた。

あ、まさかしゃがめってハンドサインだった?


黒猫は目線が近くなった俺のことをじっと眺めてた。

まるで何かを確かめるように、時間をかけて。

動こうとすると怒ったように猫パンチされるので、俺も猫のことを眺めるしかない。


猫と向かい合うという奇妙な時間が流れているとーーー部屋の入り口の魔法陣が赤く光り、元気よく駆け込んできたのが二人。


ローゼシエ!とリアが叫んでるのはいつもどおりだが、ニーヴまでがおんなじ調子なのは珍しい。

俺はすぐに立ち上がって、飛び込んできた双子を両手で受け止める。

何をこんなに興奮してるのか不思議に思っていれば、二人は息ぴったりに「できたんだよ!」と言ってきた。


「ついにできたの!カナリーイエローのサークルストーン!」

「ついさっきミシェーラ様が送ってくださって!」

「ボク、ローゼシエのサークルストーン壊しちゃってからずっと探してたんだよ!秘密にしてたけどね、先月スリランカで見つけたんだ!みんなにカナリーイエローの魔石が運良く見つかるなんてすごいって褒められたんだ!前のよりもちょっと大きいくらいだってミシェーラ様も言ってたし!」


怒涛の聞いて聞いてはとても可愛い。

俺はひとまず双子のことを抱きしめ直した。

だけど双子が何を言ってるのか、さっぱりわからん。

困惑顔でいる俺に気づいたのか、二人は急に喋るのをやめた。

俺に抱きしめられた状態で顔を見合わす。

そしてーーー気まずそうに「ご、ごめん、ちょっとプレゼントがあるだけだよ」なんて取り繕うように言うではないか。


子供にまで気を遣わせてると、流石に胸が痛むなあ。


「ごめんなあ、思い出せないことも多いんだよ。前に約束してたんだろ?ありがとな、見せて?」


ニーヴが気遣うように「忘れてたボクたちが悪い」と言ってくれる。

リアは満面の笑みに戻って「早く見てよ!」と顔の目の前にプレゼントボックスを押し付けてきたが。


さっきの双子の話からするに宝飾品だろう。しかも魔石がついているらしい。

俺はプレゼントボックスを受け取りながら、少し驚いてしまった。

深海のような群青の箱に、薔薇の形のリボンが添えられていた。

気のせいでなければ薔薇の赤色は俺の髪色をイメージした色だろう。この俺にとっては見慣れた抜けるような赤色を目にする機会はそれほど多くない。

一言で言えばとてもセンスが良かった、これ、リアが用意したのだろうか?


「ラッピングはリアがしてくれたの?それともニーヴ?」


思わず聞いてしまう。

リアが「俺だよ」と胸を張った。


「ローゼシエは俺の大事な魔石…じゃなくて、大事なひとだから!頑張って選んだんだーーー早く中身も見てよ」


「大事な魔石」ってあたりがリアっぽい。

それにしてもがきんちょだったリアもこんな洒落たことができるようになったのか。子供の成長は早いな。


しみじみと考えながら、四角い箱の蓋を開く。

正直気持ちだけで嬉しかったし、中身に期待はしてなかった。

元のサークルストーンとやらも覚えてないし。


だから全然心の準備ができてなくて驚いた。

息を飲むしかない。大英博物館のジュエリーコーナーに飾られていそうなほどに見事な宝飾品が現れたのだから。


「すごいな…」


薔薇蔓のように繊細な曲線を描く銀の土台には、お月様みたいな色をした巨大な黄色魔石。それだけでも立派すぎるほどなのに、さらにその周りには主役を引き立たせるためにメレルビーがふんだんにあしらわれており、金色と赤色の宝石の絶妙な調和が完璧な形でなされていた。


ーーー俺はあまり宝飾品には詳しくないんだが、これがやばい品だってことくらいはわかる。特に中央の黄色の魔石が凄まじい。表面に施された精巧なカッティング、くすみや傷ひとつない純度の高さ。

一眼で手間も金もめちゃくちゃかかっているとわかってしまう見事なサークルストーンだった。


「こんないいものをもらっていいのか?」


ちょっと声が震えてしまう。

リアたちがいくら「元からローゼシエは同じようなのを持ってたんだよ」と言おうが、記憶がリセットされている今の俺からすると突然養い子から城が建ちそうなサークルストーンをもらってしまった状態なのだ。


サークルストーンを眺めながら途方に暮れていればーーー存在をすっかり忘れていた猫が近づいてきた。

猫は背中を弓状にしならせて、軽やかに机の上に降り立った。

そして金色の瞳が俺に向けられーーー気づく。

このサークルストーンと猫の瞳はほとんど同じ色をしている。


猫はとても優しい眼差しで俺のことを見上げてた。

静かに、でも語りかけるような眼差しで。

カナリーイエローの瞳を眺めているうちに心臓の鼓動が、徐々に、でも確実に早くなっていくのがわかった。

俺の中で魔素がぐるぐると回り出した。

俺の中のどこにこれほどの力があったんだろうってくらい、魔素が全身をみなぎって、片っぱしから魔力へと変換されていく。

でも不思議と制御には困らない。

この溺れそうなほどの魔素に包まれる感覚を、俺の身体は知っていた。


俺の身体から立ち上った赤い魔力に驚いた双子が慌てたように距離をとった。

プロイセン中からやかましいくらいにたくさんの魔素が集まってくるのを肌で感じた。

双子を驚かせたんだから謝らなきゃいけないって理性では思うのに、俺の心は息を吹き返したみたいに弾んでた。

俺は記憶を失ってからはじめての感覚に襲われていた。

そして、理解した。

記憶はなくても本能が告げていた。


ーーー俺はこいつを食い尽くしてえ。


懐かしいような泣きたいようなーーーでも、愛しくてたまらないような感情が胸の奥から溢れ出る。

引き寄せられるように猫の金の瞳へと唇を近づけた。

驚いたように固まる猫。


俺は舌を少しだけ出してその金色の瞳を舐めた。

甘くてほろ苦い金の魔素の味。

…自分の中のトリガーが外れたのがわかった。


「いただきます」


俺は危機を察知して逃げようとした猫を素早く捕まえてーーー唇を窄めて、首元に吸い付くようにして中身の魔素を吸い出した。


「ふみゃああ…」


弱々しくなっていく猫の声を聞いても背徳感に混じった快感が背中を駆け上がっていくだけだった。

腹が減った。

全部よこせ。

猫の魔素を容赦なく吸い付くし、猫の姿が魔素一粒の残さず俺の中へ消える。柔らかな毛の感触が残っていた指先をぺろりと舐めた。


「うんま」


つぶやきとほぼ同時。

黒猫から吸い出した魔素が俺の中を巡り終わって、俺のはらに吸収されていった。

次の瞬間。

俺を中心にとんでもない量の魔素が渦巻いて、竜巻を起こしたみたいになっていた。騒ぎを駆けつけて転移してきたらしいシリル君が「何事だ?!」と叫んだ。


「おい、ライラ、ローゼシエに何をーーーなんだこの魔素の量!」


赤の魔素の本流の中心で俺はうっそりと笑った。


「ライラって猫のこと?…ごめん、食べちゃった」


シリルくんが絶句したように口を開けていた。

ははは、間抜けずら。


「うまそうな魔力だったから。…ダイジョーブ、黒竜の本体は別だよ。あれがなくなってちょっと弱体化するかもしんないけどね」


あの中毒性のある金色の魔力を思い出すとうっとりしてしまう。

…また食いてえな。黒竜って確か弱いだろ?勝手に奪えばいいか。


俺は自分の周りをはしゃぎ回ってた魔素たちに「散れ」と一喝した。

俺すぐさま霧散していく魔素たちだったが、どれほど遠くへはいってねえな。

ニーヴやシリル君には強すぎる魔素は毒なのだ。

あとできちんと言い聞かせなければ。人間がいるときは寄ってくるなと。

俺が一歩踏み出すだけで、魔素という魔素が俺のためにいろんなことを教えてくれようとするのに驚きながら、俺は座り込んでしまっているシリル君の元へと歩いた。


そして手を取ろうとしーーーシリル君が息苦しそうにし出したので、慌てて距離を取った。


慌てて周りの魔素を確認した。

さっきの攻撃的だった赤い奴らはいねえ。いるのは黄色とかオレンジとかの愛玩動物みたいな魔素だけだ。


立ちすくんでいれば、近寄ってきたリアに「魔力漏れすぎじゃない?」と言われた。

そうか、外的要因ではなく俺の魔力が原因か。

先程の高揚感が抜けきれていないせいか出力が強すぎるみたいだ。リアは黄色竜だからかケロッとしてるけどシリル君は脆い人間なのだ。うまく調整しないと。


自分にシールドをかけていたら、若干呼吸が荒いままのシリル君が立ち上がった。

シリル君は先程の魔素の勢いで乱れていた髪を適当に直し…泣き出しそうな顔で、言った。


「…おめでとう、ローゼシエ。本来の姿に戻ったな」




あんなに嫌がってた猫を俺が食ってやったのに、その日からシリル君は様子がおかしくなった。


「ーーーシリル君、なんでまた盗撮してんの?」


魔石を食べていたら突然カメラを向けられる。

いっつも横にいるやつの食事風景なんぞ撮ってどうするんだと言いたいが、シリル君は怒ったように「記念だから」なんて言うのだ。


「ブリテンに行くまであと半月だろ?できるだけ思い出を残しておきたくて」


ーーーずっとこんな調子なのだ。

あと半月したら何が起こるんだっていくら聞いても答えようとしない。

そのくせ二十四時間センチメンタルな顔してるし、俺に向かって「元気でな」とか言ってくるし、こうやって暇さえあれば写真だの動画だの撮ってる。


まあ、シリル君がなんでおかしいのか予想はつくよ。

多分持病の「俺がブリテンに行って戻ってこない病」を発病したのだろう。

俺本人がプロイセンを離れないし帰る場所はこっちだって言ってんのに、まじで全然耳を貸さねえ。


「またそんなこと言って。いい加減怒るぞー」


半目になった俺のことをまたカメラで撮りやがるシリル君。

しかも、「5年も幸せな夢が見られたんだから後悔はないよ」とか、らしくなさすぎる台詞を吐き、


「実際に会えばわかるよ。お前の居場所はあいつの隣って決まってる」


ーーーなどと達観してくる。

ぶっちゃけすげえうざい。

あいつって誰だ。俺が隣で守るって決めたのはお前だぞシリル=オゾン。

俺の話なのに勝手に決めんなこの野郎って感じである。


「まあいいけどさ。半月後にわかるだろうし」


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