セリフの練習

ごせんさつき

「ねえ、先輩? 私目黒の桜が見たいのだけれど」


「……えっと、キミはだれ?」


「だれって、私は私だよ? 吐きすぎておかしくなっちゃった?」


「いや、不思議と吐いてても気分がいいし意識は明瞭なんだけど、ごめん。やっぱりキミはだれ? 記憶にないな」


「ふーん? まぁでも悪いものを体から出してるようなものだもんね。気分は良くなるかぁ」


「お酒は別に身体に悪いだけじゃないよ。昔も今も神聖なものだし」


「出た出た、出ました。酒飲みの常套句。飲んでない方がつらいってそれもう立派な依存症ですよ」


「いや僕が依存してるかどうかはどうでもいいんだよ。質問に答えてくれ。キミはだれ?」


「いいや、関係ありますよ。お酒飲みすぎてるからわたしのことだって忘れちゃうんです。さっきも私は私だって言ったじゃないすか。それに質問っていうなら、先輩はまだ私の質問に答えてないじゃないですか。私の方が先です」


「えっと、目黒の桜に行きたいだっけ? うん、嫌だよ。はい、僕は答えた。キミの番。名前は?」


「むぅ、クソほど腹立たしい先輩です。なんで嫌なんですか? 先輩が人混み嫌いだからですか? そういえば昔、人混みで気持ち悪いとか言って酒をガバガバ飲んで、今みたいに吐いてましたよね。全く変わってない」


「うるさいな、別にいいじゃないか昔のことは。今も人混みは嫌いだけど、それでも昔みたいにそんな理由で飲んでるわけじゃ--いやまって、キミはなんでそのこと知ってるの?」


「はぁ、もうやっぱりお酒、やめたほうがいいですよ? あの時だれが周りの人に謝ったと思ってるんですか? 先輩の後始末を私はしたんですから」


「先輩、先輩って。だからキミの名前を教えてくれよ。僕はキミのような後輩は知らないって。そうだよ、さっきから意識は明瞭だしあの時だって一緒にいたのは……いたのは……」


「ほら、やっぱり忘れてるじゃないですか」


「キミはだれなの? 僕の知ってる人?」


「私は私だよ。先輩が思い出したら、色々わかるよ」


「僕は色々忘れてるの? さっきまでそんな感じしなかったけど。今も意識ははっきりしてるけど」


「先輩は、その時の記憶を忘れてるということ、きっと忘れちゃったんだと思う」


「どうすればいいと思う? 僕が忘れてることを思い出すには」


「だからさ、先輩、目黒の桜見にいこうよ? きっと思い出せるよ」


「目黒に行けば、僕の知りたいことがわかるの? でもあそこ人が多いよね。多分また気持ち悪くなると思う」


「大丈夫。今の時勢柄、人は全然いないよ。そうだ! 不安なら夜行こう? 夜桜も綺麗だよ。水面に桜が反射してさ」


「夜かぁ」


「そう、夜! 街灯と私たちしかいない目黒川の桜はきっと見ものだよ!」


「じゃあ行ってみようか。 水面に映った桜を見にさ」


「先輩らしいね。見たいのは映ってる桜なんだ? 上で咲いてるのじゃなくて」


「僕みたいな人間は下を見ながら歩くのが適任だからね。お陰で吐く時も下にしか吐いたことないよ」


「上を向いて吐く人もいないと思いますけど……想像したら窒息しそうで気持ち悪いですね」


「……水面の桜に吐いてみる?」


「それだけはやめてください。さて、それじゃ先輩? 行きましょうか。目黒の桜を見に。先輩の沈みきった思い出を探しに。掬おうとしても水ばかり掬って水面に反射している肝心の桜に手が届かない先輩を見つけに」


「そうだね、行こっか」

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セリフの練習 ごせんさつき @satukisagubasi

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