マヨヒガ

@Tozannbu0330

第1話 屋号なき屋敷の中で

秋山晴一


 鼻腔をつく湿った土の香りにも慣れ、レインコートを叩く雨音が耳障りでは無くなって久しい。ふと左手の銀時計に目を落とす。時間は午後の5時を回っている。時計の針は5時15分をしめしていた。

「ひどい夏合宿だ」と晴一は心の中で悪態をついた。すでに晴一の登山靴は泥にまみれ、膝も震えている。

 ふと後ろを振り返る。後続の様子はやはり芳しくない。足元がおぼつかない者、ぶつくさと文句を口にする者、今にも泣き出しそうな者、全員疲労困憊しているのが見て取れる。限界だ。休める場所が必要だろう。

 すると、先頭にいた顧問の女性教師、矢島美咲が後ろを振り返り、声を張り上げて言った。

「あかりが見える!あそこで休めるかもしれないわ!」

矢島先生の言葉は後続にも届いたのだろう。心なしかみんなの生気のない顔に血色が戻ったように見受けられた。

 確かに篝火のような光が見える。光の方に歩みを進めていき、ようやくその正体が分かった。

---屋敷?

洋館だろうか。鬱蒼とした森には似つかないほど巨大な洋館がそこにはあった。

「ねぇ晴一、あれなんだろ、ホテルの様にも見えるけど。」

栗色の髪の毛をした少女が話しかけてくる。

「洋館みたいだね。僕にもよくわからないけど」

小さな胸騒ぎがする。休まなければいけなくて、それにはちょうどいいと思わしき場所がある。解ってはいるが、あの館を見てからどうも落ち着かない。

「気のせいか」

そう言い聞かせ、明かりの灯る館へ歩みを進めた。


 蝉の歌声がそこらに木霊する。7月の暑さには毎年の事ながら敵わない。それでいて美しいから嫌いになれない。詩人を気取ったような感想に内心自嘲し、晴一は高校生活最後の夏休みを迎えようとしていた。

「7月31日から8月1日で、一泊2日の夏登山合宿を行います!」

期末テストが終わったその日の放課後、夏の日差しが容赦なく降り注ぐ中庭に写真部が集められ、矢島先生が声高々と宣言した。「おおっ」と言う声が半分、「えー」と言う声が半分だ。後者は帰宅部が選べない田沢高校において部活を合法的にサボタージュしたかった者達だろう。田沢高校の写真部とはそう言う部活だ。

 晴一はどちらかと言うと前者に入る。部活は好きだ。

 晴一は元々剣道部に入っていたが、人間関係を理由に退部。矢島先生にスカウトされ写真部へと転部してきた身だ。体力には自信がある。

「7月20日、終業式の日の放課後説明会を開きます。希望者は参加承諾書を持って会議室まで来てください」

矢島先生はそう言って締めくくり、承諾書を配り解散となった。

「なぁ。お前は行くのか?」

声をかけてきたのは中学校からの親友である松前始だ。半袖のワイシャツからは筋肉質な腕をのぞかせ、不良よろしく第一ボタンは開けてある。彼も晴一と同時期、空手部を辞めて写真部に来た経歴を持つ。体力はある。

中庭のベンチに腰掛けながら晴一は答えた。

「うん。行くつもりだよ。君は行くのかい?」

「まぁな。割と面白そうだし。てかお前山なんて登れるのか?」

「失敬な。これでも元剣道部の端くれさ」

そうだったなと始は笑った。始も晴一の隣に腰掛ける。なんにせよ始がいるなら退屈はしないだろう。ある意味では心強い。

「やぁ!お二人さん!お揃いで!」

白いブラウスと紺色のスカートと言う比較的簡素なデザインの制服を着こなした、栗色ボブカットの少女が話しかけてくる。

七海弓葉だ。彼女も中学校からの親友であり、写真部には一年生の頃からいる。何度も写真のコンクールで入賞しているが、運動を得意とはしていないようだ。

「お二人さん行くの?私はいこうと思うんだけど!」

フランクなハイテンションは彼女の持ち味だ。表裏のない性格と男勝りな熱量ゆえに男2女1の仲良しグループを実現しているのかも知れない。弓葉がいれば敵わない夏の暑さはより一層暑くなるだろう。

「俺らは行くつもりだ。丁度その話しててな」

「うん。写真撮りまくろうか」

やったーと弓葉は飛び跳ねて喜ぶ。喜び様もまさに元気いっぱいといった様子だ

「仲良し三人組は参加かな?」

矢島先生だ。白いフリル付きブラウスにビジネススカートといった装いだ。大人の女性を地で行く格好だが、口調はそれなりに砕けている。

「はい!そうなんです!」

と弓葉。

「良いことねぇ。盛り上がりそう」

と矢島先生。

「写真部消極的な人多いでしょ?参加する人いないんじゃないかって心配したんだけど、安心したのよ」

たしかに写真部は消極的な者が多い。

実際に後日説明会に顔を出したのは三分の一にも満たない人数だった。


 屋敷に近づくほど、その威圧感は増していった。荘厳という表現はその屋敷のためにあるかのようだ。見た目はホラー映画に出てきそうな洋館そのものだ。立派な門があり、高い塀とその上には槍のような装飾が一定間隔で並んでいる。城のような建物の頂には一本槍のような避雷針が伸びており、その威圧感に一役を買っていた。

「凄い…大きい屋敷ね」

矢島先生が言う。そこにいた皆が同じ感想を抱いただろう。全員が呆然と立ちすくみ、屋敷を見上げていた。

「屋敷に入れてもらいましょう。風邪をひいてしまう」

と誰と無く言い放った。矢島先生は弾かれたように我に帰り、

「そうね。みんな入れてもらいましょう」

と言った。

「ごめん下さぁい」

大きな声で2度、3度呼びかけるが返事がない。すると一人が鈍重な門に手をかけ、優しく押した。門はギイと言いながらも、思いのほかすんなりと開いた。

「門の鍵はかかってない。その玄関はどうかね?」

補助で来ていた高校OBの初老の男性、桔梗想一さんだ。言われた通り玄関のドアノブをにぎり、引くと、カチャリと空いた。玄関にも鍵がかかっていない。

「入れてもらいなさい。緊急事態だ」

と想一さんがいう。矢島先生は戸惑いながらもごめんくださいと玄関に入ってゆく。続いて部員達もゆっくりと順々に入っていった。

「よぉ。おかしいと思わねぇか?」

始めだ。

「鍵がかかってない。って事が?」

「ちげぇよ。この屋敷に来るのに、車の轍がなかったろ。車庫も見えない。ここに人はいるのか?」

悪寒のようなものが背中を這った。言われてみればそうだ。この立地でこの屋敷だ。車はおろか車庫がないのには違和感がある。

「気のせいさ。人がいるから車があるって言うのは偏見だよ」

虚勢だ。なんでも無いようなことだが、何故か恐ろしい。

「君たちも入りなさい」

想一さんが優しく声をかけてくれる。言われるがまま、激しくなる胸騒ぎを抑えて屋敷の中に入っていく。呑まれていく。

 僕たちはまだ知らなかった。知り得るはずが無かった。屋号なき屋敷の中で起こる、宵闇の惨劇を。





















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