完結【ホームへ帰ろう】



「君はホームレス。帰る家も、帰る場所も、待っている人も、愛してくれる人も、誰もいない。君は、一六歳の母親が公園のトイレで産んだ子供だ。その後、ビニール袋の中に詰められてゴミ箱に捨てられて死んだ。君の寿命は二分弱だった」

 ホームレス、それは路上生活者のことじゃなかったんだ。帰る家庭(ホーム)の無い(レス)人だ。

「そんなの嘘よ。なんで私のことを捨てたの? 病気も障害もなかったんでしょ?」

 と、ほむら。

「ああ。健康だったみたいだ。だけど、母親には君が必要なかったんだ。君は、ただ運が悪かったんだ」

 俺は、喉から残酷なセリフを押し出した。

「そんな。嘘よ」

 ほむらはその場で泣き出してしまった。

「ひどい世界だよな。みんな俺たちに気の毒だ。かわいそうに。誰かが助けてくれる。そう言ってくるんだ。口先だけ動かしてなんの行動もしない」

 俺はのろのろと口を動かした。こんなことしたくない。

「俺たちは助けてくれるヒーローが来ることをずっと待っていた。だけど、そんなやつ現世のどこにも存在しなかった。ヒーローになるのに特別な力はいらない。誰でもヒーローになれるのに、誰もヒーローになろうとしない」

 ほむら。頼む。立ち直ってくれ。君なら乗り越えることができるはず。今度こそ。

「俺が、君にこうして真実を告げるのはこれで八回目だ。一人の人間が同時に八個の組織を作り上げてリーダーをやるなんて無理だ。七回死んでその度にやり直した(リスポーンした)だけだ」

 と、俺が言った。これらの全ての記憶はほむらの苦しみを吸い取ろうとした時に俺の中に流れ込んできたものだ。

「最初に君に会った時、実はあの時俺は君が誰だか知らなかったんだ。君の格好をした人物に『これから私を助けて』と言われたんだ。あれは、七人目の使者だ。あれは、リスポーンする直前の俺だ。もう一人自分がいたら不自然だから、君の格好になって八人目の使者である俺を頼ったんだ。俺が持っていた七人目の使者からの手紙は俺が書いたんだ。俺が自分で、自分に指示を出していたんだ」

 と、俺が言った。変身したのはほむらの【名無しの代償(ノーネーム)】の効果だろう。ほむらが暴走して俺を瀕死に追い込んだはずだ。そして、我に返った後『私を助けて。一人じゃ乗り越えられない』とでも言って自分の記憶を都合よく改ざんしたのだろう。また、過去と向き合うために。次こそ、過去を乗り越えて現世に戻ると胸に誓って!


「そんなことどうでもいい」

 やっとの事でほむらは声を出した。その声は涙で濡れていた。

「ごめんな。辛い思いをさせて」

 俺はほむらの頭に手を当ててそっと優しく撫でた。こんなことをしても彼女の『痛み』が消えることはない。だけど、無力な俺にはそれしかできることがなかった。


 俺は、空を見上げた。審議会のメンバーが今も俺たちのことを監視しているはずだ。

「おい! 審議会! 今の俺たちの会話を聞いていたな。お前たちの中にこの子の母親がいるはずだ! きっと最前列でこの子の様子を見ている! お前に言っているんだよ! 聞こえているんだろ? お前が、ほむらにコンビニエンスストアの情報を植え付けたんだ! 明らかに彼女に肩入れしている!」

 俺は力の限り叫んだ。喉が避けたが、俺は痛みなんて感じなかった。きっと無痛覚でなくても今は喉の痛みなんてどうでもいいんだろうな。

 ほむらの母親は、きっと現世で俺を捕まえたあの若い女だ。今思い返せばどことなくほむらに似ていた。

「これがお前たちのしたことだ。俺は、痛みの代償(ノーペイン)に勇気を得た。ほむらは名無しの代償(ノーネーム)に全知全能の力を得た。だけどそれがなんだ? 俺たちを助けているつもりなのか? 笑わせるな!」

 心が熱くなり、心臓が脈打つのを感じる。荒ぶる声と裏腹に、心臓だけは凍りついたようだった。

「ほんの少しお前たちが、俺たちのことを助けてくれればそれでよかった。生きている間に少しでも優しくしてくれたらそれで十分だった。情けない同情の言葉しか口から出てこないなら、もう何もしないでくれた方がマシだ!」

 俺の訴えは虚しく空の中に消えていった。どこまでも限りなく続く空は、俺の苦しみを吸い取ってくれなかった。

「もう。ほむらのクリア条件は満たしたことにしてあげてくれ。もう十分だ」

 その時だった。俺は何者かに背後から剣で貫かれた。心臓がその機能を止めた。先ほどまでは、元気に脈打っていたのに、次第に鼓動はゆっくりになる。

 傷口から血がとめどなく溢れてくる。不思議な感覚だ。普通の人なら痛みで叫ぶのかな? 普通の人はこれから死ぬのが怖いのかな? 俺は、死ぬのが全く怖くなかった。

 俺を背後から攻撃した人物は勢いよく剣を抜いた。引き抜かれた剣は俺の血で湿っていた。剣から滴り落ちる血は、地面に赤い水滴の道を作った。

 俺は、ゆっくりと血が向かっている先を見た。赤い線の上を俺の視線が滑っていく。

「ほむら? なんで?」

 と、俺が言った。

「私はほむらじゃない。私に名前はない」

 彼女はそういうと、空を見上げた。

「おいっ! 審議会! 聞こえているだろ。私の最後の願いだ。少しでも自分のしたことを悔いているのなら、この願いは審議することなく叶えろ! 【名無しの代償(ノーネーム)】発動! 私を全知全能にしろ!」

 と、ほむらは叫んだ。


「よし」

 ほむらは小さく呟いた。きっと願いが叶ったのだろう。儚い彼女の声は地面に反響して俺の耳にも届いた。

 その時だった。俺の目の前に見覚えのあるウインドウが現れた。

『彼女の願いは、彼女を全知全能にすること。私は反対したが、彼女の母親が無理やり許可した。もう私にも彼女を止められない』

 と、書いてあった。おそらく甲斐谷俊介が書いたのだろう。

「ごめんなさい。ユウ。私は苦しみを乗り越えない道を選んだわ。これから不老不死になってここで未来永劫、死者を助け続ける。全ての不幸な子供たちが転生できるように手を貸すわ。私は、自分の不幸を乗り越えない。あなたと一緒に居れなくてごめんなさい」

 彼女はゆっくりと俺に近寄ってくる。そして、俺の額に手を触れた。その瞬間体に今まで感じたことのない感覚が灯った。なんだこれ? 全身から火が吹き出るようだ。熱い、傷口が熱を持って疼く。これが『痛み』なのか。

「最後にあなたの病気は私の能力で吸い取ったわ。転生したらどこかで誰かと幸せになって。さよなら」

 そして俺は、初めて経験した痛みによって絶命した。



 そこは暗い水の底。自分の体が底の無い恐怖の中に吸い込まれていく。怖い。痛い。苦しい。辛い。恐怖が初めて俺の体を抱く。身を切られ、体を潰され、神経をすり潰される。これが死ぬということか。皮膚が溶けて、肉が腐る。体が骨だけになってやがて消えていく。


[モニター室]

 甲斐谷俊介はユウのリスポーン先の座標を機械に打ち込んだ。彼のリスポーンを見るのはこれで八度目だ。その度に彼は遣る瀬無い気持ちになる。現世では優子(リサ)と勇気(ユウ)の死体を見て、生きていられなくなり首を吊った。死後の世界に来てもまだ息子の死を見ないといけないのだ。

 甲斐谷俊介は、息子が砂漠で自分に耳打ちした言葉を思い出した。

『俺が殺されたら、八人目の俺をすぐにここにリスポーンさせてくれ。さよなら。父さん』

 彼は、こんな自分が父親と呼ばれる権利なんてないことはよくわかっていた。それでも、もう一度だけ父親に戻れたような気がした。

 甲斐谷俊介は機械の画面に現れた言葉を見つめた。

『甲斐谷勇気(ユウ)をリスポーンします。よろしいですか?』

 その言葉を見て、ほんの少しだけ泣いた。彼のわずかに残った人の心がそうさせたのだ。

「お前の能力は人の苦しみを吸い取る能力だ」

 彼の心に太陽のような暖かい光が戻った。

「お前に恐れるものなんてない。だからこの名前にしたんだ。頑張れよ。勇気」

 彼の胸に、我が子を初めて胸に抱いた気持ちが蘇った。


[砂漠のど真ん中 ユウ視点]

「どこだここ?」

 俺は目を覚ました。そこは見慣れない砂漠のど真ん中。まっさらな砂の世界にポツンと孤独な俺が座っている。しばらく戸惑っていると、目の前にウインドウが現れた。

『今日からあなたは、甲斐谷勇気です。あなたの能力は、【痛みの代償(ノーペイン)】他人の苦しみを吸い取る能力です』

 と、書いてあった。

「他人の苦しみを吸い取る能力? それって強いのか?」

 と、一人でつぶやいた。

『勇気。よく聞け。お前が今まで助けた人たちの能力を使うんだ。お前にはその権利がある。今度はお前が助けてもらえ。転生権を獲得したお前の仲間がもう一度リスポーンさせて欲しいらしい。記憶も復元しておくよ』

 と、書かれていた。

「待ってくれ! なんで急に口調が変わったんだ? お前は誰だ?」

 と、俺が言った。

 すると、次の瞬間。空から大男と少女が降ってきた。

「いてっ!」

「ぐあっ!」

「きゃっ!」

 下敷きになった俺は、二人の体を退けて立ち上がった。

「誰だお前らは?」

 と、俺が聞いた。

「私は、ヴィル。こっちは兄のヤーコプよ」

「俺に何の用だ?」

 と、俺が言った。

「あなたを助けにきたの」

 と、ヴィル。そして、彼女は俺の手を取った。そこからほのかな熱が俺の体内に流れ込む。

「これは?」

 と、俺がつぶやいた。自分の中に新たな能力が目覚めたことがわかった。

「私の能力よ。前はヤーコプの能力で今は貴方の能力。私たちにはもう必要ない。あなたがそうさせてくれた」

 と、優しい笑顔を浮かべたヴィル。


次の瞬間、空からまた人が降ってきた。

「いってぇ!」

「きゃっ!」

 俺は、体勢を立て直した。そこには、見たことのない女性がいた。栗色の髪の毛を後ろで三つ編みに束ねている。明るい表情が、明るい髪色によく映えている。

「私は、キャンディーです。本名は、佐藤鏡花です。覚えていないです?」

「ごめん。誰だかわからない」

「手を貸すです!」

佐藤鏡花と名乗る女性は俺の手を取った。そこから、俺の体に光が流れ込む。輝く太陽の光は俺の血液に混ざって溶けた。俺の中にまた一つ能力が加えられたのがわかった。

「俺を助けてくれるの?」

「もちろんですよ。あなたもそうしてくれたじゃない」

 彼女の見せた笑顔は、すごく素敵で心地よかった。


 次の瞬間、空からまた人が降ってきた。少女は俺の上に着陸した。

「あいたっ!」

「ひぐっ!」

 俺は、少女を退けると立ち上がった。

「今度は誰だよ?」

 と、俺は少女の方を向いた。

「私は貴方の姉よ。貴方より小さいけどね!」

 と、俺の姉だと名乗る人物。そして彼女もまた俺の手を取った。そこから色の無い何かが流れ込む。きっと、彼女の能力ってやつだろう。

「俺はお前たちが誰だかわからない」

 俺は、初めて見るメンツに言った。

「このままだと、面倒ね。パパ? 聞こえている? ユウの記憶を戻してあげて!」

 と、姉が言った。そして、俺の頭に電流と情報が流れ込む。ドロドロに溶けたそれらは混ざり合い、俺の記憶を形作った。まるで海馬の中に直接記憶を捻じりこまれたようだ。


 しばらく目を閉じて、俺は記憶の糸をたぐり寄せた。俺の中に、今までの記憶が少しずつ甦る。助けた人達。目の前で苦しむ家族。痛みと苦しみ。そして、まだ一人助けられないでいるあの人のことを思い出した。そして、俺はゆっくりと目を開けた。

「もう何もかも思い出した」

 俺は、目の前にいる何百、何千という仲間を見てそう言った。俺が記憶を復元している間に、他のメンバーもリスポーンしたのだろう。

「やっと思い出したか!」「あんたが俺たちのリーダーだ!」「おかえり」「また会えたな」「助けてくれてありがとう!」「今度は私たちが助ける番よ!」「さあ、私たちの能力を使って!」「やっとまた会えた!」「力を合わせよう!」「貴方が俺を救ってくれたんだ」「負けないで!」「お前なら勝てる」「ありがとう」「諦めないで!」「あんたが俺たちを導いてくれた」

 みんなが口々に俺に声を掛ける。

「はいはい! じゃあみんな一列になって手を上げて!」

 と、リサが言った。そしてみんなは一列になって手を上げた。地平線の彼方まで続く長い道ができた。みんなが手を上げて俺を待っている。

「さ! 全員とハイタッチよ! もう後ろを振り返らないで! このまま真っ直ぐ進んで!」

 と、リサ。

「姉さん。俺、怖い。もう先天性無痛無汗症じゃないんだ。今の俺には痛みも恐怖もある。あいつに、ほむらに勝てる自信がないよ」

 俺は、下を向いて呟いた。

 リサはそっと俺に近づいてきた。俺の背中に手を当てた。世界中の時が止まったみたいだ。その止まった世界の中で、俺の心臓だけが機械的に動いている。

「それでいいのよ。みんな怖いし、みんな痛いのは嫌だ。みんな自分に自信はないの。だけど、みんなそこから一歩踏み出すの。そうしないと、何も始まらない。さあ、今から貴方に痛みのある人生が始まるわ。勇気を出して」

 と、リサが言って俺の背中をそっと押した。怖い、苦しい、辛い、逃げ出したい。だけど、俺の後ろにはたくさんの仲間がいる。俺が助けてきた人たちが。その人たちが俺のことを見ている。


 そして、俺は初めの一歩を踏み出した。


 引くわけにも、負けるわけにも、逃げるわけにもいかない。俺がやるんだ! 俺が彼女を救うんだ。痛みを感じないから辛くないわけじゃないんだ。彼女だって辛いはずだ。


 俺はゆっくりと一歩一歩前に進んだ。一列になった仲間の手に次々と触れていく。


 辛くない人生はない。苦しみのない人生もない。だが、苦しいだけの人生はたくさんある。多くの人が苦しんでいる。ただ運がないだけで、生きる資格がない人がいる。


 俺はだんだんと小走りになった。仲間の能力が次々と俺に宿っていく。


 俺はその人たち全員を助けることはできない。俺は全知全能じゃない。ただの弱い一人の人間だ。


 俺は全力で、仲間の横を走った。仲間たちはみんな笑っている。幸せそうな笑顔で通り過ぎる俺を見ている。その中で、唯一俺だけが涙を流して走っていた。


 ちっぽけな弱い人間にもできることはあるはずだ! 特別な力もたくさんの金もいらない。


 そして、俺は二千四百五十四人の仲間の全ての能力を受け取った。右腕はジンジンと腫れている。赤くなってヒリヒリする。肌に焼け付く痛みが俺を鼓舞している。


「痛い」

 俺は一人でぼそりと呟いた。初めて感じる生きた痛みは、俺にとっては勇気と同じだった。

 そして、俺は立ち止まらず、振り返らず走った。俺にはもう恐怖なんてなかった。今度は病気ではなく、俺の仲間が恐怖を消してくれた。


[死後の世界のどこか ほむら視点]

 私は痛覚を失った。体をどこかにぶつけても、高いところから身を乗り出しても、もう何も感じない。

 だけど胸だけが、縛り上げられて、締め付けられる。痛くないけど痛い。怖くないけど怖い。辛くないけど辛い。

 だけど、私はやらないと。この世界にこれから来る人を全て殺す。何度でも何度でも殺し続けてやる。私にはその力がある。私がみんなを現世に送り返してあげるんだ。誰かがやらないといけない。この暗い世界にほむらを灯すんだ。


「ほむら?」

 誰かが背後から私を呼ぶ。

「誰?」

 私はゆっくりと後ろを振り返った。

「助けに来たよ」

 と、ユウ。

「無駄よ。私は全知全能になった。あんたが何度ここへ来ても殺す。私は全ての人間をこの世界から現世に送り返す。もう不幸な人間を作りたくない」

 と、私が言った。

「全知全能の能力を得ても、全知全能にはなれない。人間は不完全で矛盾した生き物なんだ。戦いたくないのに戦うし、怖いけど勇気を振り絞る。君も、本当はこんなことやりたくないんだ」

 と、ユウ。

「あなたが何を言っても、もうその声は私には届かない。【全知全能完全無欠(オムニシェンスアンドオムニポテンス)】発動!」



 そして、この物語の最後の戦いの火蓋が切って落とされた。


[ユウ視点]

 ほむらは空高く飛び上がった。人間の脚力では到底不可能なくらい高く飛んだ。きっと能力を使ったのだろう。

 俺は、【天翔ける天馬】を発動し、空を飛んだ。この世界全体が見渡せるくらい高くまで来た。そこからは、死後の世界が一望できた。昼のエリアと夜のエリアが同時に存在する。昼の世界には霞んだ太陽が見える。夜の世界では、朧月が薄明かりを放っている。

 その時、俺のはるか上空から太陽が降ってきた。燃え盛る隕石のように俺に向かって落ちてきた。

 ほむらはありとあらゆる願いをなんでも叶えることができる。それに対して、俺はわずか二千四百五十四手しかない。最適の能力を最適の場面で使い続ける。ほむらがどれだけ強くても、俺は勇気を振り絞って戦わないといけない。

「【伝説の聖剣(エクスカリバー)】発動!」

 俺は、空中に光でできた三十メートルほどある聖剣を生み出した。この剣は周囲が明るければ明るいほど大きく強くなる。まるで、剣それ自体が夜闇を照らす希望であるかのように。

 剣は太陽よりも大きくなると、俺は思いっきり振り抜いた。力は全くいらなかった。太陽は見事に一刀両断されてしぼんでいった。分断された千五百万度の熱源は辺りの夜空を華やかに彩った。

 太陽の隙間からこちらに黒い影が突っ込んでくる。

「【あなただけの家族(ファミリーネーム)】発動!」

 俺は、自分の周囲にオリジナルのモンスターを生み出した。物語に出てくるような空想の幻獣。ユニコーン、キマイラ、キメラ、ドラゴン、ゴーレム。それら全てに一斉にほむらを襲わせた。

 ほむらは、指パッチン一つでそれらをかき消した。

「【鳳凰の紅い血】発動!」

 俺は、【鳳凰の紅い血】により、望むもの全てを燃やすことができる。この時自然界の物理法則は無視できる。俺はほむらの周囲にあった空気を燃やした。空中に火の手が上がり、ほむらを中心に半径五十メートルが燃えだした。轟々と音を立てる火炎は音を立てて弾ける。もちろん燃えるものなんてないが、それでも紅蓮の炎は空気を燃やす。

 次の瞬間、ほむらは大気をすべてかき消した。真空の空間ができて炎は荒ぶる魂を沈めて消えた。

 そして、ほむらは空中にどこからともなく巨大な武器を召喚した。漆色で黒く光っている。巨大な剣が二つ、巨大な斧が一つ、巨大な船の錨が一つと巨大な槍を一つ生み出した。それら全ては回転を始めた。回転によって威力を上げるつもりなのだろう。ほむらは空に右手を掲げた。

 そして俺の方を見ると、手を振り下ろした。空中で回転していた武器は一斉に俺の方へ飛んできた。亜音速の殺意はまっすぐ俺の方へ突き進んでくる。あの巨大な質量でこのスピードは出ないはず。きっと、召喚してから飛ばすまでは質量をなくし、獲物に当たる瞬間だけ重くする気だろう。

「【竜虎相搏つ(ドラゴンズドグマ)】発動!」

 俺は、空中に一匹の虎と一匹の龍を生み出した。虎は俺の右手とリンクしていて、右手で操作する。龍の方は左手とリンクしている。虎は剣を弾き、龍は斧と錨を弾いた。だが、槍だけは防げなかった。亜音速の鋭い凶器は俺の右腕を肩から切断した。全身に痛みが走る。

「【天使の賛美歌(フェアリーテイル)】発動!」

 俺は痛みに怯みつつも、右腕を再度生やした。生えてきた右腕は少し握力が弱くなるが、ないよりましだ。

 ほむらは俺の治療の隙を見逃さなかった。持っていた剣を構えてこちらへ飛んでくる。空中を滑って獲物に狙いを定める。切っ先が狙うのは俺の喉。そして、彼女の剣は深々と俺の首に根元まで突き刺さった。そして、俺の分身の体は溶けて崩れた。

 俺は、自分の身を隠していた透明化の能力を解除すると、ほむらに背後から殴りかかった。

 ほむらは、こちらを振り向くことなく俺の手を片手で受け止めた。その瞬間、万力のような力が彼女の腕にこもる。俺の右腕は再度潰された。握り拳がひしゃげて、骨が粉砕骨折している。

「ほむら? もうやめよう」

 と、俺が言った。右腕から血が吹き出る。

「いいえ。やめないわ」

 ほむらはこちらを振り向くと、俺に向かって息を吹きかけてきた。吐息は次第に勢いを増していく。吐息は、つむじ風になり、つむじ風は突風になり、突風は嵐になった。

 嵐は爆音を上げて俺を抱いた。

「【百鬼夜行(パンデモニウム)】発動!」

 俺の周囲から百体の大小様々な鬼が出現した。そいつらは嵐を噛んで胃に押し込む。嵐が完全に止むと俺は辺りを見渡した。右、左、前、後ろ、そのどこにもほむらの姿はない。

 その時、自分に不自然な影ができていることに気がついた。何か巨大なものが俺の上にある。

 影の正体は大きな剣だった。真っ黒で光の一切を反射していない。よくみたら鬼がその剣に次々と吸い込まれている。巨大な黒剣はどうやらブラックホールでできているようだ。

 彼女は超引力の惑星を剣の形にして、俺たちがいる死後の世界に叩きつけた。ありったけの恨みと怨念は惑星を真っ二つに引き裂いた。二つに分かれた星はまるで今の俺とほむらを体現しているようだった。

「【精霊の加護】発動!」

 俺は、宇宙空間でも生存できるように自分の体に能力で加護を付加した。優しい光の衣が俺にまとわりつく。

 宇宙空間に浮かぶ光に向かってほむらは再度襲いかかってきた。手に持っているのは普通の剣。

 俺も同様に、空中から普通の剣を召喚して迎え撃った。宇宙空間に剣と剣がぶつかり合う音が響く。本当なら空気が無いから音は無いはずだ。おそらく、ほむらが空気を生み出したのだろう。

「もうやめろっ! 痛みを感じていないだけだ! ダメージがないわけじゃない!」

 と、俺が叫んだ。

「あなたこそもう諦めて! もう病気に絶望しなくてもいいのよっ!」

 と、ほむら。俺と彼女の剣は激しくぶつかり合い火花を散らす。赤と黄色の閃光は暗い宇宙空間を綺麗な色で飾った。

「俺は最初から病気に絶望してなんかいない! お前こそ俺たちを見誤るな! この世界の重い病気を患っていた人は、誰一人病気に負けてなんかいない!」

 音もなく、空気もなく、重力もない宇宙空間で剣戟の音が響いている。

「いいえ! 病気になった時点で負けよ! 生まれた瞬間から不幸になることが決まっているの! だからもう現世に戻って」

 ほむらは、力いっぱい剣を叩きつけてくる。俺はそれを必死で受け流す。

「そんなふうに思っていたのか! なら、なんで俺の病気を肩代わりした?」

 俺は、ほむらの猛攻に耐えながら言った。

「あなたに、幸せになって欲しいのよ。普通に生きて、普通に笑って、普通に生きて欲しいの」

 ほむらの攻撃は激しく、力強かった。だけど、ほんの少しだけ優しさを感じた。

「なら、お前も来い。一緒に現世で暮らそう。普通の家に住んで、普通に苦しんで、普通に痛みを感じよう」

 その時ほむらの動きが止まった。

「いいえ。悪いけど私は行けない。私はもう痛みを感じない。あなたを切り刻んでも、もう何も感じないのよ」

 と、ほむら。

「なら、なんで泣いているんだ?」

 ほむらはその瞬間、自分が泣いていることに気がついた。さっきまでは、戦いに夢中で気がつかなかったのだろう。ほむらは攻撃を止めた。

「それが無痛覚だ。痛みがないなんてただのデメリットだ。自分が苦しくても、辛くても、痛くないから気づくことができない。体がボロボロになって綻んでも、誰にも助けを求めない。本当は戦えるような状態じゃないのに、戦えると思ってしまう。無痛覚の人間は一人では生きていけない。お前がいたから俺は生きていけたんだ」

 ほむらは、俯いて何も答えない。

「俺たちは病気に絶望しているわけじゃない。病気は生きる上で障害にはなる。だけど、それくらいの障害で俺たちは挫けたりしない。俺たちは病気があってもなくても変わらない。変わるのは、周囲の人の冷たい目だけだ」

 ほむらは、俯いて何も答えない。

「可愛そうだ。気の毒に。病気になったのが私の息子じゃなくてよかった。みんなが口々に同情の言葉を吐き出す。だけどそんなの救いにならない。俺たちで困っている人を助けよう」

 ほむらは、俯いて何も答えない。

「俺は全知全能じゃないから、世界中の全ての人間を助けるのは無理だ。だから俺とほむらで、目の前で困っている人を、助けられる範囲で助けよう。それで十分だ」

 と、俺が言った。

「いいえ。あなたは一人で現世に行く。そこで誰かを見つけて、その人と一緒に誰かを助けてあげて。私は一人で、ここで全ての人間を助ける」

「わからないのか? 俺が今助けたいのは、お前だ。人間は全知全能じゃないんだ」

「あなたが何を言っても私の考えは変わらない。私は全知全能だ! 【全知全能完全無欠(オムニシェンスアンドオムニポテンス)】発動!」

 ほむらが、最後の攻撃のために距離をとった。ほむらを止めるためにはどうすればいい? ほむらはこの世界で一番強い。だが、一撃だけでもほむらに加えることができれば、ほむらを殺して現世に送ることができる。ほむらの不幸は、母親に捨てられたということ。そこから予想できるほむらのクリア条件はおそらく『母親を許すこと』だ。なんとかして動きを止められれば、クリア条件を達成させて現世に送ることができる。

 ほむらは右手を空高く上げた。そして、周囲の惑星が同じ方向に回転しだした。回転は徐々に勢いを増していく。惑星が風を切り、宇宙空間に裂け目ができ始めた。

「くそっ! なんでもありか!」

 俺は悪態をつぶやいた。

 ほむらは右手を俺の方へ振り下ろした。大小様々な星が俺に向かっておりてくる。星がそのまま隕石となり俺に降り注ぐ。巨大な質量の塊は、一人の人間を殺すためだけに武器になった。

 俺は、落ちてくる隕石を見つめた。そして、自分の中に眠る二千四百五十四のうち二千四百五十三の能力を同時に発動させた。

 俺の周囲から様々なものが飛び出す。巨大な植物、見たこともないようなモンスター。星を丸飲みできそうな巨大な蛇。戦艦ほどもある真っ白なクジラ。ビルのように大きい黒い土でできたゴーレム。山より大きい鋼鉄でできた巨人。真っ赤な鱗を持つ美しい巨龍。それらすべてが宇宙空間に拡散していく。この世界に来たほぼ全ての人間の能力を収束した最強の力。この世界は不幸であればあるほど強くなる世界。

 俺は、全ての不幸を形に変えてほむらにぶつけた。


 その瞬間、辺りが真っ白になった。ビッグバンが起こったようだ。周囲には惑星の破片や、俺の能力によって生み出されたモンスターの死体が散らかっている。その中を飛び回る一つの影がある。俺はその影に対して声をかけた。

「もうよせ! お前の能力には弱点がある。それは、なんらかの願いの形でしか能力を発動できない。例えば、『私を無敵にして』だとか、『私を最強にして』と言った願いは具体性がないから発動できない。そして、『あいつを殺して』とかも無理なんだろ。可能ならもうとっくにそうしているはずだ」

 ほむらは隕石の破片とモンスターの死体の間をものすごいスピードで飛び回る。

「そして、お前が思いつく最強の攻撃を俺にした。さっきの隕石のことだ。だけどそれも俺の攻撃に敗れた。俺の能力は二千四百五十三もの能力だ。一つ一つは弱いが、発動し安いんだ」

 ほむらは徐々にこちらに距離を詰めてくる。

「加えてお前の能力は、かなりのタイムラグがある。これはお願いを考える必要があるからだ。例えば、『私に宇宙空間を飛び回れるだけの脚力をちょうだい。そして、宇宙空間の私の周りにだけ通常と同じように空気と重力を発生させて』このように、詳細で具体的にお願いをしないといけない。これは、お前の【名無しの代償(ノーネーム)】とほとんど同じルールだ」

 ほむらがもうすぐそこまで来た。攻撃のタイミングを図っているのだろう。

「そして、俺が勝つための最後の根拠だ。全知全能となったお前にも、唯一弱点がある。それは、先天性無痛無汗症を患っていること。何度も言っているようにこれは病気だ。お前の強みではない」

 そして、ほむらが俺にとどめを刺すために突っ込んできた。

「先ほどの隕石を止めたことで、力だけならこちらに分があることがわかった。ならお前はスピードで勝負を仕掛けてくるはず。俺は、一瞬だけお前の動きを止めればいい」

 ほむらの持っている剣の切っ先が俺の喉に近づいてくる。

「【最後の攻撃】発動!」

 そして、ほむらの動きが止まった。

「今のはヴィルの能力だ。この能力の発動条件はルールを理解すること。お前はもうこの能力のルールをよく知っている。だからいきなり発動できた。そして、これはお前も知らないことだが、先天性無痛無汗症が【最後の攻撃】によって悪化すると一瞬だけ体の動きが止まってしまうんだ」

 そして俺はほむらの元へと飛んだ。剣を持っている右手に力を込める。一撃でも入れれば、ほむらは死んでゲームクリアだ。

 俺はほむらのすぐ横に来ると、剣を空に掲げた。俺は右手に力を込める。

 そして、おおきく振りかぶって、剣を宇宙空間へと放り投げた。武器を捨てた俺はそのまま、両腕でほむらをそっと抱きしめた。

「辛かったな」

「うん」

 ほむらもそっと俺の体に腕を回す。

「一緒に帰ろう」

「うん」

 ほむらは大粒の涙を流していた。

「さあ。もうお母さんを許すんだ。そうしないとお前はこのゲームをクリアできない」

「うん」

 俺の瞳からも涙が溢れて、宇宙に落ちた。

 そして、俺の目の前にウインドウが表示された。

『おめでとうございます。あなたはこのゲームをクリアしました。転生権を獲得しました』

 俺とほむらはしばらく抱き合った後、死後の世界を後にした。



[モニター室]

 モニターの前で画面を見つめていた女性は、何も写っていない画面をじっと見つめている。そこにはもう何も写っていない。ただ宇宙空間の暗闇がどこまでも続いている。そんな画面を永遠に見つめていても何も起こらない。そんなことわかっていた。だけど、そうせずにはいられなかった。その女性は画面をずっと見ていれば、死んだ娘の顔がまた見られると思った。モニターの暗い画面に反射して、自分の顔が見えた。暗い表情で、ただモニターをじっと見ている。まるで生気を抜き取られた人形が、必死で人のふりをしているようだ。

「あれでよかったのか?」

 と、甲斐谷俊介。

 しばらく間が空いてから女性が答える。

「ええ」

 暗い画面に反射して、そっけない返事が女性に帰った。

「自分の娘に会うために、審議会に入ったんだろ?」

 と、甲斐谷俊介。

「ええ。娘に会えたから、審議会に入って意味はあったわ。すごく幸せよ」

 と、女性は棒読みで答えた。

「とてもそうは見えないけどな」

「私には彼女の母親だと名乗る資格はない。だけど、一度でいいから母親になりたかった」

「お前にそんな資格はない。まあ、俺にもないけどな」

 と、甲斐谷俊介。

「ええ。だからこれでいいのよ」

「お前は娘そっくりだな。ほらっ! 最後にほむらちゃんから預かったんだ。俺は中を読んでいない」

 甲斐谷俊介はほむらが現世に行く前に、残した手紙を女性に渡した。

 女性は震える手でそれを受け取った。手紙はシンプルだった。宛名も何も無い。手紙を開くとそこにはこう書いてあった。

『さよなら。母さん』

 その手紙を読むと、生気を抜き取られた人形は泣き崩れた、再び命のほむらが灯ったように。


[現世]

 子供が私に駆け寄ってくる。

「ママ! 裕太が私のおやつとった!」

 子供は半べそをかいている。

「またなの?」

 私は、おもちゃで遊んでいる裕太の元へ行った。


「こら! 裕太? ほのかのことまたいじめたの?」

 と、私が言った。

「だってほのかは僕の本当の妹じゃないもん! ママだって本当のママじゃないんだ! 知っているよ! 本当のママは僕のことを捨てたんだ!」

 と、裕太。

「裕太とママは確かに血が繋がっていないわ。だけど私が本当のママよ。ほのかもあなたの本当の妹よ」

「それに僕は、普通の人とは違う。だから捨てられたんだ。ママの顔も知らない!」

「裕太? 目が見えなくても私はあなたのことを捨てない」

 私は、血の繋がっていない息子をそっと抱きしめた。

「ほら? 目が見えなくてもママはここにいるわ。どこにもいかない」

「僕すごく怖いんだ。また捨てられるんじゃないかって。突然みんながいなくなるんじゃないかって」

「絶対に捨てたりなんかしないわ。ずっと一緒よ」

「本当にどこにもいかない?」

「ええ。本当にどこにもいかないわ」

「本当にずっと僕のママでいてくれる?」

「初めて会った時からあなたのママよ」


[現世 数年前]

「なんだか緊張するな」

「ええ。でも私はちょっと楽しみかも」

「あ! 来たわ! きっとあの子よ」

 その子は、孤児院の職員に手を引かれてきた。

「こんにちは!」

「こ、こんにちは」

 その子は、何もない空中を見ていた。

「その子は目が見えないんです」

 と、職員。

 私はかがみこんで、その子をそっと抱きしめた。

「ほら。ここにいるわよ」

 その子の温もりが私に優しく伝わる。

「あなたは誰ですか?」

「私は、今日からあなたのママよ。横にいるのがあなたのパパよ」

「君が裕太君? よろしくね」

「よろしくお願いします」

「緊張しなくてもいいのよ。あなたは今日から私の息子よ」



 全知全能の力を失った私は、普通の弱い人間になれた。この世界に存在する全ての人間を助けることなんて到底できない。だから、目の前にいる助けられる人を、数人だけ助けることにした。

みんなのヒーローにはなれなかったけど、誰かのヒーローにはなれた。


死後の世界を後にして現世に戻ると、そこにはひどい世界だった。みんながみんな痛くても苦しくても、叫び声一つあげずに耐えている。まるで、痛みなんか感じていないかのように。

だけど、私は知っている、人間は痛みに耐えられない。痛くないふりなんてしなくていいんだ。泣きながら誰かを頼ってもいいんだ。人間は全知全能にはなれない。

痛みがあるから、恐怖が生まれる。恐怖があるから立ち止まれる。立ち止まれるから、また前に進める。


[完]

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あなたは今日から〇〇です(女子高生が妊娠しました!) 大和田大和 @owadayamato

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ