頭上で回るは観覧車

新巻へもん

DAY46

 降り注ぐ太陽が反射して海面がキラキラと輝いていた。係船杭に行儀よく並んでいる何かの海鳥が羽を広げてパタパタと羽ばたく。対岸には高層マンションが立ち並びまさにウォーターフロントという風情だった。日光を遮るものがなく日焼けが気になるところだが、世が世ならデートスポットとして賑わっているだろう。


 俺はヘルメットのバイザーを上げる。少し湿り気を帯びた潮風が頬に心地よい。やはり初夏の日差しは体を隙間なく覆う服装では暑すぎる。かといって脱ぐ気にはとてもなれないけれど。振り返ると恵理は少し神経質な様子で腕時計を見ていた。

「遅いわね」


 四方を監視していたうちの一人が声を上げる。

「大尉!」

 指さす方角には灰色の肌をした群れがいた。俺達に気づいた群れは向きを変えてゆっくりと、だが着実にこちらに向かって歩き始める。その数はざっと数えて数百はいた。距離は200メートルほど。


 かつては人間だったものの成れの果てが、疲れを知らぬ足取りで一歩一歩近づいてくる。ウイルス性大脳皮質不可塑変性症の罹患者たち。平たく言えば映画に出てくるゾンビと思って貰えばいい。ゾンビに噛まれる等の接触によって感染拡大するが、頭を吹っ飛ばせば活動を停止する。


 ゾンビが100メートルほどの距離まで接近したところで、各員が所持するAK47の射撃を開始する。セミオートの3点バースト。的確に頭部だけを狙い吹き飛ばした。俺は護身用に銃身を切り詰めたショットガンを持たされていたが、安全装置をかけたまま構えもしない。無駄弾を撃つ余裕は無かった。


「全員乗車」

 恵理の声に戦闘服に身を包んだ男女が手際よく、大型人員輸送車に乗車する。俺もその後に続き、最後に恵理が乗り込んで扉が閉められた。恵理が運転席に向かっていき、指示を出す。


 輸送車のフロントグラスをはじめ、窓という窓は金網で覆われていた。そのせいで視界はあまり良くなく、太陽が降り注ぐ昼間でも中は薄暗い。その窓から海上を見ると漁船が波間に浮かんでいた。

「恵理。漁船だ」


 恵理はうなづく。輸送車はゆっくりと走り出した。路上に放置された車をよけながら北上して竹芝埠頭が使えなかったとき、すなわちプランBのピックアップポイントを目指す。レインボーブリッジを使えれば早いのだが、パンデミック発生時の混乱で大事故が起きてしまい通行ができなくなっていた。


 かつて日本一の賑わいを見せた銀座の廃墟を通り抜け、晴海通りから有明を通過して青海に向かう。居住人口が少なかったおかげかこちらにはゾンビの姿は見当たらなかった。ここの桟橋はもっと大型船用の着岸施設なので漁船から上陸するのに苦労したが、ロープを使って全員無事に回収する。


 伊豆諸島のうちの1島からの引揚者だった。小離島だったので感染者は発生しなかったが、食料などが尽き危険を承知で東京に向かった数家族だ。荒れ果ててしまった街並みを見て表情は険しい。どちらかと言えば陰鬱な曇り空が相応しい景色が、真っ青な空の下で侘しい姿をさらしている。


 海からの風を受け商業施設の屋上の観覧車が金属の擦れる音を立ててゆっくりと動いていた。世界同時多発テロが起きなければ、あのゴンドラに恵理と並んで夜景を眺めることもあったかもしれない。今では夢としか思えない幻影が頭をよぎった。地上に意識を戻すと恵理と視線が交錯する。


 あの日、恵理はこの地獄を生き抜くためのパートナーに俺を選んだ。恵理はゾンビによって文明が崩壊しつつある中で、人類に残された数少ない拠点を守るリーダーだ。元は日本に潜伏するスパイだった恵理は、この惨劇の警告を受けており早くに行動することができた。


 ごくごく一般的な大学生だった俺は射撃ができるわけもなく、ゾンビを倒すこともままならない。焦る俺に彼女は言った。

「あなたはそのままでいいの。私が在りし日を取り戻すための原動力。再びあなたに平穏な日々を取り戻してあげる」


 もう一度、かつての人類の繁栄の象徴を見上げる。ぐるりと空中を巡って元の場所に戻って来るだけ。無駄ともいえるその施設を再び稼働させることができる日が来るのはいつのことだろうか? 拠点へと戻る輸送車へ乗り込む。俺の手をぎゅっと握る恵理の手を握り返すと、厚いグローブごしに感じるはずも無かったが、恵理の温もりを感じる気がした。

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