孤独なカチューシャは赤に染まる

テラ生まれのT

『カチューシャ』

 ​─1941年 6月23日 ソヴィエト連邦 ミンスク


 その日は私にとって地獄のような日であった。

 前日から、ナチスどもが全面的に奇襲攻撃をしてきた。こちとら陣地の構築なんてしてなかったし混乱は司令部の連中もそうらしい。

 とにかく、と彼は顎に指をあてた。

(こんな所でこんな惨めな負け戦で死にたくはねえな)

 スラリとした指先は細い鼻にかかる。年齢以上にシワを蓄えた頬から茶色がかった髪へ。さすがに白髪は混じっていない。


 彼の名前はアンドレイ・カウリバルス少佐。

 偉大なる赤軍の戦車を任されている、車長だ。

 そしてとなりに静かに佇む彼女の名前は『カチューシャ』という。カチューシャは人間ではなく、アンドレイたちが定めたニックネーム、それも戦車のことだ。正式名称は、KVカーヴェー-2。


 しかしカチューシャは、という可憐そうな呼び方には似合わないビジュアルをしている。下半身はともかく、目につくのはその砲塔上半身だ。上半身ばかり鍛えたボディービルダーのように、普通でも大きいはずのその下半身に対して大きすぎる砲塔。本当に「冷蔵庫でも乗っけてるのかい」とコールされてもおかしくないほどだ。


 その理由は自然であった。152ミリという巨砲を載っけているのだ。不格好だが、このフォルムで戦場に赴き、戦果をあげてきた。


 時折高射砲が断続して響き、二列に並んだ歩兵たちが慌ただしく行き来する破壊され汚れたミンスク郊外のこの街で、アンドレイとカチューシャはある男を待っていた。


「守備隊各員は命と弾薬尽きるまで戦い、偉大なる祖国を防衛せよ─我々はファシストの侵略者から祖国を守りきるのだ」

 うんざりするような奮戦を促す声がスピーカーから流れてくる。状況は分からないにしても、酷く負けているのは見ればわかる。



「アタグス!」

 アンドレイは男を見つけた。泥や煤で汚れた制服に、疲れきった表情をしている。手には何やらノートのようなものを持っている。

 アタグスと呼ばれた男は、よお、と返すと手に持ったノートをアンドレイに渡した。

「状況はどうなってるんだ?」

 アンドレイは詰問した。当然だった。奇襲攻撃による混乱で回線は込み合っており、この戦争行為がどうなっているのか全容を把握するのは不可能であった。

 アタグスはこの地区の指揮官の補佐をしていた。と、言ってもピンチヒッターのピンチヒッターだが。


「すこぶるわるい。俺も戦況はイマイチ分かってないが、上からはただ反撃しろ、押し返せとしか命令がこない」

 ところで、とアタグスは話を切り上げた。

「あいつが新しい砲手だ。名前はディッツ」

 アタグスは若い男を指さした。

「こんな若造で大丈夫なのか?」

 アンドレイは心配した。先日の戦闘でカチューシャも自分も無事に生き残ったものの砲手と通信手が欠けていた。どうやら、通信手の補充はないらしい。

「こんな状況で大丈夫もクソもないだろ、でもほら、祖国に忠実な素晴らしい軍人だ」


 カチューシャに乗り込みながら、ディッツと呼ばれた若い男は挨拶した。そして独り言をブツブツと自分に言い聞かせるように唱えて車中に消えた。

「祖国を信じ己を信じよ。祖国を信じ己を信じよ。祖国を信じ己を信じよ」




 ─1941年 6月23日 ソヴィエト連邦 ミンスク


 ミンスクにおけるソ連軍は、ようやく行動を起こしていた。

 アンドレイも、カチューシャと共に鉄橋を渡って前線へと向かっている。装甲車に歩兵もいる。

(これは限定的だが反攻作戦にでるとは書いてあったが、意外にも本格的だな)

 アンドレイは、上半身を車長用のハッチから出すと鉄と油の匂いを十二分に感じながらそれを想った。

 車長、と声がした。若造の砲手、ディッツの声だ。

「なぜ橋を吹き飛ばし、ドイツ軍を対岸に切り離さいのですか?」


 ハア、と聞こえないようにアンドレイはため息をついた。こいつは愛国心豊かに育てられたがまだ未熟な子供らしい。

「退却ではなく、前進するからだ、ディッツ」

 アンドレイの答えに、運転席にいる操縦手が笑った。あまりにも答え方が子供に教えるようだったらしい。


 前線となる郊外の街につくと、土嚢を積み陣地を構築しようとする歩兵や、重戦車に気づいて敬礼する将校などの風景が広がっていた。しかしアンドレイが一番目に付いたのは、ヨタヨタと列になって歩き、首から何か文言のようなものの書かれた板をぶら下げて歩く人間たちであった。


(アレは…)

 きっと敵前逃亡をした奴らだ。敵前逃亡はきっと銃殺にされるんだろう。最高指導者スターリンも軍事的な命令よりも、国家に反逆するような行為のこっちに対して命令を出してそうだな。


「彼らはどうなるのですか?」

 装填手を務めるこれまた若い軍人が訪ねた。彼の名前はフォークといった。彼はディッツと違い、よく教育された軍人ではなく弱気な一人の人間であった。彼もディッツより前に補充された新兵であった。

「臆病者は裁きを受ける」

 アンドレイが答える前に、ディッツが答えた。


「いいか、支え合う仲間こそ力だ。集中を切らすな」

 アンドレイは軍人らしく、士気をあげるために一言述べた。

 その時、無線機から命令が入った。

「…タック01、鉄道駅の味方を援護せよ。操車場へ急げ」

「よしグレゴリー、出発だ」

 アンドレイもグレゴリーという名の操縦手に向かって命令した。

「了解」

 カチューシャがその身体に背負った巨砲と共に速力を上げだす。整地された道路だけあってアンドレイもエンジンから流れ出す一定のリズムの振動が心地よかった。


 カチューシャの前に装甲車と歩兵が何人か先行していた。が、野砲か何かを食らったのか炎上している。

「グレゴリー、右から回りこめ」

 煙や熱を受けないよう、アンドレイは分厚いハッチを勢いをつけて閉じて車中に戻った。

「了解」

「敵の進軍が速すぎます。これでは反攻どころでは…」

 フォークが口を開いた。


「さっきみたいにならないようにお前たちはしっかり見張るように」

 アンドレイは部下全員に注意した。


 先程の街道へ戻ってきた。味方の歩兵が戦っている。

 これは思った以上に敵の数が多いな。

 そう思いながらアンドレイは乾いた唇を舐めて潤した。

「グレゴリー、彼らの盾になるようにしてやれ」

 キュラキュラとカチューシャが街道の真ん中へ居座った。射撃命令を出す前に、アンドレイは車内をざっと見回した。

 部下は規定の配置についている。

 砲手は照準装置に顔を押し付け、気弱な装填手は、重い砲弾を持ちながら腕をぷるぷるさせて控えている。

 操縦手は見えないが、見えないということは正しい位置についてるのだろう。


 アンドレイは、ハッチの周囲に設けられたビジョンブロック─外部を観察するための小さな窓で、比較的視野が広い─で敵情を観察した。

 装甲車が何台かいるな。それに、38t戦車もいる。奥にいるのは…3号戦車か?

「ディッツ、敵先頭集団の装甲車ならばどれを撃っても構わない。撃て!」

「発射!」

 とディッツが叫び、トリガーを絞る。

 発砲と同時に衝撃が走る。152ミリの巨砲が火を噴く。駆逐艦の主砲すら超えてしまうような口径の砲から飛び出した一弾は、ドイツ軍の38t戦車の足元に着弾した。しかし、それだけで十分だった。

 主砲として搭載されている152ミリ榴弾砲は、着弾と共に大爆発を起こし、付近の歩兵は肉塊となって吹き飛んだ。38t戦車は履帯が完全に外れ、中から人間が出て離脱している。

 反動で重戦車といえど車体前方が軽く持ち上がる。反動で砲が後退するが、油圧装置の作用ですぐに元の位置にするすると戻る。装填手が砲の尾栓を開き、白煙を上げている薬莢を排出し、2人で次弾装填の準備をしていた。


 その後も敵を攻撃し続けたが、やがて対戦車砲か何かが何発か砲塔を掠めた。

 グラグラと揺れたが、分厚い装甲に守られたカチューシャは気にもせず砲塔から火を噴き続けている。


 あらかた掃討し、ドイツ軍が散り散りに撤退していく。ようやくアンドレイは重たいハッチを開けて外の空気を吸った。その時、またしても無線機から声が響く。

「よくやった!さすがカーヴェーだ。そのまま通りを前進し、歩兵を援護せよ」

「…聞いたな、グレゴリー。前進だ」

「了解」


 そうしてカチューシャは他の戦車や歩兵たちと共に街道を前進し、その火力でもって撃破し続けた。しかし。

「全戦車へ告ぐ。合流し、敵機甲部隊を撃破せよ」

 慌ただしく無線が入る。どうやら、ドイツ軍もソヴィエトにはただならぬモノがいるのだと気づいたようだ。本格的に戦車部隊を増援させたようだ。


 アンドレイはシワの多い顔をしかめて、さらにシワが増えた。どうも嫌な予感がする。

 合流地点に向かうまでの間に、どんどんと敵の数が増えていく。気弱な装填手が口を開いた。

「やはり橋まで戻りましょう!」

 操縦手のグレゴリーは呆れた顔で、

「ハア?」

 と返す。さらにディッツが、

「正気か?攻撃命令はどうなるんだ?」

 と責めた。だが装填手は止まらない。

「自殺行為だ。誰も助からない!連中は数が多すぎる!」

 彼はパニック状態にあるようだった。アンドレイは内心で未熟な兵士のいるソヴィエト軍に対して呆れながら、真っ当な戦争とは言えないこれに参加させられた彼に同情もした。


「いいから落ち着け。橋へはそのうち戻れる。今は自分の使命を果たすんだ」

 とにかく合流地点へ向かえ、と命令を出したが内心では自分も落ち着かなかった。

 アンドレイはベテランの戦車兵だ。しかし、国家の思想に必ずしも忠実である訳ではなかった。アンドレイは心の中で呟いた。そもそも、本当なら大学で研究でもしていたはずなのに​────。


「なんだあれは?」

 アンドレイが物思いに耽っている中で、操縦手が呟く。地面から真っ赤な煙のような物が吹き出している。アンドレイは真っ先に気づいた。

「爆撃がくる!全速前進!ジグザグ走行をしろ!」

 勢いよく車体が前に進む。それに引っ張られるようにして体も合わせて動く。

 その時だった。

 戦場に鳴り響く恐怖のサイレン。

 Ju 87 シュトゥーカ、急降下爆撃機が爆撃体制に入った時に奏でられる通称『ジェリコのラッパ』だ。

 背中から聞こえるサイレン音を嫌という程聞きながらカチューシャは精一杯に走る。

「そこの路地へ入れ!」

 カチューシャはその体では無理がありそうな勢いで右折し、そのまま倒れた家屋の中へ身を隠した。

 家屋の裂けた木材がカタカタと落下する音と、シュトゥーカのプロペラ音が離れていったのを静かに確認すると、アンドレイは命令を出した。


「被害を確認しろ」

「了解しました」

 ディッツが答える。アンドレイは操縦手の席まで行って声をかけた。

「報告しろ」

「…いつまでもここに居られない。偵察を出して、進路を確認させないと」

 グレゴリーはハンドルに両手を置いたままこちらを見ず答えた。

「フォークをいかせましょう」

 ディッツが脇から口を出した。

「何を言ってるんだ、そんなこと出来る状態じゃないだろう」

 グレゴリーが反論する。


「車長、あなたに危険を晒せない。私は砲を操作しなくてはいけない。でもあいつは─役立たずだ。装填手はもう1人いる。彼なら大丈夫だ」

 その言葉に、アンドレイは硬直した。悩ましい時に、こうした提案に対して思考を巡らせていた。彼は2秒で結論を出した。

「…フォーク!」

「はい」

 アンドレイは体を起こし、装填手のフォークと向き合う。

「戦車の外へ出ろ。進路の偵察をするんだ」

 フォークは明らかに狼狽した。

「おいアンドレイ!そいつの状態じゃ無理だ!」

 操縦席からグレゴリーの声が響く。彼とアンドレイは歳が近かった。

「む、無理です、車長。できません…」

「降りろ。役目を果たすんだ」

 断ろうとするフォークの言葉を遮り、アンドレイは戦車兵用の短機関銃をフォークに押し付けた。

 フォークは一瞬を目を瞑り、そして受け取った。

 グレゴリーは悔しさからハンドルを何度も叩いた。

 フォークが戦車の外へ出ていく。車内に嫌な沈黙が支配した。

「…全員、役目を果たすんだ」


 重々しい空気の中で、アンドレイは言葉を絞り出した。

 フォークはビクビクしながら、遮蔽物を頼りに前へ進んでいく。全員がその様子を見ていた。そして、土煙が一陣の風によって舞い上がった瞬間に、フォークの姿は消えた。

「逃げたんだ!」

「決めつけるな!」

「静かに」

 ディッツとグレゴリーが言い合いをしてる中で、アンドレイは異変に気づいた。地響きがしている。車内のペンチが音を立てて落下した。


「9時方向に敵!」

「12時方向にもだ!」

 先程まで言い合いをしていた2人が報告する。カチューシャの周りには、ドイツ軍の機甲部隊の戦車が大量に進軍していた。

「ここを出るんだ!グレゴリー!」

「フォークを置いていけってのか!」

 アンドレイは脱出の命令を下した。しかしグレゴリーは反対する。

「…クソッ」

 壁を1回殴ってから、グレゴリーはレバーを前に倒した。カチューシャが勢いよく飛び出した。


「司令部から…ック01へ。大聖堂へ向かい…隊と合流せよ」

 無線機から命令が流れてくる。どうやらこれまでの戦闘で不調が起き出したようだ。

「了解」


 カチューシャは前線基地の本部とも言える大聖堂へと進軍し、部隊と合流することとなった。

 道中で歩兵、戦車、装甲車を相手にしているうちに、すっかり夕日が差してきていた。

 カチューシャとアンドレイは、大聖堂の付近まで到達していた。しかし、その町の様子は嫌に静かで、変であった。

 ハッチから身体を出したアンドレイがまず目にしたのは、街灯に吊るされた死体だった。

(きっと、昼頃見た敵前逃亡のやつらだ)

 彼はそう確信した。そして、見つけたくないものまで見つけてしまった。


 一際高く吊るされた死体に、見覚えがあった。

「フォーク…バカなやつめ…」

 同じように乗員用のハッチから顔を出したディッツが呟いた。

「黙れ!」

 アンドレイが静かに、しかし怒りを込めて叱った。

「彼は役目を果たしたんだ」

「役目?彼は裏切り者です!」

 そう反論するディッツを後目に、アンドレイは命令を下した。

「…司令部へ向かえ」


 大聖堂にカチューシャは着いた。しかし、そこには部隊はおらず、人の気配がないように見えた。

「守りを固めているはずでは?車長、一体何が?」

 ディッツが尋ねてくる。確認する、と一声答えたアンドレイは、車内の無線機のチャンネルをいじり始めた。

「ははっ、もう終わりかもな」

 操縦席でグレゴリーが笑いながら呟いた。


「…だ…河し…よ!」

 何やら司令部の声が聞こえてくるが無線の不調で聞こえない。何度か弄り、修理をしてやるとようやくそれが聞こえ始めた。それも聞きたくなかった話が。

「緊急…だ!渡河していない部隊は撤退を…で援護せよ!繰り返す…」


 なんてことだ。無線が壊れていた間にここまで状況が深刻化していたのか。アンドレイは頭を抱えた。しかし、とにかく。

「グレゴリー、橋を目指せ」

「…了解」


 カチューシャは、急いで橋へと向かう。暗く染まった空を、炎と対空砲の曳火弾が鮮やかに彩っていた。遠くで戦闘機が炎上して落伍していくのがみえた。アンドレイにとって、この瞬間ほど一分一秒が長く感じたことは無かった。


 ようやく橋を渡ろうとすると、向こう側から連続した振動音を感じた。そして橋からは爆発が連なり、橋は大破していった。

 さらに、失意にくれる乗員達を後目に、

「ソヴィエト軍よ!我々は完全に包囲している!武器を降ろせ!」

 ドイツ軍と思わしき声が外から大きく響いた。


 大きなふたつのショックに対して、呆然としていたアンドレイだったが、強烈な砲撃で自我を取り戻した。

「偉大なる祖国の為に!ソヴィエトを守るんだ!」

 ディッツが叫ぶと、命令もなしにカチューシャの巨砲が火を噴いていた。

「冗談だろ!」

 アンドレイが悪態をつく。こんな所で抵抗する意味はない。橋のない状態でこれ以上の遅滞戦闘はもはや無意味だ。

「アンドレイ!無意味だこの戦闘は!」

 操縦席からも怒りの言葉が響く。しかしそれをディッツが許さなかった。

「黙れ!裏切り者!降伏するな!戦え!」


 この戦闘で、まず12台のトラックをその巨砲の餌食とした。

 ドイツ軍は50ミリ対戦車砲を用意し、カチューシャに対して放り続けたが、カチューシャの分厚い皮膚には無意味だった。ドイツ軍はさらに88ミリ高射砲、通称アハトアハトを用意した。

 アハトアハトは、そもそも対空砲ではあるが水平射撃によって対戦車砲としての能力があることがヨーロッパやアフリカ戦線において証明していた。

 しかし、それを敏感に察知したカチューシャの乗員は、アハトアハトの設営中を狙い撃ちし、それを阻止した。

 さらにドイツ軍は躍起になり、闇に紛れて工兵を進出させ、通常の2倍もの爆薬を使用して爆破を試みた。しかし、履帯と一部の装甲を破損させた程度で未だに火力は衰えなかった。

 彼らは結局、2日戦い続けた。

 最後には、アハトアハトの水平射撃を6発食らわせたが、それでもまだこの怪物は生きていた。


 だが、ついに弾薬が切れた。さらに、砲撃を繰り返したり対戦車砲の直撃を何度も食らったことにより、足場のバランスが崩れ、後ろへ擱座かくざした。さらにその勢いで砲塔も故障した。

 車長のハッチから身体を出したアンドレイは、もはや気力もなく、外を見ていた。そこに足音がした。

「グレゴリー…」

 そこには足を引きずりながら外へ出る操縦手の姿があった。アンドレイは腰の拳銃を慌てて向ける。

「俺たちは騙された。俺たちを見捨て、橋を破壊した。こうして何日も戦っているのに、助けもこない!」

 自暴自棄になった操縦手は言葉を吐き捨てた。

「分からない、だが…」

 アンドレイが答える。

「だが?…心を強く持て?ああ?馬鹿な」

「俺たちは信じてきた。神が救ってくれると。でも実際はどうだ?全てが無意味だ…もう終わったんだ…」

 最後はその目に涙を湛えながら、グレゴリーは汚れた手を振って言葉を綴った。


「グレゴリー…やめろ…」

 アンドレイはそう言うが、彼は背中を向けて歩き出した。足を引きずっている。アンドレイは何も出来なかった。彼にも、グレゴリーの言いたいことは痛いほど分かるのだ。


 銃を降ろし、彼の姿を見ていると、脇から衝撃音が走った。



 ​───────ダンッ ダンッ​───────


 グレゴリーが力なく倒れる。アンドレイが横を見ると、そこには短機関銃を手にしたディッツがいた。銃口から白煙が伸びている。


「グレゴリー!」

 アンドレイは戦車から飛び降りて倒れた彼の近くまで行った。

「友人かもしれませんが、彼は逃げた。支え合うことこそが力だ!彼は裏切り者だ!」

 ディッツが叫ぶ。

 銃声が聞こえる。きっとこの銃声にドイツ軍が様子を見に来たのだ。

「戦車に戻ってください!」

 短機関銃をドイツ兵に打ちながらそう叫ぶディッツを後目に、アンドレイはグレゴリーの体を調べた。もう生命はない。


 戦争とは、異常なものだ。人間を殺すために、人間は狂う。未熟な子供でさえ、国の命令を遵守しなければいけない。


 ​───これが、戦争か。これが、ソヴィエトか。


 彼は諦観を抱きながら、グレゴリーの瞼を閉じてやり、軍帽を脱ぎ捨てた。

 ディッツがこちらを見る。もういい、もういいんだ。

 そう思いながら、私は両手を上げた。


「やめろーーーーっっっ!!!」




 ​───────ダダダンッ​───────







『殺人を犯す者たちは怪物ではない。ごく普通の人間である。それこそが最も恐るべき人の性なのだ』───────アリス・シーボルド


 完結

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