最初で最後の願いごと
m-kawa
最初で最後の願いごと
夏休みも目前となった七月のある日。セミの声が鳴りやまない中、電車を降りて一人の女の子が上機嫌で駆けていく。
「えへへ、たっくんびっくりするかなぁ」
だらしない笑顔をうかべながら歩く彼女が目指すのは、とあるマンションである。
駅前の商店街を通り抜け、周りをキョロキョロとしながら歩いていく。
「大学受かって一人暮らしを始めたって聞いたけど、あの寂しがり屋のたっくんだからきっとホームシックにかかってるんじゃないかしら」
そういえば向かっている先は幼馴染の『たっくん』とやらの家だったか。ポケットからメモを取り出すと住所を確認して、再び歩き出す。
途中で見つけたスーパーで食材を買い込み、幼馴染の家を目指すと目的のマンションが見えてきた。何の面白みもない普通の五階建てマンションだ。
「どんな顔するかしら?」
エレベータに乗ると目的の階のボタンを押す。目的の階で降りたときには、そのだらしのない表情は比較的見られるきりっとした表情に戻っている。
そして目的の部屋の前へとたどり着くと、躊躇なくインターホンを押した。
軽快な音を響かせるが、その後しばらくの静寂が訪れる。
「……あれ?」
訝し気にすぐ近くにある窓を覗こうとしたとき――
『どちら様ですか?』
インターホンから住人の声が聞こえてきた。
「あ、たっくん? あたしあたし」
インターホンの前へと取って返すと、カメラの前で手を振る彼女。
『えっ?』
「やっほー、久しぶり。元気してた?」
元気よく幼馴染に話しかける彼女だったが、どうにも言葉が返ってくる気配がない。
「おーい」
『えっ?』
と思ったら二度目の驚きの声が上がった。どうやら疑問が尽きないような口調である。
「だからあたしだって」
『……ホントに、
恐る恐るといった感情を乗せた、部屋の住人からの声が聞こえてくる。
「当たり前じゃない。他に誰がいるのよ」
『はは……、マジかよ』
「ふっふーん」
どうやら彼を驚かせることに成功したらしい彼女がドヤ顔を決めているようだ。第一の目的は達成できたようで何よりである。
「……ちょっと、いい加減に中に入れてくんない?」
『あ、あぁ、すまん。ちょっと待っててくれ』
しばらくすると部屋の鍵が外される音と共に玄関の扉が開く。
「やっほー」
「ホントに穂乃花だ……」
「だからー。何回もあたしだって言ったじゃん。ほらほら、お邪魔しますよー」
一瞬見えた泣き笑いのような彼の表情は気のせいだったのか。ホームシックという話だし、ここはあえてツッコまないであげるのが優しさというモノだろうか。
「あ、おい!」
制止の声を掛ける彼ではあるが、そんな言葉で止まる彼女ではない。ずんずんと廊下を進んでいき、ワンルーム唯一の部屋へと上がり込む。
「へぇー、割ときれいにしてるじゃん」
感心するように部屋の中を見回す彼女。何か面白い物でも落ちてないか探ってみるも、残念ながらえっちな本とかは見当たらなかったようだ。
「ちょっ、来るなら連絡ぐらいしてくれよ」
「えー、それじゃつまんないじゃん」
彼の抗議も何のその。まるで彼女には通じない。
「まったく……」
だけど彼としてもまんざらでもなさそうだ。なんだかんだ言っても幼馴染なのだ。ある程度相手がどういう行動をとるのかはわかっているのだろう。
「変わってないなぁ、穂乃花は……」
そうしみじみと呟かれる彼の言葉にピクリと反応する彼女。
「ふっふっふ。そう思うでしょ?」
「はぁ?」
「ほらほら、これでもあたし、料理ができるようになったんだから」
「えぇー?」
自慢げに語る彼女に、疑いの目を向ける彼である。
「ちょっとー。何なのその態度。せっかくご飯作ってあげようと思って来たのに」
「えっ? マジで?」
「そうよ。食材も買ってきたし。お腹すいてるでしょ?」
「えーっと、まあ、うん。そうだな」
「よしよし。じゃあちょっと待ってなさい」
それだけ言うと、いそいそとエプロンを取り出して装着する。買い物袋を片手にキッチンへ向かうと、手際のいい手つきで料理を始めた。
「ふんふふーん」
上機嫌に料理を進める彼女を見つめ続ける彼の視線は、一切他へと向けられることがない。釘付けにされているようでなんとも初々しいものである。これが世の大学生というものなのか。
「……マジで料理できたんだな」
と思ったがどうやら違ったようだ。彼の彼女へ向けられる視線は、変なものを見るかのようなものであった。
「ちょっとー、何疑ってんのよー。あたしだって……、たっくんのためにがんばったんだから……」
「えっ? なんて?」
どうやら後半の言葉はかすれて聞こえていないようだ。ちゃんと聞こえるように言わないと、伝わるものも伝わらない。
「……なんでもない」
ぶっきらぼうに告げる彼女ではあるが、それでも手際よく料理が進んでいく。
しばらくするといい匂いが漂ってくる。と同時に、どこからともなく腹の虫の鳴く音が聞こえてきた。
「あはは!」
「くっ」
嬉しそうに笑う彼女に、悔しそうにする彼である。
なんだかんだと他愛のない会話が交わされると、ようやくの料理が完成した。ご飯は冷凍があったのであっためて、彼女自作の料理は定番の肉じゃがだ。
「ほら、たっくんの大好物ー」
漬物やサラダに目玉焼きを添えて、一人分のお昼ご飯の完成である。
「うお、美味そう。……って穂乃花は食べないの?」
「えっ? あ、うん。あたしはお昼食べてきたから、お腹いっぱいなの」
「ふーん。そうなのか」
残念そうな表情の彼女だがそれも仕方がない。
「いいから、食べて食べて」
気を取り直してご飯を勧める彼女に根負けしたのか、肉じゃがに箸を付ける。
「うまっ」
そこからは早かった。完食まであっという間だった。
「いやマジで、料理うまかったんだな。知らなかったよ」
「えへへ。そりゃね。……たっくんのために、がんばりました」
「えっ?」
今度はちゃんと聞こえただろうか? 彼女ははっきりと言葉にしたはずだ。
「だから、たっくんのためにがんばったの!」
半ば叫ぶように顔を真っ赤にして、二度目の宣言をする。大事なことだから、ちゃんと二回言わないとね。
「あ、うん……。ありがと」
同じように顔を真っ赤にする彼の隣に寄り添うと、彼女の手が彼の手の上に重ねられる。
「ねぇ、たっくん……」
急に色っぽくなった彼女の声に、彼がギョッとしたように振り向く。もちろんそこには彼女しかいないが、いきなりの変貌ぶりに戸惑うばかりだ。
「ど、どうしたんだ、穂乃花?」
うるんだ瞳で見つめられて、彼の鼓動が早くなっていく音が聞こえてきそうだ。ごくりと喉を鳴らす彼に、彼女がさらに近づいていく。
「たっくん。……会えてよかった」
彼の首元に顔を埋めた彼女が、ぎゅっと抱き着いて呟く。
「えっ? えっ?」
目を白黒させる彼だけれど、さすがにこうなることまでは予想していなかったらしい。重ねられた手は動かせないが、もう片方の自由な手をどうしていいか彷徨わせるばかりだ。
「ちょっ、穂乃花……?」
「ごめんね、たっくん。そろそろ時間切れみたい」
「時間?」
「あたし、もう行くね?」
「え、ちょっと待って! どういうことなんだよ!」
気が付けば彼女の輪郭が薄くなっており、そろそろ顕現させておくのも限界のようだ。
「たっくん。大好きだよ」
「穂乃花!」
気が付けば涙を流した彼にぎゅっと抱きしめられていて、彼女は幸せそうに微笑んでいる。
「じゃあね。……さようなら」
「穂乃花! 待って! 行かないでくれよ!」
彼へと軽く口づけすると、そのままスッと彼女の姿が掻き消える。
「っ!?」
抱きしめていた抵抗がなくなったからか、つんのめるようにしてテーブルに額をぶつける彼。
「穂乃花……。やっぱり……、もう……」
呆然と涙する彼の部屋には、彼女が作った肉じゃがと、持ち込んだ買い物袋が残されるだけであった。
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