寿美子の探し物
愛奈 穂佳(あいだ ほのか)
第1話
「お母さん、今年も……来たよ。『よく来たね』って、いつもみたいに笑顔で出迎えてよ……」
母は静かにそう言って俯いた。そんな母の肩を、父が優しく抱きよせた。あたしを含め、たまたまその場に居合わせた親戚たちは、堪えきれずに嗚咽を漏らした。
大晦日。
毎年、大晦日から三箇日まで、母方の親戚は、この祖母宅でのんびりと過ごすのが恒例行事となっている。
母は五人兄妹の末っ子。四人の兄たちよりかなり遅くに生まれたのと、伯父たちは既にそれぞれ子沢山だったと、更にその次の世代が誕生しているところもあるので、あたしはイトコ世代の親戚を把握できていない。
親戚の全員が全員、毎年、律儀にきっかり大晦日から三箇日まで祖母宅に滞在しているわけではなく、それぞれの都合で入れ替わり立ち替わりが激しいので、余計、未だに顔と名前が一致しない親戚だらけだったりする。
でもみんな、集まれば気さくに交流するし優しいので、大所帯で忙しくなくても居心地は良い。家も、築百年は経っているという昔ながらの戸建てだからどこもかしこも珍しいし、ハイカラでお茶目という不思議な祖母も大好きだから、毎年、一番楽しみな数日間だったのに……。
あたしは、母の肩越しから遠慮がちに横たわる祖母に目を向けた。
そこに在るのは、『亡骸』だった。
あたしは、『魂が宿っていない』という状態の奇妙さと怖さから、すぐに目を逸らしてしまった。
秒針の音を聞くとはなしに聞いていると、母への気遣いだろう、ひとり……ふたり……と、あたしたち家族を出迎え、お座敷に案内し、見守ってくれていた次男・三男夫婦がそっと席を外したので、あたしもそれに続いた。
彼らが向かった先は、茶の間だった。
あたしが密かに『オトナたち』という括りで接している伯父・伯母のうち長男と四男夫婦がしんみりとした表情でお茶を飲んでいた。
『オトナたち』は、あたしがイトコやその子どもたちと馴染むまでに時間がかかったり、うまく輪の中に入れず、所在無げになる事が少なからずあることを知っているので、気付いたら気軽に声をかけてくれる。
今も、あたたかく迎えてくれた。
祖母と同居している長男の嫁が、改めてわかりやすく祖母の最期を説明してくれた。
祖母が大腸癌を患っていて、発見が遅かったため、倒れた時点で余命は3カ月だと宣告されていた――ところまでは、あたしも知っている。
伯母が言う。
本人には伏せていたけれど、たぶん、色々と気づいていたと思う。互いに口にはしなかったけれど、気付いていたからこそ、気合と根性で文句なしに退院できるくらいに回復して自宅に戻ってから、人目を憚らず身辺整理をしていたんだと思う、と。
自分の事は自分できっちりカタをつけるタチの祖母らしいな、と、あたしは思わず微笑んでしまった。
伯母は続ける。
そして今朝、トイレに続く渡り廊下で倒れている祖母を発見し、救急車を呼んだが、既に『大腸破裂状態』だったので祖母は帰らぬ人となり、てんやわんやな今に至る、と。
退院してからの祖母は本当に元気で、数日前に『余命3カ月』を越したから、ウチの家族も、ひょっとしたらあと数年持つのではないか?と、身内ならではの淡い期待を寄せていたのに……。
「ほんと、具合悪そうには見えなかったのに今朝、急に逝っちゃうなんて……」
「今年も、十二月に入ってから、もうすぐ寿(こと)ちゃんや美子(みこ)ちゃんに会える、って、すっごくわくわくしてはったもんなぁ……」
「なにも、一年で一番楽しみにしてはった日に死なんでも……」
嫁としてのパフォーマンスではなく、伯母たちは本気で悲しんでいるのが伝わってきた。
伯母たちと祖母、伯母たちと母――みんな仲良しだった。
『一年に数回顔を合わせた時くらい、誰もが楽しく仲良く過ごさないと!』
祖母はいつもそう言っていたし、そうなるように、率先して動いていた人でもあった。
空気が読めてるんだか読めないんだかよくわからないことの方が多い、どちらかと言えば、『我が道をゆくお姫さま』タイプな祖母だけど、良くも悪くも直球勝負の人だったから……なんのかんので皆に愛されていたと思う。
その祖母が、もう、この世にはいないなんて……
思わず、目が潤んできてしまった時だった。
「学校、大丈夫なん?」
しんみりし始めた空気を変えるかのように、三男の伯父が明るく話かけてきた。
「……あ、うん」
咄嗟のことで反応が遅れてしまったけれど、あたしは気を取り直して質問に答えた。
「多分、大丈夫。幸か不幸か、あたし、飛び級してるから、エグザム――学年末試験で単位落として留年扱いになったとしても、日本で数えるのと同じ学年になるだけだから、高校卒業にしろ大学受験にしろ、『現役』の肩書はキープできるハズだし」
次男の嫁が続けて訊いてきた。
「大学は日本にするん?」
「まだ決めてないし、ちゃんと考えてない。あたし、やりたいコトあるし」
「何やりたいの?」
「音楽」
「音楽?」
意外だ、という表情で長男の伯父が訊いてきた。
「歌?楽器?民族的なもの?」
民族的なもの……?
あたしは心の中で苦笑してしまった。
かれこれもう5年程、あたしは親の都合でインドネシアの首都・ジャカルタに住んでいる。
インドネシア、と言えば『バリ島』のイメージしかない『オトナたち』なので、何度説明しても、時間が経てば、彼らの中では、ウチの家族はのんびりしたリゾート地で現地の人たちに溶け込んで芸術活動をして暮らしている、という先入観に戻ってしまうらしい。
「いや、何度も言ってるけど、ジャカルタは首都だし、都会なんだってば! 東京とか大阪とかと同じ!」
「でもさ、インドネシアやろ?」
「うん」
「アメリカでジャズ、とか、ヨーロッパでクラッシックに目覚めた、とかならわかるけど、インドネシアで何に目覚めたん?インドネシアの有名な音楽って、なんかあったっけ?」
『オトナたち』は、興味津々なまなざしであたしを見ている。
「インドネシアには伝統音楽もあるし、ガムランも有名です!」
「あ、そうなん?」
「ガムラン? 聞いたことないなぁ~」
「でもね、あたしがやりたい音楽は、J―POP。シンガーソングライターになりたいの」
「え? J―POP?」
「シンガーソングライター?」
「自分で歌詞書いたり、曲作ったりするあれ?」
「――あらまっ!」
すごい!とか、ほんまに?とか、中年男女が口々に驚く中、年若い女の声が混ざったのを、あたしは聞き逃さなかった。
しかも、咄嗟に出たであろう言葉が「あらまっ!」ってどんな人?と気になり、声がした茶の間の出入口に視線を移してみた。
すると、少しだけ開かれた引戸からそぉーっと中の様子を窺っている、見慣れないコとしっかり目があった。
そのコはあたしをとらえてギョッとした表情になった後、大慌てでくるりと踵を返した。
(え? なんで脱兎のごとく逃げるかな?)
別に気分を害したわけではなく、純粋に彼女の言動が気になったあたしは、『オトナたち』に「ちょっとトイレ」と言って茶の間を出た。
「ねぇ、ちょっと待って!」
電気がついていない、薄暗い部屋の先にある2階へ続く階段を上ろうとしていた彼女は、あたしの呼びかけに足を止めた。
あたしは小走りで近づき――絶句した。
(え?嘘!なんで?)
足は止めたもののこちらを振り返らない彼女の後ろ姿を見て、あたしは理解に苦しんだ。
彼女は、華やかな着物姿、だったのだ。
「――『喪服』の試着をしてた、って言うのならわかるけど……なんで……?」
あたしは呆然とつぶやいていた。
「……」
彼女は振り向きも即答もせず、ややあってからなんでもないような口調と声音で言った。
「この着物、気に入ってるんよ」
「――は?」
「今風に言うたら、『勝負服』?」
「――?」
このコ何言ってんの?と奇妙に感じたあたしは、反応に困ってしまった。
それを知ってか知らずか、彼女は続けた。
「それに、今しばらくは皆、自分のことしか見えてないから……大丈夫」
「……」
「自分以外の誰かの姿や行動は、目に映ってるだけで、いつものようにきちんと認識できてる状態やないから、――誰にも見つからへんわ」
「――」
言ってることの意味が分からず、かといって、無言で逃げ出すようにこの場から離れることもできず、あたしは途方に暮れてしまった。
そこへ、ゆっくりだけれど唐突に振り返りながら、彼女は言った。
「美子(みこ)、今年はえっらい到着早かったね?どうしたん?」
あたしは彼女をまじまじと見たけれど、誰だか分からなかった。
(年齢が近そうな従姉妹で、こんなに品があって美人の部類に入る人、いたっけ?)
一度会ったらまず忘れないであろう独特な雰囲気なのに……と思うのと同時に、
「――なんであたしのコト知ってるの? ……ごめん、あたしは貴女が誰かわからないのに」
と、あたしは率直な思いを口にした。
彼女は可笑しそうに笑いながら答えた。
「知ってるに決まってるやないの!総勢何人かわからんくらいの大所帯の中で、唯一、海外暮らししてるんやから!」
「――あ、なるほど。それで……か」
あっさり納得して多少警戒心を緩めたあたしの傍らで、彼女は階段に腰を下ろした。
「で、なんで、今年に限って到着が早かったん?偶然?」
祖母が亡くなってしまった今、もう誰にも隠す必要はなくなったので、あたしは壁に寄りかかりながら答えた。
「実は、おばーちゃんが倒れて余命3カ月だって言われた時、おばーちゃんにはそれは伝えない方向でってことになったから、万が一に備えて、誰にもナイショで一時帰国することにしたんだ。ウチの家族」
「え?あの時から日本に居たん?」
「うん」
彼女は目を丸くした。
「が……学校は?」
「休学」
「――っ!」
思いきり驚かれて、何故かあたしはバツが悪くなってしまった。
「学校なんてどうにでもなるし、どうでもいいんだ。あたしもおかーさんもおばーちゃん大好きだから」
「……」
「おばーちゃんに残された時間が短いと確定されたからには、おかーさんにしてみれば嫌だろうけれど、それでも、親の死に目には会いたいだろうし、海外に住んでたら、何かあっても飛行機都合ですぐには駆けつけられないから必要以上に心配になるし、気になって気になって何も手につかなくって日常生活に支障でまくるのと精神衛生上にもよろしくないのが目に見えてたから、迷うことなく、おばーちゃんの近くで生活しようってことになったの」
「……ワイルドやな……」
あからさまにドン引かれてしまい、あたしは苦笑するしかなかった。
「どこに住んでたん?」
「隣町」
「――え? ほんまに?」
興味津々なまなざしになったり、ドン引いたり、驚いたり……彼女の表情はくるくる変わる。それが愛らしく見えるので、仲良くなれたらいいな……と思うようになっていた。
「確かに、そこそこの親戚がこの街だったり隣町だったりご近所さんに住んでいるけれど、おかーさん、嫁に行くまで地元だったから土地勘あるし大丈夫って自信満々だった」
「――ほんま、相変わらずワイルドな性格やな……」
「おばーちゃんに似たんでしょ?」
「せやな」
あたしたちはたぶん、お互いに祖母の事を思い出していたから泣き笑いに近い表情になってしまったんだと思う。このまま沈黙が続くと、少なくてもあたしは泣きだしそうだったので、話題を変えた。
「で、話変わって話戻すけど、名前、教えてくれる?」
「寿美子(すみこ)」
「――――はっ?」
あたしは素ですっとんきょうな大声をあげてしまった。
何故なら、『寿美子』は、祖母の名前なのだ……。
「……マジで?」
人のコトは言えないくらい全力でドン引いてしまったあたしに、『寿美子』は言う。
「そんなに驚かんでも……」
「……あ、いや、うん、え……あ、ごめん」
あたしはわけのわからないことをしどろもどろに口走っていた。
そんなあたしを見ながら、『寿美子』――彼女は可笑しそうに笑う。
「あんたかて、『美子(みこ)』やん!」
「あ、うん、そうだけど……」
(やっぱり、同類、って思われてるのかな?)
あたしは少々胸中複雑になってしまった。
五人兄妹の末っ子として生まれた母は、祖母にしてみれば超高齢出産だったにも拘わらず、五体満足で生まれてきたし、待望の女の子だった。
狂喜乱舞だった祖母は、自分の名前から一字とって『寿子(ことこ)』と名付けた。
そこまでなら、よくある話。
母・寿子は、祖母・寿美子と一緒に過ごせる時間が他の同級生たちより短いことを、仕方ないと納得していても寂しいと感じ、自分の子どもにはこんな思いは絶対にさせない、と結婚願望が強く、結果、十六歳で結婚。十八歳の時に、あたしを産んだ。
十六歳とはいえ、幸せな結婚をした母だし、このテの話もよくあること。
ここから先が……笑えるんだか笑えないんだか微妙になってくる。
祖母が『寿美子』で、母は『寿子』。そこにまた娘が生まれたものだから、『美』の字を使えば、娘と孫娘の名前で祖母の名前になる、と祖母と母が面白がった結果、あたしの名前は『美子(みこ)』になった。あたしとしても気に入っている字面だし名前なので、問題はない。
基本、母方の人間は、『面白ければ事実はどうでもいい』というノリで、話を盛大に盛る傾向がある関西人。
なので、いわゆる『キラキラ・ネーム』のイトコやその子どもたちも少なからずいる。
匙加減が絶妙なので、ギリギリ世間一般でも許容範囲だと思える『キラキラ・ネーム』の親戚たちだと思っていたけれど……。
「おばーちゃんと……同じ……名前……」
「……」
驚愕するあたしを、彼女はにこにこしながら見ている。
名前の由来も、その『いわゆる勝負服』だという華やかな着物を『今』着ている理由も……色々と突っ込んで訊いてみたいけれど……何からどう訊けば穏やかに知りたいことを知ることができるだろうか?
慎重に言葉を選ぼうと考えていたら、不意に彼女が言った。
「今、暇?」
「――え?」
話題が変わってしまったので、とりあえず、話の腰を折るのは止めようと思い、あたしは答えた。
「あ、うん。こんな夜更けだし、何か手伝いに駆り出されることはないと思うから、今しばらくは暇かな……」
「じゃあ、探し物、手伝ってくれない?」
「探し物?」
「そう」
「うん……わかった」
あたしが快諾すると、彼女は嬉しそうに階段を上がった。
「え? 上で?」
後に続きながら、あたしは戸惑った。
「うん。部屋には無かったから、向かいの物置きだと思うねや」
「え?部屋には無かった……って、おばーちゃんの部屋のこと?」
「そうや。……あ、美子(みこ)は聞いてへん?早い者勝ちで、何か気に入った物があったら、とりあえずよけといてええねんて」
「え?あ、そうなんだ……。聞いてなかったから、知らなかった……」
「ま、孫たちにしてみれば、欲しいと思えるモンなんて無いやろけどな」
「うん、確かに」
そんな会話をしながら、あたしたちは2階に上がった、
2階は2部屋で、祖母の部屋と大半が祖母の私物だという『物置』がある。
話には聞いていたけれど実際に足を踏み入れたのは初めてで、『物置』と呼ばれるくらいだから、とりあえず物を放り込んでいるだけの埃とクモの巣だらけでカビ臭い部屋だと覚悟していたけれど……。
「……」
きちんと整理整頓されていて、掃除もしっかりされている室内に……驚いた。
所狭しと並べられ、可能な限り押し込められている物の多さが、そこが『物置』だということを如実に物語っていた。
「どうしたん?」
「意外……で驚いた」
「もっとぐちゃぐちゃで汚くて臭いと思っとった?」
「……うん」
あはは、と彼女は屈託なく笑った。
「で、探してもらいたいモノやねんけど」
「うん」
「イメージとしては、見た目小さいけどそこそこ分厚い『アルバム』みたい……というか、かっちりした装丁で厚みのある『手帳』みたい……というか、う~ん、なんて言えばいいかしら?」
彼女はあちこち探しながら困った様子でどう説明しようか考えていた。
「……探し物がどんなのか、はっきりしてないの?」
とりあえず、あたしはどんなモノが収納されているのかを見て回る。
大きなモノだと、乳母車やらお雛様やら鯉のぼりやらベビーベッドやら……赤ちゃん用品と季節のモノがきちんと手入れされている状態で収まっている。
そう言えば、オモチャを含む使用期間が限定されている赤ちゃん用品が必要な時には、まず、物置を探せ、というのが暗黙の了解だと聞いたことがある。
あたしは今より更に子どもだったから、その意味が全く分からなかったけれど、あれから数年経って、物を目の当たりにして、納得した。ここはすごい。見た目、年季が入っているのが嫌でなければ、いろんな物が今すぐにでも使える状態だ。
物持ちだった祖母が、私物共々管理していたのだろう。
物置については、話をしたことがなかったな……と、また、祖母のことを思い出して泣けてきそうになった時、彼女によって現実に戻された。
「いや、はっきりはしてるんやけど……」
「――何?アルバムなの?手帳なの?」
「いや、厳密には、そのどっちでもないのよ」
「どういうこと?」
「美子(みこ)に、わかるかなぁ?」
「……何?」
「――『育児日記』」
「――え?」
「やっぱり、わからんか」
「え?いや、わかる。知ってるよ、『育児日記』。実物は見た事はないけど」
「見たことないん?自分のは?」
「うん、ない。あのおかーさんのことだから、育児日記も、おもしろ可笑しくあることないこと話盛って記録してると思うけど」
たぶんそうやろね、と、彼女もあたしも苦笑した。
「美子(みこ)は、自分の『育児日記』、あったら読んでみたい?」
「うん……読んでみたいな。おかーさんが初めての育児で、どれだけ苦労して、どんなコトに幸せを感じていたのか……知っていいなら、知ってみたいな」
「そう……」
何故かすっきりしたような表情になり、彼女はさっきより念入りに辺りをがさごそと探し始めた。
「……?」
彼女のぱぁっと明るくなった表情の意味ががわからないまま、あたしも『育児日記』だから『ノート』を意識して、あちこち開けたり、本棚に並ぶ本やらノートやら古いアルバムやらを1冊ずつ丁寧に取りだして確認したり……し始めた。
壁一面の括りつけの本棚には、ジャンル別に分けられていたけれど、スクラップや切手帳や記念コイン帳など、珍しいモノも沢山あった。それぞれにきちんと名前が書いてあるので、知ってる親戚や知らない親戚の趣味や想いに思いを馳せてみたりと、あたしはかなり有意義な時間を過ごしていた。
年季の入った、色褪せたスクラップ・ブックの背表紙に『離乳食レシピ』と書いてあるのを見つけて、いつの時代のどんなレシピなのかが知りたくなり、手に取ってみた。
その瞬間――
スクラップ・ブックの中から1枚の紙切れがはらりと落ちた。
糊が剥がれたレシピなら順番が狂ってわからなくなる!と慌ててあたしはそれが挟まっていたであろうスクラップ・ブックのページを開き、落ちた紙切れがどこかに紛れてしまわないように更に慌てて拾い上げて――
息を飲んだ――。
「――えっ?」
思わず声が出てしまうほどに、驚いた。
それは写真で、そこに映っていたのは、写真館で撮ったというのが一目でわかる、母と赤ちゃん。赤ちゃんの服装からして、女の子。母親は、だいぶ年齢がいっているからか、赤ちゃんの抱き方にも『新米の母』としての表情にも、初々しさはない。でも、溢れんばかりの幸せを感じているのは、伝わって来る。例えるなら、不妊治療の末に授かった子……。
それはいいとして、驚いたのは、母親の服装だ。
母親が身につけてる『華やかな着物』は、すぐ傍でがさごそ探しものをしている彼女のそれと瓜二つだったのだ。
「………」
ちょっと待てよ。いや、でも、そんな馬鹿な……。いくらなんでもそんなコトは……
あたしは写真と探し物をしている彼女の後ろ姿を見比べながら、ぐるぐる同じ言葉を繰り返すだけで、思考回路は停止していた。
「あ! あったあった!」
いやっほうっ!と飛び上がらんばかりの大喜びで、彼女は、部屋の片隅に積み上げていた箱の一番下の中を覗きながら安堵していた。
「ここやったんかぁ~。絶対、誰にも見られたくなくて変なところに隠した記憶は間違いないと思っとったけど、……ココやったかぁ」
よっこらせ、と中からA4サイズの分厚いノートらしきものを数冊取り出し、彼女はこっちを向いた。
「………」
固まってるあたしに気付かないのか、そんなことよりも見つけ出した喜びと達成感が強いのか、彼女は満面の笑みを浮かべながら、それを私に差し出した。
「これら、重いけど、おかーさんに渡してくれる?」
受け取りながらそれに視線を移すと、そこには、『寿子(ことこ)の育児日記 その1』と書いてあった。
ということは……、有り得ないんだけど……やっぱり……この人……
「おばーちゃん?……なの?」
「え?何を今更?」
彼女はきょとんとしている。
「ちょっと、あんた、気付かなかったの? ちゃんと名乗ったやないの!」
「え……いや、だって……おばーちゃん、死んじゃった……んだよね……?」
「不本意ながら、ね」
「そ、それに、おばーちゃん……九十近く……じゃなかったっけ?」
「美人薄命じゃなくて悪かったわね!」
「いや、そういう意味ではなく……実年齢からは想像できないくらい若い姿だから……気づくわけ……ないよ……」
「私も寿子(ことこ)と同じくらいの年齢の時に嫁いだし、やっぱり、十代の頃が一番元気だったし、動きやすかったし、青春だったから……気づいたら、私にとってはお気に入りで勝負服だったこの着物姿と若さだったわけ」
「はぁ……」
「死んじゃった自覚はあるからね、誰にも気づかれないんだと思ってた。それはそれでいいから、とにかく、コレを探し出して寿子(ことこ)に届けたくて……」
「じゃあ、早く、持って行ってあげなよ!若い姿だけど、おかーさん、めっちゃ喜ぶと思うよ!」
最後に一言でも二言でも言葉を交わすことができれば、母の哀しみも少しは癒されるのではないかと思ったんだけれど……祖母は、首を横に振った。
「仮に寿子にこの姿が見えたとしても、私は会わないよ」
「どうしてっ?」
「本来なら、死に目に会えなかった者同士。なんでこうなったんかわからんけど、今、こうしてるのって自然の理に反することやろ?」
「うん……」
「私だって寿子に会いたいし、抱きしめたいし、もっともっと色々と話したいこともあるよ。でもね、それやってしまったら、キリないねん。もっともっと……って未練ばかり強うなるし、悪縁・因縁を摘んでしまうことになりかねへん……」
「……」
「いつまでこの姿でここにおられるのか、美子(みこ)とコンタクト取れるのかもわからんから、手短に伝えとくな」
「……うん」
「重いけど、この『育児日記』を寿子(ことこ)に渡して。私に会ったことは言わんようにな。どこで見つけたん? って訊かれたら、おばーちゃんの部屋に目に付くように置かれてた、って。それだけ伝えればいいわ」
「……うん」
あたしは、せつなくて、母に申し訳なくて……泣きだしそうだった。
「それ読んだら、寿子も元気に前を向いて生きてけるから。早よ、渡したって」
「うん……」
堪えきれず、あたしは涙をこぼした。
そんなあたしを、祖母は抱きしめた。
「相変わらず抜けてて驚いたけど、美子(みこ)、ありがとね」
「……」
「ありがとう……。さ、おかーさんに届けて来て」
「うん……おばーちゃん、大好きだよ」
うん、と祖母は頷き、あたしから離れた。
あたしは涙を拭い、大量の『育児日記』を大事に抱きしめ、足早に物置を後にした。
おわり
寿美子の探し物 愛奈 穂佳(あいだ ほのか) @aida_honoka
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