file17 捜査9:虚栄の市

「正直言うと、刑事さん。俺たちを止める事ができそうな奴が出てきたと感じた時は、脅威と同時に、面白いとも思った。だがな、とんだ期待はずれだ。自分自身すら信じきれない奴に、俺を倒すことは出来ない」


 声が低く、冷たくなる。同時に……彼の触れる手から、力が流れ込んだ。どこへ。こちらへだ。組み付きを解除、離れようとした。

 しかし遅かった。『力』が、作用した。フェスタの首元から、羽織ったジャケットが『ほどけ』始めた。繊維ごとバラバラに分解されていく。そのまま上着は宙に舞った。それだけではなかった。それらは寄り集まり再構成され、乱雑な一本のロープのようになった。蛇のようにのたうち回って、離れようとする前に、身体に巻き付いて。

 こちらを、地面に、叩きつけた。


「がッ……」


 背中をしたたかに打ち付ける。痛みで、一瞬視界が揺れる。目を開ける、身体を起こす――。


 スミシーの背後。廊下の奥の奥、突き当りから、灯りが消え始める。連続して、暗闇が押し寄せてくる。それと同時に起きる。何かがドシャリと落ちる音。近づいていくる。地鳴り。あの時と同じ音。雪崩のように、何かが――何かが……。

 彼は目を瞑り、指揮棒のように腕を振り、前方に差し向ける。そうすることで闇とともに迫りくるものが何かが見えてくる。

 空間が、奥から、崩れてくる。それはペーストだ。泥だ。壁と、天井と床と、鉄筋と。その他多くの、窓ガラス、調度品、そのほか、数え切れない沢山の瓦礫が。まとめて、一つの流れとなって、轟音を吠え立てながら、こちらに向かってくる。その速度は……奥からこちらに向かうにつれて、加速度的に、一瞬ごとに増していく。近づいてくる、近づいてくる。


 その異様は、外からでもはっきり視認できた。ビルの中ほどの角がぐにゃりと曲がったかと思うと、白い煙を立てながら歪み始めたのだ。


「なんだアレは――」「崩れるぞ――」


 その崩壊は、明確に、如実に。報道者達も、警官たちも、野次馬達も……皆、見ている。


 天井の灯りが明滅し、その後床に落ちて割れる。引き裂かれたソファがずるずると斜めのフローリングを滑っていく。力なき隊員たちもろともに。真下からの震動をモロに受けたその場所は、ゼリーのように不安定に揺れ続け、徐々に傾斜していく。


「何が、」

「ははは、兄貴が、やったんだ……!」


 瓦礫の濁流は、まるでスミシーの従える亡者たちの軍勢の如く、彼の指し示す前方に向けて真っ直ぐ進む。彼の傍らを抜けて、こちらへこちらへ。廊下が蹂躙され、やがてその怒涛が形を取り始める。それは腕だ。ぐちゃぐちゃに押し潰されてペーストになったジャンクが、巨人の腕のようになって、廊下の床を引っかきながら、今まさにフェスタに迫る。奥から壁も天井も崩れていき、まるで立体絵本を強引に押しつぶすように……暗闇が、迫る。


「なっ、ん……だ、こりゃあッ!?」


 フェスタは慌てて、手近にあったドアに体当りして、中に転がり込んだ。

 だが、そんなことは。何の意味も、ない。

 ――濁流が、すべての壁を突き崩して、フェスタのもとへ殺到する。

 そこもまた、呑み込まれる。

 フェスタは絶望的な逃走を開始する。

 きびすを返して、壁へ、壁へ走る。そのたび粉砕されて、空間の仕切りが失われ、押し潰される。マンション上半分そのものの崩壊も近いだろう。フェイはどうしているだろうか。一瞬考えるが、すぐにそんな暇はないことに気付く。


「アンタの能力はなんだ、刑事さん。モノを操る力。概ねそんなところだろう……」


 怒涛を従えて、失われていく空間の奥から、死人のような男が迫ってくる。


「ははは、甘い、甘いぞ……どこまでも、どこまでも! 真の力とは――奪い、利用し……枯らし尽くすものだッ!」


 彼は腕を前にかざした。

 それが、目の前に見えた錯覚が起きた。

 次の瞬間に、フェスタは、津波に呑み込まれた。


 あらゆるオブジェクト。砕かれたそれらの歴史全てが、フェスタの小さい体を押し流し、蹂躙していく。彼は今瓦礫のなかで溺れていた。もがき苦しむたび、質量に肉体を削られ、血が噴き出るような感覚があった。


(こんなところで……ミンチなんて死に方、ごめんだぞッ!)


 そのギリギリの思いが、僅かに、彼の力を四肢の末端に巡らせた。

 流れていく怒涛の中で、破壊された壁の一部が丸ごと、波間に漂うボートのように上に『吐き出された』。


「がはッ、畜生――」


 フェスタはその上に上がり込む。不格好なサーフィンだ。これで瓦礫に轢き潰されることはなくなった。だが、濁流は進む、進む――そして。

 最後の壁が砕けて、その棘だらけのセメントは、打ちっぱなしのコンクリートの空き部屋の中へ流れ込んだ。


 そこはマンション中層の端に位置する部屋で、ひときわ大きな敷地を有していた。その中に、真反対から延々と、全ての壁と天井を巻き込みながら形成された瓦礫の濁流が満ちた。窓ガラスは砕け、そこから滞留から排斥された一部ががしゃがしゃと落ちていく。

 フェスタは、壁に背中を打ち付けて……追い詰められたことを知った。

 目の前。視界のすべてが、瓦礫で埋まっていた。

 そして、その山上を、ゆっくりと歩いてくる。スミシー。


「どうなってやがる……お前の力は、一体……」

「言ったろ、利用して枯らし尽くすと」


 今、彼らの居るマンションは、上半分が溶けかかったシャーベットのように崩れていた。当然その中に居るフェスタがその景観を見ることは出来ない。だが自身がどこまでも追い詰められていることは分かる。途方も無い力。自分や……ゴム男とは、桁違いのスケール。こいつが、目の前のこの細身の男が、これらの瓦礫全てを、まるで生き物のように操り、自分をこの隅まで追い詰めた。

 瓦礫の力は、今は失われているようだった。海のように空間を満たしているだけ。


「俺の力は器用でね。たとえば、こいつをこうやって……」


 瓦礫の王は、うず高く積もった灰色の中からナイフを取り出すと、空中へ放り投げる。彼が目をそこにやると、それは宙で制止した。


「こうする。すると、ほら」


 ……目をこちらにやった。ナイフが飛んできて――フェスタの眼球に突き刺さるギリギリのところで、止まった。彼は動けない。瓦礫で、足元のギリギリまで占領されている。


「そんなもん、おれだって出来るぞ……」


 フェスタは睨みつけ、力を込めた。するとナイフは反対を向いて、スミシーに向いた。しかし彼は眉を曲げて笑い、こちらを見下ろした――哀れっぽく。


「なるほどな。だが今君の目はひどく充血している。切っ先に随分と力を込めてるんじゃないか? それにどうだ、君は。その場から一歩も動けない。あの時だってそうだ。俺の頭の周りに色んなものを並べても、それ以上のことは出来なかった――君は。ものを操っている時は、自分自身動くことは出来ないんじゃないか」


 なんて頭の回る奴だ。こいつが警察に入ればいい。その通りだった。自分の力とは、操るものに、自分の『意思』の一部を分け与えることだと理解している。だから、自由が効かない。では……こいつは、なんだというのか。


「俺は違う……俺の力は、もう少し利口だ。ほら、こんな風に」


 彼が、下り坂になっている瓦礫からゆっくり降りつつ。周囲に、その堆積の中から掘り起こされた刃物が浮かび上がり、くるくると旋回し始める。それでいて、彼の歩みは止まらず。

 ……こちらに、一本飛来してきた。フェスタは顔をひねって避けた。僅かな痛み。頬が切れて、血が出た。ナイフが転がり落ちる。

 すると、制御を失ったそいつは、錆びて、刃こぼれを急激に進行させた。


「何、だこりゃ……」

「俺は、何ていうのかな。モノの性質を『乗っ取って』操るんだ。そうして役目を終えたモノは、性質を奪われて……朽ち果てる。お役御免になる」


 見ると、周囲の瓦礫もそうだった。含まれている様々なもの。鉄筋。壁。床。小物。それらはボロボロになり、崩れ、灰色の中に埋もれている。それが能力……胸糞の悪い。


「それで、被害者たちを、自殺に見せかけたってのか」

「そうだ。彼らは自分の使っている道具の不具合を疑う。よく見てみる。顔を近づける……そして、それによって死ぬ。馬鹿な奴らだ」

「……クソ野郎。お前は自分では――何一つ出来ないんだ。だから弟にも全部任せちまう」

「……」


 言うべきでは、なかった。男の顔から笑みが消えて、代わりに酷薄な無表情が現れる。

 彼が指を鳴らす……瓦礫の中から、腕が飛び出す。

 そいつは身を起こし、現れる。何体も、何体も。


「ああ。だから嫌いなんだ。自分が絶えず正義だと思ってる。警察のお前らは」

「てめぇっ……!」


 ゾンビのように瓦礫の中から現れたそいつらは……すでに死んだ、隊員たちの死体だった。

 狂ったマリオネットのようにいびつな行進をしながら、フェスタに迫ってくる。スミシーの無表情。迫ってくる。迫ってくる。

 フェスタは対策を講じようとした。しかし……出来なかった。

 見てしまったのだ。彼らを。その空虚な眼窩を、ぽっかり開いた口を。

 ……その奥に見える、彼が『間に合わなかった』ことで生まれた、過去の犠牲者達を。


「……あぁ」


 ――そしてスミシーは、指を鳴らした。

 ゾンビ達は一斉に、小さな少年の身体に群がり、熾烈な暴力を加え始めた。


 どれほどの時間が経過しただろうか。


「もういい」


 身体じゅうが熱い。各部の骨が悲鳴を上げている。きっとひどいありさまだ。身動きひとつ取れない。

 朦朧とする視界の中、棒立ちになっているゾンビ達。ごめんな、お前らも、おれが間に合っていれば。ああ、そもそも、おれがあの時、あの日、妻と離婚の……。


「もうおしまいだ、刑事さん」


 スミシーの声と同時に、ゾンビ達が倒れた。役目を終えた彼らはぐずぐずに腐敗して、瓦礫の上に散らばった。

 彼はその遺体の痕から銃を拾い上げ、フェスタに向けた。


「そんなナリのガキに苦い思いをさせられたのは、これで二度目だ。しかし、もう終わる」

「二度目……そ、いつは、どういう、……」

「嫌な思い出だ。あんたには関係ない。どうせ死ぬんだ。だからせめて、あんたの名前だけでも……知っておくべきだよな」


 彼は、ぼろぼろで、青あざだらけのフェスタにかがみ込み、華奢な半身のポケットにしまい込まれた手帳を取り出す……。


「や、めろ……」


 腕を伸ばして抵抗する。掴む。スミシーは、乾いた笑い声を上げた。


「ああ、『誇り』って奴か。だから警察は嫌なんだ……そんなちっぽけなもののために、俺は、俺たちは、あいつらはっ……!」


 その時。


 キムが真実を伝えたことで、ドクターはその場に倒れ込んだ。

 彼女の代わりとなるべく、ドミニクが席を代わった。インカムは使えない。サブとして、スマートフォンでの通信に切り替える。成功。砂嵐の向こう、音声が聞こえてくる。フェスタと、相手が話している。奴は何かを刑事から奪おうとしている――警察手帳……。


「やめろ、よせ……見るな、それだけは、見るなッ!」


 スミシーは、見た。警察手帳を。フェスタのもの。同時にアダム刑事のもの。切り替えが間に合っていない。急場しのぎだった。故に記述はほぼ、かつてのアダムのまま。


「……お前」


 スミシーは、後ずさった。

 彼の顔は、呆然と……信じられないといった表情を浮かべ、こちらを見て。


「お前――二十七分署、だったのか。俺が電話を、かけ続けていた」


 彼は更に後ろへ。瓦礫につまづくと、尻もちをついて座り込んだ。

 その服の隙間から、写真がはらりと舞い、フェスタの目の前に落ちた。

 写真。家族の写真だ。目の前の男と、この禿頭は弟か。それから、女性と……少女。

 四隅は、少し変色していた。ずっと写真立てに固定されていたから当然だった。

 その左下に書かれている文字列を見て――フェスタの……アダムの、息が止まった。


 

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少年刑事ウェンズデイ・全仕事 緑茶 @wangd1

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