第7話 野瀬ちゃん、トライアタック。


ギュイン、ギュイン、ガシャン。関節が機械のような心象しんしょう音をかなでたる。

【 唐突‼ 】

顔に着いた黒板消しの汚れを水道で洗い流す陰原くんは、上半身タンクトップ姿で。

【……凄いな、肩の筋肉】

隆々りゅうりゅうとした肩回りの筋肉から伸びる上腕二頭筋が顔を洗うたびに表情を変えていく様は、もはや芸術と言ってもいいのではないでしょうか。

「やっぱり凄いカラダしてるね」

「……」

「…………」

【突然、なに言った私⁉】

不意にらしてしまった言葉に水道の音だけが無神経。

はい、私は動揺しています。二人きりだもの、男の子と二人きりだもの!

「ありがとう。今日の調子は、あんまり良くないんだけどね」

私が顔を赤面させる様子を尻目に、もはや無反応に近い死んだ魚の目。あまりに淡白すぎて、もはや不機嫌になったのかと思うほどですよ。

「へ、へえ、そうなんだ。体を鍛えるの、ホントに好きなんだね!」

アセアセと自分の失言を誤魔化そうと身振り手振りを交える私。混乱の極みであります。

すると、いえ、それでも陰原くんは——、

「……どうかな。僕は、自分が嫌いだから」

冷静で淡白な声色を揺るがさず、周りの景色に目線を流しながらそう答えました。

しかし不思議と、寂しげに見えて。

「自分を好きになりたくて、理想の自分を作ろうとしているだけだから」

「……」

加えて言葉の中身は私にとっては凄く意外な答え。どう返事をしたものかと本気で思考に文字の一つも出てこなくしてくるのです。

【——陰原くん?】

少し様子がおかしいな、というくらいの違和感。それを私が感じている中、まるで陰原くんは秘密を打ち明けるか悩んでいるような間合い。そして——、

「怒られるかもしれないけど女の子がダイエットをするのと同じ感覚だよ。ダイエットをする為にワザワザ太る人なんて居ないでしょ?」

「痩せて……筋肉つけて自分に自信を付けたいだけでダイエット自体が好きな女の子が少ないのと同じ」

確信を用いて核心を突くように、梅雨もまだ訪れていない夏色の春風の最中に陰原くんが言いました。瞬間、私は悟ったのかもしれません。

【あ……それ、私と一緒だ。一緒なんだ】

呆然とした空白の思考回路にひらめききの電気は流れず、ただ私は私の心臓の動きを握り止められたが如く全てを硬直させられて。

ただ素朴に、純粋に、その一言だけがポツリと心に火を灯す感覚。

「それで? 追掛さんが言っていた話って何かな?」

「……え、ああ、うん。あのね——」

心と体が乖離かいりして、魂が抜けたような感触で、体が勝手に動き、言葉を迷う。

【ああ——格好悪いな、ワタシ】

【ダイエットは楽しい趣味でも遊びでもない】

【その人なりの、それぞれの生き方なんだ】

【ダイエットの楽しみ方を教えてもらうのが、私の理想の私だった?】

【ちやほや優しく甘やかしてもらって、私の理想を他人に決めてもらうのが私の憧れた格好良い大人?】

俯瞰ふかんしてみた、そんな自分がとても小さく情けなく。

「ううん、やっぱり何でもない! 自分で何とか出来そうだし」

【きっと違う】

ようやく繋がった心と体は、結論を付けた。

私——野瀬太皷は、陰原鍛治くんのストイックに甘えない。

「……そう。なら、頑張って」

【陰原くん任せの人生を送る為に、ダイエットの手伝いをお願いしたかったんじゃない】

少し濡れたタオルを肩に掛け、話を有耶無耶うやむやにした私に対して少し思う所があるような面持ちで心配?してくれる陰原くん。

「あ、ワタシ飲み物を買いに行くんだった。陰原くんもトレーニング頑張ってね」

罪悪感でイッパイだ。私はバツの悪さをまぎらわす為に、適当な言い訳を拾って陰原くんに言葉として投げつける。

「うん。分かった。ありがとう。それじゃあ、また——」

それを陰原くんはすんなりと受け入れてくれて。片手を挙げて、恐らく先程までトレーニングをしていた体育館付近へと足を戻し始める。私はそれに手を振りながら笑顔で見送った。よくよく考えてみれば、飲み物を買いに行く方向と同じなんだけれど。

陰原くんは、何の疑問も持たないでくれたのだろう。きっと、たぶん。恐らく、そのはず。

「——ふぅ……、よーし! 自力で頑張るぞ!」


そんな感じをかたわらに置いて、心機一転です。


心の底からヤル気を引きずり出す為に背伸びをして私も歩き始めます。


すると、その時でした——。

「良かったんですか? 陰原くんにお手伝いして貰わなくて」

私が進む方向を知っていたように、風になびく髪を抑える追掛さんが待ち受けていました。

「……追掛さん。うん、ゴメンね。せっかく色々と気を遣ってもらったのに」

まったく、追掛さんは何でもお見通しです。

「やっぱり、自分を変えるには自分が頑張らなきゃね」

「……ステキです。応援しますね」

「ただ、ダイエットを頑張るだけだよ。自分を好きになる為に」

微笑む彼女にニヘリと心意気で返して、私は決意を新たにします。

すると、

「ふふ。では、そんな太皷ちゃんにコチラを」

「ん……ナニ、コレ?」

追掛さんが私に手渡す二つ折りの紙。それを開くと、小難しく文言が書かれているのです。

【健全運動互助同好会。略称、健好会からのお知らせ】

「⁇」

質素で飾り気のない真面目な会報の文字列が中々に頭に入りません。しかし、追掛さんの意図を理解する為に首を傾げつつサラリと目を流していくと——

「肉体および筋肉に関する悩み相談……承り、ます……?」

そんな文字が、やけに気になる今日この頃。

そして——なのです。

「会長。二年、陰原……鍛治ぃ⁉ ええ⁉」

思わずクシャリと会報の端っこを握り潰しかねない衝撃の事実。

それは、陰原くんが主催する運動やトレーニングの勉強会のお知らせでした。

「実は去年、私のススメで陰原くんには同好会を作って頂いていたんです」

追掛さんの顔と会報を交互に唖然あぜんと二度見三度見する私。

「野瀬さんと同じような悩みを持つ方々から、陰原くんは色々な相談を受けていて忙しそうだったので、いっそまとめて面倒をみたらどうかと思いまして」

そんな私の反応に、追掛さんは心底幸せを感じている様子です。

全ては、追掛さんの掌の上でした。

「ええ……教えてよ。そんなの知ってたなら」

【因みに副会長は追掛さんです】

私は全てとは行かないまでもおおむねの事を悟り、Sっ気のある追掛さんに崩れ落ちるようにひざを思わず屈します。

「部活やってないって言ってたよね……」

もはや投げやりに、これまでの悶々もんもんと悩んでいた事が滑稽こっけいに思えてなりません。

「キチンと所属している会員は事務担当の私とスポーツトレーナーの陰原くんだけなので、校則で正式な部活と認められる人数には達していないんですよ」

「それに、私は一言も同好会活動もしていないと言っていませんしね。聞かれても居ませんから」

困り顔ですが、とても楽しそうな追掛さん。これが、いわゆるロジックハラスメントというものなのでしょうか。

「は、はは……それは言葉遊びだよ……もう」

ガクリと首が項垂うなだれて、反論する気力もありません。

「それで、どうしますか? 効果はバツグンですよ、健好会」


「…………追掛さんが、もうイジワルしないなら、お願いします」


そして悪魔のささやきに近しい追掛さんの問い掛けに、私は固まりつつあった信念をアッサリ投げ捨てて。


だって、折角そういう機会があるのなら、ねえ?


「グー‼ サインですね!」

【満面の笑顔‼ ゼッタイ嘘だ‼】

こうして、私の愉快痛快な健やか運動ライフ? が始まったのです。


——明日から。今日はもう、帰って寝ます。もちろん、学校が終わったらですよ?


                   陰原くん、ストイック。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

陰原くん、ストイック。 紙季与三郎 @shiki0756

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説