第2話 祈り
「教皇様、まちがいございません」
教皇とともにやってきたローブの男が初めて声を出し、一礼してそのまま外に出て行った。
教皇は赤ん坊にそっと微笑み、自分の着ていたローブでくるまれていたコットンごと子どもを優しく包む。
「母の腕の中で」
教皇は自分のローブで包まれた子を母親にそっと渡した。
子の両親は怖れと驚きのあまり言葉が出ない。
「守りこそすれ、そのローブがあなたたちを襲うはずもありませんから安心なさい」
おそるおそる子を受け取る母をみて、教皇は笑いながら言った。
(いや・・・・・・そうじゃなくて、俺たちが触っていいのか??
これ、汚したら俺たち全員の首が飛ぶぞ!!!! 教皇様はおわかりなのか??)
男の背中に汗が流れる。
「私は、あなたたちにつらい思いをさせなければなりません」
教皇は子どもが母親に抱かれて眠っているのを見届けると、静かに話し始めた。
10日前、ある神託が降りました。
「アストリア南の辺境の地に 世界の行く末を決める女児が生まれた。
聖女の紋章を生まれながら持つその子が15歳になるまで、決して悪意に晒してはならぬ。悪意に触れるならば悪に染まる不安定な存在にある」と。
それから直ちに、私はその子の保護をするためにここまできました。どんな状態にある子なのか、まったくわかりませんでしたから。
この子を教会に、いえ、私に預けてはもらえませんか?
大切にお育てすることを、私、ルミナス教会教皇ベルドリッヒが約束いたしましょう。
教皇は、そう言って、両親を優しく見つめた。
男は妻の手をぎゅっと握りしめて頭を落とし、妻は声をあげず泣いた。
「わたしたちは難民です。私の親は魔物に住んでいた場所を襲われ、住む場所もなくなり難民となるしかなかったのです。
隣人や友人を亡くした親は昔のことを何も話さなかったので、私はどこの生まれなのかもわかりません。
この世界では辺境の小さな集落が1つなくなったところでほとんど気にされることはないのです。
わたしたちはずっと居場所を求めて流れて暮らしていました。
その間にも仲間は魔物に殺され、同じように流れている難民と合流しながらも、2年ほど前、ここにたどり着いたのです。
気候も温暖で、土地はやせているけど漁はできる。
わずかにできる魚の干物と干し芋を近くの村で売り、自分たちが食えるだけの生活がなんとかできる場所。
ここは、そうやって流れてきた者どおしが暮らしている所なんです。
この子が生まれたときは、みんなが大喜びでした。
明るい未来が少しだけ見えた気がしました。
でも、難民の子なんですよね。
ただ、親として幸せになってほしい。そう願うだけです・・・・・・」
男は声を絞り出すように話し、震えていた。
「あなたたちご両親から生きる強さを受け継いだこの子が、自分で運命を切り開ける力を持てるよう、そのときまで私が全力でこの子を守りましょう」
教皇は静かに口を開いた。
「幸せかどうかはわかりません。それは一人ひとりが思うことです。
少なくとも、今、私はあなたたちにとっては不幸の使者でしょうから・・・・・・
お詫びとして、私は、あなたたちが皆、この地で暮らしていけるように、豊穣と守りの祈りを捧げます。
ただし、今日この日のことは、皆の記憶から消すことにします。
この子のことも私たちのことも・・・・・・」
「待って、私の記憶から、この子を消さないで!!」
「私の記憶は消さないでください!」
母親と父親が同時に声を上げた。
「・・・・・・わかりました。忘れたほうが幸せなこともあるのですが・・・・・・
では、私は外に出ます。この子とはお別れです」
教皇はそう言って一人外へ出ると、家の中は、暗闇につつまれた。
家の中は、女の泣き声だけがしみていた。
しばらくして、父親と赤ん坊を抱いた母親が家から出てきた。
「御子をこちらへ」
従者が真っ白な真綿のおくるみを手にして待っていた。
子が従者の腕に渡されたことを確認すると、教皇は錫杖を手に取り、祈りの言葉を唱え始めた。
その声は、波音と風の音と重なりあって、美しい旋律を奏でた。
集落の周辺一帯に夜空の星が落ちてきたように小さな光の粒がまばたく。
大きく光ったと思えた瞬間、その光は溶けたように消えた。
神託の聖女 星あんず @apque
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