神託の聖女
星あんず
第1話 名もなき集落にて
アストレア王国の南の辺境に名もなき海辺の集落があった。
山と深い森があるため道と呼べるようなものはなく、外から訪れる者もおらず、この集落を知る者はいなかった。
10世帯ほどが肩を寄せ合って暮らしているそんな場所だった。男は筏をつくり自分たちの口を賄うだけの魚を捕りに海に入る。女は海風にさらされた痩せたわずかな土地で芋を育てている。
太陽が傾き、夕刻も訪れようとしているとき、5騎ほどではあったが、荘厳な一行がやってきた。
野ばらとドラゴンの紋章が描かれた一団の旗が海風で大きくそよぐ。
紋章はその一団が世界最大のルミナス教会であることを示している。
小屋ともいえるような粗末な家で夕飯を取ろうとしていた人たちは、この集落で聞くはずもない馬の足音を聞き、あわてて外に飛び出してきた。
そして あまりにも場違いな一行がここにいることに驚いた。
「我らの訪問が皆の一時の休息の時間を奪ったこと、深く詫びる。我らはルミナス教会 教皇ベルドリッヒ・ルミナス様と護衛である」
聖騎士の1人が声をあげる。
うそだろ???
教皇様だって???
いったい、何が起きている・・・・・・・?????
教皇といえば、この世界のほとんどの人々が一生の間に目にすることもない人物である。
誰もが驚き、声を出すことも動くこともできず、その場に凍り付いた。
声を上げた聖騎士の後ろから白のローブを羽織った1人の青年が下りてきた。
傾きかけた陽の光を浴びて、ローブには金糸で刺繍されているのか、まっすぐな長い髪とともに陽の色を移し美しく輝いている。
「この世の者ではない」
一番神に近いお方が、ここにいらっしゃる・・・・・・
その美しいまでの姿に恐れをなし、思い出したかのように一斉に膝を折り、頭を下げた。
「この村で女児が生まれたはず。その家まで案内できる者、あるいはその家の者はいるか?名乗り出よ。教皇様は、直接お言葉を交わすことをお許しになっていらっしゃる」
聖騎士の言葉に、みな一斉に顔を上げ辺りを見渡し、ある男の姿を認めると、またすぐに顔を伏せた。
「わたしです。赤ん坊の父親です」
日に焼けた精悍な若い男が、声を上げた。
「そなたの家に伺ってもいいだろうか?」 透き通った教皇の声が響く。
突然の出来事に動けずにいるのか。
しばらくして、男はゆっくりと立ち上がり、気持ちを落ち着けるように土を払い落とした。
肩を落として歩き始めた男の顔に表情はなかった。
男の後ろを、教皇とローブを羽織った従者が1人付き添い、男の家に姿を消した。
「皆、家に戻るがよい。邪魔をして悪かった。我らもすぐ帰路に立つ故、そのまま休むがよい」
砂浜を歩く足音が聞こえなくなった頃、聖騎士はそう言って、この集落を守るように他の2人の聖騎士とともに周囲に目を向けた。
男の家は地面にむしろを敷き木板で囲っただけの空間だった。
ろうそくのわずかな灯りで見渡せる空間がこの家のすべてだった。
右側には水がめとテーブル、数個の食器と鍋があり、鍋にはまだ温かい芋粥が入っていた。左側の寝台と思われる場所は一段高くしてあり、そこにわずかな衣類と赤ん坊と思えるこんもりとした塊が見える。
赤ん坊は眠っているようであった。
母親であろう女はひざまずき、両手をきつく結び顔を伏せている。
その姿がぼんやりと浮かんでいた。
「突然の訪問許してください」
男の家に入ると、教皇は静かに切り出した。
教皇の声に女性が顔をあげる。身なりは見ずぼらしいが美しい顔立ちの若い女だ。
「あなた・・・・・・」
女は教皇様にお出しできるものはないかと思ったのか家の中を見渡したが、すぐに首を横に振り、夫に声をかけようとした。
「すみません。ここは教皇様に足を運ばせるような場所ではなく、おもてなしできるようなものもありません」
男が苦痛に満ちた表情で絞り出すように声を出した。
「気に病む必要はありません。さっそくですが、あなたたちの子どもに会わせてもらえますか?」
(きっとこの子は教会に取り上げられるのだ。難民の俺たちが教会からこの子を守ることができるはずもない。逆らえる力もない)
男は無力感で圧し潰されそうだった。無言で寝台へ行き、不安そうな表情を浮かべた妻に悲しく微笑み首を振る。
洗いざらしのコットンにくるまれた子は、寝台の奥で静かに眠っていた。
男は子どもをそっと抱きかかえる。そして、言われもしていないのに、教皇に子を差し出した。
「灯りをともしてもよいですか?」
教皇は、静かに丁寧に話しかけてくる。教皇の声を聞いていると、子を取り上げられようとしているのに穏やかな気持ちになる。
「光を」
教皇が小さくつぶやくと優しい光が辺りを包む。
教皇は、すやすやと眠っている赤子の顔をみると、愛しむように笑みを浮かべた。 それから、包まれているコットンをそっと剥ぎ取り、女児の胸元を開けた。
そこには、小さな花の形をしたあざが1つあった。
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