宅飲みにて

のなめ

第1話 

カタパルト接続オーケー。

広がる世界は混沌ワールド。

こぼれる吐息は渇望シグナル。

汗がにじむ、潮が飛ぶ、えずき汁がまとわりつく、がまん汁はもはや臨界点突破寸前。

穴という穴から漏れ出す雫が小躍りしながら宴を彩る。

ついに真っ白な光線が筒からは射出される。

果てて、なお貪り合う、底なしの欲望。

人として生まれて、これ以上の極楽浄土は存在しえない。



 アダルト業界の第一線で働く女、日吉今日子。蛇の道はなんとか、これまで、同性のあらわな姿を、これでもかといわんばかりに映像に収めてきたやり手のひとりだ。


 そして、ここはマンションの閉ざされた一室。


 女の手掛けた新しい作品を、男女ふたりが、お酒を交えて、鑑賞し終わったところからはじまる。


 男は女の部下だった。



「今日子さん、お願いします、一回で、一回でいいんで、俺にチャンスをください」

どうしようかな、と渋るふりだけするワタシ。


「いいじゃないですか、絶対、期待を裏切りません」

すんごい鼻息でつめ寄ってくるコイツ。


「10年早いわ」

優位に立つためのテンプレワード。


「いや、こう言っちゃなんですけど、それなりに経験も詰んできてるんです。一昨日だって、そりゃもう、すごい手腕でした」

世界を救ったと言わんばかりのドヤ顔が鼻につく。


「なにがよ?」

「有名どころの撮影ばりのクライマックスでしたよ」

「関係なくね?」

「いやあ、それだけ僕に実力があるということですよ、つまりは」

「そんなに、やりたいんだ」

「はい、そりゃもちろん」

「いいよ、ただし、こいつを一気飲みできたらね」


 度数の強いアルコール。


 コイツはそれに挑戦し、みごと儚く散っていった。


 マーライオンのごとく、あたりに嘔吐物をぶちまける。


 一部始終を大爆笑しながら、見守るワタシ。


 あまりに腹を抱えて笑っていたので、危うくこっちも戻しそうになった。

「あー、あんた最高だわ」

息を整えながら、何とかその偉業に賞賛を送る。


「そ、そっすか?それじゃ……」

地の底から這いだすように送られてくる視線。


「それとこれとは別だよね」

定時を過ぎたお役所張りの受け付け拒否。


「マジっすかー、勘弁してくださいよ」

ようやくコイツもあきらめがついたかのように見えた。


***


「なんで、ヤらせてくんないんですか、今日子さん、社、というか、業界の誰とも寝てませんよね」

「なんで、わかんの?そんなこと」

「だって聞いたことないっすもん『俺、今日子とヤっちまったよ』っていう話」

「関係者とそうなるのって面倒じゃん」

「じゃあ、誰に、ヤらせてるんですか」

「そりゃ、まあ、妖精とか?堕天使とか?いろいろと……」

「いや、もう、いまさら不思議ちゃんキャラ作ろうとしなくていいですよ、っていうか、何ですか堕天使って、正直ウザいです」

「そこまでいっちゃうんだ」

「いや、真面目に聞いてるんですよ。真剣な話、そんだけ、かわいくて、スタイル良くて、エロくて、仕事できて、いい匂いさせて、エロくて――」

「はい、二回言ったー」

「ぶっちゃけ、そんなノリもいらないんで。ほんとの話、どのレベルまで行けばヤれるんですか」

「レベル?」

「いや、だから、ルックスとか、財力とか、わかりやすく、有名人で例えてくださいよ」

「ん-そうだな……なんか挙げてみて」

「ジャニ系すか?」

「いや、それはないな」

「あー、今日子さんも、けっこういい歳ですもんね」

「聞き捨てならんな、いまのは」

「あ、すいません。それじゃあ、俳優さん?」

「パスで」

「え、じゃあ何なんすか? もしかしてお笑い系とか?」

「それも、なしの方向で」

「あーもう、わかんねー、ま、まさか、キ、キモオタですか」

「ちょっとありかもね、うん」

「勘弁してくださいよ、それじゃあ、俺、ぜったい無理じゃないですか。チャンスくださいよー」

「ま、冗談だけどね、それにお前だってじゅうぶんキモいから」

無視してコイツは続ける。

「あ、わかっちゃった。ズバリ、年配系でしょ、おじいちゃんのシワシワの玉袋が好きで好きでたまらないとか? あ、でもそんな作品あったかな?」

いや、若くてもたいていしわだらけだろ、オマエモナーと内心で突っ込む。

「嫌いじゃない、かな」

語尾に抑揚をつけ、仕草には可憐さを添えながら、思わせぶりをたっぷり含ます。

「うわー、俺いつまで待たなきゃならないんですか、そんとき、勃つかどうかも保証ないですよ」

まともに受け取っているならば、間違いなく、無能認定。そんときゃ、私も閉経だ。

「嘘に決まってんだろ、アホなの?死ぬの?」

辛辣さにめげずに前のめりになってさらに追求してくる。

「はー、それじゃ、一体どんな男だったらいいんですか、あ、もしかして、実をいうと百合? そういえば、レズ作品のときってめちゃくちゃ力入れてますよね。俺的にはできればバイであって欲しいんですけど」

「何勝手に飛躍させてんの、あたしはノンケだー」

正直、この話題にうっとおしくなっていたので、さいごに叫んでみた。

「なんだ、それじゃあ、俺でもいいじゃないですか、結局」

なぜそうなる?


 体を起こして、わざわざ真横にやってこようとするところ、その下心にはつかまらないよ、とすれ違うようにこちらも身を起こして、位置取りを交換しあう――。

 

 やれやれと言わんばかりのコイツの表情。


 それでもコイツはわたしのいたはずのその場所で、その残り香を楽しんでいた。


「まじ、最高っす。今日子さんの匂い」

「相変わらず、キモいよな、お前」

「何言ってるんですか、このセリフけっこう使えるんですよ」

「いや、キモいだろ、普通に」

「よく考えてみてください、そのキモいという言葉の背後にある本質を」

プレゼンに入る前のいつもの調子か、急にビジネスライクな口調に変わる。

「ん、何が、言いたいわけ?言ってみな」

途端にいつもの上司風を吹かせて内容吟味が始まる。


「いいですか、まず今日子さんは、今の、僕の、言葉に反応を示しました。これは、良し悪しを置いて、少なくとも対象とのコンタクトが成功していることを意味しています。それではなぜ、あなたはそれに拒絶を示したのでしょうか?今日子さん」

探偵気取りの尋問誘導。こういうミニコント調の流れは嫌いではなかった。


「キモいから、だろ」

いたって、まともな回答。


「ブー、残念、違います」

論理的に正しい解答が、いつでもこの世の答えになるわけではないらしい。司会者が失格を宣言するような仕草がクソ生意気に映ったが、今後の展開に期待して、それは一時お預け状態にしておく。


「それはめぐり巡って僕に気があるからなんですよ、今日子さん」

何を言っているかわからねーかと思うが、実際に何を言っているかわからなかった。



 そこから馬鹿にながい講釈が展開される。

「ここに音楽を奏でる人がいるとします。それがどんなに素晴らしい音楽だったとしても、離れ小島にたったひとりでそれを繰り返しているあいだは、その素晴らしさが人々の間に知れわたることは、ありえません。これは不協和音しか奏でることができない場合であっても同じことです。いずれにしろ、その音を奏でる行為は孤立している限り、この世界の片隅で、儚くも溶け込む、空気のようなものであるしかないわけです。より高い次元にそれらが生まれ変わるには、もうひとつ、聞き手という存在が必要になってきます。そうすると、半ば自然に生まれるものがあります。そう、発信者と受信者を結ぶ関係といわれるものです。奏者と聞き手、それらを紡ぐ見えない糸、これら三つをセットにして、音楽というものに新しい価値感が見出されることになります」


 選び出されるクサい言葉と一丁前の演説者を装う身振りが、やはり、クソ生意気に映ったが、この際、細かいことには目をつぶることにした。コイツのプレゼン? いや、もはやそうとは言えないものがまだまだ続く。


「関係があればそこには強弱の概念が生まれます。そこに生じる提供、受諾、諸々の具合を、抽象的思考を経た量的概念に換言して論じることもできるようになります。

まあ、確かに、その全てを、データのように明確な数理対象としてうまく表すことはできないかもしれませんが、いくらか妥協しながら、大筋の指針としてそれを取り込み、対象間のあらゆる関係性にそれを有効活用させていることは、いま人類が歩んでいる道を辿ってみれば、もはや疑う余地はありません」


 前口上に酔ってしまっている典型人間がそこにはいた。答弁じゃあるまいし、本題に入るのが長すぎて、いい加減こっちはイライラしてきている。次の切り出し方次第では強制的に終止符をうつ権限を発動させようかとも思っていた。


「ここでひとつの疑問が顔を出します。我々はその関係性をコントロールすることが可能であるか? という問です。その判断を下すためにはまず、対象と関係がもっている特性をより詳しく知らなければなりません。それを考察することなしに、自在に操ることなんて、できはしないはずです」


 どこででも聞くマーケティングの中身。今までの下りは必要だったのか、かなり、疑問に思う。


「これをまともに説明しだすと、時間はいくらあっても足りません」


 これまでの話を根底から覆した衝撃内容。投げ出すんなら手を出すんじゃない、私の時間を返せ、と無言で凄む。それを察してか、コイツはつっかえ始める。


「えー、あの、その、そこで、要点だけに絞るとですね、発する側と受け手側のことを的確に言い表そうとするロジックはもはや古いということです」


 まあ、一理あったので、少し表情を緩めて聞く。顔色を伺うことには敏感だったコイツはそれで調子を取り戻して、先を続けた。


「それでも、我々は何とかそれらを結ぶことに尽力しなければなりません。それについて何を行えばよいでしょうか? 答えは単純です。そう、とにかく対象間に波風を立てることです。対象に振り向いてもらうためには我々はあらゆる手段を講じなければなりません。それがたとえ、全般的に受け入れにくく、印象としてつまづいているということが明白であってもです」


 結局、手探り状態じゃねーか、と吹き出した。


「世にはオワコンという言葉がありますが、そもそも本当に終わりが来たのであれば人々はそれを語ることすらしようとしません。もう忘却の彼方です。業界に従事する側がこうなる状況に迎合してはいけません。オワコンと人々が騒ぐうちは、その商用上の消費などでいくら摩耗している状態とはいえ、まだそのコンテンツには人々を惹きつける何かを持っているはずです。我々は何とかそこに望みをかけるべきなんです」


 よくない方向に舵取りしてるのは明らかだった。


「この典型例が炎上商法というビジネスモデルです。人々は発信者の一挙手一投足に己の感情をどうだと言わんばかりにぶつけまくります。しかし、その中でアンチがファンに転向したという事例が多々見受けられます。忘れ去られ、捨て去られることが危惧されていた状態でこの仕組みを利用しない手はありません。そうした経緯があって、最悪だった印象が好意に変わっていくことが現実にありうるわけなんです。いかがでしょうか」


 一応、拍手で締める。

「無駄骨ごくろうさま、三点かな」

「何点満点すか?」

「さあ」

「でもですよ、気をつないでおくためには嫌われても、信号を送り続けなきゃいけないとは思いませんか?」

「確かにね」

「好意を伝えてもキモい、好意をためこんでストーキングみたいな真似してもキモい、いったいどうしろっていうんですか、世間は」

「大きく出たな」

「だいたい、口説き文句ってのはたいていキモいもんなんですよ、もしさっきの内容をこう言い換えたらどう思います? 『今日子さんってすごくいい香りしますね』とか」

「うーん……やっぱキモいかな」

「じゃ、ある程度いい雰囲気になって、そう言われたら?」

「それは嬉しいかもね」

「でしょ?内容はあんまり変わんないはずなんですけどね、結局、言葉そのものはたいていキモくて、状況がそれを許しているだけなんですよ」

「わかってんじゃん」

「だから、ヤらせてくださいよ」

「やっぱ、全然わかってないな、お前」

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