第4話 懸想同士の知和喧嘩

苦しい。

自分の胸なのか、身体なのか、どちらかなんてわからない。

とにかく、苦しい。


わたしを強く抱きしめたまま耳元で名前を呼び続けるのは、紛れもなく彼だった。



「急に悪い。どうしても話したかった。許してくれ」

「……ぇ」



声が出ない。

そのくらい締め付けられているんだろう。

彼は珍しく気づくことなく、ひたすら口を動かした。



「お前の意思を無視してデートをやめさせたこと、悪かった。

 無理してほしくなかった。

 お前と家でごろごろするのが好きで、

 一緒に鍛錬するのが好きで、

 俺の料理をおいしいって食べてくれるのが好きで、

 わざとやめさせた時もあった。悪かった」

「ちょ、っと」

「過保護なところも自覚していたし、周りにも怒られていたさ。

 でもやめられなかった。お前、俺が本当は世話好きだってことわかってただろ。

 洗濯も、食器も、わざと放置していた。

 そうやってお前に甘やかされすぎたんだ、俺は」

「リ」

「娼館は、その……お前を傷つけたくなくて、ひとりでなんとかしたかった。

 嫌われたくなかったんだ、

 お前だけには……っ

 何年もかけて、ようやく手に入れたお前だけには……!」



ああ、もう駄目だ。

あと少しだったのに。


わたしの視界はとっくにぼやけて、ぽろぽろと彼の服を濡らしていた。



「ごめんなさい…ぜんぶ、ぜんぶ私が悪かったの。

 あなたは何も悪くないの、ごめんなさい、ごめんなさい……!!」



彼は何も言わず、大きな手のひらでわたしの頭を包む。

恐ろしいほど震えるそれに更に涙がこぼれてしまい、そのままわんわんと嗚咽が零れだす。


彼は絞り出したような声で、小さく言った。



「教えてくれるか……?お前に……何があったのか」





――――――――――――――――――




目を真っ赤に腫らしたまま、話が終わったのはだいぶ遅い時間だった。

いつのまにかいつもの姿に戻っていたベランダやキッチンは、

彼に抱きかかえられて座る私をじっと見つめている。



「なるほど、神の依り代か……魔導師はろくでもないことを考える連中ばかりだな」

「それわたしにも言ってる?」

「ん?……ああ、はは、間違ってはないな」

「もう」



既に重さで細くなっている目で彼を睨めば、にこりと笑って返される。

だけれど、すぐに真剣な表情に戻り、私をまっすぐ見つめて言葉を紡いだ。



「ニーウ神のことは俺に任せろ。

 はっきり言おう、そいつは本物の神様じゃない」



どういうことだろう。

口を開こうとしたけれど、ふいに背中に回る彼の手に違和感に興味がひかれた。

身じろぎをすれば、ああ、と彼は短い声を出して私を開放する。


隣に座りなおせば、彼は持っていたそれを見せてくれた。




違和感の正体は、不揃いな白い結晶でできた細い棒だった。

今の今まで気づかなかったけれど、手に持ったまま私を抱きかかえていたらしい。

丁度私の肘から手の先くらいの、両端が鋭く尖った欠片のようなもの。


それは、私が愛用している杖ととても良く似ていて。

なぜか心がざわついた。




「安心しろ、俺はもう、お前を失うものか」




微笑む彼が目を伏せて、わたしの肩にすり寄ってくる。

ぽたり、と雫がひとつ、私の皺くちゃな服に沁みをつけた。





―――――――献花のあとに、喧嘩して、それから Fin



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喧嘩のあとに、献花して、それから 綾乃雪乃 @sugercube

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