第3話 彼と彼女の7日間
それからわたしは、この人生で経験したことのない苦悩の日々を過ごした。
どうすれば彼と別れることができるか。
考えることすら苦痛すぎて胃が痛い。
一番の壁はもちろん彼だ。
自分で言うのも恥ずかしいのだけれど、彼はわたしをかなり好いてくれている。
表にはぶっきらぼうな態度をとるものの、2人の時はそれに駄々洩れの好意が妙に不器用で愛おしいと思ってしまって……。
いや待て待て、
恋人との喧嘩といえば、大体が不満のぶつけ合いから始まるはず。
そこで、今日という決戦までに、今までの不満を一生懸命に思い出した私は
さっそく1枚目のカードを繰り出した。
「どこが嫌だったんだ、はっきり言ってくれ」
「……勝手にデート中断するところ。わたしが行きたいところ全然連れていってくれないし、この前なんて中断どこか勝手に止めちゃったじゃない。あのお店の期間限定のケーキ、前から食べたいって言ってたのに……」
「それは前日にお前が無駄に夜更かしして辛そうにするからだろ」
『おまたせ!行こっか』
『おい、お前、寝てないな?』
『あ、ええっと……なんでわかったのかな……?』
『……帰るぞ』
『え!デートは!?』
『やってられるか。今のお前を連れまわしてどうするんだよ』
『ええっと、これは、なぜベッドに押し込められているんでしょう』
『寝るためだろ』
『いやまだ昼』
『寝ろ』
『待って……頭を撫でるのは……睡魔が……やめ………』
『……ふぁ、良く寝た』
『起きたか、ご飯できてるぞ』
『シャワーにする』
『わかった。着替えはこれを使え、洗濯物は畳んである。脱いだものはカゴに入れておけよ』
『ふぁい』
ええ!そうですよ!
わたしが悪いんですけど!読書の止め時がわからなくなっては気づいたら朝で、
しょっちゅうデートを潰してたのはわたしの方ですよ!?
いけない、いきなり劣勢になってどうする。
ここは強く言わないと。
「寝不足でも行きたかったもん。いっつもわたしの気持ちを汲んでくれないよね!」
「だったら今後は前日からお前の家に泊まることにする」
「は?」
「夜更かししないようにすれば、ちゃんと行けるだろ」
「ええ……」
「安心しろ。ご飯も作ってやるし寝かせてやる。夜の鍛錬も付き合う」
「……何で毎晩鍛錬してるの知ってるの?」
「どうして今それを聞くんだ?夜に会うときいつも魔力が減ってるのに気づかないわけないだろう?」
あなた魔術を学んでないでしょう!?なんで検知できるのよ!?
そう言いたかったけれど、咄嗟に口を結んで押し留めた。
今理由を聞いてはいけない気がする。
甲斐甲斐しい何かを感じる。
少なくとも今のわたしには重傷となる言葉が待っている気がする。
だめだ、勝てない。
この不満じゃ全く効果がない。
わたしはさっそく次のカードを場に繰り出した。
「過保護すぎるところも嫌。もっと勝手にさせてほしい」
「ほお?勝手にさせすぎた結果、討伐任務中にふらついたのは誰だ?」
「え」
「好きな本を読み耽るのもいい、ギルドの後輩魔導師の育成に力を入れるのもいい。
だがギルド
「それは…そうかもしれないけど」
「俺のおかげで健康的な日々とAランクを手に入れた、と嬉しそうに言っていたな?」
「うう……」
完敗である。
あまり自堕落さに顔を覆いたくなる。
だがここで弱気になってはいけない、いけないのだ!
何が何でも嫌われて別れてやるんだ!!
わたしは躍起になって、最終手段かつ最大効力が期待できるカードを繰り出した。
「……わたしの身体を気遣って、甘やかしてくれるのは嬉しいけど。
わたしという恋人がいながら、娼館に行くような男はイヤよ!」
「なっ……!」
眉間に寄っていた皺が一瞬なくなり、青ざめていく。
何でそれを知って、とでも言いたげな顔に、わたしは一生懸命睨みつけた。
「丁度3日前、最後にあった時だったよね?スッキリした?相変わらずの節操なし!」
「そ、それは……!」
彼の唯一の汚点。それは過去の女性遍歴にある。
若いころからなかなかのヤンチャをしていたようで、簡単に言うと娼館通いのどうしようもない男だった。
わたしが同じギルドに入った頃からは一切断ち切ったようだけど。
まあ、今回はわたしがそそのかしたんだけどね。
さすがに断腸の思いだった。自分でも相当なことしたとあの日は落ち込んだ。
わたしの罪は簡潔だ。
夜に昔よく通っていたらしい娼館の近くで会い、
ちょっとだけ強めの媚薬を飲み物に入れて、
別れた後に跡をつけた、それだけである。
冷静に考えれば、『破局』というのは双方に理由がある。
今の状態は、わたしにしか理由はない。
なら彼に理由を作る必要がある、それがこのカードに繋がるのだ。
「悪かった、ほんとうに、悪かった……。
もうしない、どんな状況になろうとも絶対に行かない。
だから許してくれ。頼む、」
チャンスだ。この時を待っていた。
相手の心が弱った今こそ、トドメのあの言葉をぶつけてやろう。
わたしは立ち上がり、大きく息を吸った。
「嫌!あなたなんて大っ嫌い!別れる!さようなら!!」
じわり。
胸の中に溢れるなにかと、瞳に広がる波は容赦なくわたしを襲う。
体中を侵食していた想いが、突然毒となって全身を蝕んでような感覚。
それはひどいめまいとなって、彼の表情などわからないくらいに視界が揺れていた。
「……チッ、ふざけるなよ」
わたしはなんとか後ろを向いて歩き出す。
彼は、追いかけてこなかった。
これでよかったんだ。
彼がわたしを嫌って、想いを断ち切って、良い未来を生きてくれれば。
それが、私の幸せだ。
そのはず、だから。
――――――――――――
自室に戻った私は、ベッドの上で膝を抱えていた。
もう日は落ちてしまったけれど、お腹は空かない。
外に干した洗濯物はそのままだし、キッチンのシンクには前日汚した食器が入ったままだ。
杖を掴んでひと振りすればいいのに、とてもやる気にはならなかった。
片付けてくれる人も、自分で片付ける時間も、もうわたしには残されていないのに。
「……早くニーウ神のところへ行こう」
大切な人を自ら失って、生きる希望もない。
この懸想が消化され、前向きになってしまう前に、命でも何でも投げ出してしまおう。
どうかお幸せに。
わたしはわたしの、最も幸せな未来を歩もう。
ゆっくりとベッドから立ち上げれば、まだ止むことのない立ち眩み。
少しだけ良くなった視界を頼りに、わたしは扉へ向かい、ノブを回す。
ここに来るのももう、最後かも。
いろいろ汚い部屋だけど、まあ、いいか。
ガチャリと扉で広げた暗い暗い未来の隙間。
それは突然、驚くほど突然だった。
「カヤナっ!!」
開いたはずの扉は、思ったよりも軽い音を鳴らして閉まっていった。
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