第九冊 兼好法師『徒然草』

【読む前の状態】

 最近ネットの記事で『徒然草』の文字を見かけたな。どんな記事だったかというといわゆるキラキラネームに関連したものでして。『徒然草』の中にも変わった名前つけて得意になってるひとって何なの? みたいな文章があるよと紹介されていて、昔もそういうことあったんだなぁとちょっと関心が沸いてたところ。

 

 あと雲に乗ってた仙人が、川で洗濯してる女の着物の裾からふくらはぎが見えてるのに気づいて神通力が無くなって雲から落ちちゃったって話もなかったっけ? 大根の恩返しみたいな話もあったよね?


 ちゃんと読むのはおそらく中学校の授業以来だけど、そんなにかしこまった人生訓みたいなばっかりじゃなくて、もうちょっと軽い日常エッセイぽいのかな。だったら読みやすそうだな。


【それではいざ実読!】

 アレクサ、百分のタイマーして!


【百分後】

 アレクサ、ストップ!

 

 百分間で読めたのは全体の約30%。全部で二四三段あるうちの第八十段まで。

 でも面白くて読み止められず、結局そのあと最後まで読んでしまいました。


 仙人が神通力を無くす話、ありました(第八段)。ただ雲から落ちたとは書いてなかったです。わたしの勝手な脳内映像補完だったみたいです。

 大根の恩返しは第六八段でした。

 仙人のエピソードは、とかく色欲というのは抑えがたいものであるという話の流れの中で出てきました。

 大根の恩返しは、大根は素晴らしい薬であると信じて毎日食べていたひとが賊に襲われたとき大根の化身に助けられるエピソードで、何かを深く信じるとこんないいこともあるんだね、というお話でした。


 物欲や立身出世にとらわれて生きることの無意味さや謙虚さの重要性を説く人生訓の段もあれば、花鳥風月など自然の美しさを語る枕草子のような段もあるし、大根の恩返しのようなおとぎ話、思わずくすっと笑ってしまいそうな人びとの失敗談など、いろいろあって面白かったです。

 それに言葉が率直で分かりやすい。

「よき友三つあり。一つには物くるる友、二つには医師、三つには智恵ある友」(第一一七段)。

 良き友とはモノをくれるひと、医者、知恵があるひと。

 確かに!


 ちなみに変わった名前をつけるに関しての話は第一一六段でした。

 お寺の名前でもそのほかのものの名前でも、シンプルでありのままがいいのに凝った名前をつけるのは、学があるとひけらかしているようで嫌だと。ひとの名前にふだん使わないような文字を使うのも何の益もないことだと。


 わたしこれ、最近のお店の名前に思うんですよね。ラーメン屋とかパン屋とか。○○軒や○○ベーカリーでいい。

 読み方が難しい漢字のラーメン屋やアルファベットで長い名前のパン屋は言い間違えたらイヤだと思ってそこに行こう! とひとに提案しづらいし、そもそも客に覚えてもらう気があるの? もしかして意識高い系の客を選んでる? なんて思っちゃう。

 あと圧が強い名前。“感動”“高級”“天才”の文字が名前に入っている店や商品はもうその名前見ただけでうんざりしてしまうのです。感動するかはこっち次第だわ!

  

 さてさて、このあとは『百分de名著』視聴タイムです。


【視聴後】

 番組内では兼好さんの子どものころのエピソードが紹介されていました(第二四三段、最終段)。


 八歳の兼好少年、お父さんに仏とはどんなものなのですか? と尋ねる。お父さん、人が仏になったのだと答える。ではその仏になった人はどうやって仏になったのですか? と少年はさらに尋ねる。父は仏の教えによってだと答える。ではその教える仏は誰に教わったのですか? と少年。その前の仏によって教わった、と父。少年、では最初の仏は誰に教わったのですか?

 お父さんはとうとう答えあぐねて、空から降って来たか土から湧いたのだろうと言って笑います。そしていろんなひとに、子どもに問い詰められて参ったよ、と面白がって話したそう。


 なんだかほっこりするエピソードですよね。わたしだったら子どもにこんなにしつこく聞かれたら自分で調べなさい! とスマホを渡してしまいそう。このお父さんは途中で投げ出さずちゃんと最後まで向き合った。息子に対する愛情を感じます。しかもこのやりとりをひとに話すなんて、どう? うちの子賢い&可愛いでしょ? ってな親バカ加減もちょっと見えて、それも飾らない人間味でいいなと思いました。

 

 子どもへの接し方については第百ニ十九段で慈悲の心に関連して述べられています。要約しますと、


 幼い子どもをおどかしたりからかったりして面白がるのは慈悲の心があるとはいえない。大人には何でもないことでも、子ども心には本当に恐ろしくて、恥ずかしくてたまらないことのはずだ。


 わたしはこの部分を読んで驚きました。昔の書物でこんなふうに子ども側の気持ちに触れた文章が載っているものは珍しいのではないでしょうか。少なくともわたしはこの『徒然草』以外にはまだそういう書物に出会っていません。

 兼好法師は鎌倉時代後期、都の神職の家柄出身。『徒然草』を書いたのはおそらく四十代、独身で隠居暮らししている中。つまりこの殿方は女房子ども抱えて明日の食うものにも困ってる田舎のお父っつぁんではありません。だから『徒然草』を読んでいるとところどころ都会人感というか、なんだか上から目線に感じる文章が出てくるのですが、この子どもを思う一文によって、わたしの兼好さんに対する好感度はかなり上がりました。実際に目の前で恐怖と屈辱に震える子どもがあったのか。それとも兼好さん自身が子どもの頃に何か辛い思いをしたのか。

 背景はいまとなっては分からないけど、こんなふうにちらちらと垣間見える人間味が、『徒然草』が今でもよく読まれる理由なのではないかしら。


 

【今回読んだ本】

兼好法師『新版 徒然草 現代語訳付き』小川剛生訳注 角川ソフィア文庫

※本文中の「」内はすべてこちらの本からの引用です。

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『百分de名著』で紹介された名著を百分だけ読む 総真海 @Ziming22

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