秋海棠礼二郎の憂鬱

青生野辺り

第1話 秋海棠礼二郎の午睡

姉様の白いパラソルが、パタタポタン、と音をたてる。それが面白くて笑っていると

「まあ、笑ってる」

と姉様が、私の顔を覗きこんだ。

「雨音が、面白いのでございましょ」

私を抱いた乳母やがそう応えると、姉様はパラソルを傾け空を仰いだ。

「あら、本当に。狐の嫁入りね。」



雨音は次第に大きくなり、それが近づいてくる複数の足音だと気づく頃には、私はすっかり目が覚めていた。小説の構想を練っている間に眠ってしまったようだ。

弾むような足音が聞こえる。軽やかでいて且つ不安定な、あの年頃の少女にしか出せない物音は、はたして隣室の妹の部屋へと入って行った。

季節は初夏である。開け放たれた窓からは花の香が漂い、誘われるように窓辺に立つと、庭の沈丁花が慎ましい花を咲かせていた。

「泣かないで」

沈丁花にそう言われたかと思ったが、そんな筈もなく、やはり開いた妹の部屋の窓から乙女たちの声が漏れ聞こえて来るのだった。

「皆で力を合わせれば、何とかなるわ。もう御仕舞いだなんて、悲しい事おっしゃらないで。」

そう言う凛とした声音は、我が妹である。

「そうよ、早く処置すれば大事にはならないそうよ。費用なら、皆にカンパを頼んだから…」

「しっ。薔子、黙って!」

それきり、窓が閉ざされたようで声は聞こえなくなってしまった。

私はため息をつくと窓辺を離れ、作り付けの衣装箪笥の扉を開けて、中に入った。

誤解の無いように言っておくが、箪笥とは言っても八畳ほどの広さがあり、衣装部屋と呼んでも遜色ないものである。隅には小さいが優美な赤い布張りの椅子もあって、私はそれに横向きに腰を降ろすと、壁にもたれ掛かった。

思った通り、壁の向こうから乙女たちの声が聞こえてきた。

「あなた方には、お分かりにならないのよ!」

涙声は、私には分からないので第三の人物としておこう。

「分からなくても、お助けする事は出来るわ。」

私の妹の声。

「二人共、本当はお笑いになっているんでしょう?…病院代も自由にならないなんて。」

第三の人物。

「そんなわけないでしょう!」

少し高音の、力強い声。これは、妹の幼馴染の高間薔子孃であろう。

「…お母様には、知られたくないの。お体にさわるから、動揺させられない…」

第三の人物である。泣いているようだ。

「分かっているわ。」

薔子孃。

「皆にも知られたくなかった。(嗚咽)…軽蔑されたくない…」

第三の人物。もう言葉にならない様子。

「そんな心配しないで。」

妹の声。

「そうよ、誰にだって起こり得る事だわ。軽蔑なんてしないわよ。」

薔子孃の声。

「ごめんなさい、薔子…」

「いいのよ、牡丹…」

「ありがとう、百合…」

「いいのよ、泣かないで…」


美しい会話である。それで分かったが、第三の人物は、牡丹という名前らしい。私の推察では、牡丹孃の家庭は貧しく、母親の病院代を捻出するのにも苦心しているのであろう。妹の通う学園は、幼稚舎から良家の子女が多く通うが、高等部からは広く庶民にも門戸を開いていると聞く。また、金持ちが一夜にして富を失う事も、珍しくない事なのである。

そして 百合というのが、我が妹の名前である。加えて、幼馴染の薔子孃。ユリとバラとくれば、この耽美小説家、秋海棠礼二郎でなくとも色々と妄想…いや、物思いが深くなろうというもの。そして新たな登場人物が、牡丹とは…少々、出来すぎではなかろうか?

その牡丹孃であるが、母親本人にも病名を秘密にするとは、余程重篤な病とみえる。

「気の毒な…」

「何が気の毒なの?」

はっと気がつくと、隣室で友を慰めていた筈の妹が、私の部屋の箪笥の中 (衣装部屋と言っても間違いではない) にまで侵入していたのである。

「ゆ、百合!勝手に兄の部屋に入るとは、は、はしたない!」

「あら、ノックしましたわよ?」

小首を傾げると、真っ直ぐな長い黒髪が、さらさらと薄墨色の制服の肩をこぼれ落ちる。我が妹ながら非の打ち所のない大和撫子ぶりである。

「お兄ぃ、居た?」

「しょ、薔子君まで!」

いつの間にか、薔子孃までが顔を見せ、箪笥の戸口から、白靴下を履いた愛らしい足先を今にも差し入れようとしているではないか。

「待ちなさい!男の部屋の箪笥の中になど、簡単に入るものじゃない!」

「へえ、兄ちゃんって部屋キレイにしてるじゃん」

「いいから出なさい!」



何とか二人を箪笥から出したが、どっと疲れた。乙女とは、遠くにありて思うものである。

「…ところで、牡丹君を放って置いて良いのかな?二人とも。」

退室を願おうと、そう言ったのだが。

「牡丹ならもう帰りましたわ、お兄様。」

「アレー、兄ちゃん、なんでここにボタンが居たって知ってんの?」

「むむ…、箪笥のすぐ隣が百合の部屋なのでね、君たちの声が聞こえたのさ。」

「ええっ!聞いてたの?タンスの中に入って、盗み聞き!?」

「薔子、口が過ぎてよ。」

私は頭を抱えた。まったく薔子君の口の悪さときたら。いつもは脳内で自動翻訳して紛らわしているが、そうでなければとても聞けたものではない。

「自動翻訳て。私の言葉は、外国語か?」

「薔子君、なぜ私の心の声を!?」

「心の声をって…、漏れちゃってますよ、さっきから。それにボクは薔子じゃなくて、彰子です!」

「だから心を読むなというのに。しかしそうか。ショーコと聞いて、薔薇の一字を勝手に当てはめていたのだが…」

「なぜ、バラ!?」

「彰子様か…。紫式部が仕えたお姫様と同じ漢字とは、さすがに高間の御令嬢だな。」

「ちょっと何言ってるか、分からないけどー!?」

「お二人とも、話が脱線してるわよ。」

収拾のつかない私たちの会話に、百合が割って入る。

「お兄様は、偶然にも私たちの話を聞いてしまった、そうなんでしょう?」

私は、不承不承うなずいた。

「別に聞かれてまずい話でもないだろう?」

「でも、牡丹は人に知られたくないと言っているのです。ましてや殿方に知られたと分かったら、あの子は死んでしまいますわ。」

「…分かった、誰にも言わないよ。」

「小説にも書かないでね。」

さすがに我が妹。痛いところを突く。仕方なくそれも約束させられた。

「薔子君、変な顔をして、どうしたんだい?」

「だから彰子だってば。って言うか、二人とも、しゃべり方おかしくない?時代劇みたい!」

「別におかしなことはないだろう。どちらかと言うと薔子君の方が…。おかしくないとは、おかしいのか、おかしくないのか、おかしな言葉だ。」

「うるさーい!引きこもりで本ばっかり読んでる兄ちゃんはともかく、百合まで!殿方なんて…ふだんはそんな話し方しないじゃん!」

じゃん?百合も普段は、こういう話し方なのか?と、薔子君と二人して百合の顔を見つめると…。

「お兄様、私にもお友達とのお付き合いがあるのです。薔子、お兄様の夢を壊さないであげてちょうだい。お兄様が私に夢をお持ちになるのは、今だけ…なのだから。」

そう言う百合の顔は、優しげでありながら悲しげで、私は何故と問おうとしたのだが。

「そういえば兄ちゃん、ボタンって言うのは、あだ名だからね?ないしょ話聞かれちゃったから、本名は教えてあげないけど。」

「えっ、そうなのかい?」

「なんでボタンになったかと言うとね?休み時間にみんなで桜色乙女隊を踊っていた時にね、あの子の…ぷっ、ふふふふ」

「薔子、お兄様の夢を…。」

「あの子のスカートのボタンが、はじけてポーンって飛んで、そんでスカートが落ちちゃったの!アハハ!」

「夢を壊さないであげてったら!」

「わあああああ!」

わたしは耳を塞いで叫び声をあげた。もう桜色乙女隊なんか…桜色乙女隊なんか、聞かない。



「ねえさまー」

子供の声。

「ねえさま、どこー?」

子供の私が、姉様を探している。

「ここよ、れい君。」

姉様は、満開の桜の木の下にいた。白いワンピース姿の姉様は、そのまま溶けてしまいそうで、私は姉様にしがみつく。

「姉様、泣いてるの?」

「たえて…桜のなかりせば、春の心は、のどけからまし…」

姉様は、泣きながらそう詠う。

私は、必死に姉様の手を握る。子供の手にも細く、冷たい手。

「姉様、泣かないで。」

姉様のお名前は、さくら。そう、さくらなのだった。一体、どんな思いで…。

さくらさえ、さくらさえ、居なければ、と…。



悲しい夢を見た。最近、よく夢を見る。目をよく使うので疲れ目がひどく、何かというと寝てしまう。そのせいかもしれない。

そこへコツコツと、ノックの音。これは、現実である。

「誰?」

「お兄様、私です。」

「百合か、どうした?」

「入っても、よろしいですか?」

いつもより、神妙な様子である。私は、妹に部屋に入るよう促した。

「どうした、何か相談事かな?」

二人の間のテーブルには、温かい紅茶が湯気を立てている。百合が運んで来てくれたものだ。妹は何か相談がある時、こういう気遣いを見せる。

「先日、牡丹のために私たちでカンパを集めると言っていたでしょう?」

「足りないのかい?私も援助しようか。」

妹は、その問いかけに首を振った。サラリと流れる前髪の下で、長い睫毛が影を落とす。

「お金は十分に集まったの。今日の放課後、牡丹に渡す予定だった。それが…。」

「それが?」

百合は唇を噛みしめ、私が促すとこう言った。

「なくなってしまったの。」

「無くしたのかい?」

「いいえ、盗まれたのよ!!」

扉の開く音も蹴た球しく、部屋に乱入し叫んだのは、薔子君だった。

「しょしょしょ、薔子クン…」

「兄ちゃん、先日は、大変失礼いたしました!わたくし、スゴーく反省しましたわ。ついでに薔子って呼んでも良いので、仲間に入れて?」

「薔子…呼ぶまで待ってと言ったのに。お兄様は、あれから一時的な神経衰弱に陥られて、今も心を落ち着かせるお薬を飲んでいらっしゃるのよ。」

「ごめんなさーい!…でも、あんたたちの話し方って、まだるっこしいんだもん。ボクが説明した方が早いって。」

薔子孃の説明は、こうである。


同じ部活の仲間からカンパを集めるのに二日を要し、二日目の夕方、部室にある本棚の引き出しに入れて、部室のドアにカギをかけて帰った。

翌日の朝、カギを開けて部室に入ると、引き出しの中にお金は入っていなかった。封筒ごと、消えていたのである。

「それで。いくら入っていたんだい?」

「十万円よ。一人一万ずつを、十人分。」

十万は、学生でなくとも大金であろう。苦学生は、牡丹孃だけのようだ。

「部員全員で、十人?」

「ボクたち三年生だけ。秘密を共有するには、人数は少ない方が良いでしょ。」

確かに薔子君の話は、サバサバと端的で分かりやすかった。まあ、一人称が僕であることの違和感を除けば。

「部室の鍵は?」

「私が掛けました。不安だったから薔子にも確認してもらったわ。その後、ちゃんとカギも職員室に返しに行きました。その時も、二人で。」

そう、百合は文芸部の部長なのだった。

「お金は、百合が預かって持ち帰れば良かったのでは?」

「大金をカバンに入れて持ち歩くなんて…、嫌ですわ、怖くて。それに部室にお金があるなんて、誰も気が付かないと思ったの。」

それは、そうかもしれないが。

「そうだ!顧問の先生なら、偶然見つけてしまうという事も…」

「顧問の矢城先生は、九州の高校へ、文化交流会の視察でお出かけでしたわ。」

「カンパを頼む時、他の人に話を聞かれたのではないのかな?」

「そんなヘマしないよ。私たちの部の三年のメンバーで、グループニャインを作ってるから、連絡はそれで。」

「グループ、ニャン?」

「し、知らないの兄ちゃん!?今時の連絡は、学校行事だってグループニャインだよ?」

「薔子、お兄様は交際範囲が…狭くていらっしゃるの。お兄様、携帯電話のメールを特定のメンバーで一斉にやり取り出来る機能ですわ。」

失礼な。私だってメールのやり取りくらいはする。父上とか、母上とか、百合とか。担当とか。

「とにかく、ボクたちは固い絆で結ばれているから、秘密の漏洩など有り得ないよ!」

薔子君は、自信満々だが。

「絆ねえ…」

不審の目を向ける私に

「秘密の共有が、一番の絆ですのよ。」

にっこりと、百合が微笑んだ。なんだか怖い…。



「よし、分かったぞ!」

刮目し、私がそう叫ぶと。二人の乙女は、不思議そうに私を見つめた。

「お兄様、もしかして…。」

百合は、期待に目を輝かせた。私はそれに応えて言い切った。

「犯人が、分かったよ。」

「兄ちゃん、まさか!たったあれだけで?」

疑心のありありと感じられる口調で薔子君が問う。

「しかし君は、全て私に話した、そう言ったではないか?」

「そうだけど…。ボクと百合が分からないのに、どうして兄ちゃんが分かるのさ?」

薔子君が、両手を頭の後ろで組み、唇を尖らせる。粗野な仕草も、百合とは対照的に栗色の巻き毛を短髪にした薔子君がすると、異国の少年のようで愛らしい。

「実は、私は作家でありながら何度も事件を解決に導き、警視庁からも依頼を受ける、名探偵なのだよ!」

私がそう打ち明けると、驚いた薔子君は、危うく椅子から転げ落ちそうになった。

「エーッ!?探偵?ゆ、百合、どういうこと!?」

「お兄様、ご冗談でしょ?」

「いいや、冗談などではない。これは百合も知らないことだ。警察にもメンツというものがあるからね。」

「まさかー?」

「最近、小学生の誘拐事件があっただろう?」

「不見町の、同じマンションの住人が犯人だった、あれ?」

「あれも、私が警察に助言したのだ。」

「ええっ!!し、信じられない…。でもでも、最近は高校生探偵も居るらしいし…。」

薔子君が姿勢を正した。どうやら話を聞く気になったようだ。

「それでは、もう一度、君たちの話を振り返るとしようか。」

冷めた紅茶を淹れ直し、薔子君のカバンの中から出てきた西洋菓子を食べながら(どうして乙女のカバンには菓子が入っているのだろう?)、私たちは事件を再検討する事となった。



①月曜日、休み時間に百合の教室を牡丹が訪ねて来た。そのうち牡丹が、気分が悪いと言ってしゃがみこみ、百合が付き添って保健室へ行くことになった。

「何時間目の休み時間かな?」

「二時間目よ、お兄様。」

「細かいよ、兄ちゃん。」

「情報は正確でないとね、」

蛇足だが、保健室へ行く途中、登校してきた薔子(ものすごい遅刻である)に出会い、遅刻の言い訳になるからと同行する(不良だ)。


② 保健室で養護教諭に牡丹を預けようとするも、教師の携帯電話に折り悪く電話が入った為、牡丹をベッドに寝かせておくように頼まれる。

「具合の悪い生徒を放っておくとは、けしからん先生だな。」

「広尾先生は良い先生よ、お兄様。」

「そうだよ、カオリンは、私たちを信頼してくれてるんだよ!」

「それに面白くてセンスが良くて、生徒の人気が高いと聞く。ただ…美人とは、言えないが。」

「何だよ、ひどい言い方!」

「君が最初に言ったんだよ、薔子君。」


③ベッドに入った牡丹が泣き出し、二人に事情を打ち明ける。

「事情は…、兄ちゃんは盗み聞きしてたから、もう良いよね?」

「言葉にトゲがあるが、まあ良しとしよう。盗難には、直接関係が無いしね。」


④ 薔子が、カンパを集めようと提案し、その場でメールを仲間たちに送信する。

「その時、金額を口に出したのは迂闊だったね。盗み聞きされた可能性がある。」

「牡丹が、一人一万は多いって、意地を張るから言い合いになったんだよ!」

「私も牡丹君に賛成だな。学生にしては高額すぎる。」

「ボクたちにとっては、出せない金額じゃないもん。ホテルのバイキング、二回分くらいじゃん。」

「でも、集まれば高額だ。現にそれが原因で盗難事件が起きたのだろう?」

「それについては、私も反省してますわ、お兄様。」


⑤牡丹をなだめているうちに広尾先生が戻って来たので、百合と薔子は授業に戻った。しかし、戻った頃には授業は終わっていて、百合はともかく、薔子君はひどく叱られたらしい。当然だが。

「保健室には、本当に他に誰も居なかったのだね?」

「誓っても良いですわ、お兄様。」

「隣のベッドに寝ている人物がいた可能性は?」

「ないよ!このボクが座ってたんだから!」

「座ってと言うより、横になっていましたわね。」

「そ…そうか。窓は、閉まっていたんだね?」

「ええ、ベッドのすぐ横の窓が開いていたのですが、金木犀の香りが強くてムカムカすると、牡丹がそう言うので閉めましたわ。」


⑥ 火曜、水曜日の二日間で二人がお金を十人、いや、二人を除けば八人から集めた。

「集金は、全て部室で行われたのだね?」

「ええ、そうですわ。」

「他の学年の部員に話を聞かれた可能性は?」

「三年生の進路相談の日だったので。部活はお休みで、一、二年生は帰宅するよう指導されていましたから。」

「指導に従わず、居残りしていた下級生が居たかもしれないよ?」

「進路相談の終わった順番で、一人ずつ部室に来てもらうようにしていましたから。廊下に下級生が居たら、誰かが気付いたはずです。部員以外の三年生についても、同じですわね。」

「百合が進路相談の時には、薔子君が?」

「ええ、交代して部室に居てくれました。」

「なるほど。重ねて聞くが、三年生のメンバーの中に犯人が居る可能性は?」

「ナイナイナイ、ぜーったい無いよ!」

「全員の家庭の経済状態を調査させました。」

「百合!!」

「ごめんなさい、薔子。」

「私が頼んだんだ。百合を責めないでくれ。」

「んーまあ、いっか!調べられて困ることもないしね!」

「高間グループの株価が下がったら、まずニュースになるよ。」

私は苦笑した。百合は、高校生にしては理性的だし、薔子君は根が明るいというか、年齢にしては割り切りが早い。どちらも浮世離れしているという点では、似ているのだ。 「兄ちゃん、何を笑ってんのさ!」

「そうですわ、お兄様。早く犯人を教えて下さい。」

おやおや。二人とも、まだ犯人が分からないらしい。とすれば、仕方ない。

「よく聞きたまえ、犯人は…」

「犯人は!?」



「犯人は、保健室の窓の外にある、中庭の金木犀なのだ!」

そう言った時の二人の顔を想像していただきたい。ぽかんと口を開けて、本当に可愛らしい様子だった。

しかし、すぐに薔子君は怒り出し、百合はオロオロとして、二人は部屋を出て行った。本当に、愉快な時間であった。それが昨日、木曜日の出来事である。

そして今日、金曜日の放課後。二人は保健室の窓に面した、中庭の金木犀の根本を掘り返している筈だ。百合に再度そうするように頼んだから、間違いないだろう。

その時、電話が鳴り響いた。時刻は、夕方の六時である。

「百合か?」

「ないじゃん!やっぱ無いじゃんか!兄ちゃん、ボクたちをからかったな!何が警視庁から依頼を受けるだ、何が名探偵だー!」

「しょ、薔子君…百合に代わって…」

「ボクは薔子じゃない、彰子だー!!」

「機嫌が悪いな、いつもは微妙なニュアンスの違いくらい、許してくれるのに。」

「彰子が怒っても当然ですわ、お兄様。本当に金木犀の根本にお金が埋まってるんですの?」

「うーん、やっぱり隣の木の下かもしれないと考えていた。」

「はあ?隣の木の下!?」

「あ…薔、いや彰子君…うん、右隣の木の下…かな?」

「右の木!?」

「いや、左かも…」

「◯△□☆ー!?」

疲労からか、不機嫌の極みである、薔子、いや彰子君は、もう言葉になっていない。 「いや、もう遅いから帰っておいで。出前で良いなら何か御馳走しよう。」




「寿司なんかで誤魔化されないからね!」

「そう言いながら君、いくつ目だい?あ、私のトロ…」

「今日は大変でしたものね、彰子、私のトロもあげる。」

「あひはとー!」

「はいお茶。それでお兄様、金木犀の木の根本から隣の木の根本に、なぜお考えを変えられたんですか?」

「うん、初め私は、臭いと言われて怒った金木犀が、犯人だと思った。」

「それが動機?てか、金木犀が犯人!?」

「ああ、そうだ。それは今でも変わらない。」

「変わらないんだ!?」

「ただ、金木犀の根本では、見つかった時に金木犀が犯人だとすぐに分かってしまう。だから隣の木の根本に埋めたんだと思う。」

「メルヘーン!」

「うん、メルヘンだね。この事件は…。」

「この事件は!?」

「金木犀は聞いていた、と名付けよう。」

「モグモグモグモグ…」

「あっ、私のイクラ!」

「彰子、私のもあげるわ。明日も頑張りましょうね。」

「エーッ!明日も掘るの?」

「そうよ、明日は何を食べたい?」

「明日は焼き肉かなあ、ま、仕方ないか!」

「もしかして、また私のおごりか?」

やれやれ、これでは安楽椅子探偵ならぬ御馳走探偵である。



「ねえさまー」

子供の声。

「ねえさまー、どこー?」

夢の中で子供の私が、姉様を探している。

誰かが、桜の木の下に居る。姉様、ではない。白髪の老人。その男に、会ってはならない。

「おじいさま。」

尋ねてはならない。

「姉様は、どこ?」

振り向いた、白髪の老人は、鬼の形相で。

「あれは死んだ!探すな、忘れろ!」

子供の、かん高い悲鳴。足元が崩れ、落ちる、落ちる、落ちる…。



墜落感。ひどい夢を見ていたようだ。ベッドの上に不時着した私は、汗びっしょりだ。気分が、とても悪い。治った筈の場所が、実は欠落したままだと知る苦み。とうに失った場所の痛みを私に思い出させようとする。

ノックの音。

「お兄様。事件が解決しました。」

「百合、ちょっと待ってておくれ。」

ドアの外の妹に呼びかける。 今のような気持ちのまま、百合に対面は出来ない。せめてシャワーを浴びて、目を覚まさなければ。姉様によく面差しの似た百合には、まだ…会えない。



「お兄様、お水です。」

「今日は、紅茶じゃないんだね。」

「ノドが乾いていらっしゃると思って。」

確かに喉が乾いていたので、ありがたく水を飲んだ。

「お金が、見つかったんだね?」

「ええ、金木犀の隣の木の根本に。ビニール袋に入って、封筒もそのまま、埋まっていました。」

「学校は、お休みじゃないのかい?」

「運動部は、土曜日でも活動していますから。中庭に入る事くらいは…。」

「右の木の下だった?」

「お兄様は、犯人は広尾先生だと思ってらっしゃるの?」

百合は、私の質問を遮ってそう言った。

私は、百合を見つめた。百合も私を見つめた。

もう大人と言ってもおかしくない年齢に妹が近づいている事に、私はようやく思い当たった。

「気づいてしまったんだね。」

「解決編を教えて下さる?」

「百合が話せば良いじゃないか。」

「いいえ、お兄様から聞きたいの。」

私は、妹の願いに応えて話し始めた。


初めの違和感は、養護教諭である広尾が、具合の悪い生徒よりも個人的な電話を優先させた事である。例え緊急の電話だったとしても、その場で話せば済む事なのだから。生徒に聞かれてまずい電話とは?例えば、誰かに脅されているとか、もっと現実的には、借金返済の催促とか?

次に、先生が戻って来るのが遅すぎる。百合たちが、三時間目の授業の間に戻れていないのだ。具合の悪い生徒を待たせていれば、気になってすぐに戻る筈。戻ったが、牡丹君へのカンパの話を立ち聞きしていた、と考えるのが自然だ。

「普通なら、一番に疑われたのは百合、君のはずだ。」

「でも、私はお兄様の妹だから?」

「そう、愛する妹だから、除外した。」

部室の鍵を持っていたのは、百合。お金を引き出しに入れたのも百合だ。牡丹君の事情もあったが、百合のためにも教師や警察に知らせず事件を解決する必要があった。

部室の鍵は、職員室へ戻された。これを疑われずに持ち出せるのは、教員だけだろう。

また、彼女たちが保健室を訪れたのは、三時間目が始まった頃。その時間、うろついて咎められないのは、授業のない教師くらいだろう。

本当は、教員ならば誰でも可能性はあった。たまたま、保健室の前を通りかかって話を聞いた、とかね。

「しかし、可能性が一番高いのは、広尾先生だと思った。後は、あくまで印象かな。」

薔子君の話を聞いた、私の印象だが。面白いという事は、悪く取れば口がうまいという事。そして、彼女たちのような流行に敏感で、しかも裕福な女生徒にセンスが良いと言わせるには、よほどファッションにお金をかけていると想像させた。

「しかし、教師とはそんなに儲かる職業だろうか?」

「…どうして、金木犀が犯人だなんておっしゃったの?」

「可能性や印象で他人を犯人呼ばわりは出来ないだろう?」

「保健室の窓のすぐ外で金木犀の根本を掘り返したりしていれば、広尾先生が怪しむ。そうして注意を引いておいて、次の日に隣の木の下を掘ると大声で言ってみせれば、先生が木の下にお金を埋める、私たちにお金を返すと思ったのね?」

「なんと言っても私は、警察からも依頼を受ける名探偵!だからね。」

百合は、くすりと笑った。

「警察に顔のきく人間が事件を調べていると思わせるために、あんな嘘をおっしゃったの?」

「私たちは、犯人探しが仕事ではない。お金が戻り、牡丹君の母上が病気の治療を受けられたら、それで良いのだからね。」

「お兄様…」

百合は目を大きく見開き、私が目配せすると、みるみるその美しい瞳に涙が溢れた。そして私の首に細い腕を回すと、涙に濡れた頬を私の頬に押し付けた。

「大好きよ、愛らしいお兄様…」

「おかしな事を言うね。百合こそ愛らしい…」

「いいえ、お兄様。私には、そんな言葉は似合わない。犯人は…私よ。」

「えっ…」

犯人は私よ。百合はそう言った。しかし、百合には動機がないではないか!?





病院代が必要なのは、牡丹本人だったの。牡丹は、妊娠していたのです。それをあの日、打ち明けられて。牡丹は、お家の方針でお金をあまり持たされていないのです。

病院へ行くお金を集めようと彰子に言われた時も、それが牡丹のためならと、本気でそう思って協力したわ。でもお金が集まって、現実的になって初めて気づいたの。自分が何のお金を集めているのかを…。

明日、お金を牡丹に渡す、そう思ったら怖くなって。お金を部室に置いてくる振りをしました。本当は、そのまま家に持って帰った。

「犯人は私。そしてお兄様の言われたとおりに、金木犀の隣の木の根本に埋めたのです。」

「それじゃあ、牡丹君は、今?」

「病院に入院しています。」

では、今頃は、もう。

「なんてことだ…。」

私こそ、私情に流されて容疑者から百合を除外し、自分の都合の良い犯人をでっち上げた道化者だ。

学生の身分で子供を身ごもる事は、何かと不都合であろうが、堕胎するとなれば傷つくのは他でもない、牡丹君自身だ。

犯人の目的は金銭ではなく、牡丹君自身に考えさせ、友人として一緒に他の方法を探す、その時間的な猶予が欲しかっただけ。それが犯人の動機。

「そんな犯人の…百合の気持ちを、私が踏みにじってしまった…。」

「いいえ、お兄様…。」



「ジャジャーン!探偵交代!!」

またもや、入ってきたのは、薔子君であった。

「薔子君…。」

「いいえ、私は彰子、女子高生探偵なのです!」

「彰子ったら、お兄様がびっくりなさっているわ。」

「もーう、兄ちゃんの辛気くさーい話は、たくさん!こっからは、この女子高生探偵が…。」

「安心して、お兄様。牡丹もお腹の子も無事よ。ご家族に何もかも打ち明けたの。」

「もう、百合ったら!…でもそうだね、意地悪しないで教えてあげる。両親との話し合いの最中、牡丹がまた具合悪くなって、病院に行ったらそのまま入院、って事になったわけ。」

「流産するところだったそうですわ。でも、安静にしていれば、大丈夫だそうです。」

「そうか…良かった…。」

「良くない!…実は、あなた方兄妹が引き起こした金木犀事件の裏で、本当の事件が起こっていたのだった!」

「金木犀は聞いていた、なのだが…。いや、もうひとつの事件とは?」

薔子、いや、女子高生探偵、高間彰子は、椅子に座って足を組み、膝の上に右肘をつくと、人差し指を唇に当てた。格好だけは、様になっている。

「そもそも、兄ちゃんの推理って、悪くなかった、良い線いってたんです。カオリン先生こと、広尾加織は、確かに私たちの話を盗み聞きしてました。しかし、カオリンは、10万くらいで満足するタマじゃなかったのです。」

「タマって…。」

「タマでも、アマでもよろしい!カオリンは、牡丹の父…じゃなくて、牡丹のお腹の子の父親を脅して、えっと三百万を…。」 「女子高生探偵の彰子さんとやら、説明がスムーズではないし、第一、品がありませんことよ、引っ込んでらして。」

「ちょっと、百合ってば!」

「ここからは、百合がご説明いたします。」

「もぉーっ!!」

かくて探偵役は、彰子君から百合へと、バトンが渡されたのである。しかし、我が妹は、このようなキャラだったであろうか?



「お兄様の推理は、全くの的外れ、と言うわけでもなかったのです。」

「そこから!?」

「彰子は、黙ってて!」

「うぐぐ…。」

広尾先生は、私たちの話を立ち聞きし、牡丹の妊娠を知りました。同時に、カンパで十万円が集まる事も知りましたが、広尾先生は、もっとお金を取れそうな人物を知っていました。お腹の子の父親です。

それは、広尾先生の同僚であり、私たちの部活の顧問でもある、矢城昭男先生でした。先生と牡丹の親密さに広尾先生は以前から注目し、交際を嗅ぎ付けていたのです。

そして今回、牡丹の妊娠の話を聞いて、出張中だった矢城先生を電話で恐喝し、口止め料として三百万円を要求したのです。

「なんと卑劣な!教師でありながら恐喝とは!しかも、牡丹君の相手も教師とは…、現代の高校は、そのように乱れているのか!?」

「お兄様は、黙ってて!」

「うぬぬぬ…。」

さて、広尾先生から牡丹の妊娠の話を聞かされた矢城先生は、大変驚きました。ただ、我らが顧問は、広尾先生が思っているような人物ではありませんでした。つまり、矢城先生の行動は、広尾先生の予想を飛び越えていたのです。

矢城先生はまず、牡丹に電話をして、妊娠の事を問いただしました、。妊娠が本当だと知った矢城先生は、出張から戻ったその足で牡丹の家に行きました。そして、牡丹の両親に牡丹が妊娠している事を正直に話し、お詫びした上で、結婚の許しを願いました。

「矢城先生は、最初から牡丹と結婚をするつもりでいたの。ただ、牡丹が卒業するまで待つつもりでいらっしゃったのよ。」

「カオリンは、そういう男性と付き合ったことが無かったんだねー。だから矢城先生が、校長にボタンと結婚するって報告した時も、妊娠の事で広尾先生に脅されたって訴えた時も、ポカンとして、逃げも出来なかったんだって。」

「広尾先生は、山谷家の体面を守るため、警察沙汰にはならないものの、解雇されるそうです。」

「なんだ、探偵の出る間もなかったんじゃないか。」

「愛の前には、探偵も無力ですわ。」

「…しかし。二人だって、矢城先生を信じていなかったんじゃないか?病院の費用をカンパしたくらいだし。」

私がそう尋ねると、二人の乙女は、顔を見合わせた。

「それは、牡丹が…、矢城先生には話せない、バレたくないと、そればかりで…。」

「ボクは最初から、二人の交際はムリだって思ってたからなー。身分違いで。」

「身分違い…とは?今時そんな時代錯誤な…。」

「お兄様、ボタンの本名は、山谷玲子ですのよ。」

「山谷…とは、まさか!?」

「家具~を買う~な~ら、ヤマタニ♪だよ!」

「あら、ヤマタニの~ベッド♪じゃなかった?」

どちらでも良い。家具・寝具販売の大手メーカ-ではないか!

「ボタン、いえ、玲子は、そのヤマタニの一人娘、つまり跡取りですのよ、お兄様。」

「跡取り…。」

「でもよく無事で済んだね、矢城先生。ヤマタニの跡取りなんて、先生に勤まるのかな?」

「もちろん、玲子と結婚する以上、学校は辞めてヤマタニの社員になられるでしょうね。そのくらいの覚悟でいらっしゃったでしょうし。」

「覚悟…。」

「それで済むなら、最初からそうすれば良かったのに。」

「それが実は、お父様が有望な役員をお相手として選んでいたそうで…玲子も追い詰められていたのね。病院代と言いながら、本当は逃亡費用にするつもりで居たみたい。」

「そうなんだ?騙されたー!…まあ良いけど!結婚祝いにすれば良いし。あれ、出産祝いだっけ?」

「両方よ。両方ともやりましょうよ!」

楽しそうな二人の声が遠い。

「あれれー、兄ちゃん、どうしたの?膝より頭が下に…。何を落ち込んでんの?」

「お兄様。」

百合がいつの間にか、私の背後に回り、左肩と右手にそっと触れてくる。

「お兄様も、来年には高校入学のご年齢。そろそろ気持ちを強くもって、ね?」

「父上が、そう言えと?それとも母上が?」

私たちの会話の間にも、なにやら彰子君が、騒がしい。

「エエエーッ!来年高校って、こいつ、まだ中坊なの!?」

「彰子!黙ってて!」

「黙んなーい!ていうか、年下だとは思ってたけど、兄ちゃんの学生服姿なんて、見たことないよ?」

「それは…。お兄様は、一般中学生に交わるのには、なんと言うか、古風過ぎて…。」

「ああ…、なるほど!ていうか、なんで年下なのに、お兄様呼び?今さらだけど。」

それは…、うちの方針なので、私のせいではない。

「我が家では、昔から長男を年齢差関係なく兄と呼ぶ、という習慣なのです。」

妹が、説明してくれている。ああ、これも世間的には、姉、という事になるのか?面倒だ。


「あれ、あれれー、長男なの?礼二郎なのに?」

「いえ、お兄様のお名前は、本当は継ぐという字で、礼継郎なのです。」

… 長男、跡継ぎ、ああ面倒だ。

「礼二郎は、いわゆるペンネームで…。」

「そういえば、中学生で…作家なの?」

「お兄様は、秋海棠礼二郎の名前で、カクヨムに寄稿してらっしゃるの。」

「なんだー。KADOKAWAの小説サイトか!誰でも投稿出来んじゃん。」

「失礼ね!お兄様の小説は、読者数が多いんですのよ!担当がついているくらいですもの。」

「そうなんだ?今度、読もーっと!」

そうこうするうちに、彰子君は帰るようだ。椅子から立ちあがり、カバンを持っている。

「じゃあね、海堂家の跡取りクン、がんばってねー!」

「彰子!黙ってー!」

私は、耳をふさいで大声を出す。

「わああああああああああぁぁぁ!」

もう何も、もう何も聞こえない。

「次回は、高校生探偵、海堂礼継郎の学園日記、なんちて!」

「彰子!黙って!」

おわり


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秋海棠礼二郎の憂鬱 青生野辺り @hotori-aono

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