小説の書き手にとって必要なもの。
一縷(いちる) 望
大衆芸能の書き手が持つべきもの。
小説というもの、凡そ大衆芸能である所の「娯楽小説」を書く上での大切なもの。
それは、一言で言いのけてしまえば、『書き手の良心』である。
「ファンジンとは何か」を書き上げて、私は確信した。
多くのテンプレラノベと呼ばれて居る小説の氾濫は、書き手が、「名誉欲」と「拝金主義」に走った結果、必然的に作り出されたシステムである。
このシステムは、1次創作のふりをした、2次創作を大量に生み出す仕掛けに他ならない。
それゆえに、「なろう系」等と揶揄されているが、作者たちは一向にこれを止めない。
何しろ、このシステムは、「お手軽」に1次創作小説もどきを量産できるからである。
このシステムが、商業的に回っているからである。このあたりはWeb小説の創作論を書かれた人の物を読めば納得が行くであろう。
そしてここには、いくつかの出版社の事情もあるのだ。
つまり、そのシステムをうまく利用し得た作者の、その「文字の塊」を「これ頂くわ」とやった出版社がある訳だ。
それが売れてしまった実績があれば、出版社は美味しい「柳の下の
Web上での評価が大量についている作品は、もはや吟味する事なく、売れるに違いないと勘違いした。
そして、そこにつけるべき表紙のイラストや、中の挿絵も、素人に頼めばよいのだ、書きたい人は大勢いよう。
Pixivに代表される投稿サイトの、上手な絵を描く人に商業小説の表紙を描く仕事を依頼したいと言えば、まず断るのは難しいだろう。
かくして、出版社はろくに大衆娯楽小説を読んだ事すらない、若い編集者の手により、大した元手もいらない金脈を掘り当てた。
当たれば増刷である。
続編など期待する必要はない。供給源である書き手は、小説サイトに掃いて捨てるほどいる。
こうして、第3次ライトノベルブームは始まったと言えよう。
ここで以前の事も少しだけ。
第1次は、1990年代初頭である。
ここでは多数の熱の入っていない異世界ファンタジー小説や学園ものローファンタジーが粗製乱造された時代を示す。
※少なくとも、1988年以前の『大衆娯楽小説』は、ライトノベルではない。
※こういう言葉が生まれる以前に遡って、分類する事にあまり意味はない。と言っておこう。
※それは科学というモノサシを当てはめて、判断されるサイエンス・フィクション分野においてはっきりと示されている。
※今現在の科学で判断してはならない、と。あくまでもその当時の科学や文化の背景を考慮すべきである。とされている。
※それに沿うならば、ライトノベルという言葉が生まれる以前に遡って分類、レッテル化する行為は、原点となる人物の作品等を辿り歴史や変遷を記録する事以外にはあまり意味はない行為である。
第2次は2004年頃を示すであろう。「電車男」などが思い起こされるであろう。
※このネット発の恋愛物語は後に書籍化とドラマ化までされて1大ブームを巻き起こした事で知られている。
※このブームを切っ掛けにしてネット界隈での小説の発表という行為に勢いが付いたのは間違いない。
第3次は、2010年代を示す。この流れは、現在(2021年)にも息づいている。
書き手も、この異世界転生というシステムを最大限利用する。
作り上げた1次創作小説もどきが、上手くいかなければ、作者は簡単に、それを放置する。
ここにあるのは、極めて簡単な理由であろう。
これを続けても銭にならないのなら、次だ。
と言う事になり、そういう作者の元には、多数の未完作品が死者累々の様相を呈している。
ここには、物書きとして、最低限守らねばならない、『書き手の良心』は欠落している。
読者に良い物を届けたいという情熱もなく、自分が作り出す作品をきちんと完結させようとする、作者の誇りも勿論ない。
凡そ、銭にならないのなら、直ぐ放り投げるといういい加減さだ。
往年の書き手が持っていた「善き価値観」が、完全に破壊されているのだ。
それは「素朴なファンジン」が変質し、「売らんかな同人誌」となった時と全く変わっていない。
リスペクトというものが、根本的に「無い」か、「破壊されつくしている」かのどちらかである。
それが無いから、このシステムに頼って物を書いて、書籍を売っている「作者達」はいつまでたっても『プロ未満』である。
この方法以外に、売るものが作れない、と言う事である。
然し。
読者にも、問題が無いわけではない。
他の方へのコメントにも書いたが、読者が「良作」を探す努力を放棄している。
若者は、自分に合いそうな良作を探す「時間が無い」のだ。
これは、恐らく現代病であろう。
スマホ片手にSNS、ライン、ソシャゲ、多種多様な動画サイトの視聴。そして無料漫画サイトの閲覧、読み漁り。
こんな事をしていれば、当然の事ながら、どっしりと座って、少し太い小説を読んでみるか、等と言う時間はない。
全くと言ってよいほどに、時間が無い。
そうなれば、恐らくは、あらすじらしきものが題名となっている先の展開が想像できる代物を、ちょっとづつ読んでは小説を読んだ気になる。
と言う状態であろう。
そうすると、題名が「あらすじもどき」という、一見して分かりやすいモノにしか、食いつかない。
これは、現代の病理であると言い切れば、事は簡単だがファンジンの歴史を見れば明らかなように、ヒトは、判り易い物を求める傾向があり、一度その方向に振れると、もうそれは激流となって大多数の流れていく方向を決定づけている。
Web小説という物が持つ、根本的な参入障壁の低さは粗悪なものの粗製乱造を許し、氾濫させた。
然し。然しである。
個人の表現の自由は、抑えられてはならない。
こういう物を出すなという権利は誰にもない。
それがたとえ、自分しか読まない、自分に当てた私小説であったとしてもだ。
公共の場に供するに足るものかどうかなど、だれが決めると言うのか?
それを唯一決められるのは、サイトの運営だけなのである。
本来、昔の小説がコンテストなどを経る事でしか、世に出なかったのは、出版社がそれを判断しえる、知性と良心を持ちえたからである。
Web小説では、それを判断するのは、本来書き手である。
それは、コミケなどで売られるようになった、同人誌(変質したファンジン)と全く同じである。
彼ら作者が書いたものが、余りに猥褻なものは発禁処分となっている。
これはコミケが開催される都度に、問題となった行為である。
エロ本は売れるからだ。よって後に続くものが、それこそ後を絶たない。
小説サイトも、R18は年齢認証付き専門サイトに移行させた。
然し、それら以外では大きな表現の規制は、個人への誹謗中傷、公序良俗に反するものを避けよ。位であろう。
創作の異世界物とすれば、現在世界の規制を一切振り切れると勘違いしている、知性の低い書き手によって、小説における善性は破壊されている。
奴隷ハーレム等と言う物を喜んで書き、そこに悪びれる様子すらない処にそれが表れている。
ここは重要である。
翻って、ここに必要なものは、作者が持つべき毅然とした態度であり、作者は自分が信ずるところに寄って、読めるものを読者に届けたいとする、書き手の善性であろう。
今は恐らく「矜持」というものも失われている。
文字が似ているが「矜恃」ではない。
若い作者や読者にこれを求めようとは思わないが、少なくとも、社会経験を積んだであろう年齢の書き手は、「矜持」位は読めて、意味も分かっているはずだ。
今や、広辞苑ですら「矜持」と「矜恃」を同じだと言って
『矜持』とは、「自分の能力を信じて抱く誇り」であり、「自負」であるとともに、次の点が特に重要である。
それを他者に誇る事なく「自分を抑制する」心。自分の旺盛なる自尊心を「抑え慎む」心の様相。
これが矜持である。
ここにあるのは、自分がやっている事に対しての誇り、プライドでありながら、それを他者に見せつける事や見せびらかして、如何にも自分は有能であるなどと、「開陳しない」、抑制された心。
これが日本人の持つ美しい精神性である。
しかし、もはやそうした心を持たぬ者たちの蛮行によって『創作の芝生』は踏み荒らされ、汚物で穢された。
ライトノベルという創作の芝生には、大量の汚物が日々生産され、堆積され続けていき、今や腐臭を放つ。
いくら表現の自由有りと言えど、この状態はもはや看過できない。
この穢された芝生を、再び青々とした気持ちの良い大地に変えて行くのは、作者の「良心」のみならず、読者の「良心」にも大きく委ねられているのである。
さて、私に、石を投げないで貰いたい。
そう思う所があるのならば、文章でもって、ご自身の場所において表明されたい。
<了>
小説の書き手にとって必要なもの。 一縷(いちる) 望 @itirunonozomi
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