第6話『魔女に呼ばれる前に 前編』
誰かがシャワーを浴びる音が聞こえている。シャワーヘッドから流れ出た水が、身体にぶつかり、跳ねる音が一人暮らしの狭い部屋に響いていた。
ーーここは、どこなのだろうか。
ぼくはこの部屋に至るまでの記憶がすっぽりとなくなっていた。
ーー思い出せない。
ぼくは頭を振る。
なぜ、この部屋にいるのだろうか。
少し気持ちを落ち着かせて見渡してみると、どうやら部屋は女性のもののようで、可愛らしい小物がいくつも置かれでいるのが目に入った。
老若男女が楽しめるような映画のキャラクターのぬいぐるみや、心地よい香りが楽しめるアロマ雑貨。
家具やカーテンはピンクを基調にして揃えられてある。
と、窓の近くにある一人用のベッドのそばにある丸い小さな木製のテーブルの上で、写真が大事そうに飾られているのに気かづいた。
白いフレームに入った写真の中にいる二人の少女が仲良さげに隣あって立っている。
一人は褐色肌で短髪の少女。もう一人は、色が白い長髪の少女。
ーーシャワーを浴びている人は、そのどちらだろうか。
不意にシャワーの音が止まった。
音の主が部屋へと入ってくる。ぼくは裸でその女性が出てくるのではないかと思い、思わず目を瞑った。
肌についた水が滴り落ち、床をびしょびしょに濡らしながら女性は窓に近付いていくのが、音だけでもわかる。
「新しい服に着替ようかねぇ」
そうして女性が発した声は想像以上にしわがれていた。
何かがおかしい。声から判断すると、あまりにも年齢を重ね過ぎている。
つまり、女性は写真に写っていた少女のどちらでもなかったのだと思う。
そして、ぼくが目を開けると女性の顔がなかったことに気がついた。
より正確に言うなら皮膚は焼け爛れて剥がれ落ち、近くに寄ればその下に隠れていた筋繊維の一本一本が観察できることに。
全身もまた同じようになっていて、所々、骨まで見えていた。いくつかの筋繊維はほつれてしまっていて、重力に負けてだらりと下に垂れ下がっている。
二つの目玉だけが異様に目立ち、今にも床に落ちそうだけれど、ギョロギョロと動かしながら窓の下の通行人を見つめる。
まるでウィンドウショッピングでもしているかのように。
「あれも飽きたことだしねぇ」
2
「大丈夫かね。どうかしたのか」
ぼくはボッーとしていたようだ。
日傘をさしながら隣を歩くクレスプリーーーこの名前はもちろん偽名だけれど、当時のぼくは名前を知らなかったからそう呼んでいるーーの声で、ぼくは我にかえる。
「大丈夫だよ、少し考えごとしていただけさ」
あの森で自分自身の命を落としてから、もう数日が経った。数日が経ったけれど、まだ妙な気分だった。
死んでいるのに意識がある。
自分が死んでいくあの瞬間を忘れることはできなかった。
あらかじめ設計していたみたいに綺麗に配置された臓物が地面に撒き散らされ、心臓の鼓動が停止し、意識が失われていくあの瞬間を。
そして、痛みと後悔と不安が入り混じる感情の中で、ぼくの「魂」は片時も離さなかったシャロンのペンダントに宿ったのだ。
ぼくを殺したリサがクレスプリーに撃たれ、死んでいくのを観察しながら。
「まあ、慣れないことだらけだろうが、そのうち慣れてくる。わたしもそうだった」
クレスプリーは歩みを止めず、夕暮れの道を町の中心に向かって進んでいく。
「……あんたも昔は人間だった」
「ああ、わたしも昔は生身の人間だった。遠い昔のことだがね」
そう言ったクレスプリーはどこか寂しげな表情を浮かべていた。
「それでどうだね。
「なんて言うか。変な気分だね。見ることも聞くこともできるけれど、触れないし、嗅ぐことも食べることもできない」
こう言ってよければ、まるで別の
普通の人間には認識できなくて、ぼくもまた干渉することができない。
あちら側とこちら側。あの世とこの世。
彼岸と此岸。
「まだ自分自身の力を分かっていないようだな。君が何をできるのかを」
クレスプリーは、クックと笑った。
「ぼくに何ができるのさ」
「それは君自身で学んでいけ、実践でな」
そう言ってクレスプリーは先を歩いていく。
「ちょっとぐらいヒントを教えてもいいじゃないか」
ぼくは幽霊らしく浮遊しながら、クレスプリーのあとを追った。
通りですれ違う人の数はまばらだ。町並みの向こう側で太陽が沈んでいき、もうすぐ夜を迎える。
人間たちだけの時間は終わり、ぼくたちみたいな人ならざる者たちの時間が始まりを告げた。
3
「で、これからどうするのさ。ニューヨークに戻るって言ってたけど」
ぼくたちは近くにあった公園でほんの少しの間だけ休憩していた。クレスプリーはベンチに座り、ぼくはそのまま突っ立っている。
すっかり夜になった公園にはぼくたち以外は誰もいなかった。
潮風に晒されて錆だらけの遊具が申し訳程度にあるだけで、仮に昼間でも利用者は少ないだろう。近道のために通り抜けるぐらいの用途しかぼくには思いつかない。
「しばらくの間、この街に滞在することになる。理由は簡単だ」
「……またぼくたちの出番」
「そうだ。それに君に手伝わせるにも丁度いいだろう」
クレスプリーはニヤリと笑った。
寂れた街の寂れた公園で夜風が木々を揺らしている。
この町を訪れるまで、ぼくたちはニューヨークに向かっていた。昼間はなるべく日陰で過ごし、夕方から夜にかけて移動する。
目的は一つ。
クレスプリー曰く、そこに「フリークス」の拠点が存在している。
ぼくをその場所へと連れていき、正式な仲間にするために。
その途中でぼくたちはこの港町に寄ったのだ。かつてのこの町は漁によって栄えていたようで、それを示す看板が町の至るところに張り出されていた。けれど、今は手入れがされておらず、潮風の影響で荒れたい放題だった。
町に到着してからしばらく移動している間に空いていた店は数軒程度で、ほとんどはシャッターが閉まっている。
若者たちが外に出ていったから町が寂れていったのか、町が寂れたから若者たちが出ていったのか、理由はわからないけれど、どちらにしてもこの町は限界寸前だ。
「この町でも何かが起きているから」
ぼくはそう訊ねる。
「ああ、間違いなくな」
クレスプリーは遠くの方を見つめながら言う。
「昨晩、人が一人殺されたそうだ」
「また犠牲者が」
「これで二人目らしい。一ヶ月でな」
その言葉を聞いてぼくはなんとも言えない気持ちになる。
生きている頃はニュースで聞いてもなんとも思わなかったし、自分の生活圏とは関係のない別の世界の話だと思っていた。
けれど、自分自身が被害者にも犠牲者にもなった今は違う。
残された者たちはどう過ごしていけばいいのだろうか。
その気持ちが痛いほどよくわかる。
そして、それがぼくたち側の存在が引き起こしたものならば、ぼくたちが終わらせなければならない。
「何がやったかは検討がついてたりするの、クレスプリーは」
「そうだな、いや」と、クレスプリーは頭を振る。「検討はまだつかん。被害者に特徴はあるが、それだけではなんとも言えんな」
「被害者の特徴って」
そこで、クレスプリーは一つ咳払いをした。
「全身の皮が剥がされ、持ち去られていそうだ」
「……」
ぼくは言葉に詰まった。
なぜ、犯人はそんなことをしたのだろうか。
なぜ、なぜ、なぜ。
けれど、理由を聞いても理解できないことはわかっている。
そこに説明をいくら求めても無駄だ。
それよりも少しでも早く犯人を見つけないと。
「もしもーし、聞こえる」
と、いきなり緊張感のない少女の声が聞こえてきた。
「よかったー。電波が悪くなったのかなー、全然聞こえなかったよ」
短髪の少女が公園を通り抜けるために歩いてきたようだ。服装は暗くてよく見えない。
とはいえ、なぜかその少女に見覚えがあった。
どこかで見た覚えがある。
少女は公園を抜けて、町の方へと電話をしながら消えていく。
「聞いてよー。マヤが全然電話に出てくれないんだけど」
そこでぼくは思い出す。
町を歩いていた時に感じた奇妙な白昼夢。
その夢のなかで見た写真に写っていた少女だ。
そして、その夢には犯人らしき存在をみた気がする。
The Freaks @Endroll
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