第5話 『the Cry 後編』
1.
「あんたの名前を知ってるぞ、クレプスリー。衛生局の人間だろ」
この時点で知っているのは、クレプスリーの名前と彼が夜な夜な怪物たちを狩っている人間だということだけだった。
電柱の側に立ち、通りからリサの部屋を見張れる位置にいるクレプスリーは、
「はて、誰のことでしょう。人違いでは。わたしはゴールドブラム。通りかかっただけですよ」
と、まるで他人事のようにとぼけた表情で、目の前に立つぼくから逃げようとする。
初めて会ったときと同じく、黒のスーツ姿で杖をついていた。一瞬、勘違いだったと思ってしまうが、名前が違っても見間違えるはずがない。
「ぼくはあんたとスナッチャーの最後に立ち会ったんだ。あいつはヴァンパイアだった」
もちろん、妹と親友を殺した殺人鬼がヴァンパイアだという記憶はまだ曖昧だ。
とはいえ、ウェブの掲示板であの事件が犯人がヴァンパイアという書き込みがあって、少なくとも、あの事件が普通じゃないことは記憶に残っている。
ぼくがクレプスリーに会おうとしたのは、事件の真相を確かめるため。
立ち去ろうとしたクレプスリーもといゴールドブラムが歩みを止めた。
「どこまで知っている」
「あんたがヴァンパイアハンターだってことまで」
そこで、内ポケットから取り出して用意していたのか、振り向いたゴールドブラムは例のアレをぼくの顔の前で発光させる。
けれど、ぼくにそれは効かない。カメラのフラッシュが苦手でよく白目を剥くからだ。
「ここにいるのは、そいつが」と、ぼくは例のアレを指差し、「意味なかったからだよ」
それに、あの事件についてよりもゴールドブラムには他に訊かなくちゃいけないことがある。
老紳士がなぜここにいるのかが疑問だった。
「どうして、あんたがあのアパートに住む女性を監視してたんだ」
「満月が夜空に浮かぶ日を待っていた」
「えっ」
雲に隠れていた満月がその顔を現す。紅い満月だった。周囲が月の光で少しだけ明るくなる。
ややあって、ゴールドブラムが言った。
「この界隈で頻発する殺人事件の犯人があの女でね。彼女は
ウェアウルフ。
ライカントロープ。ルー・ガルー。ワーウルフ。
ヴァンパイアと並んで、怪物と言えばすぐに思い浮かべるような有名な存在だろう。狼男や狼人間とも呼ばれていて、満月を見ると理性を失い、人間から狼へと変身する。
人狼に噛まれた人間も人狼になるというのはゴールドブラムに教えられたことで、銀の弾丸で倒せることは映画か何かの知識で知っていた。
その姿は、身体の半分が人間でその半分が狼だ。人間の知性と、獣の凶暴さを併せ持つ。
「わたしたちは二年前にもこの町でウェアウルフを始末した。他に生き残りがいたとは。もう少し早く気付くべきだったよ」
二年前、ゴールドブラムらによって殺されたウェアウルフは、リサの恋人だったのだろうか。
リサは自分がウェアウルフだという自覚があったのだろうか。
ゴールドブラムはその陶器のような真っ白な肌のせいで表情が読めない。
「新たな被害者が出る前に始末しなくては」
そう言ったゴールドブラムに対して、
「その女性はどうしても殺さないといけないのかな。自分はその自覚がないかもしれないのに」
と、ぼくは訊く。
自分でも身勝手なことを言っているのは分かっていた。リサはこれまでに何人もの男を殺している。放っておけば、さらに犠牲者は増える。
もしかしたら、リサはウェアウルフだということを自覚していて、実際は人を殺すことを楽しんでいたのかもしれない。
人間が狩りを楽しむように。
だから、ぼくを次の獲物だと決め、近づいてきたのだろうか。
それでも、ぼくはリサを助けたかった。二人を失ってからぽっかり空いた空白をリサが埋めてくれたのだから。
ゴールドブラムは驚いたようで、
「変な人間がいたものだ」
クック、と笑った。
「それ、よく言われるよ」と、ぼくも愛想笑いを浮かべる。
「今夜、一人も被害者がいなければ考えておこう。だが、一人でも手をかけようとしたのなら、わたしがすぐに始末する」
そう言ってゴールドブラムは顎で後方をしゃくった。ぼくも振り返る。
リサの部屋の窓が開いている。
「夜明けまでアレを引き付けて、森中を逃げ回ることだな」
ゴールドブラムをこう訊いているのだ。
命を懸けて助ける覚悟があるのか、と。
「……わかったよ」
「さあ、狩りの時間の始まりだ。夜明けまでは長いぞ」
2.
それが今回の経緯だ。
ぼくが自分の肉体を失うまでの。
森へと消えたリサを探すのは簡単だった。
彼女の咆哮が何度も聴こえ、そのたびに身がすくんでしまったが、声が聴こえた方へ向かう。リサも獲物であるぼくを探していたのか、すぐに彼女と遭遇し、命懸けの鬼ごっこが始まった。
リサがそれを追った。
持久力でも瞬発力でもリサの方が上だ。一般的な身体能力しか持ち合わせていないぼくでは、全くもって歯が立たないだろう。
真っ暗な森という地形の面でもリサが有利だった。不気味に輝く満月だけが唯一の頼りで、どうにかリサから逃げ続けた。
初めから勝ち目がないことはわかっている。
それでも、ぼくは知力と勇気を振りしぼり、ぼく意外の人間を襲わないようリサの注意を引く。
小柄な身体を生かし、木の影に隠れ、間に合わせの小細工で森をさ迷う怪物の翻弄する。音にも匂いにも敏感でこちらの位置を悟られないようにするのは大変だ。
息が切れ、肺が酸素を欲しているのに口に手を当てて、息を殺さなくちゃいけない。
まばらに落ちる小枝を踏まないように気をつけた。
けれど、 結局、ぼくはリサに腹を引き裂かれている。
その時のことは今も鮮明に覚えている。
牙が剥き出し大きな口からは涎が滴り落ち、爛々と輝くその瞳は、人を殺すことを楽しんでいるようだった。ぼくの腹に突っ込んだごつごつした手を取りだし、ぽっかり空いた穴から胃や腸といったはらわたがこぼれていく。
ぼくは膝をつき、逆流してきた血が口から噴き出す。リサは笑っているように見えた。
そして強引に右腕をもぎ取られ、その瞬間、ブチッという音を聞き、皮膚が横方向の力に耐えきれなくって千切れていく光景から目を離せない。
痛い、痛い、痛い。痛いが、意識ははっきりしていた。
リサはぼくの右腕を貪りついている。
ぼくはそれを恐ろしく冷静に観察していた。全身が痛みだらけで、どこが痛いのかわからなくなっていたのだ。
ひゅう、と腹に空いた穴から風が抜ける。
と、パァン、という銃声が響いた。
リサが怯む。銃弾は脚を貫通したらしい。太ももの硬い毛が赤い血で濡れ、その血は地面に広がっていく。
ゴールドブラムが撃ったのだ。
杖をついて現れた老紳士は
「ウアオォオオオンッッ」
というリサの叫び声とともに、ハンドガンからマズルフラッシュが見えた。銃口から硝煙がのぼる。
パン、パン、パァン。
三発の銃声が響き、ゴールドブラムに向かって走ったリサの身体に銃弾は全て命中していた。銀の銃弾だったらしい。身体に空いた傷口の周囲の皮膚が焼け爛れ、痛みに耐えかねたリサがゴールドブラムの前で倒れる。
焦げたゴムのような臭いが鼻につく。
「……残念だ」
ゴールドブラムは、ハンドガンの弾倉に弾が残っているのを確認して、リサのこめかみに銃口を向けると、ハンドガンの引き金を引いた。
リサは死んだ。脳みそをぶちまけて。
ぼくはただそれを見ることしかできなかった。それを見るぼくもすぐに後を負いそうなほど衰弱しきっていたけれど。
全身の血が足りなくなって、意識が朦朧としている。
「ぼくは……もうダメ……なのか」
近づいてくるゴールドブラムにぼくは掠れてほとんど聞こえない声で訊いた。
ゴールドブラムは肩をすくめて、
「……ああ。助からんな」と、胸の前で十字を切る。
「じゃあ、妹は……親友は誰が……彼女たちのことを……」
そこで、ぼくは血を吐く。自分に死が迫っているのがわかった。思考が途切れ、身体中の感覚が遠くなっていく。
「生きていたことを……覚えて……生きて……いくんだ。彼女たちの……死の……真相は……」
自分でも何を言っているのかわからない。言いたいことがたくさんあるのに言葉が足らない。意識が断続的で、途中、何度も真っ暗になった。
ゴールドブラムはため息をつく。
「人は死ぬと、生前に比べ体重が二十一グラム現象する。それが
ハンドガンがぼくの前に落とされる。
「……実際は消えてはいない。魂は元に戻せないほど散り散りになり、今も世界のどこかを漂っている。そして、ごく稀に強い思念が周囲の物に宿ることがある。
ゴールドブラムの言葉にぼくは考えた。
今もシャロンやダレンの魂の破片が世界のどこかで漂っているとしたら。
もう一度、彼らの魂を造りあげることができるとしたら。
「わたしたちの仲間になるか」
「あ……あ……」
こくりと頷くようにぼくの首は倒れる。その時点でぼくは死んでいる。
「ようこそ、フリークスへ」
そうして、ぼくは
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