第5話

 浴室に入ると、温泉特有の土の様な金属の様な匂いが充満していた。壁からそこそこの大きさの湯船にお湯が注がれていて、その吹き出し口には湯の花の様なものが付いていた。源泉かけ流しか。違うかもしれないけど。

 お湯に身体をつけると、濁音混じりのため息が出た。俺も年取ったな。真夏のトレーニングの後、クールダウンでプールに入った時にかなり年上の先輩もこんな感じになってたな。一瞬バカンスにでも来た気分になっていたけど、この後のことを考えると気持ちが沈む。身体も沈みそうになって慌てて足を踏ん張る。風呂で溺れて死ぬとか洒落にならないな。

 湯船の縁に腕をかけて体を安定させる。俺は改めてこの後のことを考えた。コルバノとエッケンに話を聞いたら、どうしようか。試合とか見られたらいいけど、この世界に映像を残しておけるHDDとかDVDとかあるのか?それともあのテフォランツォの魔法みたいなもので保存されてるのだろうか。死人が出るような試合内容に、果たして俺は耐えられるのか。ホラーとかスプラッタは苦手だし、歴史の授業で見せられた戦争の記録映像で失神したこともある。ただ、ケンタウロスと他の種族がどう戦うのかは気になる。あのえげつない体格差をどうやって埋めるのだろうか。

 そんなことを考えていたらかなり時間が経っていたようで、指先がふやけていた。そろそろ出るか。喉も渇いたし、何か飲みたいなーなんて考えながらドアを開ける。

「タオルはこちらです。あと、お飲み物もご用意しました」

「どぅえっ?!」

思わず変な声が出た。案の定というか実は予想通りというか、そこにはリユがいた。たまたま前を隠せていたのが不幸中の幸いだ。

「とりあえずタオルだけもらおうかな……」

着替えの手伝いは大丈夫だという雰囲気を出すと、リユもなんとなく察してくれたようで、タオルと飲み物の入ったトレイを置いて脱衣所を出てくれた。

 支度を整えて外に出ると、リユが俺のいた部屋から持ってきたらしい紙とペンを手にしていた。

「必要かと思ってお待ちしました」

確かに、頭の中だけで記録するには限界がある。本当によく気がつく子だな。


 会談の場所は例のスタジアムらしい。

「コルバノ様とエッケン様からのご指定です。この世界でサッカーが行われる場所をその目で見ていただきたいとのことです」

「それは助かるな。俺も気になってたし」

今思い出してみれば、あの説明で納得出来る訳がない。とんでもない事に首を突っ込んでしまった、というか巻き込まれてしまったんだなと改めて思う。

 スタジアムまでの道は徒歩での移動だった。俺の存在感が薄いのと、この世界の服を着ているおかげかあまりジロジロは見られることは無かった。天気は今日も快晴で、風が気持ちいい。少しだけ脳に余裕が出来たのか、俺はふとある事が気になった。リユはケンタウロスでもエルフでもない。サイズ感からドワーフでもホビットでも無さそうだ。リユの種族は何だろう。街中でもリユの様な外見の人々は見かけなかった気がする。

「そういえば、リユの種族にもチームはあるの?」

「いえ。私達にチームはありません。ですが、試合には参加しています。ああ、入り口はこちらです。コルバノ様、エッケン様は中でお待ちです」

リユが指さしたのは大きな階段ではなく、その脇に逸れたところにある小さな扉だった。

中途半端な返答しか得られていないのに、リユはニコニコしたままその場に止まっていた。

「え、一緒に入らないの?」

「その先は関係者以外立ち入り禁止となっています。私は入る事が出来ません」

いってらっしゃいませ、と深々とお辞儀されると、それ以上は何も言えなかった。


 扉を開けると、細い廊下に繋がっていた。俺が動くと薄暗い廊下の両脇に小さな火が灯る。これも魔法なのか、便利なもんだな。廊下の先から光が見えた。風も吹き込んでくる。思わず足を速めると、目の前に見慣れた光景が飛び込んできた。

 一面に広がる緑、階段上になった座席と一部を覆う屋根が作る影、大きな板にはこれまた大きな時計が設置されている。その横に並んだ四角のスペースはスコアボードだろうか。陸上用のトラックがない、サッカー専用スタジアムだ。ああ、あれだ。千葉あたりにこんな感じのところあったよな。

「ようこそ、我々のスタジアムへ」

呆気に取られている俺に声をかけてきたのはエッケンだった。その横にはコルバノもいて、お辞儀されたので、俺も慌てて頭を下げる。

「すいません、時間大丈夫でしたか?」

「問題は無い。貴方には時間が必要ということは理解している。我々としてもまだ色々と伝えなければならない事がある。そのための時間は惜しまない」

エッケンは淡々と言った。とは言っても、冷たい訳ではなくどこか壁を作っている様な、そんな雰囲気だった。

「あ、そういえば俺まだ名前言ってませんでしたよね?俺は――」

「スズキヤスヒト殿、でよろしいか?」

「えっ何で知って……」

「あの世話係が言っていた」

ああ、なるほど。リユはスズキヤスヒト様からのって感じで言ったのか。ただ、俺のフルネームはこの世界では発音しにくそうだったので、スズキでいいと伝えると、エッケンはそれ以降俺をスズキ殿と呼ぶ様になった。殿も余計だけど、まあそれはいずれ何とかしよう。


 エッケンは何やら鍵の様なものを持っていた。俺達が今いるのはスタンド席の下部分で、そこにはベンチや小さめの本棚くらいの石があった。表面は磨かれたみたいにツルンとしている。エッケンがその石に鍵をかざすと鍵穴が現れた。そこに鍵をさして回すと、石の上から垂直に液晶画面の枠を無くしたようなものが出てきた。

「うわっ」

顔を近付けて見ていた俺はのけぞって驚いたが、2人はノーリアクションだった。これは恥ずかしい。

「今から、前回行われた試合を見ていただく。ケンタウロスとエルフ、我々とエルフ、そして我々とケンタウロス」

「これで映像見られるんですか?」

エッケンがよくわからないという様な表情をしていたので、俺が試合の様子と言うと合点が行ったようだった。

「動的記録はこの鍵に保存されている。画面に手を翳せば見たい場面を探して合わせることも出来る」

何だか無駄にハイテクだ。ただ、石から画面が出てるのは何かシュールに見える。

「まずはケンタウロスとエルフの試合から。気になる場面が声を掛けていただきたい。静止や速度を落とすことも出来る」

「ああ、わかりました」

初めて見るはずなのに、慣れ親しんだ機能を持っているのが不思議な感覚だった。俺が返事をすると、エッケンは透けている画面に手をかざし、ある記号を指でタップした。その印は紛れもなく右向き三角の再生ボタンだった。ご丁寧に一瞬クルクルと回る光の輪まであった。



 映像—ここでは動的記録か、それはケンタウロスとエルフが整列するところから始まった。ケンタウロスとエルフの間には白い人、おそらくリユと同じ種族だろう人々がいた。主審、副審ということか。

 ケンタウロスは赤いシャツ、エルフはグリーンのシャツを着ていた。よく見ると両チームでキャプテンマークらしい腕章をつけているのはグラオルガとテフォランツォだった。エルフ側の選手は高さはあるけど華奢で、ケンタウロス側はそれぞれ大きさの違いはあるものの、フィジカルが半端なく強そうだ。モドリッチとかデヨングとイブラやトラオレがぶつかり合う様なものか。

 試合はエルフ側のボールで始まった。無理に前に出ようとはせず、タイミングを見計らう様にパスを回している。ケンタウロスは隙あらばと果敢にプレスをかけてくるが、あまり足元は器用ではない様で、プレッシャーをかける程度に留まっている。試合前のフォーメーションの表示が無いので、チームの意図するところを読み取るのは少し難しかった。しかし、パスの方向やそれぞれのポジショニングを見ていると、自分たちの長所を活かすための明確な戦術を持っている様に思えた。

 ケンタウロスは4-2-3-1、エルフは3-5-2の配置か、多分。やっぱりと言ったら失礼かもしれないが、ケンタウロスの攻撃は個の力でゴリゴリに押し込んでいく。技術はあまり高くなくてもフィジカルでボールがキープ出来てしまう。足だって当然速い。守備だって、あの巨体である程度連携が出来ていれば、パスコースは無いに等しい。CFはグラオルガらしい。勝手にDFかと思っていた。セルヒオ・ラモス似だからって見かけで判断してはいけなかった。とにかく面白い様にボールが収まる。まさに戦術グラオルガ。

 が、しかし。エルフはキーパーの反応が早い。さらにひらりと舞う様に体勢を変え、とんでもないビッグセーブをしていた。イギータを少しだけ滑らかにした様な、そんな感じだ。身軽だからか何なのか、滞空時間が気持ち長めな気がする。ついでにエルフはスペースの利用が上手い。利用というか、ほんの少しの隙間があればそこにパスを通してしまう。そしてそこには、素早く裏抜けしてきたボールの受け手が大体いる。ボールの出し手は主にテフォランツォだった。足元の技術も高いので、ケンタウロスからボールを奪うことはそこまで難しく無い様だった。フィジカルで競り合うことはほとんど無く、するっと身をかわしてケンタウロスを抜いていく。

「何か気になる点は?」

エッケンから声を掛けられて、俺は自分がかなり前のめりになっていたことに気付いた。

「あ、いや、すいません。つい夢中になってしまって……」

試合はお互いの長所を打ち消しあって、拮抗した状態だった。目が離せない。きっと得点が生まれるとしたら、ほんの小さなズレや綻びからだろう。戦争の代わりだというこの試合を不謹慎ながら面白いと思ってしまった。

 これは俺が何かする必要は無い様な気がする。やっぱり、整えるというのはチームの技術じゃなくて、大会の運営とかルールの整備なんかの方だな。動的記録で見る限りでは、会場は盛り上がっている。この世界の人が、種族の行く末云々抜きして純粋に楽しめる様になったらいいなと思った。

 コルバノはもちろん、エッケンはそれ以上何も言わなかったので、俺は再び画面に目を向けた。ちょうどケンタウロスがファールを取られ、エルフのフリーキックになるかという展開だった。納得がいかないケンタウロスDFが審判に詰め寄るも、審判の態度は毅然というかあっさりとしたもので、当然聞き入れられなかった。まあ、倒されたエルフの腹あたりにくっきりと蹄鉄の跡がついていたから仕方ない。ケンタウロスのDFにイエローカードが提示、という瞬間に後ろ足で審判を蹴り上げた。

 グシャっという嫌な音とともに、審判の身体は宙を舞う。明らかに頭が変形していた。ピッチに落下した身体は手足が不自然な形に曲がり、痙攣していた。おそらく助からないだろうし、生きているかどうかもわからない。回収される死体と入れ替わりで別の白い主審が現れる。イエローカードを提示されたケンタウロスの額には赤い札—おそらくレッドカードが貼り付けられ、弾き飛ばされるようにロッカールームへの入り口に吸い込まれていった。

 そして試合は再開。最終的に、直接フリーキックを決めたエルフが勝つ結果となった。フリーキック以降の展開は頭に入ってこなかった。

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元日本代表、現:亜人サッカー協会暫定会長スズキの受難 原多岐人 @skullcnf0x0

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